ハイツ沈丁花の食卓

盆地パンチ

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  春が帰宅した後、孝太郎はマスクを外す。いただきます、と一礼してからちょうどよくぬるくなったお粥と大根の漬物を交互に口に運んでいく。お粥はレトルトだと聞いていたし漬物もただスーパーで買っただけのものなのに、やけに美味しく感じる。それはきっと、春が体調を心配して用意してくれたものだからなのだろう。思えば飲食店以外で誰かに食事を用意してもらうのはずいぶん久しぶりのことだった。まさか地元から離れた東京でこんな風に誰かに看病してもらえるなんて、と孝太郎は胸がポカポカと暖かくなるのを感じていた。春がもし今後寝込むような事があれば今度は自分がお粥を用意してあげよう、と考える。お粥をすべて食べてからビタミンのサプリをスポーツドリンクで流し込み、また横になった。うとうとしていたら、ドアが開く音が小さく聞こえた。何かな、と思っていたら抜き足差し足、春が入ってきた。そしてローテーブルに乗ったお皿を回収して代わりに、小さな瓶を置いた。

「栄養ドリンク……?」

 孝太郎が話したので春が、あ、と声を上げた。

「起こしちゃいましたか? すみません」

「いえ、起きてました。あ、お粥ごちそうさまでした……助かりました」

 孝太郎がそう言うと春はマスク越しでもわかるくらいの笑顔を見せた。

「よかった。あ、これ、栄養ドリンクです。滋養強壮疲労回復って書いてたから持ってきました。もし他に何かいるものとかもしあれば買ってきますよ」

「いえいえ。もう、十分です。風邪引いてこんな至れり尽くせりなの子供の時ぶりです」

「全然大したことしてないですよ! じゃあ、行きますね。お大事に」

 春が家を出て行ってから孝太郎は、はー、とため息をついた。胸が甘く疼き、しめつけられる。正直、孝太郎は春に特別な好意を持ってしまっているしその自覚もあるが、いかんせん春はノンケだ。だから決して伝えるつもりはないし、どうこうしたいとも思っていない。春の存在は日常生活の幸せと華やぎ、それと友人として割り切っている。そう割り切れているはずなのに風邪の弱った時に優しくされたら想いが勝手に膨らんでしまうのが厄介だった。もういっそ、異性愛者になってしまいたかった。それなら春と純粋に友達になれる。孝太郎は枕元にあった、春のくれた雑誌をパラパラとめくった。前ページに折り目をつけておいた、春の読み切りに目を通す。


『お前のこと好きなんだ。恋愛の意味で。気持ち悪かったら、ごめん』


 孝太郎をモデルにしたキャラが主人公にそう告げるシーンだ。これは偶然にも、孝太郎が高校の卒業式の時にノンケの友人に言った言葉に非常に近かった。漫画の中では結ばれていたが現実ではそのノンケの友人はぎょっとした顔をして、無理やって、と言って逃げるように帰ってしまった。それっきり連絡はない。孝太郎は彼の失望したような表情が未だに忘れられない。孝太郎は彼の友情を裏切ってしまった事を後悔した。その出来事をきっかけに孝太郎はゲイをオープンにするようになったのだ。大阪のホストクラブでも、東京のホストクラブでも隠さなかった。そうすれば誰も自分を惚れさせるような態度は取らないし、男は無理だから、などとちゃんと孝太郎が好きになる前に釘を差してくれる。でも春に対してはそうしなかったばっかりに、こんなに距離が近くなってしまった。もし最初から知っていたら家になど来なかったかもしれないし、そうすればこんな風に看病してくれることもなかっただろう。ゲイであることを隠して好意を抱いている罪悪感はあったが、言っていたら仲良くなれなかったかもしれないと思うと言っておけばよかったとも思えず複雑な心境だった。
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