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幻の一杯
幻の一杯 4 厨房戦線、異常あり
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「ステラ公女殿下が宮廷に……?」
その一言が厨房に走った瞬間、空気が変わった。
普段は決して表には出ない料理人たちが、まるで戦の号令でもかかったかのように、一斉に背筋を伸ばした。静かだったはずの空間がざわめき、刃物の音や鍋の音がにわかに熱を帯びる。
「ステラ様がおいでになってるってことは……我らが作った料理を口にされる可能性があるってことだ!」
「そ、それはつまり……デザートも?」
「公女殿下がお召し上がりになるのなら、今日の一皿は通常の倍! 魂を込めねばならん!」
一気にテンションが爆上がりする中、料理長の声が飛ぶ。
「手を止めるな! ただし……デザートだけは、完璧に仕上げろ!」
「「おー!」」
いつもなら黙々と仕込みに集中する料理人たちも、この日ばかりは様子が違った。
それぞれが自慢の腕を見せようと、いつになく饒舌になり、次々とデザートの仕上げ案を口にし始める。そして、最後の盛り付けの段になると
「このソース、あと三秒煮詰めたほうがいい!」
「いや、飾り付けは俺がやる。花弁のカットは俺が一番うまい!」
「俺のほうがきれいに並べられるッス!」
ピリついた熱気と張り合いに、ついに料理長の声が飛ぶ。
「まずは夕食の準備を終わらせろと言っただろうが!」
……しかし。
その料理長自身が、誰より早く手を伸ばしていた。無言で見事な手つきで、一皿に繊細な飾りを添える。
「ちょっ、料理長!? ズルいですよ、なんで自分だけ!」
「そんなのありッスか!?」
料理人たちの間に騒ぎが起こった、まさにそのときだった。
ガチャ。
扉が静かに開く音に、全員の動きが止まった。
「……あっ……」
誰かが掠れた声を上げた。
そこに現れたのは、気品ある立ち姿の公女ステラ・ヴァーレンシュタイン。その隣には、無言のまま周囲を見渡す皇太子、ルシアス・ヴァン・エステリア。例えるならば、ドクダミだらけの中に咲いた高貴な花が二輪。
いわずもがな。厨房の空気が凍りついた。
宮廷の勤め人と言えど、一生に一度あるかないかの謁見さえも叶わないだろう存在。そんな御方が二人も! 今まさに、自分たちの目の前に、厨房に来られているのだ。
「ステ、ステラ様……」
「ま、間近で……!?」
ステラは、騒ぎを知っていたのかいなかったのか、優雅な微笑を浮かべてまっすぐに厨房の奥へと歩を進める。彼女の歩みに合わせるように、料理人たちは無言のまま道をあけた。
その一方で、ルシアスはひと言も発せず、ただその場に立っているだけで場の空気を支配していた。威圧ではない。それでも、誰もが言葉を飲みこまずにはいられない、圧倒的な存在感。
場が、まったく別の空間になったようだった。
「お仕事中、ごめんなさいね」
鈴が鳴るような声とは、まさにこれか! と、皆が呆然とする。
(ワシ、明日死ぬんかな)(お、同じ空気を吸ってる?!)(鼻血出そうッス……)
ここでもルシアスの咳払いが、語彙力を無くし夢想していた皆を現実に引き戻した。
我に返り、慌てて頭を下げだす厨房の面々。
「顔をあげてくださいませね」
とステラに言われ、感動なのか畏怖なのかわからない震えを覚えながらも、皆がゆっくりと顔をあげた。
「皆さんにお伺いしたいことがありましたの」
「はい!」「へえ!」「なんでございましょう!」
「『幻の一杯』と言うお茶の事はご存じかしら?」
「あー……」
何故か、皆が揃って口をもごもごしだす。
「問い詰めようとかではないの。なので怖がらないでね?そのお茶の葉が入っていた瓶が、ここにあると聞いたのだけれども」
「あー……。おい、どこにあるのか知ってるか?」
「いや、ワシは知らんなぁ」
「そう言えば、少し前に女官さんが、持ってきた気がするッス」
「そのまま、女官が持って帰ったんじゃないのか?」
料理人たちは腕組をして、瓶の行方を必死に思い出そうとするが、誰も覚えていない様子。
「その瓶を、皆さんここでご覧になったことがあるのかしら?」
ステラの質問に、ほぼその場に居る料理人たちが、勢いよく手を挙げた。
「「見ました!」」
「どんな瓶でしたの?」
「お安っぽいというか、ワシの家でも使ってそうな瓶ですでした」
「はい! あれは、市場とかでお売ってそうなやつでござッス!」
「確か、お青い瓶でお年季の入った……いえ、ずいぶんお使い込まれた瓶でござりましたです」
怪しい敬語を駆使して、必死に答えてくれた料理人たち。
「なるほど。その瓶の行方の心当たりは?」
ルシアスが静かに、だがよく響く声で言う。
「はい……。わかりませんです。申し訳ありましぇん……」
「……そうか」
これ以上の長居は彼らの仕事の邪魔になると思ったステラは「お話、ありがとう」と告げると、ルシアスと視線を交わして頷き合い、厨房を後にした。
「さて、スティ。瓶の行方もわからなくなったね」
「そうね。市場で売られてるのかしら?」
「可能性はゼロではないが……。市場へ行ってみるかい?」
「今日はもう時間もないし、明日にでも行ってみようかしら」
「では俺が明日、昼に迎えにいくよ」
「え? ルシ? あなた執務があるでしょう?」
「そんなもの、どうとでもなるさ」
「駄目な人ね」
ステラは苦笑しつつも、脳内ではすでに『市場探索計画』が密かに始動していた。
ステラとルシアスが風のように去って行った後の厨房で。
「あのままお帰りになられるのかのう」
「デザート……」
「幻のデザートになっちまったッスね」
なんて若い料理人が言ったものだから、料理長のげんこつが電光石火で飛んだ。
その一言が厨房に走った瞬間、空気が変わった。
普段は決して表には出ない料理人たちが、まるで戦の号令でもかかったかのように、一斉に背筋を伸ばした。静かだったはずの空間がざわめき、刃物の音や鍋の音がにわかに熱を帯びる。
「ステラ様がおいでになってるってことは……我らが作った料理を口にされる可能性があるってことだ!」
「そ、それはつまり……デザートも?」
「公女殿下がお召し上がりになるのなら、今日の一皿は通常の倍! 魂を込めねばならん!」
一気にテンションが爆上がりする中、料理長の声が飛ぶ。
「手を止めるな! ただし……デザートだけは、完璧に仕上げろ!」
「「おー!」」
いつもなら黙々と仕込みに集中する料理人たちも、この日ばかりは様子が違った。
それぞれが自慢の腕を見せようと、いつになく饒舌になり、次々とデザートの仕上げ案を口にし始める。そして、最後の盛り付けの段になると
「このソース、あと三秒煮詰めたほうがいい!」
「いや、飾り付けは俺がやる。花弁のカットは俺が一番うまい!」
「俺のほうがきれいに並べられるッス!」
ピリついた熱気と張り合いに、ついに料理長の声が飛ぶ。
「まずは夕食の準備を終わらせろと言っただろうが!」
……しかし。
その料理長自身が、誰より早く手を伸ばしていた。無言で見事な手つきで、一皿に繊細な飾りを添える。
「ちょっ、料理長!? ズルいですよ、なんで自分だけ!」
「そんなのありッスか!?」
料理人たちの間に騒ぎが起こった、まさにそのときだった。
ガチャ。
扉が静かに開く音に、全員の動きが止まった。
「……あっ……」
誰かが掠れた声を上げた。
そこに現れたのは、気品ある立ち姿の公女ステラ・ヴァーレンシュタイン。その隣には、無言のまま周囲を見渡す皇太子、ルシアス・ヴァン・エステリア。例えるならば、ドクダミだらけの中に咲いた高貴な花が二輪。
いわずもがな。厨房の空気が凍りついた。
宮廷の勤め人と言えど、一生に一度あるかないかの謁見さえも叶わないだろう存在。そんな御方が二人も! 今まさに、自分たちの目の前に、厨房に来られているのだ。
「ステ、ステラ様……」
「ま、間近で……!?」
ステラは、騒ぎを知っていたのかいなかったのか、優雅な微笑を浮かべてまっすぐに厨房の奥へと歩を進める。彼女の歩みに合わせるように、料理人たちは無言のまま道をあけた。
その一方で、ルシアスはひと言も発せず、ただその場に立っているだけで場の空気を支配していた。威圧ではない。それでも、誰もが言葉を飲みこまずにはいられない、圧倒的な存在感。
場が、まったく別の空間になったようだった。
「お仕事中、ごめんなさいね」
鈴が鳴るような声とは、まさにこれか! と、皆が呆然とする。
(ワシ、明日死ぬんかな)(お、同じ空気を吸ってる?!)(鼻血出そうッス……)
ここでもルシアスの咳払いが、語彙力を無くし夢想していた皆を現実に引き戻した。
我に返り、慌てて頭を下げだす厨房の面々。
「顔をあげてくださいませね」
とステラに言われ、感動なのか畏怖なのかわからない震えを覚えながらも、皆がゆっくりと顔をあげた。
「皆さんにお伺いしたいことがありましたの」
「はい!」「へえ!」「なんでございましょう!」
「『幻の一杯』と言うお茶の事はご存じかしら?」
「あー……」
何故か、皆が揃って口をもごもごしだす。
「問い詰めようとかではないの。なので怖がらないでね?そのお茶の葉が入っていた瓶が、ここにあると聞いたのだけれども」
「あー……。おい、どこにあるのか知ってるか?」
「いや、ワシは知らんなぁ」
「そう言えば、少し前に女官さんが、持ってきた気がするッス」
「そのまま、女官が持って帰ったんじゃないのか?」
料理人たちは腕組をして、瓶の行方を必死に思い出そうとするが、誰も覚えていない様子。
「その瓶を、皆さんここでご覧になったことがあるのかしら?」
ステラの質問に、ほぼその場に居る料理人たちが、勢いよく手を挙げた。
「「見ました!」」
「どんな瓶でしたの?」
「お安っぽいというか、ワシの家でも使ってそうな瓶ですでした」
「はい! あれは、市場とかでお売ってそうなやつでござッス!」
「確か、お青い瓶でお年季の入った……いえ、ずいぶんお使い込まれた瓶でござりましたです」
怪しい敬語を駆使して、必死に答えてくれた料理人たち。
「なるほど。その瓶の行方の心当たりは?」
ルシアスが静かに、だがよく響く声で言う。
「はい……。わかりませんです。申し訳ありましぇん……」
「……そうか」
これ以上の長居は彼らの仕事の邪魔になると思ったステラは「お話、ありがとう」と告げると、ルシアスと視線を交わして頷き合い、厨房を後にした。
「さて、スティ。瓶の行方もわからなくなったね」
「そうね。市場で売られてるのかしら?」
「可能性はゼロではないが……。市場へ行ってみるかい?」
「今日はもう時間もないし、明日にでも行ってみようかしら」
「では俺が明日、昼に迎えにいくよ」
「え? ルシ? あなた執務があるでしょう?」
「そんなもの、どうとでもなるさ」
「駄目な人ね」
ステラは苦笑しつつも、脳内ではすでに『市場探索計画』が密かに始動していた。
ステラとルシアスが風のように去って行った後の厨房で。
「あのままお帰りになられるのかのう」
「デザート……」
「幻のデザートになっちまったッスね」
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