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③
しおりを挟む現場は最寄り駅からバスで10分程のところにある公園だった。
どこもかしこも都市のイメージのある関東も、よろけてしまえば田舎のような場所も少なくない。ジョギングコースやバーベキューのための場所も用意された、広大な敷地を持った公園である。
平日の午前中ということもあって、もともと人の往来が多いわけではなかったのだろう。人払いはすでに済んでいるようだった。
「なんだ、ありゃ」
保護はもちろん、身元が明らかになることを防ぐ目的も含めたゴーグルとマスクを手にしながら、真野の視線の先に目を遣る。公園のあちらこちらに白い球状の物が転がっていた。
「アスレチック、じゃないですもんね」
よくよく近付いて見ると、それは繭のようだった。
白く細い糸が何重にも織り重なって球体を形作っている。
「なんか聞こえる……?」
繭に耳を近付けると、誰か、とかすかに人の声のようなものがした。
「真野さん! たぶん中に人がいる!」
真野にも聞こえていたようで、真野は右京に向かって頷く。
「離れてろ」
右京が距離を取ったのを確認して、真野は繭に手のひらを置いた。真野が触れた場所から、ぼうっと赤い炎が立ち上がり、繭の表面が燃える。
中から、熱い、と悲鳴が聞こえて右京は慌てて真野を止めた。
「真野さん、ストップ! その火力じゃ中の人、焼け死にますよ」
「時間かけたら一酸化炭素中毒だろ」
「火傷やショックでも死んじゃいます! 迅速に、いい感じの火加減で!」
「料理みてーに言うんじゃねえよ……!」
文句を言いながらも、真野は炎の出力を調整しながら繭の一部を焼き切った。
人影が確認できたところで真野の能力を使うことは止め、早々に身体を引っ張り出す。救助した男性は、ごほごほ、と激しく噎せていたが外傷は無さそうだった。
「大丈夫ですか? 少しだけ、話せますか?」
背中を擦りながら問いかけると、男は小さく頷く。
「なにがあった?」
「息子と遊んでいたら、女性が近付いてきて……。様子が変だと思っていたら突然口から、この、蜘蛛の糸みたいなものを……」
とにかく子供を逃がしたが、男性は逃げ遅れ、この繭の中に閉じ込められたということだった。ということは、公園にある他の繭も、人間が捕らえられている可能性が高い。
「息子はどこです? 無事なんですよね……!?」
子供の存在に意識が向いた男は取り乱して、すがるように真野の腕を掴んだ。
「落ち着け。向こうに他の警察官が待機している。逃げたのなら保護しているはずだ」
無事であれば、とは口に出さずに真野は第一駐車場を指差した。第一駐車場には人間の警察官がいる。彼らはATへの対応はできないが、代わりに民間人の保護や避難を担当する。
男も繭の中にいたのだ。どちらにせよ、彼らに保護してもらわなければならないだろう。
「真野さん、救助任せていいですか。本体を叩きに行きます」
「ああ?」
「あの繭は俺じゃなにもできません」
役に立てない場所にいても時間の無駄だ。
それに、一人助けている間にまた一人捕まったとしたら意味がない。
「真野さんに迷惑はかけませんから」
「……そういう心配をしてるわけじゃねえんだが。まあ、いいや。なんかあったら連絡しろ」
右京はひとつ頷いてその場を離れた。
繭という足跡を頼りにATの行方を探る。
それなりの数が散乱しているが、後でまとめて食べようということなのだろうか。それとも他に意図があるのか。
思考をしながら、しばらく広場を進む。
公園中央にある時計塔が見えてきた頃、悲鳴と怒号が混じったような声が聞こえた。
「見つけた!」
バリケードテープを貼っていたと思われる警察官が一人と子供が一人、ATの近くにいた。恐怖で腰を抜かしてしまった子供を庇うように、警察官が必死に警棒で威嚇をしている。
しかしながら、ATはそれに怯むこともなく、口をモゴモゴと動かした。先ほど助けた男の話を思い出して、右京はぞっとする。
「まずい……!」
直感的に警察官を突き飛ばし、座り込んでしまっている子供を抱き抱えて跳躍した。ごぼりという音が背後でする。
振り返って見ると、直前に蹴った地面に糸の塊がへばりついていた。間一髪というところだろうか。
「すみません、大丈夫でした!?」
吹っ飛ばしてしまった警察官に確認する。
余裕がなくて力加減ができなかったのだが、警察官は青ざめた顔をしながらも頷いた。
「あ、あなたは……」
「特刑課です」
名乗る代わりにそう言うと、一瞬緩んだ警察官の顔が強ばった。それに気付かない振りをして、子供をそっと降ろす。
「二人で逃げられそうですか」
ガタガタと身体を震わせながらも、警察官は子供の手を取った。ATと対峙していたこともそうだが、責任感が強い。これならば自分がいなくても問題はないだろう。
ちらりと子供が不安そうにこちらを見上げてきた。
「君のことはこの人が守ってくれるから大丈夫。親御さんにもすぐ会えるよ。だから、もう少し頑張れる?」
「……うん」
一時的にゴーグルを外して殊更優しく言うと、子供の表情が少し和らいだ。
頷きを返して、さあ、とその背を押そうとしたところで、すぐ横から「こどモ……」と声がする。咄嗟に間に入った瞬間、右京の身体にべとりとした感覚が降ってくる。ATの吐き出した糸だった。
眼前で攻撃を受けたせいで二人の顔は真っ青だが、庇うことはできたようだ。
「コドモ……。わたシ、の、こドも……!」
金色の瞳がぎょろりとこちらを睨む。
「行って下さい」
「で、でも……」
「いいから、早く!」
警察官は子供を抱くと、足を縺れさせながらも走り出した。ATは逃げた二人を目で追って、右京の横を素通りしようとする。
「おいおい、ガン無視なんてひでーじゃん。俺とも遊ぼうぜ!」
右京は勢いよくATの腹部に蹴りを入れた。
衝撃で吹き飛んだATは受け身も取らずに時計塔にぶつかり、起き上がることもできずに痛みに呻いている。
日頃手入れしているのだろう綺麗な長い髪と着飾ったようなワンピース。戦闘慣れしている様子はない。
やはり禁断症状による暴走と見ていいようだと右京は判断した。自我が残っているようなことが気になるが、これならば問題なく制圧できるだろう。
ATとはいえ女性なのがやりにくいな、と思いながら右京はATに手を伸ばした。
「コド、も……」
ぽつりと呟かれた言葉に右京は顔をしかめる。
「あんたに子供はいないだろ」
ATは子孫を残すこと、そして人間との性交渉も許されていない。
「それとも、いるの? だとすると、また罪状変わっちゃうけど」
ひんやりとした右京の声音にATはびくりと肩を震わせた。ずり、と足を引き身体を捻る。逃走しようとしているのが目に見えて、「うーん」と右京は眉を寄せた。
「できれば抵抗しないで欲しいんだけどなあ。……そういうことすると」
右京はぶんと警棒を振り出した。
「痛くしちゃうよ?」
そのままATの両足を強打する。
みしり、と骨の折れた嫌な音とATの声にならない絶叫が重なった。
「ーーーーー!!」
ATの再生能力は高いが、裂傷などに比べ骨の修復は遅い。これでしばらくは動けないはずだ。
ゆっくりとしゃがみこんでATと目線を合わせる。
「やっぱ女の子に馬乗りになるのって気が引けるんだよね。だから、おとなしく……」
捕まってくれ、という言葉は続けられなかった。
顔になにかが絡み付く嫌な感覚と共に視界が白く染まる。糸を顔に食らったのだと理解するには少し時間を要した。
おまけに上体が傾いて、おそらく身体を押されたのだとわかった。
ATの唸り声となにかが擦れる音が聞こえる。
「くっそ、マジか……!」
正直、ここまで反抗されるとは思わなかった。
だが、それだけの理由があるのだとしたら、どうしても逃がせない。
急ぎ糸を振り払おうと試みるが、粘りけのある糸はなかなかすぐには外れない。仕方なく付けていたゴーグルを棄てた。
ATが居たはずの場所にその姿はなく、周囲を見回すと、右京がやってきた方向とは逆の、アスレチックが集合するエリアに走っていくATの姿が確認できた。
そのエリアの向こうには第二駐車場がある。車での逃走を謀られるのは厄介だった。
(どうして足が治ってる!? もう人を喰ってんのか……!?)
通常、ATの肉体強化の効果は人肉を摂取してから時間と共に緩やかに弱まり、人間とさほど変わらないレベルにまで落ちる。
逆に言えば、人肉を口にしてからの時間が短ければ短いほど、そして食べれば食べた分だけ、ATに備わっている諸々の力を最大限に引き出すことができる。
繭の存在によって、まだ犠牲者はいないのだと思わされたことに唇を噛んで、右京はATの背中を追った。
ATはアスレチック遊具に糸を吐きかけ、それを伝って移動する。糸が風に乗れば更に移動速度が上がり、脚だけで追い付くのは分が悪い。
ならば、と右京は手を伸ばした。
設置されていたターザンロープを掴んで一気に丘を下る。その勢いのままジャンプして、ATが吐き出した糸に手をかけた。糸がまだATと繋がっていることを確認してぐっと引く。
「あウッ……!?」
くんっ、と後ろに力を加えられて、ATは体勢を崩した。そのまま追撃をかけようとするが、ATは糸を断ち切ってそれを回避した。
砦のようなアスレチックの上に着地して、ATは尚も逃走を図ろうと駆け出す。同じ道は選ばずに、右京は長い滑り台を駆け下りた。
そうしてATの動きを先回りすると、ATは慌てて踵を返した。
「振り返った背中が一番危ないって知ってる?」
無防備な背中に向かって蹴りを食らわす。もろに攻撃を受けたATの身体は、皮肉なことに蜘蛛の巣を模したアスレチックネットの上に落ちた。
「んぐっ……!うウゥー!!」
うまく手足がはまってしまったのだろう。狼狽えて脱出できずにいるATの襟ぐりを掴んで引っ張りあげる。
暴れたATの靴が足に当たった。動くことが想定される公園には適さない、かかとの高いヒールだ。
顔には土埃が付着し、服も髪も今はぼろぼろで、右京は目を細める。
今しがたまで散々殴って蹴ってしておいてなんだが、これ以上痛い思いをさせるのは、なんだか可哀想な気がした。
「もう一回聞くけど、おとなしくお縄につく気ない? 可愛くしてたんなら、なんか理由があるんでしょ」
労るように尋ねるとATの瞳が大きく見開かれた。
「こんなことしても、君がもっと苦しくなるだけだよ」
「ッ……、……!」
重ねられた言葉になにかを思い出したのか、ATの目にはみるみると雫が溜まっていく。抵抗が徐々に緩まり、ATはとうとう泣き出した。
「ぅおっ」
「ひぐっ……ぅ、うううぅ……!」
ぼろぼろと涙を流すATを慌てて地面に降ろす。
「わた、し……、だって……! どうしていいかっ、わからなくて………!」
「うん」
「ごめっ……、ごめんな、さい……!」
金色に光っていたATの瞳は黒い輝きを取り戻していた。
謝罪の言葉を口にしながら泣き続けるATの背中を、右京は何も言わずに、ただ宥めるように擦った。
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