戦乙女は結婚したい

南野海風

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45.薔薇の道を歩く前に

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 気高い紅茶の香りが漂う。
 隙間のように空いた沈黙を、埋めるかのように。

「……ふう」
 
 息が漏れた。
 なかなか口にできるものではない極上の紅茶の味に、嘆息と溜息とが混じって漏れた。

「なあ、イリオ」

「はい」

「やはり私には、そなたしかいないのではなかろうか」

「…………」

「…………」

「…………」

 …………

「言え。いつも通りに。次がある、いつか出会いがあると言え」

 圧を感じさせるアイスの視線を受け、イリオはしかし、静かに答えた。

「今回の負けはちょっと大きいかなと」

「おい。はっきり言うな」

「言わなくてもはっきりしたかなと。一目瞭然で」

 本当に遠慮も配慮もないメイドである。

「……なんだろう。この気持ち」

 アイスはふっと力を抜き、虚ろな目で空を見上げた。

「意外と怒りも悲しみも湧かない。感情が騒がなくてな。
 何もないのだ。
 もしかしたら、人生の全てが終わった時、こんな空虚な気持ちになるのかもしれない」

 いや、と、イリオは内心首を振る。

 ――それはまだ実感がないせいで、きっと特大のが後から来るだろう、と。




 六人の婚約者候補と対話した直後、アイスは完全に気が抜けていた。

 特訓のおかげで、男と差し向かいであっても、非常に落ち着いて対応することができた。話をしながら笑えるほどに余裕もあった。

 この時点で、アイス側の問題は、九割がクリアできていたのだ。

 あとは、対面する六人の中から、これだと思える男を選ぶだけ。

 そう、ただ選ぶだけという、簡単な選択を残すだけだった。
 夜のお店で、指名する男性を選ぶ方が難解だったと思えるほどに簡単なことだった。

 簡単だった、はずなのだ。

 ただ、アイス側の問題の残り一割を、全員がクリアしてくれなかった。
 そのおかげで、選択するところまで行かなかったのだが。

「果たして正解だったのか否か……」

 テーブル傍に控えるイリオの横には、茶葉やティーポットなどを置いているローテーブルがある。
 真っ白なクロスが敷かれていて、見ていてまぶしいほどだが。

 そこには、不自然に並んだ、小さな六つの水シミがあった。

「イリオはどう思う?」

「やる前にも言いましたが、私はやってよかったと思っていますよ」

「そうか?」

「ええ。こんな短い時間の対話で、嘘を吐く男が誠実だとは思えませんので」

 長い友達付き合いや、恋人付き合いの中でいくつかある嘘とは、若干わけが違う。

 これは、本気で結婚を考えるという前提があった茶話会である。

 とにかく虚飾で飾り立ててアイスを騙してとりあえず結婚までこぎつければ後のことは大丈夫、なんて考える男は、とにかく失格だ。性根から失格だ。

 そんな男にアイスを渡すわけにはいかない。

「嘘を吐く男が悪いのか、それとも些細な嘘さえ暴くこの『神火』が厳しすぎるのか」

 アイスは、手の中に持っていたキューブ型の氷を、テーブルに置いた。

 小さな氷の中には、白い炎が閉じ込められている。

 ――これは、元・白の乙女ブランマンジェに借りてきた、虚言を焼く「断罪の炎」である。

 そもそも普通の火とは異なる神の炎なので、こういう不思議な形で、借りたり持ち歩くこともできる。
 持続時間は半日ほどで、この茶話会に合わせて借り受けてきた。

 この場で嘘を吐いた者がいれば、器たる氷が溶けるという仕組みの嘘発見器である。

 この茶話会で、アイスが求めた唯一の条件――嘘をつかない相手を探し出すための仕掛けだった。

 結果は、ローテーブルに残る六つの水シミの通りである。

「私の読みでは」

 氷が溶ける瞬間を見ていたイリオは、男たちがどこで嘘を吐いたのか、明確にわかっている。

「『ほかに好きな女性がいる』が二人、『権力に興味がある』が三人、『お金目当て』が一人ですね」

 対話する時間は限られているので、アイスは質問する項目を最初から考えていた。

 それをさりげなくぶつけた結果、嘘が発覚した。

「私の求める条件とは、そんなに難しいか?」

「どうでしょうね。男と女では根本の考え方が違うかも知れないので、はっきりは言えませんが」

 そう前置きして、イリオは続ける。

「私は、彼らの気持ちもわからなくはないですよ。
 ただ、彼らはなぜ自分たちが候補に選ばれたのか、あまり考えなかったのでしょうね」

 アイスが命と同じくらい大事にしていたあのリストから、六人に絞り込まれる段階で、アイスの好みに合致する者が選出された。

 出生は貴族籍の中から下で。
 長男以下で。
 婚約者がいなくて。
 隠し子もいなくて。
 実家から出て入り婿という形も受け入れて。

 貴族としてではなく平民として生きても構わない、借金をしたことがない、できるだけ健康な男。

 アイスが考えて絞り込んた条件は、こんな感じだった。

 そして、王妃が厳しい目で審査し、今日会った六人が選出された。

 アイスの条件の他に、誠実で、悪い噂がなくて、勤勉で、使用人からの人望もある男を選りすぐったのだ。

 だが、イリオは少しだけ、彼らの気持ちもわかるのだ。

 婚約者候補たちは、この茶話会の概要を聞き、アイスのその辺の事情も聞いている。
 アイスと結婚したらどうなるかを教えずに、こんな話を持ち掛けるわけにはいかないから。

 だが、アイスの場合、獲物としての価値が大きすぎた。

 この十年の働きぶりで国から貰っている勲章だなんだを考慮すれば、アイスが望めば上級貴族の身分は余裕で貰えるだろう。

 ついでに貰っている報奨金は貯まりに貯まっていて、普通に暮らせば三代くらいは、働かなくても暮らしているほどの貯金がある。

 恐ろしいまでに育てられた知名度や名声はコネクションに化け、大きなビジネスの足掛かりになるだろう。

 要するに、本人よりも付加価値の方に目がくらむ。

 長男以下……いわゆる家を継げない次男以下としては、実家よりも上の身分を得られる可能性があるし、何もしなくても遊んで暮らせる金も転がり込む。おまけに美人の嫁が付いてくる。

 欲が出てもおかしくないだろう。
 誠実なだけでは、それこそ人間らしくない、とも思う。

 ただ、結婚が決まるという大事な大事な対話で、欲に目がくらんで嘘を吐いたというのは、看過できない。

 気持ちは理解できる。
 だが、明文化してしまうと、それはやってはいけない詐欺行為だ。甘言で惑わせ実際とは違うというのは、結婚詐欺だ。

 ――という話を簡単にするが、アイスは聞いていないようだ。

 充分な準備期間を経て気合いを入れて臨んだ茶話会だが、この結果である。
 どうもやる気という中身が消失したようで、抜け殻みたいになっている。

「イリオ」

 虚ろな瞳で、アイスがイリオを見る。

「もうそなたが結婚してくれ。私を貰ってくれ」

「残念ですね。私が男だったら、とっくに手を出してるんですけどね」

 冗談めいてそんなことを言い、イリオはティーセットを片づけ始める。
 もうここにいる理由はないので、帰り支度である。

 かすかに鳴る食器の重なる音を聞きながら、アイスはぼんやりと、先のメイドの冗談でも溶けない氷の中の神火を見詰めていた。




 テーブルを片づけて席を立ったアイスは、イリオを伴ってのんびり庭を歩き、そこに立った。

「手早く話を済ませて、未来の夫と一緒にここを歩くつもりだったんだがな」

 王妃自慢の、編み薔薇のトンネルの前である。

 木漏れ日が差し込む薔薇の道は、色とりどりの薔薇やつぼみが咲き誇っている。
 冬以外は咲いているそうなので、もしかしたら今年の見ごろは、ここ数日で最後かもしれない。

「今日は私で我慢してください」

「……こ、ここで、思い切って、キスとかするつもりだったんだが」

「…………」

「……してもいい?」

「絶対イヤ」

 ポケットに入れている氷は溶けない。メイドは本気の拒否だ。

 夏が過ぎ、すっかり秋である。
 薔薇の香りに引き寄せられるように、アイスの足が前に出た――ところで、止まった。

「――アイス殿」

 背後から呼びかけられ、アイスとイリオは振り返る。

「少しよろしいか?」

 振り返る前からわかっていたが、騎士団長ブレッドフォークが立っていた。
 その後ろに若い騎士もいるが、イリオは見覚えはない。

「王妃様がお呼びか? すぐ行く」

「いや、まだ時間は大丈夫のようだ。それより――」

 騎士団長が道を空けると、若い騎士が歩み出てきた。

 歳は、二十過ぎ。
 鮮やかな金髪は短く、育ちがよさそうな端正な顔立ちだが、強い緑の眼差しと厳しく結んだ口元が、なんだかちぐはぐだ。
 力の入っていない表情なら、かなり甘い顔立ちだろう。

 恐らく貴族の子息。
 だが何度か死線を潜っただろう油断のない所作や、鎧の下にある身体は、騎士らしく、かなり鍛え上げられているようだ。

「この者が、アイス殿に話があると。少し時間を貰えないか?」

「構わないが……」

 アイスは若い騎士を見て、首を傾げた。

「どこかで会ったな? だが、悪いが思い出せない」

 週一回、演習で騎士たちとは顔を合わせている。なので名前はともかく、顔を知らない騎士は珍しい。
 ゆえに恐らく、城仕えではない騎士なのだろう、とは思うが。

 ならば逆に、見覚えがあるという記憶が矛盾する。

「私は……その、今年の春、不躾にも貴女に挑んだ無謀な者です」

 あった。
 アイスの記憶と、イリオの記憶とも合致した。

 アイスは完全にこの騎士との出会いを思い出したし、イリオは「その件で騎士団長が訪ねてきた」ことを思い出した。

「随分変わったな」

 すぐわからなかったのも無理はない。

 あの時に対面した騎士と同一人物とは思えないほど、厳しい顔立ちになった。

 あの頃はもっと、権力に甘えて育ったという感のある、典型的な貴族のご子息という雰囲気だったが。

 今は、騎士というより、歴戦の戦士のようだ。

「私が貴女に挑んだあの件以降、配属場所が変わりました。実戦が求められる場所へ」

「飛ばされたのか?」

 割と聞きづらいことのはずなのに、アイスは遠慮なく問う。

「聞いてないぞ、団長殿。彼は決して悪いことはしていない」

「いえ、私が志願しました。……親から叱られ責任を取れと言われたのは確かですが、納得して行きました」

 親。
 そう、確か、氷の乙女に睨まれるのを恐れた彼の親が、ご機嫌伺いに騎士団長をアイスの元へ送り込んできたのだ。

「そうか……悪かったな。私がもう少しちゃんと庇っていれば」

「それよりアイス殿」

 若い騎士は、一歩間を詰めた。

「このような場で無粋なことを言いますが、団長に無理を言ってここに……貴女に会える場に連れてきてもらいました。

 ここでしか言えないことを、言いに来ました」

 緑の瞳が、じっと、青の瞳を見る。
 



「私と手合わせしてください。
 この数か月、死に物狂いで鍛え上げて来ました。

 今度こそ勝ちます。絶対に。

 そして、私が勝ったら――」






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