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しおりを挟む兵庫県尼崎市の南東部、端正な住宅地にあるその家は、人の棲み処というより小さな砦のように見えた。
築二十年を越える木造二階建てで、数奇門から連なる玄関の高い板塀と言い、いぶし瓦の分厚い屋根と言い、見るからに威圧感のある外観である。
おまけにその板塀には鉄条網が張ってある。
これ見よがしの位置へ可動式ビデオカメラが設置され、蛇の鎌首の如く蠢いている。
家の表通りから裏手へ抜ける細い路地など、植木鉢の大きな棚がバリケード代わりに置かれている有様だ。
訪問者など絶えて久しいが、残暑厳しい十月某日の昼下がり、強い日差しをグレーの薄い背広に浴び、小太りの若い男が表通りから近づいてきた。
玄関前に立ち、丸ポチャな顔立ちとそぐわない神経質そうな細い眉を寄せる。
「……はて、どうしたもんですかね」
その男・浅子勉は、額の汗を拭い、呼び鈴の上に張られたA4サイズの紙をまじまじと眺めた。
『無礼な闖入者は沈めます』と太いマジックインキで書かれている奴だ。
「沈めるって……大阪湾に運ぶ気でしょうか? セールスお断りは良く見るけど」
如何にも弱気な独り言をブツブツ呟き、極めて気が進まない様子で、浅子は呼び鈴へ歩み寄った。
伸ばしたその指が届く前に、
「おわっ!?」
物凄いボリュームの音が、頭の真上から飛んでくる。浅子は思わず後ずさり、足がもつれて尻餅をついた。
見上げると、数寄屋門上の鬼瓦で隠れる位置にセンサーとスピーカーがついている。
可動式ビデオカメラと連動し、誰かの接近を感知すると、撮影と音楽再生を自動で行う仕組みになっているらしい。
耳をつんざき、奏でる曲はワーグナーの名曲『ワルキューレの騎行』。
ヘリコプターのプロペラ音と爆音が時折り混ざるから一昔前の映画『地獄の黙示録』のサントラで、DVDの収録音声をそのまま流用した代物だろう。
呼び鈴を押す直前、確実に来訪者を脅かす仕組みは、仕掛けた側の陰湿極まる悪意の発露に思えてならない。
「……もう、帰りたい」
尻餅をついたまま浅子がぼやくと、隣家の門戸が開き、中から人の出る気配があった。
「あ~、そうそう、ホントにあんたねぇ、今すぐ帰った方がよろしいわ」
ほっとしたのも束の間、出てきた高齢女性を見て、浅子は又も後ずさる。
目に痛いファッション・センス……
虎縞のブラウスに黄緑のスカートで豊満過ぎる体を包み、髪の毛はショッキングピンクで染め上げているのだ。
「あんた、そこの家に用?」
「はい、まぁ」
「何かの勧誘なら止めとき。その家の主、末松武弘って七十絡みの爺さんやけど、ムッチャ性質悪いねん」
「と言いますと?」
「ギザギザハートの子守歌、ナイフみたいに尖っては触るもの皆、傷つけたってな」
「はぁ?」
虎縞のおばちゃんは、古い歌を口ずさみつつ、憎々しげに末松邸を睨んだ。
隣家ならではの、長年に渡る因縁があるのだろう。
憤懣やるかたない記憶が疼いたらしく、チッと舌打ちして、
「知らんか? ここ、テレビに出たんやで」
「テレビ?」
「そうそう、ワイドショーのレポーターが来てな。迷惑爺ぃを取材しよった」
フンフンと頷き、素知らぬ顔で、浅子はおばちゃんの話に耳を傾けていたが……
本当の所、その放送なら視聴している。
一年前の今頃、大阪府の迷惑条例改正と、その違反者を扱う特集だったと思う。
「おら、去ねや、アホンダラ!」
ⅤTR冒頭には、今、浅子達が立っている路地の中央に、ヒョロリと背の高い老人が仁王立ちする光景が映し出されていた。
こちらも年甲斐が無いと言うか、相当に痛い身なりだ。
薄いメッシュ生地で竜があしらわれた半纏を羽織り、塗装が剥がれた金属バットを右手に握って杖代わりにしている。
テレビカメラが寄り、アップになった顔は痩せこけ、目の周りが落ち窪んでいた。
まるでゾンビ……いや、暗い色彩のガラス玉を眼窩に嵌めた骸骨みたいだ。
「あぁンっ! 先に喧嘩を売ってきたのはお前らやでぇ。こっちも行く道、行ったるわ!」
末松が怒鳴る相手、正面に立つ女性の顔にはデジタル処理のボカシがかけられている。
とは言え、はみだすショッキングピンクの髪、豊満過ぎるお腹からして、虎縞のおばちゃんなのは間違いない。
さながら、ご近所の竜虎相打つという構図だ。
しかし、おばちゃんの側に立つのは一人だけではない。
末松に敵意を抱くご近所さんが五、六人、彼女の背後で、ややビビりがちの臨戦態勢を整えている。
「あのね、末松さん、あんたがウチら大人に噛みつくンはまだ良ぇわ。でも、何で子供にまで当たるん?」
「子ども? そんなん、知らんぞ」
「知らん事あるかい。あんたんちの横合い、あの細い路地なぁ。通学路から公園へ抜ける近道やないの」
「おう」
「それを植木鉢なんぞで塞いだら、車もようけ通る大通りへ迂回せんならん」
「路地は私道や。わしの道や。どう使おうが、わしの勝手や」
「でも、ず~っと普通に使うてたやん。で、そ~っと通り抜けようとした子へ、あんた、いきなり怒鳴り散らしたやろ」
「ちょい意見したってん」
「泣いて帰ってきてなぁ、その子。トラウマ、ちゅうンか? 暫く外へ出られんようになったンやで」
「だから、知らんがな、わし」
とぼけるな、反省しろ、とおばちゃんの後ろから、ご近所軍団が声を上げる。
「ふん、人の土地荒らしたガキ、埋めるなり、沈めるなり、されんかっただけで有難く思えや」
「……埋める? 言うてみぃ。何処に、何をじゃ?」
「その辺はあんたらのご想像にお任せや。あんぽんたんの皆様にゃ見当つかんかもしれんが、のう」
実に見事なヒールっぷりである。
毒づくだけ毒づき、テレビカメラの方へ金属バットをブンと一振り。末松武弘は数寄屋門へ戻っていく。
中に入った途端、耳を弄すボリュームで鳴り響くのは、お馴染み『ワルキューレの騎行』だ。
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