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リチア・グラム
とらわれた令嬢
晴れ渡る青空の下、一組の男女が王都の大聖堂で結婚式を挙げた。
この国のマーレット第三王女殿下と、フェザント・ハルバード公爵。
ハルバード公爵は齢25になっても婚約者の一人もおらず、社交界ではどのご令嬢が彼を射止めるかと話題になっていた。
下世話な噂では、身分の低い者を愛人として囲っていると囁かれたが彼の容姿、仕事ぶりをみれば愛人でもいいと言う女性は数多くいた。
そんな彼が王命によりマーレット第三王女殿下と電撃的に婚姻する事になった。
社交界には衝撃が走り、二人に懸想する数多の男女の悲鳴が響き渡ったが、いざ婚約発表の場で二人並べば誰もが納得せざるを得なかった。
ただ一人を覗いては。
そして迎えた今日。
美男美女の二人は幸せそうに微笑みながら儀装馬車の上から沿道に詰め掛けた人々に手を振っている。
国の魔術師達が祝いの魔術を披露し、これからの二人を祝福していた。
私は呆然としながらその二人を見ていた。
やがて。
「リチア。そろそろ帰ろう…」
その声の主に私は縋るように手を延ばした。
「ええ、お義兄様……」
二人をこれ以上見ていたくなかった。
いつの間にか溢れた涙を掬い取った彼に抱かれて、私はその場をあとにした。
♠✦♠✦
「別れよう。明日から二度と会わない。もし見掛けても話しかけないでくれ」
『真実の愛なんだ』と言われて全てを捧げた相手から、よりにもよって情事の終わった後に言われた。
先程まで同じ高みに昇り、愛し合った彼──フェザント・ハルバード公爵曰く。
「王命で第三王女殿下と結婚する事になった。彼女は不貞などは許さないだろう。
君も貴族女性なら分かるだろう?
愛人としても付き合えないから明日から来ないでくれ」
何を言われているのか分からなかった。
だけど、彼の瞳には今まであった優しさも愛情も無いのだけは分かった。
「分かったなら着替えて出て行ってくれ」
涙を流す暇も与えられないまま、私は呆然としたまま服を着だす。
途中で一人で着れない部分があったが、彼は既に着替えて部屋から出て行った後だ。
手伝いのメイドすら呼べない。
仕方無く不格好に着て、身嗜みをある程度整えてから公爵邸から歩いて帰る。
行きは公爵邸から紋の付いてない馬車が迎えに来たけど、関係は終わったから馬車も出してもらえない事に乾いた笑いが出た。
彼は公爵。私は男爵家令嬢。
元々身分差のある二人だった。
舞踏会で見初められて告白され、相手の身分の高さから浮かれていた。
彼に請われるまま純潔を捧げた。
よくよく考えてみれば婚約者でも何でも無かった。
『君といると癒やされるんだ』
「…………はっ…」
彼の言葉を思い出して目が滲む。
愛の言葉はベッドの上だけのもの。
デートや夜会のエスコートも無かった。
彼の都合が良い時に公爵邸に呼ばれ、性急に身体を繋げるだけの関係。
体良く遊ばれただけだと今更ながらに気付いた。
重い足取りで自宅に向かう。
一歩一歩が鉛を着けたようだった。
道行く人がチラチラと見て来るけど、構ってられなかった。
愛想笑いも、失礼だと詰め寄る元気も無い。
目から流れるものもそのままにしているからきっと酷い顔だろう。
「よぉ、綺麗な服着てんじゃねぇか。俺が慰めてやろうか」
ぷぅんと匂う顔を赤くして足取りの覚束ない男が近寄って来る。
「…結構です」
その男を避けようと、正面にいる男の横を通り過ぎる。
が、腕を掴まれた。
「貴族女だろう?お高く止まりやがって!」
「手を離して下さいませ」
ゾワゾワと気持ち悪さが勝り、その男から離れたかったけど力任せに掴まれた腕を振り払う事は出来ない。
「かわいがってやるから来いよ」
「いや!誰か!離して!!」
そのままグイグイ引っ張られて路地裏に連れて行かれそうになる。
だけど貴族に関わりたくないのか、道行く人は誰も助けてくれない。
最悪な日。
信じていた人に捨てられ、酔っぱらいに絡まれて。
誰も私を省みない。
そのうち私は抵抗を止めた。
すると男は臭い息を吐きながらニヤリと笑う。
それを見て肌が粟立った。
「ひ………ゃ…」
途端に心臓がばくばく鳴った。
これから起こり得る事を考えて奥歯がかちかち音を鳴らす。
誰か───
鼻先まで男が近付いた時、私はぎゅっと目を瞑り腕で顔を守った。
「よぉ、おっさん、その手ぇ離せよ」
聞いたことあるような声がした瞬間、私の目の前に白いシャツの広い背中が見えた。
「邪魔すんな小僧!」
「酔っぱらいは家で寝てろ!」
広い背中の人は、酔っぱらいの腕を後ろに捻り上げた。
「いってぇ!!くそっ離せ!!」
「離してほしけりゃ今後この娘に近付くな!!」
酔っぱらい男は唾を吐き捨て悪態をつきながら走って去って行った。
呆然と見ていると、広い背中の男が振り返る。
「大丈夫か?……てか、何でそんな格好で歩いてんだよ?」
その男は幼馴染みのロビンだった。
「………公爵邸からの帰りなの」
「公爵……って、馬車は?送りすらねぇのか?」
私は困惑するロビンの顔を見れなかった。
説明する気にもなれない。
「黙ってちゃ分からねぇだろ。公爵とうまくいってたんじゃねぇのか…?」
「………結婚、なさるらしいわ」
「…え……」
「マーレット王女殿下と。だから、もう。
私とは会わない。見掛けても、声、かけるな、っ……て」
そこまで言うと、自分の立場を思って涙が出てきた。
「…んだよ、それ……。相手が公爵だから……俺は…」
ロビンはぎゅっと拳を握り、なぜか悔しそうな顔をしていた。
「とにかく送るよ。ほら」
ロビンは手を差し出したけど、私はその手を取るのを躊躇った。
「奥様に悪いわ…」
「……っ、今は非常事態だろ。妻も分かってくれる」
ロビンは最近結婚した。政略結婚ではあるけれど、仲睦まじいと聞いている。
口は悪いけど伯爵令息である彼に、私は幼い頃淡い恋心を抱いていた。
けれど男爵家と伯爵家。
いくら仲良しとはいえ何の魅力も無い男爵家令嬢との縁なんて結べなかった。
それでもロビンは父親の勧める縁談を断っていたらしいけど、私が公爵様と付き合いだして瞬く間に縁談が整っていった。
見兼ねた父親の知り合いが極上の断れない縁談を持ってきてくれたらしい。
その知り合いの方の助言もあって、適齢期を過ぎていた二人は婚約中に既成事実を作り結婚した。
今奥様は妊娠中だと、私のお義兄様から聞いた。
「ほら、行くぞ」
ロビンは強引に私を引っ張り、自分の乗っていた馬車まで連れて来た。
私をエスコートして馬車に乗せ、御者に行き先を告げる。
馬車の中で私達は無言だった。
既婚者の彼の左手には指輪が輝いている。
私には一生縁が無いかもしれないと思うと虚しさと悲しさが込み上げてきた。
その視線に気付いたのか、ロビンは左手を右手で隠した。
「…妻の事は気にしなくていいから」
ぶっきらぼうに言うと、窓の外を見る。
何となく座っている位置をずらして、なるべくロビンから離れた。
「どこに行ってたの」
男爵邸に着くと、お義兄様が出迎えてくれた。
私のお義兄様。
「リチアは公爵邸から帰る途中で酔っぱらいに絡まれて…」
「公爵邸…?そう……。で、ロビンが助けてくれたんだ………。悪かったね」
お義兄様は静かな笑みでロビンを見据えた。
徐々に空気が重くなってくる。
「お義兄様、魔力が漏れてますわ」
「…あ、ああ、すまない。無意識だった…」
一瞬で重圧を霧散させると、息を止めていたらしいロビンは深く息を吸った。
「じゃあね、ロビン。美しい身重の奥様によろしく」
妖しく笑んだお義兄様は私の腰を抱き屋敷へ促した。
「ロビン、助けてくれてありがとう。……奥様とお幸せにね」
ロビンは何故か顔を悪くして、一瞬気になったけど。
左手の指輪が目について私はそのまま目を反らした。
♠✦♠✦
「大丈夫か?魔術鳩飛ばしてくれたら迎えに行ったのに」
着替え終わった後、お義兄様に呼ばれて居間に行くと、心配そうな顔をして私の頬に触れた。
「お義兄様……」
「うん?」
いつもの優しいお義兄様の顔を見ると、安心して泣けてきた。
「私……愛していた人に…、もういらない、って……」
彼の前では泣けなかったのに、次から次へと涙が溢れる。
そんな私の頭をお義兄様は黙って撫でてくれた。
小さな頃から私が泣くと、いつも寄り添ってくれていた。
お友達と別れたとき。
両親が亡くなったとき。
ロビンへの初恋が実らなかったとき。
そして、今も。
ひとしきり泣いて、落ち着いた私は深呼吸をして涙を拭った。
「ごめんなさい、お義兄様………私、修道院に、行きます……」
自分の勝手な行動で純潔を失った私は、もう政略結婚の駒として失格なのでこの家にはいられないだろう。
お義兄様と、その後娶られるだろう女性に迷惑をかけたくない。
それならば潔く俗世と離れたほうがいい。
「今すぐ決めなくて良いよ。ゆっくり休んで…。
今後の事はゆっくりまた話そう」
優しいお義兄様。
血の繋がらないお義兄様。
その真綿で包まれたような優しさが私を癒やす。
それから私は家で過ごした。
時折お義兄様の領地の仕事を手伝いながら、ゆっくり時が過ぎて行く。
いつまでも甘えていてはいけないと思いながらも、お義兄様の優しさに縋っている。
暫くして、第三王女殿下と、ハルバード公爵様の結婚が発表された。
そして今日、その二人の結婚式。
貴族である私達は末席に参加する事を許された。
私と公爵様の関係は公にはされていなかった為か、王家から招待状が来たのだ。
かつて愛し合った人の結婚式に参列する事を躊躇したが、お義兄様が「大丈夫だから」と言ってくれた。
なので目立たないようにこっそり行く事にした。
大聖堂は沢山の貴族で溢れていた。
「ハルバード公爵様のお相手が王女殿下だなんてねぇ」
「どなたが彼を射止めるかと思ってましたが、王女殿下なら納得ですわ」
「とてもお似合いですものね」
「身分違いの恋人がいるという噂は隠れ蓑で、密かに王女殿下と愛を育んでらしたのね」
世間ではそんなロマンスが囁かれる。
私との事は夢だったかのよう。
かつて私達が愛し合っていたなんて、私の中だけの妄想かもしれない。
「始まるわ」
前を見ると、白い正装に身を包んだハルバード公爵が立っていた。
その姿を息を止めて見ていた。
やがて王女殿下と並び、愛を誓い口付ける。
私の指先から徐々に冷たくなっていく。
幸せそうに笑う二人を呆然と見ていると、公爵様と目が合った。
一瞬、彼の瞳が揺れた気がした。
気のせいかしら?
切ないような、縋るような瞳が私を射抜いて。
けれど、すぐに公爵様の視線は王女殿下へ戻っていく。
愛おしげに王女殿下を見つめる公爵様を見てられずに、私は俯いた。
「リチア、出ようか」
いつの間にか結婚式は終わり、参列者はバラバラと退席していた。
お義兄様の手を取り立ち上がる。
「ええ、お義兄様……」
これ以上見てるのは辛い。
私を望んで下さっていた事は夢だったのかしら。
全て、幻だったのかしら。
『愛している』と飽きるくらい囁いていたのに。
これからは王女殿下にそうするのだろうかと思うと、胸が焼き切れそうに痛かった。
大聖堂の外に出ると、白い魔術鳩が飛び去り件の二人を祝福していた。
幸せそうに微笑む二人。
本当なら今すぐ走って行って『この人は私のものだ』と叫びたい。
だけど、私の足は縫い留められたように動かない。
気付かぬうちに私の双眸からぽたり、ぽたりと雫が溢れる。
幸せそうに笑わないで。
その温かな腕で抱き締めて。
私の髪に口付けて、指を絡ませて欲しい。
愛している。今でも、貴方を。
私には貴方だけだったの。
貴方の噂を知っても、遊びかもしれないと思っても、私には。
貴方しか、いなかったのに。
貴方も、私だけだよと甘く囁いていたはずなのに。
私は簡単に捨てられる存在だった。
貴方にとって、私は。
「リチア」
優しくて柔らかな低い声。
私の血の繋がらないお義兄様。
ハンカチで優しく涙を拭う。
「リチア、そろそろ帰ろう……」
その声に、私は縋るように手を延ばした。
「ええ、お義兄様……」
力強く、柔らかく抱き寄せられて、私は公爵様に背を向けた。
だから、私からは見えない。
泣きそうな顔をして手を伸ばし、唇を震わせている公爵様も。
それを苦々しく見ている王女殿下も。
仄暗い瞳で、私を見ているお義兄様も。
「帰ろう、私達の、鳥籠へ」
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