異世界恋愛短編集

辺野夏子

文字の大きさ
53 / 63

2

しおりを挟む
 歴史あるリベルタス公爵家には、魔法に関する貴重な書物を集めた魔法棟がある。その質、量、希少性は王城の書庫をはるかに上回る。

 勢いよく魔法棟の扉を開けると、伸び放題のもじゃもじゃした赤毛に、分厚い眼鏡をかけた『ヌシ』がいた。アルマジロみたいに丸まって、人が入ってきた事にも気が付かず、一心不乱に本を読んでいる。

「ヴォルフラムっ!!」

 名前を呼ぶと、彼は不思議そうに……そして若干嫌そうにわたくしを見た。勉強を中断させられて、眼鏡の奥できっと彼は顔をしかめているだろう。

「どうしましたか、シュシュリアお嬢様」

 ひさしぶりにヴォルフラムに様付けで呼ばれて、鳥肌が立った。

「……なによその言い方、慇懃無礼で気持ち悪ぅ……」

「……ご自分でそう呼べとおっしゃったのでは? 分家の、しかももらわれっ子のどこの馬の骨ともわからない身分で従兄弟を名乗るな、と」

 そう言えばそうだったわね。戦場では上官風を吹かせて『シュシュリア』と呼び捨てにされていたけれど、この時期のヴォルフラムはわたくしよりはるか格下だったのだわ。今の彼はわが国筆頭の魔導士ではない。父の弟である騎士団長が、戦場で拾って来た才能がある馬の骨……それがヴォルフラム。

「そうだったかもしれないけど、これからはシュシュリアでいいのよ。親しみを込めてね」

 ちょうどよく吹いてきた風に艶やかな銀髪をなびかせながら言うと、ヴォルフラムはとてつもなく恐ろしいものを見てしまった。と言わんばかりに身震いをした。子供の頃から失礼な男だこと。

「なにか公爵様に注意されたのですか」

 ヴォルフラムは分厚い眼鏡をはずして、レンズを拭いて、かけなおした。彼は生まれつき視力が弱くて、その上どんどんと視野が欠けていく病に侵されている。……治しても、治しても、また同じ病にかかる。国一番の医者でも、強大な癒しの力を持つ聖女ステラでも、ヴォルフラムの目を治す事は出来なかった。

「えー……そうねぇ、ヴォルフラムはとても才能があるから、大事にしなさいと」

 子供の頃から天才だ、神童だ、と家柄も相まってちやほやされてきたわたくしにとって、平民の出でありながら類い希なる才能を持つヴォルフラムは目の上のたんこぶだった。彼に挑んではそのたびにやり込められて、ヴォルフラムのくせに生意気だと怒り、手を抜かれれば侮辱だと怒り。ヴォルフラムはいつも表面上はおとなしくしていたけれど、わたくしの事が好きではなかったと思う。

 王太子に大けがをさせて、それを救った聖女ステラへの暴言、その他やってもいないもろもろの罪をおしつけられて、わたくしは極東から我が国に攻め入ってくる魔物を倒すための討伐軍に送られた。

 美貌の公爵令嬢だなんて、どんな扱いを受けるのかと戦々恐々としていたけれど、先に戦地に赴任していたヴォルフラムがわたくしの身元引受人になってくれた。

『討伐軍への赴任が死罪と同等の罰だなんて、皆に失礼です。今日からあなたは、何者でもないただのシュシュリアだ』

『……分かっているわよ。ええ、もう、どうでもいいわ。わたくしを好きにするといいわ。なにもかもを失って、もうすべて終わりよ』

 なげやりに身を投げ出したわたくしを、ヴォルフラムは笑った。

『本当に、好きにしてよろしいのですか?』
『な……何よ。女に二言はないわ』

 わたくしに何かしようとした奴は氷魔法で倒して、そのあとわたくしも自害してやる、そのくらいの気持ちでここにやってきた。けれど、ヴォルフラムには──勝てない。これまでの恨みとばかりに、何をされてもおかしくはないと思っていた。

 けれど、ヴォルフラムはもう一度笑った。

『あなたらしくもない。記憶喪失にでもなったのですか? あなたは何も失ってなんていない』

『何を言って──』

『あなたはには才能がある。王国最高の魔導士だなんて持ち上げられている僕の事も恐れない──今からでも、その身ひとつで何者にだってなれますよ』
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

拝啓~私に婚約破棄を宣告した公爵様へ~

岡暁舟
恋愛
公爵様に宣言された婚約破棄……。あなたは正気ですか?そうですか。ならば、私も全力で行きましょう。全力で!!!

悪意には悪意で

12時のトキノカネ
恋愛
私の不幸はあの女の所為?今まで穏やかだった日常。それを壊す自称ヒロイン女。そしてそのいかれた女に悪役令嬢に指定されたミリ。ありがちな悪役令嬢ものです。 私を悪意を持って貶めようとするならば、私もあなたに同じ悪意を向けましょう。 ぶち切れ気味の公爵令嬢の一幕です。

【12月末日公開終了】これは裏切りですか?

たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。 だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。 そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?

最近のよくある乙女ゲームの結末

叶 望
恋愛
なぜか行うことすべてが裏目に出てしまい呪われているのではないかと王妃に相談する。実はこの世界は乙女ゲームの世界だが、ヒロイン以外はその事を知らない。 ※小説家になろうにも投稿しています

ある愚かな婚約破棄の結末

オレンジ方解石
恋愛
 セドリック王子から婚約破棄を宣言されたアデライド。  王子の愚かさに頭を抱えるが、周囲は一斉に「アデライドが悪い」と王子の味方をして…………。 ※一応ジャンルを『恋愛』に設定してありますが、甘さ控えめです。

出来損ないの私がお姉様の婚約者だった王子の呪いを解いてみた結果→

AK
恋愛
「ねえミディア。王子様と結婚してみたくはないかしら?」 ある日、意地の悪い笑顔を浮かべながらお姉様は言った。 お姉様は地味な私と違って公爵家の優秀な長女として、次期国王の最有力候補であった第一王子様と婚約を結んでいた。 しかしその王子様はある日突然不治の病に倒れ、それ以降彼に触れた人は石化して死んでしまう呪いに身を侵されてしまう。 そんは王子様を押し付けるように婚約させられた私だけど、私は光の魔力を有して生まれた聖女だったので、彼のことを救うことができるかもしれないと思った。 お姉様は厄介者と化した王子を押し付けたいだけかもしれないけれど、残念ながらお姉様の思い通りの展開にはさせない。

『二流』と言われて婚約破棄されたので、ざまぁしてやります!

志熊みゅう
恋愛
「どうして君は何をやらせても『二流』なんだ!」  皇太子レイモン殿下に、公衆の面前で婚約破棄された侯爵令嬢ソフィ。皇妃の命で地味な装いに徹し、妃教育にすべてを捧げた五年間は、あっさり否定された。それでも、ソフィはくじけない。婚約破棄をきっかけに、学生生活を楽しむと決めた彼女は、一気にイメチェン、大好きだったヴァイオリンを再開し、成績も急上昇!気づけばファンクラブまでできて、学生たちの注目の的に。  そして、音楽を通して親しくなった隣国の留学生・ジョルジュの正体は、なんと……?  『二流』と蔑まれた令嬢が、“恋”と“努力”で見返す爽快逆転ストーリー!

完結 報復を受ける覚悟の上での事でしょう?

音爽(ネソウ)
恋愛
目覚めたら、そこは記憶にない世界だった……

処理中です...