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97.その会議室は、ただただ沈黙に包まれ

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 フロントフロン領付近に巨大モンスターが現れたとの報告が入ったのは、日付が変わってしばしの時が流れてからだった。

「……」

 フロントフロン領領主ヘイヴン・ディル・フロントフロンから火急の手紙が届き、最優先で目を通したタットファウス王国国王カエサヴェス・タットファウスは静かに心を燃やした。

 ――凡そ人知を越えた魔物であり、人の手に負えるものではなし。故に打つ手なしと判断し、領地を捨て民と共に逃亡を図る所存。隣国の国境へと舵を取り、些か不道徳ではあるが、王都や国内へ向かうであろう魔物を引き付け、少しでも減らす事とする。至急救援を乞うが、巨大な魔物への攻撃・調査は慎重を要する事と気を付けたし。

 遅くまで書類仕事に追われていた国王は、大地が揺れたことは感じていた。ただの地震かと思ったが、どうやら遠くで大変なことが起こったらしい。

「伝令を出せ」

 何度も手紙を読み返しながら、それを持ってきた隠密に命じる。

「各地にいる騎士隊長と参謀に、至急王都へ集うよう伝えろ。巨大モンスターが現れた」

「はっ」

「待て」

 即座に踵を返した隠密を呼び止め、国王は身を明かすために所持している、王族だけがわかる印を付けたメダルを渡す。

「ウルフィも呼べ。こちらは静かにな」

 メダルを見せれば、第二王子――いや、今は次期参謀となっているウルフィテリアは、全てを解して駆けつけるだろう。

「キルフェコルト様は?」

「呼ばなくていい」

 次期国王となっている第一王子には、まだ、見せるべきではない。
 実の父親が非常な判断を下すところを。

 もしかしたら、民を見捨てる判断をし、兵隊や騎士を捨て駒にしなければならない場面が来るかもしれない。
 国を守るために、死んでもらう者が現れるかもしれない。

 理解はできても、まだ納得はできないだろう。
 キルフェコルトはウルフィテリアと違って、理屈では動かず、気持ちを割り切れないところがあるから。

 王ともなれば、そんな判断を強いられる。何度もだ。まだ見せるべき段階にはない。

 隠密が素早く部屋を去ると、国王も寝巻からいつもの服に着替えて自室を出た。

「火の始末を頼む」

 部屋の前で待機していたメイドに、部屋の暖炉のことを言いつける。
 今夜は部屋に帰れないだろうから。




 大臣、参謀長、城仕えの騎士団長と、作戦会議室で会議の準備をしていると、すぐに呼びつけた人物が現れた。
 一番早かったのは、マイセン領の領主だった。彼は騎士団の長でもある。

「国王、出頭致した」

 魔物が現れたと聞き、初老に入る年齢であるマイセン騎士団長は、しかし突然の呼び出しにも関わらず、老いを感じさせない鎧姿に精力に満ちた顔をしている。

「第一陣だ。行ってくれるか」

 国王と騎士団長、二人が交わした会話はそれだけだった。

「有難い。言葉の死合いは不得手ですからな」

 不敵に笑い、踵を返し――若い頃からライバル同士だった城仕えの騎士団長と一秒ほど視線を交わして、マイセン騎士団長は部屋から出て行った。

 そして彼と入れ違いで、背の高い老婆が顔を出す。

「久しいね、カエサヴェス。来たよ」

「クリーク殿。お久しぶりです」

 国王を呼び捨てにできる数少ない人物、そして国王が頭が上がらないほど若い頃から世話になってきた、知る人ぞ知る老婆クレーク・ベルトゥランである。

「お願いしてもよろしいですか?」

「人助けなら手伝うって約束したからねぇ」

 老婆クレークは、兵を現場に送ることができる転送魔法陣を作製できる、この国どころか世界でも稀有な存在である。
 その利便性の高い魔法を見込まれて、彼女の半生は国と権力に利用されてきた。
 二十年ほど前に彼女の怒りが爆発して国が傾きかけたことがあり、それ以降彼女への過干渉は全面的に禁止になった。

 今では、こういった非常事態以外では、絶対に動かないと豪語している。

「それに、フロントフロン領のことは他人事じゃないしね」

 名家ベルトゥラン家を守るために……言うことを聞かねば家を潰すと脅迫されて国に囲われたクレークだが、それでも家のことは未だに大切に思っている。

 特に、妹の子であるファベニアと、その夫であるヘイヴン。
 何くれと心配し、よく便りを送ってくるファベニアとヘイヴンのことは、己が持つことができなかった自分の子供のように思っている。

 まあ、もう、とっくに親離れも子離れもしている子供だが。

 老婆クレークが去り、ポツポツと席が埋まっていく。
 慌しい夜中の緊急会議は、招集を掛けた一時間後には開くことができた。




 ただ、話はあまりできなかった。

 離れた場所の状況を映像で報せる映像送信用魔道具を持つ隠密が、ずっと、問題のモンスターを写し、会議室の中央テーブル上に置かれた大きい水晶に情報を送ってきている。

「……」

 フロントフロン領主の火急の手紙にあった「領地を捨てる」という一節には、多くの有権者が難色を示したが。

 しかしいざ問題の魔物を見て、誰もが口を噤んでしまった。

 そう、想像よりはるかに大きい。
 水晶玉越しなのではっきりはわからないが、なぎ倒している木々や巨体を誇るモンスターなどを対比として見ると、冗談じゃないかと思えるくらい大きい。

 しかも問題なのは、巨大な亀型だけではなく、亀型の周囲にいるおびただしいほどいるモンスターもだ。

 むしろ、最初から抵抗の意を示さず、そちらに裂く労力を全面的な避難に回す決断したフロントフロン領主の英断が、何より正しいと誰もが思った。

 戦略はある。
 戦術も数多く存在する。
 伝説に近い大魔法を使える王宮魔法使いもいるし、兵器として使用できる強力なマジックアイテムも幾つか保管してある。

 だが、駄目だ。
 何をどう考えても、相手が巨大すぎて、それが通用するとはまるで思えない。

 飾ることなく有体に言ってしまえば、それら全てが規格内で……常識の内側にあることに対処するよう考えられたことであって、常識を大きく外れてしまった現象には対応できないのだ。

 たとえば、友好国から応援を要請したところで死ぬ人が増えるだけだし、何より有効な使い道が考え付かない。
 広範囲を焼け野原に変えるような大魔法でも、最大限に範囲を広げても亀型の十分の一さえ焼くことはできない。そもそも常識の範囲内にある火が効くとも思えない。

 更に言うなら、周囲にいるモンスターも脅威である。大掛かりな準備が必要な作戦を立てたとして、果たして実行可能かどうか。
 まあ、そもそも、大掛かりな準備が必要な作戦とやらが、まったく思いつかないのだが。

 本人も駄目だと思うような浅はかとしか言いようがない案が上がり、即座に却下されるという、無駄な話の繰り返しで時間だけが過ぎていく。

 ゆっくりと王都へ向かっているという巨大モンスターは、夜が隠してしまっていて見えないが、陽が昇ればここからも見えるそうだ。

 今はまだ遠いが、しかし、確実に脅威は迫っている。



 
 時間は過ぎる。
 沈黙の多い作戦会議室には、現場の報告だけが募っていく。

 ――フロントフロン領の住人二万余人、全員無事を確認。

 ――マイセン騎士団長、開戦。避難している民を庇い防御陣形にて魔物を迎え撃つ。

 ――住人の保護を完了、参戦したフロントフロンの兵隊や冒険者に死人なし。

 戦況の規模を考えると、討ち死になしなんて奇跡である。絶望に沈黙する首脳陣には嬉しい報告であった。

 が、焼け石に水とも言うのかもしれない。

 今死人が出ていないにしても、このままでは巨大モンスターに王都が潰されてしまう。
 そうなれば国は終わる。
 それに、万が一にも名案が浮かび巨大モンスターを全力でどうにかできたとしても、対処に負われたり消耗している間に他国が攻めてくることも考えられる。

 頭が痛い問題が課せられ、それがまったく減らない状態にある。このままでは頭痛で全てを失うだろう。歴史も、国も、人もだ。

 遅々として進まない――否、打つ手がない問題を前に足踏みしている間に、夜が明けてきた。

 そして、見えてしまった。

 空が白み、遠くの山と夜の境目がわかるようになって来た頃。

 山にしか見えない巨大な影が、ゆっくりと動いているのを。

「これほどとは……」

 望遠鏡を回しながら窓に噛り付く有力者たちは、水晶で見ていたそれより、レンズ越しだが肉眼で確認してしまったことに、より強く実感を覚えた。

 ――もう駄目かもしれない。

 山同然の巨体を、どうすればどうにかできるのか。
 非常時を考える国のプロが、一晩悩んでも何一つ思いつかなかったのだ。

 こうなればいっそ、フロントフロン領主のように潔く道を開けて、人々だけでも逃がせば。
 緩やかだが確実に来ている滅びを前に、全力で逃げる道を選ぶのも悪くないのではないか。

 そんな、一国のトップ陣として誇りを捨てた行為をしなければならないのか。
 だがこの決断は、早ければ早いほど、被害は減る。

 諦念が支配し始めた作戦会議室の中、沈黙が満ち。




 誰かが声を上げた。




「なんだ!?」

 疲れ果てて俯く者、
 もう諦めたのか紅茶のお代わりを頼む者、
 何か手はないかと血走った目で資料を睨む者、

 そして、最後の選択肢を選びかけていた国王。

 その場にいる者全員が、不意に放たれた声に視線を移し、絶望だけが移されている水晶を見た。

 そこには、絶望はなかった。

 ただ赤い何かが映し出されていた。




 窓を見れば、動く山を少しだけ越えるほどの、とても巨大な女性が佇んでいた。





 何も考えられなかった。
 そもそも現実なのかどうかもわからなかった。

 巨大な山のような魔物が現れ、今度はそれを越えるほどの、赤いドレスをまとった女性が現れた。

 夢なら覚めて欲しいほど、めちゃくちゃな悪夢だ。

 だが、夢ではなかった。

 『――耳ある者は聞き、目ある者はわたくしの姿を見なさい』

 魔法で拡散された声が、音としてはなく、思念として、誰もの耳に届いた。
 もしあの赤い女性から届いたのであれば、距離を考えるとかなり強力な風魔法と空間魔法である。

 『――わたくしは死者を罰する神・ハイロゥ。この愚鈍な亀が犯した罪を償わせるために降臨しました』

 なんと。

「ハイロゥだと!? 何者だ!?」

「冥路の貴婦人ハイロゥ・アロイアルア! 確か聖ガタンの嫁だったはずだ!」

「何!? 我侭と嫉妬深さと勘違いでガタンと別居し始めたという神話にある、あのハイロゥか!?」

「なんか普通に嫌な女みたいだな!」

「シッ、滅多なことを言うな! 性格の悪い神ほどすぐ神罰を下すんだぞ! 何かあったらどうする!?」

「そうだ! 卿は孫が生まれたばかりだろう、子供が呪われたらどうする! いつも一言多いぞ卿は!」

「それで妻と別れ掛けたことを忘れたのか! 我々にどれだけ迷惑掛けたのも忘れたのか!」

「何が大恋愛の末の結婚だ! 口を慎め!」

「だ、黙らんか貴様ら! 今は私のことはほっとけ!」

 作戦会議室に活気が戻ってきた。

 誰もが窓と水晶とを見て、これから起こる神の御業を見逃すまいと構えている。ここからは彼女の後ろ姿しか見えないが、それで充分だ。




 ハイロゥが右手を上げる。
 そこには巨大な黒い棒――否、閉じた日傘が生まれた。

 亀型に対して身体を横にし、両手で日傘を構える。

 すると――何やら感じ入ることがあったのか、亀型にまとわりついていたモンスターたちがハイロゥに群がり始めた。

 しかし。

 モンスターはハイロゥの身体に触れると、光の粒子となって砕け散った。
 まるで火に飛び込む夏の虫がごとく。
 おびただしい数のモンスターがハイロゥに立ち向かい消えていく。

 神、あるいは死に触れる存在であるハイロゥの前には、命があることが、命であることが、決して逆らえない条件だとさえ思える。
 
 ハイロゥはモンスターが群がっても微動だにせず、先端を地面に降ろすようにして両手に日傘をぶら下げて、横手にいる亀型に顔を向けている。

「早くやればいいのに。ハイロゥは何をしているんだ?」

 ――たぶん、待っている。

 ――亀型が攻撃範囲に入るのを。

 固唾を呑んで見守る中、モンスターが粒子と化す光をまとうハイロゥは動かず、ノロノロと進行する亀を見ていて――

 動き出した。

 両手に握った日傘を持ち上げ、右腰の上に構える。

「横薙ぎだな」

 そう、剣で言えば、その構えだ。

 しかし大きく違うのは、亀型の方にある左の片足を上げて、地面に立てている右の片足に体重を乗せたこと。

 この世界にはないが、そう、それは間違いなく。




 一本足打法という、野球のスイングだった。

 重く、鋭く、そして見事な体重移動を正確に。

 亀型の頭目掛けて振り抜かれた、城砦を一撃で破砕するだろう日傘は。

 大地を揺らすほどの衝撃と打撃を与えて、細々に砕け散った。 




 なんという、神の御業と呼ぶには原始的かつ野蛮な攻撃であろうか。

 砕けた日傘の衝撃の余波を受けたかのように、しばし活気を取り戻していた会議室は、再び静まり返った。





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