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第二部〜オールディス公爵家〜

元王太子の今

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 デーヴィド・ハイリー伯爵の一日は、窓から差し込む朝の光と共に始まる。

 寝ぼけ眼を擦りながらあくびを一つ。
 ベッドから離れソファにあらかじめ準備してあった服に着替えると食堂──ではなく厨房へ足を向けた。

 彼は自ら朝食を作るのだ。
 卵は割れた時に黄身が潰れたのでスクランブルエッグにした。余っていたハムと一緒に炒めて味を整えれば一品完成だ。
 昨日の残りのスープを温めている間にちぎった葉物野菜を器に入れる。ドレッシングをかければサラダモドキ。
 ちょうど良く温まったスープの火を止め、昨日仕事帰りに買っておいたパンを食卓に並べれば立派な朝食の完成だ。

「いただきます」

 言ったあとで拡がる静寂。
 もくもくと咀嚼して飲み込んでいく。

 ──アーレンス王国元王太子デーヴィドの生活は、あの日……自ら婚約破棄を突き付けた日から約20年経過した今、あまりにも質素なものだった。

 週に2回程、昼間通いのメイドが来るが、掃除と洗濯以外は全て彼一人でこなしている。
 長らく人に傅かれる生活をしていた彼にとって暫くは屈辱的で辛酸を舐めたものだったが、それでも人は環境に慣れていくものである。
 料理も最初は焦げてばかりいたものが段々と食べれるようになった。
 着替えもチグハグに留められたボタンの掛け違いも無くなっていく。
 見た目が粗雑な間は仕事上でも舐められる事もあったが、慣れていき次第に気を配れるようになると少しずつ喋れる人間も現れた。

 朝食を食べ終えたデーヴィドは食器を洗ったあと出勤した。
 これでも元王太子、遅刻した事は一度も無い。

 彼の仕事は文官。
 ハイリー伯爵位を与えられ、同時に用意された文官の末席。
 与えられた当時と変わらないポジション。

 頭を下げられていた存在が、今は頭を下げる側に。
 後から入った若者が上司になっていく屈辱に耐えながら、昇格の兆しも何もないその場で彼は黙々と仕事をしていた。

 廃嫡はされていないが継承権は常に最下位、傀儡にもなれない元王太子はある意味で腫れ物扱いだったのだ。


 そんな彼に、ある日転機が訪れた。

「あなたが昔母上を傷つけた、えっと。
 クソバカ無能元王太子ですか」

「んなっ!?」

「どうも、初めまして。ランドルフ・オールディスと申します。今日からこちらの部署でお世話になります。よろしくお願いします」

 父譲りの黒髪と、母譲りの空色の瞳をした青年は爽やかな笑顔でデーヴィドを見ていた。

「オールディス……?公爵の……?」

「ええ、10年程前にランゲ伯爵家からオールディス公爵家へ養子に行きました。将来は義父上の跡を継いで宰相になるつもりです」

「そ、そうか。がんばりたまえよ」

 デーヴィドは笑顔を引き攣らせながら声を絞り出した。

「で、僕の部下がデーヴィド・ハイリーと聞いたんですが、あなたですよね」

「へっ」

「僕は無能な人間は嫌いです。使えないと思ったら切りますので」

「ちょ、まっ」

「ディートリヒ父上はあなたに温情をかけたみたいですが、僕はあなたに容赦しません。
 早速ですがこちらの書類全て捌いて下さい」

 どん、とデーヴィドの机に置かれたのは書類の束。勢い余って上の方の紙がひらりと舞う。

「こ、これ、一週間分ある……」
「つべこべ言わず早くしてください」
「はっ、はいぃ!!」

 有無を言わせないその笑顔にデーヴィドは久々に苦虫を噛み潰したような顔をした。
 書類を置いた後、ランドルフは周りの者たちに挨拶して回っている。
 母譲りの美貌はなるほど、人を誑し込む力があるようだとデーヴィドは心の中で悪態ついた。

「……小者。母上があんなやつと結婚しなくて良かった」

 ボソリと呟かれたランドルフの呟きはデーヴィドには聞こえなかった。


 それからランドルフはデーヴィドに容赦無く書類を持ち込んでは「数日以内に捌いて下さい」と難題を持ち掛けた。
 今まで掛かっていた日数の半分しか猶予が無い為デーヴィドは残業するはめになり、毎日クタクタになりながら帰宅する。
 夕食に買い込んだ惣菜片手に寝てしまった事もあった。

 そんな彼を余所目に、ランドルフは机で余裕の表情で、時折ニヤけながらサラサラと何かを書いている。
 仕事中に何を……と、後ろを通った時に見えたのは『愛しい僕のリーゼロッテ』から始まる恋文だった。
 辺境伯令嬢と婚約し、1つ下の彼女が18になったら結婚するという話は聞いていた。
 噂によれば仕事を前倒しで片付け、週末になると馬を駆け辺境伯領へ会いに行く事も頻繁にあるらしい。
 珍しく一緒に夜会に出席した時は片時も離さず、挨拶回りも伴い、彼の溺愛ぶりは親譲りで何とも微笑ましいと社交界で話題になるほどだ。

 そんな愛する婚約者への手紙を職務中に書く姿に腹立ちはしたがデーヴィドは文句一つ言う事無く捌いて行く。
 自分に言う資格は無いのは、デーヴィドには分かっていた。

 王太子時代、真実の愛だとのたまい、執務を当時の婚約者に押し付けて享楽に耽っていたのはデーヴィドである。
 こんなに追い詰められて仕事をしたのはいつ以来だろう、とふと考えるが、結論は『無かった』だった。

 数多の書類を捌きながら、当時の婚約者──カトリーナはどんな気持ちだったのだろうかと考えが過ぎる。

 今は自分が命令して嫁いだ伯爵の夫人として国内外で活躍している元婚約者だった彼女。
 夫は救国の英雄と賞賛されていた男で、カトリーナを殊更大事にしているのは周知の事実。

 自分の婚約者としていた時は貼り付けたような笑顔しか見せなかったのに、夫の隣では柔らかに笑む姿を見る度訳も分からず苛立っていた。


 長い年月を経た今なら分かる。


 自分がシャーロットに感じていた『真実の愛』はまやかしだったのだと。


 気付いたときには遅かった。



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