ハイツ沈丁花の食卓

盆地パンチ

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 沈む孝太郎に気づかず春は言った。

「孝太郎くんこそ、前に家まで送ってきてくれていた女性のことが、好きなんじゃないですか……あの美人な……」

「……ああ、果歩さん。ええ、好きですよ」

 春が編集の子のことを好きなのかも、と勘違いしてしょんぼりしていた孝太郎は生返事をする。恋愛の意味で好きか、と聞いた春は肯定されて絶句した。孝太郎はそんな春に気づかず、春のためにせっせと鍋のアクをすくっている。

「あ、春さん、鱈が崩れてきちゃいました。どうぞ」

 そう言ってお玉ですくった鱈をお皿に入れてもらい、春は俯いたまま食べる。春は尋ねた。

「果歩……さんって、何されてる方なんですか?」

「同業者ですよ。クラブのホステスさんです」

「そうなんですね……それなら、孝太郎くんの仕事のこともよくわかってそうですね」

「え? まぁ……お店にも前々からよく来てくださってますし……」

 孝太郎は頭の中で、そういえば前に果歩さんに送ってもらったお礼に何を差し入れようかなぁ、と考えていた。孝太郎がポン酢を取ろうとしたとき、たまたま同じタイミングでポン酢を取ろうとした春の手と当たる。

「あ、ごめんなさい!」

「いえいえ」

 孝太郎は一瞬手を触れてラッキー、と思っていたが春は浮かない顔をしている。孝太郎は思い切って、えい、と春の手を握った。

「ッうわ!! なんですか!!」

 春の過剰な反応に孝太郎は面食らった。

「あ、ごめんなさい……春さん前によくスキンシップしてきてたから……そのノリで……」

 春は、あ、と声を上げて恥ずかしそうに赤面した。

「ごめんなさい……びっくりしてしまって……」

「や、こっちこそごめんなさい。びっくりしますよね」

 はは、と笑いながら内心孝太郎は傷ついていた。あんな声を出すほど嫌なのかぁ、と心に刺さる。前は大胆なスキンシップに悩まされていたのだが、急に態度を変えられるとそれはそれで寂しかった。空気を変えようと、孝太郎は全然違う話を振った。

「春さんがお嫌じゃなければ取材に行くときおれの服貸ししましょうか」

「え! たぶんブカブカになるかと……」

「先輩からもらった服でサイズが小さかったのがあるんですよ。処分するのも躊躇われて置きっぱなしになってて……それでよければ」

他の後輩に回してしまおうかとも思ったのだけれど、ゲイの自分からもらうのは嫌かなぁ、と手元に置いたままになっていた物だ。

「あ、でもクリーニングしてても知らない人の古着なんて嫌ですよね」

「いえ! 正直助かります……! まともな服を買わなければと思う気持ちは強いんですけど、買いに行くのも選ぶのも何もかも億劫で……どこかに落ちてたらいいのにって思ってたんです。どうせ普段はそんなよそいきの服着ませんし。だから孝太郎くんさえよければ貸してください」

 そう言われ、もちろんです、と孝太郎は微笑む。あげてしまってもよかったのだけれど、貸す、と言ったのは少しでも会う機会を増やしたかったからだ。最近春が忙しくて食事を断られていたので、孝太郎はもっと春と一緒にいたくなっていた。

「美容院はいつ行きますか?」

「え? あ、そうですね……先延ばしにすると億劫になるのでもう明日にでも行こうかな……」

「じゃあおれも一緒に行ってもいいですか? そろそろ根本のリタッチ行きたかったし」

「りたっち……?」

「伸びてきたから、生え際だけ染め直そうかと」

孝太郎がそう言うと春の表情がパァッと明るくなった。

「めちゃくちゃ心強いです!! 恥ずかしい話ちょっと場違いかと不安になっていたので……」

「よかった。じゃあ春さんのも一緒にネット予約しておきます。カットだけでいいですか?」

「はい! お願いします」

 春は、はぁ~、と息をついた。

「肩の荷が下りました……もう新しい服とか美容院とか慣れなくて……本屋とか電気屋ならサッと行けちゃうんですけど」

「はは。じゃあおれが電気屋行くときはついて来てもらおうかな。おれ、そのへんは疎いので」

「任せてください」

 そう春が得意げに笑う。その表情1つにさえ孝太郎は恋心を疼かせる。綺麗な顔をしていて才能もある春がオシャレになったら、もう編集さんに限らずとも恋人なんてすぐできてしまうだろうなぁ、と孝太郎は寂しさを覚えていた。それまでは少しでも一緒にいて、1番近しい相手でいたかった。
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