【生魚=毒】だと言われる異世界に転生した寿司職人レンジ~師匠に託された伝説の包丁を使って、エリュハルトの食の常識を『旨い』で覆します!

小宮めだか

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3巻 序章~毒の秘密とアルカナフェイトと古代魔導語と

写本と認識毒

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 よどみない動作で俺たちに対して頭を下げるアリーゼ子爵。よく通る声が静かな室内に広がる。俺の中で言いたいことが沢山あったのだが、彼女の言葉を聞いた瞬間に既にどこかに流れてしまっていた。

「以前天ぷらを揚げているレンジ殿を見かけてな。ついつい興味を持ってしまってセバスに調べさせたのは私だ。お主のその魚介類に関する真摯な態度が、ゼルガーと重なってしまい、運命的なものを感じてしまったのだ」

 天ぷらを揚げていたあの場にアリーゼ子爵が居たのか。知らなかったとはいえ、そんなに早い時期から俺たちのことを気にしていたんだな。

「いえ、アリーゼ子爵様。俺は一介の料理人に過ぎない者です。しかもまだ冒険者になりたてのEランク。そんな俺に対して興味を持って頂いたり、運命的なものを感じて頂けるとは、正直身が竦む思いです。どうして俺だったんですか。ゼルガー様と重なったと言っておりましたが、それだけでは説明がつかないような気がします」

 敬語は苦手なんだけどな、そう思い舌を噛みそうになりながら失礼がないように言葉を選びながらアリーゼ子爵に対して疑問を投げかける。

「ははっ! レンジ、アリーゼで良い。別に敬語もいらんぞ、私もお主と同様に敬語が苦手でな。特に貴族の社交場というのはとんと合わんのだ。夫と釣りをしていた方が気楽でよほど楽しかったぞ。つまりはそういうことだレンジ。私にとっては、ゼルガーと似た考えを持つと言うだけで充分な価値があることなのだ。わかるか」

 このエリュハルトでは魚に興味を持つ事自体が異端なんだよな。ましてや、生で食べようなんて、それこそ食に対する冒涜のような感覚が一般的。俺がラベルク村で体験したような、あの『生魚=毒』という常識。それに疑問を投げかける変わりもんなんて、そうそう居るはずがないって事だな。

「レンジさんは変わり者ではありません。わたしが初めて生魚を食べた時に確信したんです。こんなに美味しいものを創り出せるヒトは他にいないと。素晴らしい瞬間に立ち合っている様なそんな感覚でした」

「ふふ。フィオナと言ったか。私もゼルガーから初めて生魚を振舞われた日にそう思ったぞ。お主とは気が合いそうだな」

 切れ長の綺麗な瞳でフィオナに片目をつぶって見せる。

「ふふ。ジルベニスタ殿が時間を気にしているようだな。さっそく本題に移るとしよう、セバス」

 アリーゼに呼ばれたセバスは、彼女の持ってきた羊皮紙の束を取り、俺たちの前にある机の上に広げた。

「エレノール殿は読んだことがあるのではないか。これはゼルガーが執筆しようとしていた『エリュハルトにおける生魚の毒に関する研究』という論文だ」

 俺達全員の目が、机の上に広げられた羊皮紙の上に集まる。いや、エレノールだけはアリ茶を飲むのを止めずに、ソファーにゆったりと座り直していた。
 アリーゼが一気に確信を突く。

「元夫ゼルガーが毒殺された可能性が高いという事実はもう知っているな。それを私が騎士団に捜査を依頼し、魔導協会が絡んでいる事までは突き止めた。それで相違ないなジルベニスタ殿」

 ジルベニスタが意を得たりと満面の笑みを浮かべその場に立ち上がる。

「そうでございますアリーゼ様。研究室の前に倒れていたゼルガー様から特異な魔力の波動が検知されました。それはα級導術士のものであると、王立魔法研究所からの知見ですので間違いはありますまい。どうしてゼルガー様が魔導協会の刺客、もしくは罠により殺められてしまったのか。そしてそれは、アリーゼ様は既に答えをお持ちではないのですかな」

 相変わらずよく口の回る事で。俺は辟易した表情を浮かべる。
 俺はその時、アリーゼの目頭に小さく涙が溢れそうになっているのを確かめた。俺が仲間の為に何かしたいと思うように、アリーゼもまた夫の為に出来るだけの事をしたいと考えた結果が今回の動きだったのかもしれないな。

「ゼルガーは古代魔導語で書かれた、とある『写本』を研究していた。その過程で生魚には毒があるという常識が、『認識毒』によるものではないかという、大胆と言えば聞こえはいいが、あまりにも独創的な仮説に至ったのだ。そしてその仮説こそが、魔導協会が秘する何かと符合してしまい、結果毒殺されてしまったのではないか……と考えているのだ」

 アリーゼが提示する王都での事件の真相。もちろんあくまで推測という域は出ないという話なんだろうけど。あまりにも突飛な話に室内に重い沈黙が訪れた。
 ずずずっとエレノールがアリ茶をすする音が、その重い空気を破る。「ああっ。やっぱり旨いわ」と言いながら、彼女は机の上にカップを戻す。

「認識毒……そうね、確かにゼルガー様はそんな概念を熱心に話していたわ。あの時のあたしは一笑に付したのだけれど」

 そうか。エレノールはゼルガーと面識があると言っていた。今、思い出したよ。

「生魚が毒であるという常識は、生魚その物に物理的な毒性が存在するというより、エリュハルトの大多数に浸透した『思い込み』や『思想』が長い時間を掛けて常識化され、ある種の真理、あるいは現実にまで昇華されてしまった間違った認識によるものである……という理論だったはずだわ」

「それはつまり、生魚は本来安全な食べ物なのに、わたし達が毒だと思い込んで食べてしまっているから、毒性が生じているって事ですか! そんな事って在り得るのでしょうか」

 エリュハルトに来てから生魚を食べているのに、なぜか誰も毒で倒れてしまう事がなかったじゃないか。ずっと俺の神の包丁の力かなんかが働いて毒性を消していたんだろうぐらいにしか思っていなかったんだけど、元から魚には毒性なんて無くて、エリュハルトのヒト達が思い込みで毒性を自分で生み出しているのだとしたら。色々な事が符合する。

「ずっと、ずっと……おかしいと思っていたんだ。どうしてこんなに美味しいのに、受け入れられないんだと辛かったんだ」

 フィオナの初めて刺身を見た時の驚愕の表情。ラベルク村のヒト達やガルムの強い拒否。エレノールもロイヒテン・ピルツェを食べるまでに時間が掛かった。孤児院の天ぷらだって、考えてみればおかしな話だ。
 エリュハルトに来てから俺をずっと悩まし続けてきた思想。実はそれがエリュハルトのヒト達の認識から来ている根本的なものだったなんて。
 俺の目から大粒の涙が零れ落ちた。手が震え、肩が自然と揺れる。
 後ろで立っているコーマが、フッと寂しそうな、それでいてどこか達観したような視線を投げかけていたのは、もちろん俺には分からなかった。
 涙をこぼした俺の両手を包み込むように握りしめるフィオナ。ラベルク村からずっと俺を支え続けてきた優しい手だ。

「レンジさん、大丈夫です。わたしたちが今は傍に居ます。貴方の事を皆信じてついてきているんですよ」

 くそっ……俺はいい仲間を持ったよ。自分の目がから出た熱いものを手で拭う。
 そんな俺達を呆れたような表情で見ながら、ジルベニスタが続ける。

「その仮説はあくまでも現状証拠のみに過ぎませぬ。アリーゼ様のおっしゃる『写本』とはどういったものでございますか。それをこの場で見せて頂かぬ事には、話が進まない」

 表情はさておき、珍しくジルベニスタの言っている事は間違ってはいない。
 その言葉を聞いたアリーゼの表情が思いのほか険しさを増している。

「うむ。ジルベニスタ殿の言い分は正しい。そしてその『写本』を見せる事が、今回皆のものを我が屋敷まで呼んだ最大の理由でもあった。端的に言おう。その『写本』かなり……危険が伴うものなのだ」

 凛とした声が室内にいやに大きく響いたように感じられた。その最大級の確信に触れる言葉に全員が息を呑む。

「写本自体が危険性を伴うものだと。どういうことだアリーゼ様、ワシの耳には写本そのものが、迷宮に仕掛けられたような大いなる罠であるかのように聞こえたのだが。その危険性を鑑みて、我々を壮大な腕試しと称して魔導蜘蛛と戦わせたというのか」

 ガルムが的確な例えを挙げ、魔導蜘蛛の討伐依頼への関連性を指摘する。アリーゼはそんなガルムを見据え、更に話を続ける。

「その通りだ、ガルム殿。写本に仕掛けられし邪悪なる導術の罠。かの本は古代魔導語で書かれたものあるが、何か強力な隠匿されし事象があるようでな。それを解読しようとするものにその罠は反応し、襲い掛かる類のものだ! 」

 耐えきれずに、彼女の目から溢れた涙が頬を濡らす。
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