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38.魔女の真相
しおりを挟むルーチェに愛を告げられ求められる男から、側室を娶るなと言われてシュトラールは面食らい、次に来たのは憤りだった。
「何だそれ……バカにしているのか? お前はルーチェに愛されているからと情けをかけるのか?」
シアンは凪いだ表情でシュトラールを見ている。
そこに同情も何も無い。
「……妃殿下の愛する人は本当に私だと思いますか?」
「なに……」
「魔女によって思いの方向が捻じ曲げられていると聞いたでしょう?」
シアンは目を伏せ当時の事を思い出す。
あの時はルーチェは限界を迎えていて、シュトラールを愛している事が苦痛でたまらなく、また自身がシュトラールを幸せにしようと決意したのに妨げになっている事にも心を痛めていた。
婚約解消をすれば後ろ盾を失くしたシュトラールは側室たちの餌食になっただろうし、リリィではそれは食い止められなかっただろう。
だからルーチェは自分が犠牲になった。
「……何らかの試練を受け、クリアしたから私への気持ちはお前に行くようになったと……」
シュトラールはそこまで言って、口を噤む。
嫌な予感と当たってほしくない気持ちが湧き上がり、表情が強張るが予想は的中しているだろうと思った。
「妃殿下は確かに私を愛している。私も妃殿下を愛しています。少なくとも貴方に負けないくらいには。……ですが、時折思うのです。
妃殿下は本当は貴方を愛しているのに、無理矢理私を愛していると思い込んでいるのでは、と」
自信たっぷりのシアンに苦虫を噛み潰したような表情を向けたシュトラールは、けれど予感が的中した事を悟り何も言えなくなった。
それが真実ならばどれだけ滑稽なのだろう。
ルーチェはシュトラールを愛しているのにシアンに行ってしまう。
何事もなければ、――ルーチェだけを見ていればルーチェの愛はシュトラールへ向いていたのに。
「ルーチェの……思いを、元に戻すには……」
「東の未開の森に魔女がおります。妃殿下はその者に頼み思いの方向を変えました」
シュトラールはトラウに顔を向けた。
天を仰いだトラウは重い溜め息を吐いた。
「どれくらいかかりますか?」
「半日もあれば」
トラウは、はーー、と長い溜め息を吐き、頭を掻き毟る。
「どうせ気にして使い物にならないでしょうからどうぞ行って来てください」
トラウが諦めたように言うと、二人は早速出掛ける準備を始めた。
普段であれば交流する事の無い二人が連れ立って行くのに強烈な違和感を感じたのか、終始無言で進んで行く。
途中で立ち寄った村で馬を借りると、壮年の男に話し掛けられた。
「あんた、以前も来たやつだよな。ああ、良かった」
それは以前ルーチェと来た時に馬と滞在の御礼にと髪飾りを差し出した男だった。
その髪飾りを、男は懐から取り出した。
「これ売ろうと思ったんだが、何か使い古されてて思い入れあるんじゃないかって売れなかったんだよ」
シアンの手元に戻って来たそれは、シュトラールの身に覚えがあるもので、息を呑んでまじまじと見つめた。
「ルーチェの……」
震える手で取ると、懐かしさとそれを手放したという事実に表情が強張る。
『これ、あげるよ』
『ありがとうございます。大切にしますね』
はにかみながら大事そうに持っていたルーチェの姿が蘇る。それは初めて贈った髪飾りだった。
それを未だ大切に使っていたこと、そしてそれを手放した時のルーチェの気持ちを思いシュトラールは後悔に苛まれた。
純粋な気持ちを踏み躙った事、それゆえルーチェからの愛が壊れてしまったこと。改めて自分が壊してしまったのだと知り髪飾りを握り締めた。
男には改めての御礼と馬の代金として持って来ていた金貨を手渡し、二人は森へと進んで行った。
東の森の入口に立つと鬱蒼と茂る中だが招かれているような気がして迷うことなく馬を走らせる。
パアッと視界が開けた場所でボロ小屋を見つけ、馬を降りて近付いた。
「いらっしゃい。よく来たね」
案内人の白髪の少女は馬の手綱を受け取ると引いて行った。
「おや。久しぶりのお客さんだね」
中からした声に振り返ると黒髪の女性が笑みを浮かべて立っていた。
「その様子だとルーチェの気持ちは変わったのかな?」
魔女の言葉に違和感をおぼえたが、ここに来た目的を思い出し口を開く。
「ルーチェの……思いの方向を元に戻すにはどうしたらいい」
シュトラールの言葉に魔女は目を丸くした。そしてふはっ、と笑い出したのだ。
「何がおかしい」
「ああ、いや、成功したんだな、と思って」
腹を抱えて笑う魔女に苛立つが魔女は笑いを堪えて話しだした。
「元には戻らないよ。ルーチェの気持ちは本物だ。言ったはずだ。『芽生えたものはあんたのものだ。誰にも奪えない』と。まあ、ちぃと手助けはしているがな」
どういう事だ、と二人は困惑しながら目を合わせる。
「ルーチェをリリィに憑依させた。リリィの中で王太子の本音を聞き王太子の愛を知った。
どれだけリリィを愛しているのか、ルーチェは知ってしまった。自分のやってきたこと、全て無駄だった。愛されていない事を知ってしまった」
シュトラールは魔女の言葉を聞き背筋に寒気が走った。そんな彼に構わず魔女は続ける。
「ボロボロになった心を慰められた女は次第に優しく労る男に傾くのは自然の事。
不安で目覚めたとき、心配してくれた男に気持ちが傾いても仕方ない。ルーチェの思いがそばで支えるシアンに向くのは不思議じゃないだろう? 誰だってそうだ。裏切る男より裏切らない男の方がいいに決まってる」
上手く言葉を呑み込めず、シュトラールは足元が奈落の底に落ちて行く感覚がした。
魔女の言う事が真実ならば、ルーチェの気持ちは……
「ルーチェの思いを無理矢理捻じ曲げているんじゃ……」
「ルーチェの思いはルーチェのもの。無理矢理捻じ曲げたら壊れちまう。だからあくまで補助的なものだ。王太子を真実愛する力があれば消える程度の。だから、試練は王太子の真実をその身で体感させた。
お前もリリィの様子がおかしいと思った時期があるだろう? あれはルーチェだったんだよ」
紛れもない魔女の言葉にシュトラールは叫び出したくなった。
あの時、リリィに何をした?
ルーチェの事を何と言っていた?
思い出さなければいけないが思い出したくない。
あの時のリリィに惚れ直したが、やはりそれはルーチェだったのだと知り頭がおかしくなりそうだった。
「そうまでされて、それでも愛せる女がいるか?
強い心でいられるか? まあ、愛せたとしても僅かに芽生えたものは失望を繰り返して小さくなり、やがては流れに沿って向かっていく。王太子を諦めきれなかった気持ちはいずれは全てシアンにいくだろうね」
魔女の高笑いがシュトラールの脳裏に響く。
自分のしてきた事でただでさえ好意が薄いのに、それさえもシアンに向かってしまうなど、己が滑稽で消えたかった。
帰りの馬上でシュトラールは落ちそうになるのを気力で何とか支えながら終始無言だった。
厩舎で馬を預け、隣で涼しい顔をしている男に向き直る。
「良かったな。お前たちは両思いだ。なら尚更私が側室を取ったほうがいいんじゃないのか」
ルーチェは無理矢理選んだわけではないと分かり、それならばもう邪魔をせずお互いに割り切った関係でいいのではないかと思った。
「……いや、殿下の子を生むのはルーチェでないといけません」
「だからそれはっ」
「子が一人しかないないのに、側室なんて娶ればルーチェの立場が危うくなる。国王陛下の側室たちは王妃殿下に何をした? あんたはルーチェを危険に晒すのですか?」
シアンの言葉にぐっと唇を引き結ぶ。
自身の母が同じ立場で側室たちから何をされてきたのか嫌というほど分かっている。
ルーチェに同じ思いはさせたくない。とはいえこれ以上ルーチェに嫌悪感を植えたくない。
「ルーチェを守りたければ妻はルーチェ一人という言葉を守るべきでは?」
「ルーチェからすれば俺は汚らわしいナニカだろう? そんな男が触れていいのか? それとも何だ? お前は寝取られの趣味でもあるのか?」
シアンの瞳が仄暗くなる。その様子にシュトラールは背筋がぞわりと震えた。
「下半身でしか物事を考えられないのか? 公的にはあんたが夫だからその辺りは弁えている。ルーチェとする時は必ず避妊薬を飲んでいる。更に言えばこれはオスクロル公爵の意でもある。
愛だの関係なしに、ルーチェの義務でもある……」
シアンはぎり、と歯噛みして拳を強く握り締めた。
どれだけ愛されようが所詮は愛人。側室を娶れば愛人のいる正妃など立場が危うくなる。だがルーチェのそばを離れる事もできない。複雑に絡み合ったものは、もう後戻りできないところに来てしまった。
だから、二人の迷いを感じたシアンは大義名分を与えた。
もとよりシアンとルーチェの関係は、シュトラールがリリィに傾倒していた期間と同じ時間だけで終わる事を予測しての事だった。
シアンが立ち去っても、シュトラールはその場を動けなかった。避妊薬という言葉に心臓が鷲掴みにされたように痛んだ。まるでルーチェに愛されているのは自分で、その愛は揺るぎないものだと言われているようで目の前が熱くなる。
だが、侮蔑と嫉妬が入り混じる瞳に吸い込まれて、シュトラールは敗北感を感じずにはいられなかった。
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