たそがれに咲く花なれば

ちみあくた

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 むしろ問題は日々の糧の方じゃなぁ。
 
 二杯目の味噌汁を呑み干し、底に残るカタバミの三つ葉を箸でつまんで、多門はしみじみと思った。
 
 療養には何と言っても精のつく食事が一番だ。高価な鶏の卵とは行かぬにせよ、せめて蜆のたんと入った汁くらい呑ませてやりたい。
 
 その為に先立つものは、まず稼ぎ。
 
 江戸へ来てから二日に一度、多門は軽子と呼ばれる荷物運びの仕事を口入屋から貰い、主な生計の糧にしている。
 
 他日は己の流派と同じ鹿島流の看板を掲げた亀戸の道場へ通い、若者に稽古をつける傍ら、仕官の伝手を探していたのだが、
 
「本日は御稽古の日でございますね。旦那様、お気に入りの木刀はどうなさいましたか」

 出掛けにそう尋ねられ、咄嗟に言葉が出てこない。
 
 既に道場は正式に辞めており、木刀もついさっき湿地へ投げ込んだばかりである。

 勿論、多門なりに考え、考え抜いた末に出した結論なのだが、どう妻へ打ち明ければ良いやら。

 言うべき事ならば……埒も無い。とうに決まっているのだ。

 仕官なんぞ諦めた。

 こだわり続けた剣の道も漸く捨てる覚悟が固まった。
 
 苦労ばかり掛けた妻に報い、日々の糧を得ながら、共に難病と闘うには他に道が無いと思う。
 
 でも、その妻が指摘した通り、武骨で口下手な多門には心根を伝える術が全く見えていない。
 
 
 
 
 
 取り敢えず、とぼけにとぼけ、まともに答えないのが得策。

 繰り返されるさきの問いへは曖昧な返事でお茶を濁しておいて、多門は逃げる様に小屋を出た。

 強い日差しを掌で遮り、指の間から見上げると、秋晴れの青空は何処までも澄み、踏みしめる葦の穂の感触が心地よい。

 今日は良い日になりそうだ。

 穏やかなせせらぎの音を聞きながら隅田川の岸辺に沿って歩くと、近くの小屋の住人が親しげに声を掛けてくる。
 
 皆、多門と変わらぬ粗末な服を着、力仕事を口入屋から貰っている連中だ。
 
 上総や下野から来た出稼ぎ者ばかりで、すべからく多門より若い。少年の面影を残した奴もいて、微笑ましい反面、荒々しい程の命の息吹を感じる。
 
 三代将軍家光が即位して、まだ僅か二年足らず。
 
 機能の上でも、規模においても、未だ出来上がっていない江戸の街は、働き手としての彼らを大いに必要としていた。
 
 厳密に記載すべき人別帳の縛りを逃れ、このような湿地帯に掘立小屋の集落ができたのも、その様な意図からくるお上の目こぼしなのであろう。
 
 若い街に見合う、若い担い手達。
 
 俺のみ、時代の波から取り残されようとしておるわい。
 
 沈みがちな気持ちに喝を入れ、多門は口入屋へ向かう足を速めた。医者の費用にせよ、薬代にせよ、さきの命を保つのに金は幾らあっても足りない。
 
 腑抜けている場合ではないのだ。





 その日の夕刻、仕事帰りに業平橋へ寄った多門は、俸手振りの漁師から買った蜆を手桶へ入れ、小脇に抱えて帰途を急いだ。
 
 精のつく味噌汁を、早くさきに飲ませてやりたい。
 
 その一心で歩を進めるが、どうにも足は捗らない。肩やら、腰やら、踝やら、体のあちこちが軋んでいる。
 
 口入屋の勧めに応じ、割高の駄賃目当てに取り組んだ新たな仕事は、やはり並大抵のきつさではなかった。
 
 戦国の御代から鍛えに鍛えた力自慢とは言え、やはり寄る年波。無理が利かなくなっている様だ。
 
 腰を押さえて立ち止まり、自嘲の笑みを浮かべた視線の先、鮮やかな夕焼け空をくの字の影が横切った。
 
「おぉ、初雁か」

 群を成して飛ぶ渡り鳥が隅田川へ飛来するのは、例年九月の半ばである。今年はやや遅い。でも、それは単にこの時まで、多門の目に留まらなかっただけかもしれない。

 何ともはや、迂闊な男じゃからのう、この俺という奴は。

 苦い笑みを消せぬまま、二つの故郷の間で長き旅を繰り返す鳥の動きへ見入り、多門はふと近江の里を思い出した。
 
 あの懐かしき山河の彩りを、妻に再び見せるのは所詮儚き夢なのであろうか、と。
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