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 あ~、もう辞めるしかないだろうな。

 無意識にブランコを揺らし、楓は重い溜息をついた。

「何か辛いこと、あった?」

 隣の少年は尚もこちらを覗き込んでいたが、その眼差しからシニカルさが薄れている。

「色々あるの、大人になると」

「年は関係無いんじゃない? 僕、知ってるよ、今のお姉さんみたいな顔で、そのブランコに乗ってた女の子のこと」

「君の同級生?」

「実は僕、その子をいじめてたんだ」

 ポツリと呟く瞳の奥、滲む憂いの色合いは一層濃くなり、子供らしくない重さが滲み出す。
 
「毎日、大声でからかい、教室や廊下で追いかけ回した」

「何で、そんなこと?」

「今、思い返すと、僕はきっとその子が好きだったんだと思う」

 少年の頬が少し赤らんだ。

「すごく内気で、いつもオドオド……ほら、そんなタイプって良く男子の的になっちゃうじゃん?」

 又、嫌なデジャブが楓の中で疼く。幼き日の彼女が正にそのタイプだったのだ。
 
「他の奴にイジられるのが嫌で、僕、誰より先に彼女へバカな事したりして」

「後悔してるの?」

「……うん」

「大体、イジメってのはダメだから。どんな理由でも、絶対ダメだからさ」

「……わかってる。僕、最低だった」

「ちゃんと反省してるのね」

 少年は項垂れたまま何も言わず、代わりにブランコがキコキコ音を立てた。

 罪の意識は本物らしい。本気で変わりたいと思っているなら、会社のアナクロ上司よりは若干マシだと思いつつ、

「なら、こんな所でいじけてないでさ、その子へ謝りに行きなさいよ」

 ポーンと背中を叩こうとし、その手が見事に空振りした。

 細い背の中央をすり抜ける指先の奇妙な感触と、チェーンに腕がぶつかった痛みで楓は顔をしかめたが、少年の方は顔も上げず、

「無理。手遅れ」

 又、ポツリと呟く。

「何で?」

「だってさ、もう取り返しのつかない事が起きた後なんだもん」

「もしかして、その子に何か?」

「……その公園前の路地、狭いのに大型車が良く通るでしょ。聞いた事無いかな、交通事故頻発地域って奴」

 楓は思わず息を呑む。

 終始キコキコ軋み続けるブランコの音より少年の声は一層低く、苦し気な響きを帯びた。

「その子、ヒナって言うんだけど、あの日、いつもの調子でからかったら、公園の入口から飛び出して」

「つまり、車に轢かれちゃったのね……」

「いや、そのまま家へ帰った」

「え?」

「で、やっと謝る勇気が出て、僕がヒナを追い、公園から出た時にスピードを出し過ぎたトラックが」

 後は言葉ではなく、掌と拳をぶつける事で激突の瞬間を少年は表現した。

「ちょ、ちょっと待ってよ。それじゃ、トラックに轢かれて死んだのは……その女の子じゃなく」

「僕」

「はぁ?」

「だから、ペチャンコになっちゃったのよ、僕の体」

「……え~、すると、つまり、キミ」

 楓の唇は震え、「ユーレイ」の言葉がすんなり出てこない。

「死んだのは公園前なのに、何故か、公園の内側、お気に入りのブランコから離れられなくなった。こういうの、ジバクレイって言うんだっけ?」

 先程の少し大人びた笑みが少年に戻り、その面影がフッと透き通って、背後の夕日が華奢な輪郭を突き抜けるのが見えた。

 朧げに姿が薄れ、一瞬、完全に姿が消えてブランコだけ揺れている。
 
 悲鳴を上げ、楓は逃げ出そうとした。

 だがブランコを囲む黄色いテープがワサワサと、生き物の様に彼女の体へ絡みつく。

 バタバタもがく内、何時の間にやら看板に書かれた「使用禁止」の文字が「トンズラ禁止」に変わっている。
 
「な、何で私にこんな真似するの? 祟られる覚え、無いわよ」

 増殖したテープに、今やすっかり絡み取られ、全く身動きが取れない。

 追い詰められた時の逆上癖が火を噴き、ヤケクソ気味に毒つく楓へ、少年は肩を竦めて見せた。

「あのね、お姉さんがここでこうなったのはね、半分くらい自業自得だから」

「だから、何もしてないでしょうが!」

「そうカリカリしないで。お姉さん、今日まで生きてきて、自分に霊感あるかも、なんて思った事、有る?」

 そう言えば昔から、金縛りにあったり、旅行中に自分だけ変な声を聞いたり、と思い当たるフシはある。
 
「漂う霊を自然と刺激して引き寄せる変な霊感が有るんだよ、お姉さん」

「つまり、憑りつかれ易いって事?」

「僕なんか弱っちい、吹けば飛ぶような身の上でさ。通りかかったお姉さんの霊力を感じなかったら、もう消えちゃう寸前だったんだ」

「消える寸前? 幽霊は死なないでしょ?」

「ん~、ジバクレイはそうもいかないの。憑りつく場所が無くなったらアウト」

「場所が無くなる、と言うと……」

「ここのブランコとか、ジャングルジムとか、今月末に撤去されるみたい。だから、お姉さんを女と見込んで、僕、お願いがあるんだよ」

 相談、と言う割に、上目遣いで楓を見る少年から強いプレッシャーを感じた。上司から無茶ブリされる時の、嫌~なデジャブが胸の底から沸き上がる。

 実際、武弘の「お願い」は、かなり難易度が高かった。

 遊具撤去で消滅する前にヒナへ謝罪したいと言うのだが、その為には現在の彼女を見つけ、タイムリミット前に公園まで連れてこなければならない。

「もし撤去に間に合わない場合、僕、ナサケヨ~シャ無く、お姉さんへ憑りつくンでヨロシク」

「か、完全にとばっちりじゃない、ソレ!」

「例によって、キミ、もしくはキミのメンバーが失敗し、最悪、死んでも当局は一切関知しないから、そのつもりで」

 流暢なセリフをを口にすると同時に、少年の姿は夕陽へ溶けた。

「え~い、ミッション・インポッシブルか、お前は!? 大体、メンバーって何よ。誰も頼りにできないじゃないの、あたし!」 

 消えた相手の方角へ喚き散らし、五分間の脱力状態を経た後、実家へとんぼ返りした楓は小学校の同窓会名簿を調べ始めた。

 それ以外、何も手掛かりになりそうな物を思いつかなかったのだ。

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