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本編
8.私の選択【side G】
しおりを挟む彼女と婚約を解消してから、王太子としての役目をこなすだけの日々となった。
生きているのか、生きていないのか、分からない。
淡々と手を動かし印を押しサインをする。
『お疲れでしたらこちらのお茶をどうぞ。
リラックスできる作用が含まれているそうです』
顔合わせから程経たない日、おすすめだと言うお茶を貰った事がある。
『ああ、悪くない』
執務に明け暮れ疲労感もあった当時はそのお茶が染み渡り、癒やしてくれた。
──今にして思えば彼女が私の為にしてくれた全て、アンジェリカを忘れる事を恐れた私の悪足掻きで否定していた。
けれど、その時だけは否定しなくて。
彼女はホッとしたように胸を撫で下ろし微笑んだ。
あれから使用人たちに彼女の事を聞いて回った。
『婚約者様はとてもお優しくていらっしゃいました』
『いつも礼を欠かさず言って下さいました』
『仲裁する時も双方の意見に耳を傾ける方でした』
彼女を悪く言う者は一人もいなかった。
侯爵家令嬢、王太子の婚約者だからではなく、使用人たちは皆彼女を慕っていた。
現に私に話すときは怒りを抑えていたから。
『あの方が妃殿下になられるのを楽しみにしておりました』
拳を強く握り、声を震わせる者もいた。
何も言い返せなかった。
恥を忍んで従者に彼女の名前を聞いた。
〝レーヴェ・スタンレイ〟
スタンレイ侯爵家の長子で、弟と妹がいた。
『王太子殿下の婚約者にならなければ、私が求婚していましたのに』
そう言ったのは一人では無かった。
婚約を解消した後、彼女は修道院に入ったとスタンレイ侯爵から聞いた。
何とかして謝罪をしたいと、取り次ぎを願い出ても断られた。
『娘はもう社交界に戻る事は無いでしょう。そっとしておいて下さい』
どこの修道院で、何をしているかも聞けず、ただ月日は過ぎて行く。
だが思い出すのは在りし日のアンジェリカではなく、微笑むレーヴェの姿ばかり。
身勝手に傷付けてその笑顔を壊しておきながら縋ってしまう。
彼女が生きているならばそれで良い。
彼女が再び笑えているならば。
彼女の隣に別の男がいる事を想像し、焼け付くように胸が痛んでもそれは自業自得だ。
彼女を笑わせる、その役目が私でなくとも良いではないか。そう自分に言い聞かせる。
そして一度でも彼女を手放した自分にその資格が無い事は十分に承知している。
だから、彼女が幸せになるまでは。
彼女の傷が癒えるまでは。
新たな婚約者などいらないと思っていた。
だが、私は『王太子』。
個人の感情を優先できる存在ではない。
「お前の新たな婚約者を決める」
父上に言われた言葉が私に重くのしかかる。
レーヴェの幻影を求め続ける私は、すぐには頷けない。
黙ったままの私に父上はしびれを切らし、溜息を吐いた。玉座の間に決して大きくないその音がやけに響く。
「ジェラルド」
父上の低い声に思わず肩を跳ねさせた。
「お前はわしの唯一の息子だ。お前には幸せになってほしいと願っている。
お前の幸せは何だ?このまま王太子としている事か?それとも一人を想い続けている事か?」
その質問にすぐに答えられなかった。
アンジェリカが亡くなってから自分の幸せを考えた事が無かった。
彼女が生きていれば今頃婚姻に向けて準備をし、二人で将来の事を語っていただろう。
だが、アンジェリカはいない。
その後婚約したレーヴェも、私が傷付けるだけで終わってしまった。
そんな私が新たに別の女性と婚約したところで幸せにできるのか?
私自身、幸せになれるのか?
──無理だと思った。
この時、私の心の中に唯一人がいる事を自覚した。
一度は手にしておきながら、身勝手に傷付け永遠に失ってしまった笑顔が離れないのだ。
「……………父上、私を廃嫡して下さい…………」
「ジェラルド!」
「父上、無理です。申し訳ございません。私は一人の令嬢を殺しかけたのです。
いえ、殺しました。スタンレイ侯爵令嬢の心を殺しました。私はそういう人間なのです。
私は……誰一人、幸せにできなかった…。
王太子でいるわけにはいきません」
「後継はどうする」
唸るような父上の声。
私はその立場さえ捨てられないのか。
「父上、私は責務を果たせません。妻に迎えたいと思うのは唯一人。でも、それは叶いません」
「ジェラルド……」
父上が悲痛に呻く。
こんな私が息子で情けないだろう。
たった一人の血を分けた子どもだ。
私の母は既に亡い。私と引き換えにその命を散らしたと聞いている。
父は側妃や愛妾を置く事を頑なに拒否した。
私の母である王妃を深く愛していた。
美談として語り継がれている国王の一途な愛だが、為政者としてはどうなのだ。
「父上ならばお分かりでしょう……?」
父上は押し黙る。
やがて目を伏せ、沈黙が流れる。
「……フェルトン公爵を呼べ」
「かしこまりました」
父上の言葉に戸惑った。
フェルトン公爵は数代前の王弟筋だ。
だが既に継承権は放棄されているはず。
何故彼を呼び出したのか、私には見当がつかなかった。
「父上、なぜフェルトン公爵を呼び出したのですか?」
父上の側近が公爵を呼びに行く為に退室した後、私は戸惑いながら父上に視線を向けた。
横目に私を見て、父上は目を伏せた。
「フェルトン公爵家のフレディを知っているか」
「え?……ええ、もちろん存じていますが」
フレディとはフェルトン公爵の次男である。
現在15歳で様々に才能を発揮する万能タイプだ。
「フレディは前王の落し胤だ。王家にとって醜聞の為フェルトン公爵家に養子に出されていた。この事は一部しか知らされていない」
私はその言葉に息を呑んだ。
前王──つまり私の祖父の子。
父上が言うには晩年祖父を世話したメイドとそういう仲になったらしい。あまりの衝撃に私は言葉を失った。
「久しいな、セドリック」
「国王陛下におかれましては」
「良い。楽にせよ。……お主に頼みたい事がある」
フェルトン公爵は訝しげに片眉を上げた。
「フレディは息災か」
フェルトン公爵は息子の名前を出され、私と見比べ、困惑の表情を浮かべた。
「……陛下、まさか……」
「王位をフレディに譲ろうと思う」
決意を込めた父上の言葉に、私は目を見開いた。
「しかし、陛下にはジェラルド殿下がいらっしゃるではありませんか」
公爵は困惑したまま私と父上に視線を移ろわせる。
「ジェラルドは王太子の資格無しとして廃嫡とする。その座より、自らの想いを選んだこやつの望みでもある」
「殿下はよろしいのですか……?」
公爵は私にも問い掛ける。
「フレディが立太子に了承するならではあるが、私はその座を返上したいと思っている。
たった一人、幸せにできなかった私には国を背負う事は難しい」
国と女性を天秤に掛けた時、私に国は選べなかった。
その女性と将来を共にできる事も無いのに。
我ながら愚かだと思う。
「分かりました。フレディに伝えます」
フェルトン公爵は一礼して去って行った。
数日後、フェルトン公爵家から『諾』の返事が来た。
そして、フレディの出自が明らかにされ、議会で物議を醸したが彼の決意を聞いてその座は承認された。
その日から私は王太子として最後の仕事を全うしようと動き始めたのだった。
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