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第二部〜オールディス公爵家〜
元王太子のこれから
しおりを挟む「奥様、お亡くなりになったんですね」
ある時、相変わらずランドルフは何かを書きながら目を書類から逸らさずデーヴィドに話し掛けた。
「ああ。……場末の酒場に出入りしていたらしく、破落戸のケンカに巻き込まれてな」
真実の愛により結婚したデーヴィドの当時の妻、シャーロット。
彼女は王太子時代からの浮気相手であった。
婚約者であるカトリーナに虐められたと泣き付いて来て柔らかな胸を押し付けられた時は胸が高鳴った。
その後事ある毎にカトリーナから注意されたとか虐められたとか、シャーロットからの言葉を鵜呑みにし、カトリーナを憎みシャーロットを愛するようになったのだ。
そして、ある日の夜会でカトリーナに婚約破棄を突き付け、シャーロットと再婚約した。
だが『真実の愛』はまやかしだった。
王妃になって傅かれたいだけだったシャーロットは王太子妃教育をこなせず、努力もせず遊んでばかりいた。
デーヴィドも窘めてはいたが聞く耳を持たなかった彼女の事も鑑み、『二人に国を任せる事はできない』として、第二王子だったデーヴィドの弟であるヴィルヘルム(現在は国王である)に王太子の座を移されたのだ。
そのシャーロットは今はいない。
そもそも結婚後から与えられた家に帰らず、男の元を渡り歩いていた彼女とは結婚生活らしい事は何もできなかった。
その一因となったのが、デーヴィドの顔だった。ディートリヒから裏拳をお見舞いされた時、デーヴィドの鼻と前歯は折れ、美貌が台無しになるほどであった。
『そんな顔で私の隣に立つとか、冗談でしょう』
シャーロットは嘲笑った。
それもあって、シャーロットはデーヴィドから離れたのだ。
王太子だった頃は我慢していたが伯爵に落とされると手のひらを返し離れていった。
だが例え王太子のままだとしても、教育に身が入らなかったので結局は合わなかったのだろうと、デーヴィドは考える。
そして結婚から二年後、シャーロットは破落戸の喧嘩に巻き込まれて命を落とした。
それを聞いた時、まず先に来たのは安堵だった。『これで悩まされずに済む』と一瞬でも過ぎった事は、デーヴィドに小さく棘として今でも残っている。
王太子時代にシャーロットにドレスや宝石などを貢ぎ贅沢に慣れさせたせいか、身分を落とされても彼女の浪費癖は直らなかった。
支払いは全て名目上の夫であるデーヴィドにのし掛かってきたのだ。
シャーロットの実家の男爵家は「娘とは縁を切りました」と支払いを拒否した。元々養女だった為かアッサリとしたものだった。
以来、デーヴィドは自身の給料からずっと返済してきたのだ。
だから、これ以上苦しめられずに済むと。
亡くなった知らせを受けた時は真っ先にそう思った。思ってしまったのだ。
数年前に全て返済を終えたがデーヴィドの生活は変わらなかった。
「今はお独りですか」
ランドルフは尋ねる。いつの間にか目線はデーヴィドを捉えていた。
「それがどうした」
デーヴィドも手を止めた。
「アデリナ女史との再婚は考えてないんですか?」
ぴくりと、デーヴィドの指が震えた。
文官になって、約15年経過した頃に配属されたアデリナは、離婚した平民の元夫との間に二人子がいる母だった。
夫の暴力に耐えかねて二人の子を連れ実家に身を寄せているが、いずれは母子三人独立して暮らしたいのだと言っていた。
子の為に働く姿は美しく、いつしかデーヴィドは彼女の懸命さに惹かれてはいた。
アデリナ自身も時折手助けしてくれるデーヴィドに悪くない感情を抱いているのは何となく感じてはいたのだ。
だがそれを誰かに言った事は無く。
ランドルフが何故そんな事を言うのか訝しんだ。
そして目を細め、自嘲するかのように笑った。
「……女性二人、幸せにできなかった男が、別の誰かを幸せにできると思うか?」
婚約者だったカトリーナは無視し続け婚約破棄を言い渡した。
真実の愛だと思ったシャーロットは、デーヴィドの地位だけを愛していた。
デーヴィドのパートナーとなった女性は彼自身が幸せにできなかったのだ。
特にシャーロットの件は巻き込んでしまったとも思えば、生涯独身で良いと決意するのに十分だった。
だからアデリナに惹かれたとて、一生言うつもりなど毛頭無い。
だがランドルフは真剣な眼差しで続けた。
「母は父に出会って幸せになりました。ですが皮肉にもそれはあなたが婚約破棄しなければありえなかった。
当時のあなたのした事は許されるものではありません。ですが、当事者二人があなたの不幸を望んでいません。
不安であれば僕があなたを監視します。
僕が宰相になったあかつきには、補佐としてこき使いますよ。
制約は付きますがアデリナ女史と添い遂げる事もできるでしょう」
デーヴィドは息を飲む。
目の前の若者が言う言葉が信じられなかった。
「制約とは……」
「あなたの血を残さない事。王位継承権の永久放棄。この二つを守ること。
臣籍降下したとはいえ王族の血脈を他に残すと後世に馬鹿な連中が担ぎ出さないとも限りませんから」
それは至極当然の事で。
デーヴィドは目を泳がせ、口をパクパクと動かした。
「亡くなった奥様の事は残念でした。
しかし、こればかりは当人が変わらなければいけなかった事。あなたのせいではないと僕は思います」
言われた瞬間、デーヴィドの瞳が揺れた。
シャーロットが亡くなったのは自分の愛が足りなかったせいだとどこかで思っていた。
「与えられた環境で幸せを模索する。
それをやるか、やらないかでは大きな違いが産まれますしね。
まあ、頭に入れといて下さい。
あと書類追加しておきますね」
晴れやかな顔をしたランドルフは、再びばさりと書類の束を置いていった。
デーヴィドは迷った。
この日から散々考え、悩んだ。
「先日の話、決めましたか?」
あれから急かさず答えを待っていたランドルフ。
倍以上の年齢差にも関わらず自信を持った顔つきはデーヴィドにとって面白く無いが、乗せられるのも悪くは無いというのが彼の出した答えだ。
「ああ、先日彼女に告白した。近々実家を出るそうだから思い切って誘ったよ」
その言葉にランドルフは目を見開いた。
心底驚いたと、きらきら瞳を輝かせて。
「さすが手が早いですね。返事は?」
「最初は断られたよ。けど支えたいって必死に説得したらようやく、まぁ。子どもたちの事もあるからな。ゆっくり進めて行く事にしたよ」
「ちゃんとあなたのした事全て話したんですか?……その鼻の原因も」
ランドルフはデーヴィドの変形した鼻を指した。思わず擦り、目を逸らす。
「……まぁ、呆れてた、な。勿論反省した事は言ったぞ」
「そうですか。小者と思いましたが案外やる時はやるんですね」
くすくす笑うランドルフに、デーヴィドは気まずくなり頬を掻いた。
「まあ……腐っても元王太子だからな」
「今度こそ真実の愛になるといいですね」
『真実の愛』という言葉に、デーヴィドは気まずい思いをした。
なので、1つ、咳払いをして。
「あー……、真実の愛はまやかし、です。ただの、浮気……です、……はい」
己の過去を振り返った時、『真実の愛が~』と嫌な過去を積み上げたといたたまれない。苦い記憶となり苛んで来る。
だから今のうちにやめておけという、経験者からの助言である。
それを聞いたランドルフはやがてお腹を抱えて笑い出した。
「さすが、経験者の語る重みは違いますね」
「……ほっとけ」
デーヴィドは己の過去を笑い飛ばされた事で何だか気持ちが吹っ切れた気がした。
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