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いい夫婦の日【全3話】
ランゲ伯爵家のとある一日
しおりを挟む冷たい風が出て来始める前の、穏やかな陽射しが暖かな日。
ランゲ伯爵邸の庭には様々な花が咲き乱れていた。
主一家はもちろんの事、使用人たちさえも好きな花を庭に植えているのだ。
伯爵夫人カトリーナが執務の休憩として庭を訪れ、その景色を堪能するのが日々の癒やしとなっている。
花に触れ、香りを楽しみ、目を彩らせる伯爵夫人を見るのは使用人たちの楽しみなのだ。
伯爵邸に専属する庭師は日々美しく魅せるように庭を整える。
時折泥んこになった伯爵家の子どもたちを微笑ましく思いながら。
子どもたちと一緒になって駆け回る自身の主に苦笑しながら。
「まあ、ジークとヴェルはまた泥んこになって」
「えへへ、これも鍛錬の賜物なのです!」
「なのです!」
カトリーナは側にいる侍女からハンカチを受け取ると、ジークハルトの顔を拭き、もう一枚でヴェルナーの手を拭いた。
「ランドは大人しく本を読んでるのに。
兄弟でこんなにも違うのね」
汚れてしまった二人を拭きながら、カトリーナは苦笑した。
ランゲ伯爵家の子どもたちは個性豊かな面々だ。
長男ジークハルトは父親そっくりで、性格も穏やかで優しい。父親の姉曰く「生き写し怖いわ」と言われるくらい似ているらしい。
「将来は騎士になる!」と張り切っているがやはり父親に似たのか勉強はちょっと苦手。
でも嫡男として、伯爵家を担う者としての自覚もあるようだ。
次男ランドルフはどちらかと言えば母親似だ。
母譲りの猫目で空色の瞳は、ともすれば冷たい印象を与えるが、本音はとても優しい子。
いつも本を読んで勉強しているのは将来やりたい事があるから。
それとは別に、とある女の子と出逢ってから、彼には目標ができたのだ。
三男ヴェルナーは愛想振りまき隊である。
金の髪に深い碧の瞳は母方譲りの色である。
特にふわふわの髪は思わず触れたくなるように誘うのだ。
そんな彼は長兄ジークハルトが大好きで、彼の真似をしては共に母から怒られるのが楽しいらしくイタズラの手を止める事が無い。
現時点で末っ子というのも相まって、乳母やメイドを始め主に女性陣の庇護欲を充分に煽っているのだ。
母の手を焼く長男と三男、木陰で本を読むおとなしい次男。
そして。
「次はどっちかな」
「女の子がいいな」
「おとうと!」
少し出て来た母のお腹をペタペタと触る姿は三者三様に兄の顔をしてその時を待っているのだ。
ディートリヒが辺境での盗賊討伐から帰宅して一月半程経過した頃、カトリーナの懐妊が発覚した。
その事を覚悟してはいたが、実際そうなった事に心臓が嫌な音を立てる。
『ディートリヒ様、大丈夫。私の身体は何ともありませんわ』
『すまない……』
『貴方を助けられた事、私は誇りに思っているの。他の女性じゃなくて良かった、とも』
微笑む妻とは裏腹に、ディートリヒは悲痛な顔をした。
今回の妊娠は、リーデルシュタイン辺境伯領での事件にて、ディートリヒに盛られた媚薬『天上の楽園』の作用によるものだ。
政略結婚で嫌悪な夫婦が義務を果たすのを一度で済むようにと開発されたそれは、使用して交わればほぼ懐妊するという絶大な効果をもたらすが、悪用されれば貴族家に混乱をきたす為発売後すぐに製造禁止薬物に指定されている。
販売中止から5年経過しても解毒薬が無い為未だに製造解禁されていない。
それを辺境伯領にいた開発者の手下がディートリヒへ茶に混ぜて出したのだ。
女性の潤いのみで解毒できるそれは、身体中に巡り解毒できなければ発狂すると言われるが、折良く辺境伯領に現れたカトリーナが協力して解毒した。
その結果、カトリーナは懐妊したのである。
その事をディートリヒはお腹が大きくなった今でも気にしている。
宿った生命に喜びもあるが、ふとした瞬間に『無理をさせたのではないか』と思い出すのだ。
そんな日は、普段は妻を甘やかす存在が珍しく甘えてくる。今がその時だ。
カトリーナはそんな夫の頭を優しく撫でた。
「ディートリヒ様、私はこの子がお腹に来てくれた事がとても嬉しいのです。
今ではこの子が私たちの下に来たいからあの事件が起きたのでは無いかと思うくらいです」
「カトリーナ……」
「もう色々言いっこ無しです。それともディートリヒ様はあの時別の女性の方が良かったですか?」
じとりと妻から見られ、ディートリヒは瞠目した。
「それはあり得ない。君が来てくれたから俺は今ここにいられるんだ。あの時他の女性なんか考えられなかった」
妻の頬に触れ、指の背で垂らした髪を避けると、擽ったかったのかカトリーナは目を細めた。
お返しだと言わんばかりに、夫の頬に触れ、顔に大きく主張する傷に触れる。
「あの時私が来て、貴方を助ける事ができた。その結果、こうして新たな生命が宿ったのです。いい事しかありませんよ」
微笑むカトリーナは陽の光に照らされ、眩しさにディートリヒは目を細めた。
こうしていつでも前向きな妻に、彼の心は癒やされ益々妻を愛おしむ気持ちが湧いて来る。
それはもう、際限が無いくらいに。
やがて大きなお腹に顔を近付け、その胎動を待った。
ぽこんと動くお腹に生命の輝きを感じ、ディートリヒは幸せを感じる。
「そうだな。悪い事ばかりでも、無いな」
「そうですよ。……こ、こうしてお腹を触るっていう目的で、ひ、膝枕とかも、できますし……」
カトリーナの語尾が小さくなっていく。
そう。
ディートリヒは今、その頭をカトリーナの膝に乗せて胎動を待っていたのだ。
「たまたま、胎動が感じられるのがこの場所だったから仕方無くなんですからね?」
「ああ。妻からこうして誘って貰えて嬉しいよ」
「わ、私が誘ったのでは無く、顔で感じたいと仰ったのはだんなさまで!」
「ああ。おかげで俺は幸せだ」
お腹に頬を寄せ、温もりを享受すると、自然と笑みが溢れる。
あの時諦めずにいて良かった、と安堵するのだ。
「お父様ずるいです!僕もお母様のお膝で寝たいです」
そこへいつもは木陰で本を読んでいるランドルフが主張した。
「僕もお父様と寝たいです!」
「ぼくも!」
そして、普段は弟に遠慮するジークハルトも、ジークハルトに追随するヴェルナーも二人の周りに来た。
「ここはお父様の場所だぞ。欲しいのならばお父様をやっつけてからだ」
大人げなくカトリーナの膝から離れないディートリヒは息子たちに挑戦状を送る。
「分かりました!お父様覚悟ー!」
ランドルフは父の脇腹を攻撃し始めた。
「んなっ!?ランド、待っ、ひきょっ、わはっ」
「ランド、加勢するよ!」
「するよ!」
「ちょ、お前たち、待っ」
そうしてカトリーナの膝から陥落し、いつの間にか息子三人からくすぐられて笑いが止まらぬディートリヒ。
「もう、男の子たちはホントに……」
侍女やカトリーナは苦笑する。
けれど、この賑やかな、笑いの絶えない一日が。
この上無く幸せなのだ。
「あっ、また汚れますわよ!」
敷物からもはみ出て地面を転げ、はしゃぐ男四人を見た母親に同意するかのように、お腹がポコポコと動く。
ランゲ伯爵家は今日も幸せな時間が流れているのだった。
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