支配と救済の狭間で

東雲緋彩

文字の大きさ

大中小

13 / 19

第十三話

しおりを挟む

無銘と過ごす時間が長くなるほど、氷雨はその感情に対する答えを見つけられなくなる。
無銘の存在が、彼の中で次第に特別なものに変わっていくのを感じながらも、どこかでその感情を恐れていた。
過去の傷が癒えたわけではない。むしろ、無銘と共にいることで、より深くその傷を自覚することになった。

だが、それでも氷雨は無銘を求めるようになっていた。

静かな夜、二人は再び一つ屋根の下で過ごしていた。
無銘は何も言わず、氷雨のそばに座り、ただ彼の様子を見守っている。
その視線はいつも温かく、氷雨は無意識にその目を避けることが増えていた。
それは不安からくる反応であり、無銘の愛が重すぎるからだった。

「……無銘、あなたは、私をどうして欲しいのか？」

氷雨は静かな声で問いかける。
無銘の手が止まり、彼の瞳が少しだけ細められた。

「どうして欲しい、か」
無銘はゆっくりと呟き、その後言葉を慎重に選ぶように続けた。
「俺はお前が、少しでも楽に生きられるようにしてやりたいと思っている」
「お前が幸せであることが、俺にとっての幸せだ」

その言葉は、氷雨にとって非常に重く、心の中で何かが引き裂かれるような感覚を覚えた。
無銘の言葉は、ただの優しさではない。
その裏には、氷雨に対する確固たる支配欲と、愛情が込められていることが伝わってくる。

無銘の手が再び氷雨の髪を撫で、彼の顔に触れた。
その手のひらは、氷雨の体温を温かく包み込む。
その温もりを感じるたびに、氷雨は無意識に深く息を吸い込む。

「私……あなたに依存している」

氷雨はその言葉を口にした瞬間、自分がどれだけ無銘に縋りついているのかを自覚した。
その依存が、無銘に対して重く感じられるのではないかと心配になるが、同時にその事実を拒絶することができなかった。
無銘がいるからこそ、自分は生きていられると感じていた。

無銘はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと答えた。
「お前が望むなら、俺はそれに応える」
「お前の側にいることが、俺の唯一の望みだ」

その言葉は、氷雨にとってこれまで以上に強く響いた。
無銘の存在が、氷雨にとってすべてになりつつあることを感じた。
しかし、同時にその依存が彼にとって重荷ではないかと心の奥底で恐れる自分もいた。

「私、あなたを……」

氷雨の言葉はまた途中で止まった。
その先に続く言葉を恐れていたからだ。
無銘が自分をどう思っているのか、そして自分が無銘にとってどんな存在なのかを考えずにはいられなかった。

無銘はその沈黙を理解したように、氷雨の手をそっと取った。
「お前がどう思っていても、俺はお前を大切にする」
「お前が不安なら、俺がその不安を取り除いてやる」

無銘の手が温かく、力強い。
その力強さを感じるたびに、氷雨は少しずつ自分の感情が無銘に引き寄せられていくのを感じていた。
だが、それと同時に心の中で何かが反発している自分もいる。

「無銘」
「私、あなたに怖いと思っていることがある」

その言葉を無銘がどう受け止めるのか、氷雨は少しだけ躊躇ったが、続けることに決めた。
「あなたが私を支配しすぎて、私が壊れてしまわないか心配だ」

無銘の目が一瞬、鋭くなる。
しかし、すぐにその目が柔らかくなり、氷雨に優しく微笑んだ。

「壊れることを恐れるな」
「俺が支配しているのではない。お前が望んで、俺がそれに応えるだけだ」
「お前が壊れないように、俺がずっとお前を守る」

無銘の言葉は、氷雨にとって救いのようでもあり、同時にその重さが圧し掛かるような気がした。
だが、無銘の目に見える確信に、氷雨は少しずつ自分の恐れを解き放とうとする。

「無銘……」
「私は、あなたに壊されてもいいと思っているかもしれない」

その言葉は、氷雨にとって初めての告白だった。
それが本当の意味での依存なのか、それともただの恐れから来る言葉なのか、自分でも分からなかった。
だが、無銘がいることで、少なくとも今は怖くないと思えた。

無銘は静かに氷雨を引き寄せ、抱きしめるようにその腕を回した。
「壊れたくないなら、俺が壊さない」
「お前を守り続ける、それが俺のすべてだ」

その言葉に、氷雨は静かに目を閉じる。
無銘の腕の中で感じる温もりに包まれながら、彼の言葉が現実となることを信じて、氷雨は再び深く息を吸った。

これから先、何が待っているのか、まだ分からない。
けれど、無銘と共に歩む道が、自分にとっての真実であり、避けて通れない運命だと、氷雨は確信しつつあった。

しおりを挟む