支配と救済の狭間で

第十四話

氷雨の心がわずかに開き始めた頃、無銘の支配はますます強固なものへと変わりつつあった。
その支配は、単なる力の行使ではない。無銘は常に氷雨の心を見つめ、彼が恐れるものを理解し、それに応じて少しずつ優しく手を伸ばしていった。
その優しさに包まれながらも、氷雨はどこかでその手を振り払いたい気持ちが強くなっていた。彼の中での「自由」の概念が、無銘との関係の中で徐々に曖昧になりつつあった。

それでも、氷雨は無銘に求められることに対して、どこかでその答えを出し切れずにいた。
無銘に依存している自分が怖くて、苦しくて、時折その不安が氷雨を支配することがあった。

だが、無銘はその不安をよく理解しているかのように、言葉ではなく、行動で示す。

「氷雨」
無銘はその名前を呼ぶだけで、氷雨の心の中に溶けていくような温かさを与える。
その呼びかけに、氷雨は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。

「お前が不安に思うのは、俺が与えるものが重すぎるからだろうな」
無銘の声には、優しさと同時に、わずかな痛みがこもっている。
「でも、俺が壊れるのを恐れないように、お前には壊れない強さを与える。それが俺の役目だ」

その言葉に、氷雨は一瞬何も言えなかった。
無銘が抱える痛みを知った気がした。
彼は、氷雨を守りたいと思っている。しかし、その思いが氷雨にとっては、時に窮屈に感じられた。

無銘が一歩近づき、氷雨の顔をそっと両手で包み込む。
その手のひらから伝わる熱は、氷雨にとって安心感と同時に、恐れを引き起こしていた。
「お前を手放さない。どんなことがあっても、俺はお前を守る」
その言葉は、氷雨をどこまでも捕えて離さない。

氷雨はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「私……あなたに壊されるのが怖い」
その声は、かすれ、震えていた。
「でも、あなたが私を壊すのではなく、私があなたを壊すことを恐れている」
その告白は、無銘にとって予想外だった。

無銘は少し驚き、その後すぐに冷静さを取り戻すと、氷雨の髪を撫でながら、静かに答えた。
「お前が俺を壊すことなんてない」
「お前が思っている以上に、俺はお前を愛している。だからこそ、お前には壊れないようにしてほしい」
「壊れるのは、俺ではなく、お前だ」

その言葉が氷雨の心に深く染み込んだ。
無銘の言葉には、確かな決意と、彼の中で氷雨をどうしても守りたいという強い想いが込められていた。
その想いが、氷雨にとってはひどく重く、同時に痛みを伴って心に響いた。

「無銘」
氷雨は、もう一度その名前を呼び、無銘の胸に顔を埋めた。
その瞬間、氷雨は初めて無銘の言葉が真実であることを理解した。
無銘は、自分を支配しているのではない。
彼は、ただ氷雨を守りたかっただけだった。

そして、氷雨はその守られた存在であることを、徐々に受け入れつつあった。
それがどれほど彼にとって苦しいことであっても、無銘の愛情が自分に向けられていることが確かだと、氷雨は感じていた。

無銘はそのまま静かに氷雨を抱きしめ、その体を支えるように腕を回す。
「お前を守る。それが俺のすべてだ」
その言葉が、氷雨の胸に響き続ける。
それがどんなに苦しいことであっても、氷雨は無銘と共にいることで、何かが少しずつ変わり始めるのを感じた。

無銘の愛は、氷雨を閉じ込めるものではなく、むしろ氷雨を自由にする力を持っているのではないかと、氷雨は少しだけ信じることができた。

その夜、二人は何も言わずに一緒に眠りについた。
無銘の温もりに包まれながら、氷雨は少しずつ恐れを抱えながらも、彼の存在を受け入れ始めた。