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そのストレス症状に、二次元が処方されました ★
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「なんなんだよ!ここの医者は!人を馬鹿にしやがって!二度と来るか!…おい!さっさと保険証返せ!このブス!!」
怒りを露わにした50代の男性は、舞の手から保険証を奪い取り、乱暴にスリッパを脱ぎ捨てて自動ドアから出て行く。
理不尽な暴言を受けた舞は、手元にあった電卓を男の背中に投げつけたい気持ちをぐっと堪え、何事もなかったかのようにパソコンに視線を戻した。
米田舞。28歳。職業、医療事務。
内科と胃腸科を診療する小さな個人病院で、受付の仕事をしている。
高校を卒業し、専門学校で資格を取り、この職場に勤務して8年。
この病院の医院長は、腕はよくて人気はあるが、機嫌が悪いと高圧的な態度になる。
一緒に働いている看護婦や受付に当たり散らすのは勿論、患者にも乱暴な言葉使いになることがあり、それで不快な思いをした患者は、医院長には何も言えず、舞たちのような若い受付に暴言を吐いて鬱憤を晴らしていくのだ。
こういう患者には慣れているし、仕事だから仕方ないとは思うが、理不尽な罵倒に傷つくのも事実。
「ひど。自分の顔を鏡で見ろっての」
小声で話しかけてきたのは、舞の後輩にあたる受付仲間の香山唯奈。26歳。
流行りのメイクに、さらさらストレートの肩までの茶髪。
言葉をオブラートに包むという技を知らないようだが、悪い子ではない。
2.5次元オタでたまに一緒にライブに行ったりと、職場の中では一番の仲良しの子だ。
小さい病院なので受付はローテーションで常時2人だが、何故か毎回暴言を吐かれるのは舞だった。
多分、舞が他の受付の子たちに比べて地味で大人しそうに見えるからかもしれない。
「舞さん、気にしちゃダメですよ。今日はパーッと飲みに…と、言いたいところですけど、推しの動画配信を生で見る予定なので、今日は無理ですね。その代わり、今度合コンに誘いますから、絶対参加してください!」
「いや。私はそういうのはいいって」
二次元さえあれば、現実の男はいらないという考えの舞とは違って、唯奈は彼氏募集中のごく普通の女子だ。
オタクはあくまで趣味で恋愛は別、という考えの人。
「何言ってるんですか。私たちはもう20代後半ですよ!推しのおかげで楽しい毎日ですが、出産のタイムリミットも迫ってるんです!最近うちの親が『結婚結婚』ってうるさいんで、彼氏いるって嘘ついちゃったんですよね。だから舞さん!一緒にいい男を探しましょう!」
「遠慮します」
舞だって、恋愛に興味がないわけじゃない。
だが、親の離婚を経験した頃から、現実の男性に恋愛することが怖くなってしまった。
恋愛のドキドキは、漫画や小説で充分。三次元の男なんか信用できない。
それが舞の持論だ。
「お大事にどうぞ」
最後の患者を見送って、後片付けを済ませたら業務は終了。
今日は医院長は学会で出掛けたので、戸締まりは舞の仕事だ。
「お先に失礼します」と言って帰っていった唯奈を見送り、院内の消灯や確認をして、診察室の奥にある休憩室で着替え、タイムカードを押して退勤する。
この病院は入院施設がないので、その日のうちに帰れるのはありがたい。
裏口から外に出ると、もわっとした熱気が頬に当たった。
(…またこの時期か)
1年の中で、舞の一番嫌いな時期が、8月下旬だ。
ちょうど5年前のこの時期だった。
高校時代の先輩である、麦野亜美が交通事故で亡くなったのは。
職場から自転車で帰宅する途中の事故だったらしい。
5年も前のことだから忘れなければと思うが、麦野の事故の記事をツーショット写真の裏に貼り、手帳に入れて持ち歩くくらいは引きずっている。
(まっすぐ家に帰る気分じゃないし、寄り道しようかな)
モヤモヤした気分の時は、二次元に逃げるに限る。
明日はちょうど休みだし、家で晩酌しながらどっぷり二次元を摂取しようと決め、新刊を求めて駅近くの本屋に来た。
店の奥にある、『女性向け』と書いてある小説のコーナーで足を止める。
オタク女子というと、BL好きだと思われがちだが、舞はBLよりもTL(ティーンズラブ)が好きだ。
BL好きを軽蔑したりはしないし、薦められれば普通に読むが、好きで読むのは男女の恋愛小説が多い。
(これこれ。ネット小説からずっと読んでたんだよね)
新刊コーナーに並ぶ本の一つに手を伸ばした瞬間、隣から伸ばされた手に、その本が奪われる。
「え?」
「残念。俺が先ー」
聞きなれた声に顔をあげると、意地悪そうに笑みを浮かべたスーツ姿の男と目が合った。
真ん中分けでセットされた黒髪。
吹き出物が一つもないすべすべの肌に、整った顔のパーツ。
右目の下の泣き黒子が色っぽさを増している。
(なんでこいつがこんなところ(女性向けコーナー)にいるのよ!)
日浦滉大。28歳。
舞の高校時代の同級生で、卒業から10年以上経った今でも定期的に会う関係だが、友人というより腐れ縁というやつだ。
高校時代は明るい茶髪でチャラい印象だったが、社会人になった今は黒髪に皴一つないブランドスーツに身を包み、大分落ち着いた印象だ。
人の本を奪って「うぇーい。取ったぜ」なんて小学生みたいな事をやっているあたり、中身は未だに落ち着いていないようだが。
「へぇ。『先生、たくさんイカせて下さい』?すごいタイトルだね」
「ちょっと!声に出して読まないでよ!」
慌てて奪い返して周囲を確認するが、誰にも聞かれていなかったようでホッとする。
こういうあからさまなタイトルは、声に出すと周囲にギョッとされるので、やめてほしい。
「…なんでここにいるの?日浦君の職場、この辺じゃないでしょ?」
日浦は、隣町の日本車販売店で営業の仕事をしている。
無駄に整ったその顔と、持ち前のコミュ力で営業成績はいいらしいが、舞に言わせれば胡散臭い男だ。
「仕事でたまたまこの辺に来てたんだ。欲しい本があって本屋に寄ったら舞ちゃんがいるんだもん。びっくりしちゃった」
「…ふーん」
(…うざ)
話しかける日浦を適当にあしらいながら、新刊のお会計を済ませ、鞄にしまおうとした時、横からそれをまた奪われた。
「ちょっと!返してよ!」
「この本返してほしかったら、俺のお願い聞いてくれる?」
「…なに?」
(何を小学生みたいなことを)
面倒くさい気持ちを全面に押し出した表情の舞に、彼は怯まずに言う。
「美味しい卵焼き、食べに行かない?奢るからさ」
「は?」
予想外の言葉を聞いてポカンと口を開けた舞に、日浦はにっこりと笑った。
怒りを露わにした50代の男性は、舞の手から保険証を奪い取り、乱暴にスリッパを脱ぎ捨てて自動ドアから出て行く。
理不尽な暴言を受けた舞は、手元にあった電卓を男の背中に投げつけたい気持ちをぐっと堪え、何事もなかったかのようにパソコンに視線を戻した。
米田舞。28歳。職業、医療事務。
内科と胃腸科を診療する小さな個人病院で、受付の仕事をしている。
高校を卒業し、専門学校で資格を取り、この職場に勤務して8年。
この病院の医院長は、腕はよくて人気はあるが、機嫌が悪いと高圧的な態度になる。
一緒に働いている看護婦や受付に当たり散らすのは勿論、患者にも乱暴な言葉使いになることがあり、それで不快な思いをした患者は、医院長には何も言えず、舞たちのような若い受付に暴言を吐いて鬱憤を晴らしていくのだ。
こういう患者には慣れているし、仕事だから仕方ないとは思うが、理不尽な罵倒に傷つくのも事実。
「ひど。自分の顔を鏡で見ろっての」
小声で話しかけてきたのは、舞の後輩にあたる受付仲間の香山唯奈。26歳。
流行りのメイクに、さらさらストレートの肩までの茶髪。
言葉をオブラートに包むという技を知らないようだが、悪い子ではない。
2.5次元オタでたまに一緒にライブに行ったりと、職場の中では一番の仲良しの子だ。
小さい病院なので受付はローテーションで常時2人だが、何故か毎回暴言を吐かれるのは舞だった。
多分、舞が他の受付の子たちに比べて地味で大人しそうに見えるからかもしれない。
「舞さん、気にしちゃダメですよ。今日はパーッと飲みに…と、言いたいところですけど、推しの動画配信を生で見る予定なので、今日は無理ですね。その代わり、今度合コンに誘いますから、絶対参加してください!」
「いや。私はそういうのはいいって」
二次元さえあれば、現実の男はいらないという考えの舞とは違って、唯奈は彼氏募集中のごく普通の女子だ。
オタクはあくまで趣味で恋愛は別、という考えの人。
「何言ってるんですか。私たちはもう20代後半ですよ!推しのおかげで楽しい毎日ですが、出産のタイムリミットも迫ってるんです!最近うちの親が『結婚結婚』ってうるさいんで、彼氏いるって嘘ついちゃったんですよね。だから舞さん!一緒にいい男を探しましょう!」
「遠慮します」
舞だって、恋愛に興味がないわけじゃない。
だが、親の離婚を経験した頃から、現実の男性に恋愛することが怖くなってしまった。
恋愛のドキドキは、漫画や小説で充分。三次元の男なんか信用できない。
それが舞の持論だ。
「お大事にどうぞ」
最後の患者を見送って、後片付けを済ませたら業務は終了。
今日は医院長は学会で出掛けたので、戸締まりは舞の仕事だ。
「お先に失礼します」と言って帰っていった唯奈を見送り、院内の消灯や確認をして、診察室の奥にある休憩室で着替え、タイムカードを押して退勤する。
この病院は入院施設がないので、その日のうちに帰れるのはありがたい。
裏口から外に出ると、もわっとした熱気が頬に当たった。
(…またこの時期か)
1年の中で、舞の一番嫌いな時期が、8月下旬だ。
ちょうど5年前のこの時期だった。
高校時代の先輩である、麦野亜美が交通事故で亡くなったのは。
職場から自転車で帰宅する途中の事故だったらしい。
5年も前のことだから忘れなければと思うが、麦野の事故の記事をツーショット写真の裏に貼り、手帳に入れて持ち歩くくらいは引きずっている。
(まっすぐ家に帰る気分じゃないし、寄り道しようかな)
モヤモヤした気分の時は、二次元に逃げるに限る。
明日はちょうど休みだし、家で晩酌しながらどっぷり二次元を摂取しようと決め、新刊を求めて駅近くの本屋に来た。
店の奥にある、『女性向け』と書いてある小説のコーナーで足を止める。
オタク女子というと、BL好きだと思われがちだが、舞はBLよりもTL(ティーンズラブ)が好きだ。
BL好きを軽蔑したりはしないし、薦められれば普通に読むが、好きで読むのは男女の恋愛小説が多い。
(これこれ。ネット小説からずっと読んでたんだよね)
新刊コーナーに並ぶ本の一つに手を伸ばした瞬間、隣から伸ばされた手に、その本が奪われる。
「え?」
「残念。俺が先ー」
聞きなれた声に顔をあげると、意地悪そうに笑みを浮かべたスーツ姿の男と目が合った。
真ん中分けでセットされた黒髪。
吹き出物が一つもないすべすべの肌に、整った顔のパーツ。
右目の下の泣き黒子が色っぽさを増している。
(なんでこいつがこんなところ(女性向けコーナー)にいるのよ!)
日浦滉大。28歳。
舞の高校時代の同級生で、卒業から10年以上経った今でも定期的に会う関係だが、友人というより腐れ縁というやつだ。
高校時代は明るい茶髪でチャラい印象だったが、社会人になった今は黒髪に皴一つないブランドスーツに身を包み、大分落ち着いた印象だ。
人の本を奪って「うぇーい。取ったぜ」なんて小学生みたいな事をやっているあたり、中身は未だに落ち着いていないようだが。
「へぇ。『先生、たくさんイカせて下さい』?すごいタイトルだね」
「ちょっと!声に出して読まないでよ!」
慌てて奪い返して周囲を確認するが、誰にも聞かれていなかったようでホッとする。
こういうあからさまなタイトルは、声に出すと周囲にギョッとされるので、やめてほしい。
「…なんでここにいるの?日浦君の職場、この辺じゃないでしょ?」
日浦は、隣町の日本車販売店で営業の仕事をしている。
無駄に整ったその顔と、持ち前のコミュ力で営業成績はいいらしいが、舞に言わせれば胡散臭い男だ。
「仕事でたまたまこの辺に来てたんだ。欲しい本があって本屋に寄ったら舞ちゃんがいるんだもん。びっくりしちゃった」
「…ふーん」
(…うざ)
話しかける日浦を適当にあしらいながら、新刊のお会計を済ませ、鞄にしまおうとした時、横からそれをまた奪われた。
「ちょっと!返してよ!」
「この本返してほしかったら、俺のお願い聞いてくれる?」
「…なに?」
(何を小学生みたいなことを)
面倒くさい気持ちを全面に押し出した表情の舞に、彼は怯まずに言う。
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