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19.絆
しおりを挟むいつかまた裏切ると思う人と、一生一緒にいなければならないのは、神経を擦り減らすものだ。
そこに愛があろうとなかろうと、常に気を張っていないといけないのだから。
けれどその人との間に絆が宿ればどうなるのだろう。
体調不良を訴えたルーチェが医師に診察をしてもらうと、懐妊が告げられた。
心配から付き添っていたシュトラールは、医師からの言葉に呆然とし一拍遅れて喜びが爆発した。
「ルーチェ! よくやった!」
ルーチェもシュトラールの喜ぶ様を見て、医師を見て、頷かれたのを見てじわじわと実感が湧いてくる。
もうすぐ成婚半年になろうかというところでの嬉しい知らせだった。
医師が去ったあと、シュトラールはルーチェのお腹に手を当てていた。
「父様だよ。無事に生まれておいで」
「まだ早すぎますわよ」
「何を言っているんだ。後継ぎかもしれないんだぞ。ルーチェ、無理をせず身体を労ってくれ」
「かしこまりました」
ルーチェ懐妊の報は国王と王妃にも告げられた。
国民へのお披露目は容態が安定する頃にちょうど成婚一年の記念の会があるので同時に発表する事になった。
「殿下、妊娠しましたからこれからは」
「添い寝係は呼ばないよ」
鋭く睨むようにシュトラールは答えた。
「ですが殿下は」
「ルーチェ、私はそなただけを妻にすると決めていた。そして妻を裏切る事はしないと言っている」
嘘吐きだ、とルーチェは嘲笑う。
妻を裏切る事はしなくても、婚約者なら平気で裏切るのだ。
ルーチェはそろそろ頃合いか、と微笑んだ。
「殿下、私は不安なのです。けれど、殿下の重荷にはなりたくないの。だから侍女を一人、実家から呼んでもよろしいかしら?」
「不安があれば私に言ってくれたらいいのに」
「女性同士の話もあるのです」
ぷぅっと可愛らしく頬を膨らませればシュトラールもその愛らしさに陥落したようで。
「分かった。トラウに伝えておくよ」
「ありがとうございます!」
「じゃあ、そろそろ執務に励むとしよう。ルーチェは無理しないように」
額に口付け、シュトラールは部屋をあとにした。
「シアン、彼女の出来はどうなってるかしら」
「真面目に学んだようで、お嬢様が召し上げても大丈夫かと」
「そう。子もできたし、身の回りの世話を頼もうかしら」
妖しく微笑うルーチェに、シアンはそっと寄り添った。以前ならばこんな考えはしなかった。だが今はどこか危うい雰囲気に少し怖くなったのだ。
「お嬢様」
「ねえシアン、子が宿ったわ」
労ろうとしたシアンの手を止め、ルーチェはぽつりと呟いた。
「義務は果たせているかしら」
「もちろんです」
「……この子を愛せるかしら」
不安げにお腹に手を当て擦る。
義務を果たす為だけにここにいる。けれど義務だけで宿った我が子を愛せるかルーチェは不安だった。
シュトラールを盲目的に愛せたあの頃なら何もしなくても慈しめただろう。
だが今は愛より憎しみが勝る相手。
強制的に変えられた愛の方向はシアンへ向かうが、シュトラールに対して膨れ上がったものは憎悪に変化した。
薄っぺらい愛も信用ならない言葉も耳に入る度笑いそうになる。
度々他の女性を充てがう発言を拒否する様も、意地になっているだけだろうと思っている。
そんな相手との間に授かった義務の果ての子。
せめて義務ではない愛情を注げたらと思うが肌が粟立つのも止められない。
「お嬢様、殿下とお腹の子は別人です。この子は貴女の子です。どうか健やかに過ごし、無事に生まれますよう」
シュトラールの言葉は信用できないが、シアンの言葉はすんなり馴染んでいく。
「私の子」と呟いたルーチェは、表情を変えた。
シュトラールに向けられていた激情の眼差しではなく、我が子を慈しむ母の顔。
シアンはその表情にホッとし、少しばかりの嫉妬を感じたがすぐに取り繕ったのでルーチェに気付かれる事は無かった。
「ご機嫌麗しゅう存じます、王太子妃殿下」
「お父様、堅苦しいのはやめてください」
後日オスクロル公爵がルーチェのもとへ訪れた。
懐妊の祝いと侍女を連れて来たのだ。
「ルーチェ、おめでとう。無事に出産できるよう祈っているよ」
「ありがとうございます」
「……出産は大変なものだ。あまりストレスを負うのはよくない。だから……本当にいいのか?」
公爵はチラリと後ろを見る。
そこには背筋を伸ばして静かに立つ侍女の姿があった。
「半年経過したわ。お試しでそばにいるのもいいじゃない?」
ふふっと微笑うと、侍女はきゅっと手を握り締める。緊張からか表情も強ばり俯き加減だ。
「貴女にもチャンスでしょう? まだ愛しているなら。……ね? リリィ・クロウゼン」
名を呼ばれた侍女――リリィ・クロウゼンは肩を震わせ俯けた顔をゆっくりと上げた。
「久しぶりね。お元気だったかしら」
「ご無沙汰しております。……王太子妃殿下」
マナーを学び身に付けたリリィにルーチェは目を輝かせた。
シュトラールが溺愛し、アッサリと手放した女性。だが彼は今でもリリィを思っているのではないかとルーチェは疑っていた。
シュトラールがルーチェだけに一途であればリリィがルーチェのそばにいても何も思わないだろう。だが、少しでも気にする素振りを見せればまだ気持ちは残っているのだと推測できる。
手放した理由はわからないが、大した理由ではないとルーチェは思っている。
それならば王族に侍られるレベルに押し上げ、シュトラールの本当の愛を叶えてあげられたら、とリリィを教育する事にした。
リリィもそれを望んだから三年間努力することを選んだのだ。
いずれ後継を設ける仕事を果たしたらルーチェは閨を側室や愛妾に譲るつもりでいる。
いくら彼が迎えないと言っても、周りが、血がそれを許さないだろう。
王族とはそういうものだと習ってきた。
今まで例外は無く、競争することにより力を磨いてきたのもまた事実。
所詮愛し合う一対の夫婦にはなれないのだ。
「シュトラール様の子を授かったの。貴女を召し上げられる第一歩となるわ。これからは私のメイドから始めるわよ。ただし、少しでも相応しくないと思ったら追い返しますね」
「は……い、ありがとうございます……」
リリィはお仕着せのエプロンをきゅっと握り締めた。
一時は愛した男が他の女性を妊娠させた事に胸の奥がつかえたような息苦しさを感じた。
自分はいつの間にか与えられた避妊薬で授かることができなかったのに、と奥歯を歯噛みする。
「よろしくね、リリィ」
「よろしくお願いします」
屈辱を感じながらリリィは頭を下げた。
胸中に何かを抱えたまま。
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