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第一部〜ランゲ伯爵家〜
英雄の弱点〜オスヴァルト⑧〜
しおりを挟む一晩待っても一向に訪れないディートリヒの一団に不安になったテレーゼとオスヴァルトは、一先ず辺境伯邸に帰る事にした。
約束を違えない責任感の強い兄が作戦を無視したとは考えられない。
はやる気持ちを抑え、それでも馬を駆けさせる。
「オスヴァルト!帰ったか!」
慌ててやって来たのはフランツだった。
豪快で、それでいて割と冷静な方の彼の慌てる様子に訝しんだオスヴァルトは、腕に巻かれた包帯に違和感を覚えた。
フランツは次期団長候補と言われる程実力がある。
そんな彼が怪我……?
だが落ち着いて辺りを見回すと、包帯をしているのは彼だけでは無い事に気付く。
「フランツさん……これは…?」
見れば王都からやって来た騎士団ばかりが怪我をしている。
幸い数は少なく、重傷者はいないようだが、オスヴァルトは言い知れぬ不安にかられた。
「奴だけじゃなかったんだよ。飾りの副団長じゃなかったわけだ」
それはつまり。
「為人はどうあれ、実力主義は一定数いるからな。うちの副団長みたいに両方揃ってるほうが珍しいのかもしれんな」
ドクドクとオスヴァルトの心臓が嫌な音を立てる。
先程から見渡しているが、ただ一人がいないのだ。
「フランツさん……、兄…上は……」
オスヴァルトの声は掠れ、喉は貼りつくように乾いた。
フランツはやがて目を伏せ「着いて来な」と歩き出した。
オスヴァルトは一睡もせず帰って来たがその疲れも忘れ後を追う。だが動揺からか足はもつれてしまった。
躓いた所へ細い手に腕を掴まれる。
「しっかりして下さい」
テレーゼだった。
彼女とてこの惨状に心を痛めて無いわけがなかった。
先程のフランツの話は要するに、自分が手配した辺境騎士が王都騎士を傷付けたのであって。
だがテレーゼは動揺を出さずに毅然としている。
そんな彼女を見てオスヴァルトは自分を恥じた。
「すみません、ありがとうございます」
頭を振って気を入れ替える。
情けない姿を見せるわけにはいかなかった。
フランツに案内され辿り着いたのはとある部屋の前だった。
そこには辺境伯を始め騎士たちが数名集まっている。
「父上」
「テレーゼか!無事で良かった」
辺境伯は娘の無事を確認できてホッとした表情になる。
だが娘の隣にいるオスヴァルトを見て一瞬瞳を揺らした。
「父上、何があったのですか?ランゲ卿は無事なのですか?」
テレーゼは父の腕に掴みかからん勢いで尋ねるが、父は気まずそうに目を逸らした。
その仕草に嫌な予感を覚えたオスヴァルトは立ち尽くす。
「あ、ああ、すまん、……生きてはいる。無事……とは言えんが…」
言葉を濁すような態度に、テレーゼは苛立ちを感じた。
「では何があったんですか?無事ならランゲ卿に会わせて下さい」
「それだけは絶対にダメだ!!」
ぐわっと言わんばかりの表情で、辺境伯は扉の取っ手に手を掛けようとしたテレーゼを止めた。
その声に驚き、テレーゼは肩を揺らす。
「テレーゼはダメだ。危険だ。…オスヴァルト殿、こちらへ。そなたも安全とは言えんが、おそらくまだ大丈夫だろう」
びくりと肩を震わせ、オスヴァルトは辺境伯に促され室内に入った。
静かな室内。
だが荒れた息遣いが小さく聞こえる。
辺りは薄暗く、疲れた目のオスヴァルトは目をこすり注意深く見回した。
部屋の中心より窓際辺り、ひと一人が寝るには少し大きなベッドが備え付けられている。
そこで影が身動いだ。
「だれ……だ…」
掠れた低い声。
苦しげに呻きながら横たわるその人は、オスヴァルトが無事を願ったその人だった。
「兄……上、これは……」
「……ッざまぁない……だろ……、油断した…結果だ……」
途切れ途切れに、囁くように、ディートリヒは声を絞り出す。
その頬は紅潮し、苦しげにしている姿は男であり弟から見ても色気の塊だった。
察するに、おそらく媚薬を盛られたのだろう。
だが何故。
何故今なのだ?
狙われたのか?誰に?
オスヴァルトは息を飲む。
「一応、対処は…したんだが……どうも、特殊なもの、らし…い」
力無く囁く兄は、既に媚薬を体外に出すべく対策はしたらしい。
だが一向に抜けない。
「オスヴァルト……頼む、この…部屋には、誰も、入れるな……」
「……ッぁ…に……」
「間違って…も……裏切る…ような……、悲し…ませる……ような事は……させないでくれ……っ」
裏切るとか、悲しませる、とか。
誰を、何て言わなくても分かる。
縋るような兄の声はまるで懇願するようで。
だが苦しむ姿は初めて見る兄の弱気な姿で。
オスヴァルトはなおも肩で息をする兄を見て、しかし何も助けになれない自分に憤り、強く拳を握った。
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