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16.根本的に間違っていた
しおりを挟むルーチェに痴態を見られていた。
その事がシュトラールに気まずい思いを抱かせ己の所業に悩まされる。
あの時の自分は何故あれ程にまでリリィを愛せたのか今となっては分からない。
魅了や洗脳の類も調べてみたが当然何も出なかった。
「過去の思い出したくもない事柄を、とある民は黒歴史と呼ぶそうですよ。
殿下も量産なさってましたね。」
「トラウ……黙れ」
ふとした瞬間、四阿でリリィとした事が過り頭を抱えて執務机に肘を突いては呻き声が漏れ出る。
どちらから誘ったのか、リリィに誘われてか己が誘ってか、断らず誰が見るかも知れない場所でした事は確かに覚えている。
図書室と校舎を結ぶ廊下から少し離れた木々のそばにある四阿は、リリィと出会う前一人で忍んでいた時によく利用する場所だった。
そのうちリリィが侍るようになりその場所に同行するのも咎めず、人目を避けた逢瀬の場所に変わった。
なぜそこが気に入ったのかも思い出せない。
誰にも見られたくないなら王族専用の特別室へ行けばいい。
だが木々のざわめきと風の音がシュトラールの心を穏やかにしていたのもまた事実。
そこを濡れ場にしてしまった自分に後悔しか湧かない。あまつさえ、よりにもよってルーチェに見られるなど夢にも思わなかった。
「ルーチェはなぜあんな場所にいたんだ……」
何の面白みもないそこは、貴族の者は興味を引かれにくい。
よほど勉学に励む者ならば図書室へ行くだろうが、それは家に金が無い場合だ。高位貴族程必要な本は取り寄せればいい。金と保管する場所があるのだから。
「妃殿下はよく図書室へ行かれていましたよ」
「なに……」
トラウの言葉にシュトラールは目を見開いた。
己の言う場所に思い当たるのも不思議だが、ルーチェがよく図書室へ行っていたのも驚きだった。
「だから、どれだけ無関心だったんですか。もう笑いも出ませんよ。貴方が四阿で休憩中、私は近くを見張っていましたよね。その時よく廊下を通る妃殿下の姿を見ました」
その言葉に偽りは無いのだろう。トラウが嘘を吐いてもなんの得にもならないから。
「そもそも、殿下は何故そこに行っていたのですか?」
「……誰も、私を王太子として見ない一人になれる場所が欲しかった。殆ど人も通らない場所が静かで居心地良かったんだ」
「それなら、特別室でも良いではありませんか」
トラウの言う事は真っ当だ。
王族とその者が許可した者のみが使用できる特別室であれば、誰の邪魔をされることも無い。
護衛や従者を外に待機させ、一人になる事も可能だ。
「……あ……」
当時の情景が甦る。
さわさわと揺らめく木々の音、頬をくすぐるような風。
白銀の髪を揺らし、背筋を伸ばして歩く少女の姿を思い出す。
「ル……チェ……」
政略結婚だ。シュトラールの意思の無い強制的な結婚だ。
そう思いながら義務的に過ごしてきたはずだった。
ルーチェが笑顔で媚びるように寄って来て、煩わしさすら感じていた。
リリィと出会い恋に落ちてからは避けるように接触を減らしていった。
婚約者としての義務も億劫で、夜会や茶会のエスコートはおろか顔合わせも行かなくなった。
「殿下、これは私の持論ですが、婚約している間の関係がその後に多大な影響を及ぼすと思います。妃殿下を裏切っていた貴方が愛を得られるかは……難しいのではないでしょうか」
「それでも……! それでも、ルーチェは結婚した。それは私を愛しているからだろう……?」
手酷い裏切りをしても、ルーチェは婚約を解消しなかった。公爵が国王に何度も打診しても国王が頷かなかったせいもあるが、最終的に公爵はルーチェの気持ちを尊重し婚約解消の打診を取り下げたと聞いていた。
だから、例え他の女性に目移りしても、ルーチェは離れて行かないと思っていた。
「十年以上、辛い経験をして王太子妃となるべく研鑽を積んでいた妃殿下が、簡単に己のしてきたことを棄てられる女性なら良かったですね」
トラウの表情が無くなった。
「王太子妃となるべく努力して、それが生活の一部となっていた妃殿下にとって、その座だけは守りたかったのかもしれません。私の憶測に過ぎませんが」
貴族女性として、政略結婚をする覚悟だけを残し、王族に嫁ぐ為に、余計な感情を捨て去った。
ルーチェは、リリィを愛するシュトラールからの愛は不要だと真っ先に切り捨てた。端から見たらそう判断できる。
「もしも、殿下が妃殿下との婚約を解消して男爵令嬢をその座に据えていれば、妃殿下はこの世にいないかもしれません。それに、殿下もこの場にはいないでしょうね」
王妃の子はシュトラールだけだが、国王の子供はシュトラールだけではない。
側室との子は数人いて、王太子の座を狙える者もいる。
ルーチェはある意味、シュトラールを守る為に己の恋心を捨てたのだ。
「今更なのですよ、殿下。積み重ね、歩み寄り、拒絶したのは貴方ですから」
アカデミーの静謐な空間を歩くルーチェの姿を思い出す。
凛とした雰囲気を美しいと思っていた。
その場所はシュトラールとルーチェだけが知る空間なのだと。
だからこそ、そこを気に入っていたのだと今更ながらに思い返せばしっくりとした。
そんな場所を穢したのはシュトラール自身だった。
リリィを貪り愛していてもどこかで乾いているようで何度求めても足りなかったのが、ルーチェを抱くようになって満足し飢える事も無くなった。
身体を気遣い憂いが無いように配慮する事も忘れない。
けれど、どこか遠慮がちで申し訳なさそうにするルーチェにもどかしく思っていたのだが。
「ルーチェはもう、諦めてしまったのだな……」
シュトラールから愛されることは愚か、関係を良好にする事も。ただ公の場でだけは仲良い夫婦のように取り繕う。それだけでも良しとしなければならないのだろうかと思うとシュトラールは怖くなった。
この先ルーチェが己の幸せを求めて離縁を言いだしたらどうしよう、と。
他の男のもとへ行き、愛を囁くルーチェを想像するだけで胃の中から競り上がってくる。
おかしいくらいにルーチェを求めている。
苦しいくらいに脳内の大半を占めている。
シュトラールは知ってしまった。気付いてしまった。
ルーチェから無償の愛を与えられていたことに。
そしてそれは、現在では無くなってしまったことに。
それでもルーチェの愛を乞うことを止められない。
それこそこの先何十年も夫婦でいるのだから、と自分に言い聞かせなければ足元がぐらつきそうだった。
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