女衒の流儀

ちみあくた

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 翌朝、予定通りに騒ぎを起こし、桑二郎は大門手前の待合辻にて、田吾作が現れるのを待つ。

 普段は路地に出るのを制約される汐路も、この時ばかりは騒ぎの当事者として、取り囲む野次馬に紛れていた。
 
 相変わらず哀しげな眼差しの汐路に、桑二郎が冷ややかな笑みを返した時、俄かに辺りがざわめく。

 六尺棒を肩に担ぎ、のっそりと風変わりな女衒が姿を現したのだ。
 
「やれやれ、結局、旦那とはこうなっちまうのかい」

 桑二郎が刀へ手を掛けると同時に、黒光りする樫の棒が天へ突きあげられ、上段の構えを作る。

「田吾作とやら」

「へい」

「お前の太刀筋、もしや示現流では」

 桑二郎の問いかけで、野次馬のざわめきが更に増した。

 示現流と言えば、薩摩藩の御留流。
 
 その最大の特徴は蜻蛉と呼ばれる独自の構えにある。握る得物の切先を高々と挙げ、猪突猛進、ありったけの力で真っ向から敵へ振り下ろすのである。

「一見、力任せだが、実は存外、理に叶う剣術。似た技を使う以上、百姓上りとは真っ赤な嘘、正体は薩摩の密偵かもしれん」

「冗談じゃねぇ。おら、正真正銘、下総のどん百姓だ」

「その証が立つか」

「里を捨てたおらは江戸の浮草、根無し草。田んぼの土でもいじりゃ、慣れた手付きが身の証になろうってぇもんだが……」

 田吾作は細い目を、更に細めた。

「あんた、信用しねぇべな」

 桑二郎は剣を下段に構え、長い得物を使う相手との距離を測り始める。

「昨日、会うた時は、侍に負けぬ理由が三つ、とぬかしおったの。その一つは類まれなる馬鹿力、一つはお前のその覚悟であろう」

「覚悟……ねぇ? おらにそんな大層な物、有るだかね」

「昨日の攻防を見る限り、お主は守りに一切気配りが無い。相手が怖気づけば良し。腕のある奴で、刀が届く距離まで踏み込まれたら、相討ちへ持ち込む腹だ」

「へい、仰せの通り」

「詰まる所、常に捨て身。命を捨てる覚悟をした奴は敵に回すと恐ろしい」

「ふふっ、生きてぇ一心で、おらぁ、毎日、生き恥晒してまさぁ」

「ほざけ」

 最初の一撃が勝負、と桑二郎は思った。

 先手をかわし、下から斬り上げる。上野で示現流と戦う時の為、以前から考えていた策だ。

 にじり寄る内、六尺棒が届く間を越え、剣が届く間合いに迫る。

 おい、仕掛けるなら、今だろうが。

 桑二郎は心で問うたが、田吾作は上段の構えを維持、大地に根を張る重心の低さで、力を溜めている。

 やはり、こ奴、密偵ではないのか。

 桑二郎の胸に迷いが生じた。

 噂に聞く示現流は極めて攻撃的で、相手に何もさせず、倒すを最善とする。しかし田吾作の狙いはあくまで後の先、好機であろうと自分から仕掛けない。
 
 ならば、ますます相討ちの目が増えるではないか。生きたいと言った癖に、犬死の目が近づくばかりではないか。

 迷いが膨らみ、目の前の相手が大きく見えて、桑二郎は後ろへ飛び退る。





「お侍さん、あんた、強いねぇ」

 この期に及んで、尚、田吾作の声は飄々とした響きを失っていなかった。

「おらの、この間に入れる御人、そうはいねぇよ。まっとうにやりゃ、おらより数段強いべな。でも、だからこそ、あんたにゃ負ける気がしねぇんだ」

「女衒如き、調子に乗りおって!」

 怒声と裏腹に、額へ脂汗が滲んだ。

 集中力を立て直しながら、自らへ問いかけてみる。

 奴の仕掛ける相討ちを恐れているのか?

 馬鹿な! 薩長との決戦で己が命の捨て所を得る為、上野・寛永寺へ向う気でいた、この俺が……。
 
 対する田吾作は、相変わらず飄々と、
 
「あんたが勝てねぇ三つ目の理由は、おらが女衒だから。それだけよ」

 呟くように言い放つ。

「何だと、下郎!」

「侍が戦って死ねのは、名誉や誇りを守る為。でも女衒相手の相討ちで、さぁて何が残るかね。まんま世間の笑いもん。死に花なんか咲きゃしねぇ」

 桑二郎は、はっと息を呑んだ。

「考えるだけで虫唾が走るべ? そんな死に様、御免だべ? だから、あんたは踏み込めない。腹の底からおらを見下す……その侮りがでっけぇ隙になるんだ」

 女衒が唇を歪めて笑う。

 今、ここで見下されているのは、むしろ侍である自分の方だと、桑二郎は思った。

 腹の底から湧上るどす黒い怒りが、目の前の男か、自分自身か、どちらへ向けられているのか、もうわからない。

 女衒が唇を歪めて笑う。

 畜生……もう、俺はこれ以上……。

 只、激情に任せ、桑二郎が斬りかかろうとした時、野次馬の群れから誰か飛び出してきて、彼の背中にすがりついた。

 振返ると、汐路だ。

「離せ。お前も斬り捨てるぞ」

「いやっ」

 振りほどいても、すぐ抱きついてくる。

 身動きが取れない桑二郎を尻目に、田吾作は汐路へ語りかけた。
 
「姉さん、あんたの間夫かね」

 こくり、と汐路が頷く。

 間夫とは女郎が本気で惚れた客。

 年季があけた後、間夫に身受けされる事こそ散茶以下の格に甘んじる遊女の花道であり、その為、間夫が廓に通う金を女郎が肩代わりする例さえあると言う。
 
「旦那、命拾いなさったね」

 上段の構えを解き、黒樫の六尺棒を肩に担ぎ上げた田吾作を、桑二郎は激しく睨む。

 だが、その指摘が当たっている事を彼は自覚していた。

 周囲にどう映るか意識した挙句、冷静さを失い、闇雲に仕掛けたのだ。あのまま続けたら、おそらく結果は相討ちではない。

 黒樫の六尺棒で一方的に打ちのめされた挙句、成り行き次第じゃ命さえ失っていた筈だ。
 
「なぁ、おらの代りに、旦那へきついお灸、据えといてくんな」

 汐路に一声かけて歩き出す田吾作へ、桑二郎は叫んだ。

「待て、それで終わりか!?」

「へい、左様で」

「こんな時、有り金を巻き上げ、追放するのが吉原の流儀だろう」

「旦那、まだ金があるんなら、全部つぎ込んで姉さんの所へ通ってくんな」

「何っ?」

「だってよ、姉さん、もうすぐ」

「田吾さん、言わないで!」

 汐路が声を張り上げ、田吾作は慌てて口をつぐむ。すっかり当惑した眼差しは、先程までの落ち着きが嘘の様だ。

「汐路、お前、俺に何を隠しておる?」

 桑二郎の問いを受け、汐路は俯いた。

 しばしの沈黙を破ったのは、躊躇いがちな田吾作の言葉である。

「十年の年期を勤めても、姉さん、借金を返せなかったんだに」

 睨む汐路と目を合わさず、田吾作は言葉をついだ。

「来月の初め、今の左之屋から品川の岡場所へ鞍替えなさる」

「仮にも大見世で散茶の格を張る身が、事も有ろうに岡場所へ行くのか」

「三十路間近は、廓じゃ大年増。鞍替えの口もおいそれとは、ねぇ」

 ふっと笑う汐路。

 その頭上に、盛りが過ぎ、散り終える寸前の桜が舞う。

 待合の辻から仲の町通りに沿う桜並木は、江戸に名立たる吉原名物だ。しかし、それは開花の頃合いに植えられ、花が散ったら一年毎に抜かれる定め。

 吉原で葉桜を見る事は決して無い。

 盛りの美のみ尊ぶ色町の、過酷さを体現する徒花でもあるのだ。
 
「汐路、どうして俺に言わなんだ!?」

 喧嘩は終いと見定め、野次馬が四散していく中で、桑二郎は声を荒げる。

「もし言ったら、主様、あちきを身受けしてくれなんしたか」

 言葉に詰まる桑二郎に向け、汐路は悪戯っぽく唇を尖らせた。

「ふふっ、ちょいとからかってみただけよ。お侍と所帯だなんて、馬鹿な夢、持ちゃしません」

 独特な廓言葉をかなぐり捨て、吹っ切れた女の口調が耳に心地よい。
 
 左之屋に通い始めて三年になるが、飾らない素のままの汐路を、初めて桑二郎は目の当りにした気がする。
 
「お妾なら別だけど、御家人さんの懐じゃ始めっから無理だものね」

「なら、もっと金持ちを選べ」

「えっ」

「手管の矛先が違うだろう。前は、随分と評判の高い遊女だったと聞く。俺になんぞ拘らず、羽振りの良い商人でも間夫にすれば、今頃は」

「仕方ないわ、何の因果か、旦那なんかに惚れちまったんだもん」

 汐路の瞳に哀しみは伺えても、恐れは見えない。この先、無縁仏になるまで苦界の底で生きぬく覚悟が、その奥底に輝いている。

「毎晩、違う男と褥を重ね、もがいて、もがいて、やっと見つけた一筋のまこと。嘘塗れの廓に生きるからこそ、捨てられない恋も、あるんです」

 桜に凭れ、二人の話に耳を傾けていた田吾作が、その時、ポツリと呟いた。

「廓に咲いた女郎花さね。それを守る為なら、おらぁ」

「幾らでも捨て身になれると?」

「へへっ、金輪際、死ぬ為じゃねぇ。出るに出られぬ廓の内で泥を啜る者同士、身を寄せ合い、生き抜く為の捨て身って奴でさ。やたら腹ぁ斬りたがるお侍の類にゃ、皆目わかんねぇだろうがよ」

 負けた、と桑二郎は思った。

 田吾作に……そして、汐路にも……。
 
 仮初めの功名心、先が見えない不安に駆られ、安易な死へ逃げ込もうとした己の覚悟では、今の二人に到底及ばない。
 
 刀を納め、立ち去る桑二郎の背中へ、野次馬達の嘲りの声が飛ぶ。

 臆病、弱虫、卑怯者……何を言われても、今更、気にならない。大門を抜け、衣紋坂を越えた辺りで、上野・寛永寺へ向う熱情も消え失せていた。

 生きてみよう、何があろうと。

 この先、どれ程、先の見えない混沌の世が訪れようとも、最早、逃げはしない。

 まずは今宵、汐路に騒ぎの侘びを入れ、別れの一夜をやり直す。泣きの泪に終わるのじゃなく、せめて笑って、あいつの想いに報いたい。

 だが、三日三晩続けての吉原通いとなると、その金、何処でどう工面したら良いものやら?
 
 桑二郎はふっと苦笑し、岸から離れかけた猪牙船へ軽やかに飛び乗った。
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