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第二部〜オールディス公爵家〜
元王太子の現状
しおりを挟む「ハイリー伯爵、こちらの資料なんですが」
同じ部署で働くアデリナがデーヴィドに手渡した資料に目を通す。
「ここ、比較があった方が分かりやすい。できれば数年分、天候も」
「では調べておきます。あとは…」
二人のやり取りを上司であるランドルフはふむ、と眺めていた。
アデリナとのやり取りを終え、視線を感じたデーヴィドはそんな彼を見やる。目が合うが思案顔のままだった。
小さく溜息を吐いたデーヴィドは再び書類に目を通し始めた。
上司であるランドルフが来てから一ヶ月。彼からの指示は最近は大人しくなっていた。
その代わりじっと見られる事が増えたように感じるのはデーヴィドの気のせいではないだろう。
相変わらず婚約者への手紙を毎日したためるランドルフ。
デーヴィドは堪らず彼に進言した。
「オールディス公爵子息殿、手紙ばかり書いてないで執務をして頂けますか?」
ランドルフは手紙を書く手を一旦止めた。
「ハイリー伯爵、では聞きますが、貴方は執務を他に押し付けて自身は遊んでいた経験はありませんか?」
母譲りの瞳でじっと見られ、デーヴィドはたじろいだ。
昔からこの瞳が苦手だった。
自分を真っ直ぐに見る、空色の瞳。
「……失礼致しました…」
「分かればよろしい。それと僕の業務は7日先まで終わっています。誰かさんが捌いてくれるので仕事が捗って助かりますよ」
ランドルフはニコニコと答えた。
デーヴィドは頬をひくひくさせながら与えられた書類を捌いていく。
指示は大人しくなっているとはいえ、実はこれも3日先まであるんじゃないかというくらい積み上がっていた。
(俺の穏やかな日常が……)
文官の末席ではあるが、それなりにやってきたデーヴィドの平和な日常は、ランドルフによって忙殺の日々に変えられてしまった。
自分より年下とはいえ公爵家子息、直属の上司。
逆らえないのがもどかしい。
そもそも公爵家の彼が何故こんな日陰部署に来たのかが不思議だった。
仕事をサボる為、にしてはしっかり毎日こなしている。
そもそもオールディス公爵は国王が代替わりしても筆頭宰相の座はそのままで、相変わらず有能ぶりを発揮している。
高齢の彼が引退するほうがアーレンス王国にとって痛手なのではと噂もある程なのだ。
そのオールディス公爵が娘夫婦から養子を迎えたのは約10年前。
水を得た魚のように知識を吸収し公爵家の跡取りとしても申し分ないと宰相が嬉しそうに話しているのを見たというのは文官たちの話を盗み聞き──たまたまデーヴィドの耳に入ったものだった。
「しかし……あなたは本当にデーヴィド・アーレンス元王太子なのですか?」
ランドルフが不思議そうに聞いてくる。
デーヴィドは一度目線を上げ、再び戻した。
「残念ながらそうだよ」
「正直、思っていた人物像と違うもので驚いています。あ、これやり直して下さい」
ランドルフは資料をパサリとデーヴィドに寄こした。
「……どういう風に思われていたのですか」
くしゃりと受け取った資料には赤いペンで添削がしてある。目を通せばなるほどこちらのほうが良いと思わせるものだ。
「自分の欲望の為に他者を貶める男。当て馬。そして何か小さいやつ?あ、こっちもお願いします」
ぱさりと再び別の紙を渡される。デーヴィドは小さな溜息を吐いた。
「いつの情報かは知りませんが、40年も生きていればそれなりにはなりますよ」
腹立たしいがランドルフの添削は抜け目がない。言い返す事もできずペンを握る手に知らず力が入った。
「……参ったなあ。僕が公爵家に行ったのは貴方を討伐しようと思ったからなんですが」
「は?」
「あ、いえ、第一は辺境伯令嬢と婚約したかったからなんですがね」
「いや、討伐って何ですか」
ランドルフはすっと目を細めた。
「母を侮辱した奴って許せませんよね」
底冷えするような低い声に、デーヴィドは思わず唾を飲み込んだ。
「……それ、は…」
「僕がまだ幼い頃、婚約したい子がいると言った時、意外にも母の反応は渋かったんです。『まだ早いんじゃないか、大人になってからでも遅くは無いんじゃないか』と。父と仲良すぎるくらいなのに、不思議でした。
だから聞いたんですよ、周りに」
デーヴィドの背中を雫が伝う。まさか過去の事を言われるとは思っていなかった。
「母の事を聞いた時、僕は貴方を討伐しようって思いました。両親は温情かけたみたいですが、僕は許さないぞ、と思いました」
「それで……」
「まあ、貴方を観察する意味もありましたけどね。でも……意外にも真面目に仕事してるから、何かしたら僕が悪者になるなぁ、と思って止めました。今更ですしね」
ランドルフは紙束をトントンと揃え、デーヴィドに渡す。
「ハイリー伯爵、こき使ってすみません。僕はもう少ししたら別の部署に行きますから」
ニコニコしたままランドルフは「仕事終わり」と退室する為立ち上がる。
デーヴィドは紙束を受け取ったまま、しばらく動けなかった。
「オールディス……公爵子息殿……」
デーヴィドは声を絞り出す。
「あなたの……母君に謝罪する機会は作れるだろうか…」
言った後で思う。おそらく返って来る返事も予想できた。
案の定
「『今更ですよ』」
謝罪する機会も与えられないのは当然だと思った。
しようと思えばいつでもできたのに。
それをせず、傲慢に振る舞って来た結果が今である。
廃嫡はされなかった。
名ばかりとは言え伯爵位は与えられた。
破格の待遇ではあるのだが。
元王太子とは思えない質素な生活。
夜会に行く衣装も作れない為王家主催以外は社交もままならない。
真実の愛だと勝手に婚約破棄をした彼への代償は未だ彼を悩ませていた。
その上。
愛し合い結婚したはずの真実の愛の相手である、デーヴィドの妻のシャーロットは、もう。
この世にいないのだ──。
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