これだから三次元なんて!

星咲ユキノ

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元カノと彼の嘘

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「…うん。そっか。大丈夫だよ。理恵ちゃんの分は、いつも通り宅録でデータを送ってくれればいいから。菜穂ちゃんお大事にね。じゃあ」

スタジオのロビーで壁に寄りかかりながら通話をしていた舞は、終了画面をタップするとふぅっと息を吐いた。

今日はサークルの収録日で、都内のスタジオを数時間借りている。
収録予定だったのは理恵子を含めた数人で、一人づつ時間差で撮る予定だったのだが、理恵子は来られないらしい。

「菜穂ちゃん、具合が悪いんですか?」
「わっ!…びっくりした。蔵上君、いたの?」

誰もいないと思っていたのに、突然話しかけられてびくりと体が震える。
気配なく現れたのは、長身の男性。

ダークブラウンのマッシュヘアーに整った顔立ちの彼の名前は、蔵上草哉。22歳。
去年サークルに入ってきたばかりの新人だが、その耳障りのいい低い声と高い演技力で早くも人気声優の仲間入りをしている強者である。

「菜穂ちゃん、先々週から微熱と鼻水があって、大分よくなったんだけど、まだ本調子じゃないみたい。だから理恵ちゃんは今日はスタジオには来られないって」
「そうですか。それは心配ですね」

言いながら蔵上の視線が舞の手元に向く。

「…その次回作の台本、木山さんの分ですよね?米田さんはまだここに居なきゃですし、俺はもう収録が終わったんで、よければ木山さんの家まで届けましょうか?」

蔵上は、その柔らかい口調と気遣いのできる性格で、サークル内では評判がいい。
この発言は一見、忙しい舞を気遣っているようだが、舞には別の意味に聞こえた。

(絶対、理恵ちゃんの家が知りたいだけだよね)

「大丈夫よ。台本は急ぎじゃないし、どうせ週末に行く予定だから」
「…そうですか」

蔵上が理恵子に恋愛感情を抱いていると確信したのは、最近のことだ。

サークルに入ってきた時にどこかで見た顔だと思っていたら、家にあった写真を見て、4年前に演技指導で行った高校の演劇部の生徒であることを思い出した。
県大会で、やたらと『今日、戸崎先輩は来ないんですか?』と舞に聞いてきたから覚えていたのだ。
それを本人に聞くと、学校で迷子になった理恵子と会って二人で話した事や、その後の自分の心無い言葉で理恵子を傷つけてしまった事を話してくれた。

『俺が、K高校の演劇部だったって事、内緒にしてもらえますか?俺の事なんか思い出したくないと思うので』
『そう思うなら何でサークルに入ってきたの?』
理恵子の年下男子嫌いの原因が蔵上だと知って、つい口調がキツくなってしまった舞に、蔵上はぎゅっと唇を噛んで言った。
『…どうしても、会いたかったんです』

蔵上が既婚者の理恵子を誘惑するような人間だったら、すぐにサークルを追い出していたが、今のところそんな気配もない。
自分はどうしても理恵子側なので、彼の恋を応援なんて気分にはなれないが、理恵子に危害を加えないならばと、現在は様子を見ているところだ。

「あ、そうだ。米田さん、日浦さんは今日来ないんですよね?」

思い出したように言った蔵上の言葉に、ドキリと心臓が音を立てる。

楠野と再会したあの日。莉愛と日浦のツーショットを見た時は、日浦に嘘をつかれたと落胆したが、よく考えたら一緒に居ただけで恋人とは限らない。
この9年間一緒に過ごしてきた日浦は、舞を馬鹿にしたり騙したりはしなかった。
問いただせばきっと、ちゃんと説明してくれるはずだという信用がある。
1週間後の約束の日に、本人に聞いてみようと決めていた。

「来ないよ。今日は仕事って言ってたから。何で?」
「この前、収録後に日浦さんと飲んだんですけど、そのあとに俺のバッグに日浦さんの手帳が紛れ込んでるのを見つけて…。これです。次に会った時でいいって言われたんですけど、ちらっと中を見たら仕事用みたいだし早い方がいいと思って。俺、日浦さんの家とか知らないから、米田さんから渡してもらえますか?」

日浦は交友関係が広いし、誰とでもすぐに仲良くなれるコミュ強だが、サークル内では特定の誰かと二人でいることはなかった。
だが、蔵上とは気が合うらしく、サークル仲間たちと行く飲み会とは別に、収録後に二人で飲んだり一緒に出掛けたりしているようだ。

(…確か、なーさんが嫌がるから部屋には入れないんだよね?近くに出てきてもらえばいいか)

「わかった。届けるよ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」

***

結局、全ての声優の収録が終わったのが夜9時。
舞は1人、日浦のマンションの入り口に居た。

『蔵上君から手帳を預かって、今、マンションの下にいるんだけど、出てこられる?』とメッセージで送ったが、既読にならない。電話もしたが、出なかった。

(忙しいのかな。仕事で疲れて寝ちゃったかもしれないし…。ポストに入れて帰ろう)

メッセージを送ってから、集合ポストの彼の部屋番号に手帳を入れた時、誰かがエレベーターから降りてくるのが見えた。

「っ」

長い黒髪をなびかせ、水色のオープンショルダーのフリルスリーブトップス、黒の膝丈Aラインスカートに、ヒールの高いグリーンのパンプスを履いたスタイルのいい美人には見覚えがある。
それは、舞が一番会いたくない人物、日浦の元カノの橘莉愛だった。

(なんで橘さんがエレベーターから?…しかも降りてきたのって日浦君の家のある階だよね。…家に居たって事?…でも、なーさんが嫌がるから女性は家に上げられないって言ってたのに…なんで…)

動きを止めてぐるぐる考えていると、彼女がこちらに気づいた。

派手な莉愛と違って、地味な自分の事なんて覚えていないだろうと思っていたのに、莉愛は舞を見るなり、顔を歪める。

「…もしかして、米田舞?」

莉愛が舞を覚えていた事は意外だった。
こういう嫌がらせをしていた側の陽キャは「あんた誰だっけ」と言うパターンが多いはずなのに。
莉愛は値踏みするようにじっと舞を見る。

「…滉大に会いに来たの?」

何て答えたらいいかわからずに黙っていると、彼女はふっと馬鹿にしたように笑った。

「滉大なら寝てるわよ。電話、出なかったでしょう?」
「え?」

何故この人がそんなことを知っているのだろうか。
ザワザワと心が騒いだ時、ゆっくり近づいてきた莉愛が、舞の耳元で囁いた。

「…滉大って、えっちの後にいつも寝ちゃうから」
「っ!?」

顔を歪める舞に、莉愛は勝ち誇ったように笑って手をひらひらと振った。

「じゃあね。二度と会うことはないと思うけど」

スタスタと去っていった莉愛を、舞は呆然と見送る。

(嘘…だよね。高校の時みたいに、私に嫌がらせしているだけだよね?…でも)

気づいてしまった。
彼女の体からふんわりと香ったのは間違いなく日浦が普段使っている香水の匂いで、彼女の服はまるで誰かと抱き合っていたかのように少し乱れていた。
そしてあの勝ち誇ったような顔が頭から離れない。

「っ…あれ…?」

がくん、と足の力が抜けて、思わずその場に座り込む。
つんと鼻の奥に何かがこみあげてきて、耐え切れずに視界が滲んだ。

「…っ…なんで…」

どうして自分が泣いているのかはわからなかった。
心の中で育ててきた何かが、ぐちゃっと踏みつぶされたような感覚に、舞は吐き気がするのを感じた。

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