これだから三次元なんて!

星咲ユキノ

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猫と卵焼き

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舞の好物が卵焼きだということは、友人なら誰もが知っている。
特に、居酒屋にあるような、注文してから焼いてくれる出来立てのだし巻き卵が好きで、添えの大根おろしに醤油をちょろっとかけて一緒に食べるのがいい。

だが、いくら好物で釣られたとしても、相手は日浦。
今までも二人で食事をする事もあったが、そういう時は決まって、何か頼みごとをする時だった。
嫌な予感がしたので断ろうとした時、前から行きたかった居酒屋の名前を出され、さらに飼い猫の動画を見せるという言葉に釣られて、結局ついてきてしまった。

だが今、その事を少し後悔している。

「…ここ、すごく濡れてる。…指、気持ちいいの?…腰、揺れてるよ」

居酒屋の個室から聞こえるのは、日浦の荒い息づかいとかすれた甘い声。
誰かに聞かれたら、こんな所でナニをしているんだ、バカップルが!と思われそうだが、断じて如何わしい事はしていない。そもそも、恋人ではない。

「ちょっと!こんな所で台本読まないでよ!ってか、なんで持ち歩いてるの!」
「ごめんごめん。移動中に読もうと思って鞄に入れてた。せっかくだから舞ちゃんに聞いてもらって意見が欲しくて。大丈夫だよ。ここ、個室だし」
「店員に誤解されるから、マジでやめて」
「あはは」

日浦の手にあるのは『嫉妬深い彼氏とらぶえっち』というタイトルの台本。

舞は病院の受付として働く傍ら、18禁ボイスを配信するサークルの、代表兼シナリオ作成をしている。
そして日浦は、その所属声優という関係だ。

「しっかし、よくこんなエロいの書けるよねぇ。処女なのに」
「黙れ、ヤリチン」

18禁ボイスのシナリオを書いていると、さぞ経験豊富だろうと誤解されるが、舞は実は処女だ。
いわゆる『耳年増』というやつで、経験はないが、漫画や小説による知識だけは豊富で、リアルさに欠ける部分は文章力で誤魔化している。
なんでこの男がそんなことを知っているかというと、酔った勢いで舞が自分から話したから。
いくら同級生で付き合いが長くて気を許していたとはいえ、からかわれるネタを自分から提供してしまうなんて、一生の不覚だ。

「ひど。俺、ヤリチンじゃないし。むしろ一途だし」
「嘘つけ」

日浦とは、高校一年から三年までずっと同じクラスだったが、舞は陰キャ、日浦は陽キャグループに属していたので、在学中はあまり話したことはなかった。
当時の日浦は、明るい茶髪で制服も着崩してチャラい印象だったし、『来るもの拒まず去るもの追わず』で有名だったから、『一途』と言われても信用なんかできない。
ちなみに高校時代の彼のあだ名は、『入れ食いの日浦』。
恋人と別れたと噂が広がれば、本人が何も言わなくても女子たちが群がる入れ食い状態であることから、名付けられた。
オタクではなかった日浦が、なぜサークルに入ったかといえば、今は亡き麦野先輩が彼をスカウトしたからだ。

麦野の「麦」と、米田の「米」で、『主食同盟』と名付けられたサークルは、高校在学中に、麦野と舞で立ち上げたものだ。
きっかけは、同じ高校の演劇部仲間である「戸崎理恵子」の存在。
今は結婚して「木山」に苗字が変わったが、理恵子は舞の親友で、一度聞いたら忘れられないような可愛い声を持っている。
当時、演劇部部長だった麦野は、理恵子の声と演技力に惹かれて、様々なシチュエーションのシナリオを書き、遊び半分で動画投稿サイトに投稿した。
それが、サークルのはじまりだった。
だから最初、サークルの声優は理恵子しかおらず、高校生が書くものなので今みたいに18禁ではなく、全年齢向けの普通のシチュエーションボイスしかなかった。
それが変化したのは、9年前。
舞が高校を卒業し、専門学校生活も慣れた秋頃、「いい声の人を見つけちゃったから、女性向けボイスにも手を出そうよ!」と言って麦野が連れてきたのが、日浦だった。
そして動画視聴者のリクエストに応えるまま18禁に手を出し、今に至るというわけ。

「で?好物で釣ってまで食事に誘った理由は何?お金なら貸さないよ」
「いやいや、違うから!俺、人からお金を借りたことなんてないし!…まぁ、お願いがあるのは事実だけど」

やっぱりか。
どんなめんどくさいお願いをされるのだろうと身構えていると、日浦の口から予想外の言葉が出た。

「来週の日曜日、先輩の命日だよね?今年は俺も一緒に行っていいかな?」
「え?」

思わず、食べようとした卵焼きを皿の上に落としてしまった。

「ダメ?」
「いや。もっと変なお願いをされるかと思ったから、驚いただけ。別にいいよ。理恵ちゃんも一緒だし」
「ありがとう」

日浦は麦野と仲が良かったから、毎回誘ってはいたが、仕事だから別の日に一人で行くと断わられていた。
一緒に行きたがるのは珍しいが、そういう時もあるだろう。
面倒なお願いではないことに、ほっとする。

「お願いしたいことはそれだけだよ。はい。約束の動画。存分に見てね」

そう言って日浦が見せてくれたスマホ画面には、茶色と白のまだら模様の猫が、猫じゃらしのような玩具で遊ぶ映像が流れている。

「うわー♡天使♡」
「でしょー。俺のなーさんは宇宙一可愛いから」

『なーさん』こと『なめこ』は日浦が飼っている猫で、なんだかぬるぬるしてそうな名前だが、実際はモフモフした可愛いメス猫だ。

なめこは6年前、舞と麦野と日浦の3人でいた時に、怪我をして弱っているところを助けた猫だ。
麦野は家族が猫アレルギーで、舞は一人暮らしだがペット不可のアパートだったので、自動的にペット可のマンションに一人暮らししていた日浦が保護して飼い主を探す事になった。結局、飼い主が現れず、そのまま日浦が飼っている。
麦野が亡くなる前は、よく2人で日浦の家に突撃訪問したりしていたのだが、舞一人では行った事がない。

「なーさん可愛い♡ああ、久しぶりにモフモフしたい…。あ!ねぇ!明日は休みだし、今から日浦君ちに行ってもいいかな?」
「え?」

ただの思いつきだった。
アルコールも入って楽しい気分だったし、彼からのお願いが面倒な事ではなかったので、浮かれていたのかもしれない。

だが、舞の言葉に日浦は目を泳がせた。

「…いや。…えっと。家はちょっと…。最近、なーさん、女の人が来ると気が立っちゃって…この前も姉ちゃんが来た時に隠れちゃって大変でさぁ…」
「え…あ、そっか…そうだよね…うん…」

よく考えたら、いくら付き合いが長い友人とはいえ、一人暮らしの男性の家にいきなり行くのは失礼だったのかもしれない。
でも、今までだったら、急に行っても快く迎えてくれたから、断られるなんて思わなかったのだ。

「…ごめんね、変な事言って」
「…ううん。こっちこそ、ごめん。その代わり、この動画を送るから」
「ありがとう」

(何か、変な空気になっちゃった…)

楽しい雰囲気から一変した気まずい空気に耐えきれず、舞は誤魔化すように水を飲んだ。
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