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第三話
マーガリス宮廷医こと俺の日常は、案外暇だ。診察範囲が後宮内だけなので、後宮にいる者が体調を崩さない限りは、ほぼ仕事がないのだ。月に一度の健康診断と持病の診察くらいしかない。なにせ、今の後宮は身重の王婿王妃も小さな子どももいないから。
医務塔にある部屋でのんびりと起床して朝食を取り、九時から業務開始。しかし誰が訪れるわけでもなく、俺は薬棚の整理をしていた。
考えるのは、タクスとのこと。
もう十回以上行為をしているのに子どもを授からない。相性が悪いんだろうか。いつまでも付き合っていたら、本気でプロポーズされる気がして交際を続けるか迷う。
――妥協して、他の運動ができる男でもいいのでは。
確かにタクスはいい奴過ぎて、騙して交際するのが負担になってきた。ならば、もっとノリの軽い遊び人を選んだ方がいいのかもしれない。
「よし、そうしよう。改めて調査書に目を通すか」
休憩時間中、他の王立騎士をリサーチしておくことに決めて、俺は薬棚の整理をぱぱっと終わらせる。あまり種類がないせいか存外すぐに終わってしまった。
やることがなくて困った。いや、厳密にはあるが、患者に拒否されていて往診するのも骨が折れる。とにかく、退屈すぎるのがつらい。
「……だから宮廷医なんてなりたくなかったんだ」
ぽつりと呟く。そう、俺は自分で宮廷医を志望したわけじゃない。医師を目指していたのは事実だが、宮廷医に無理くり配属したのは父王だ。それまで俺に対して関心を示さなかったくせに。
夫を冷たく切り捨て、我が子にも愛情を持たない。そんな冷徹な父王のことが俺はこの世で一番嫌いだ。父王と同じアルファの無関係な者にも嫌悪感を抱くほどに。
あいつさえいなければ……父があんなに苦しむこともなかっただろうに。愛する相手に冷たくされる気持ちを俺は知るよしもないが、少なくとも父にとっては精神を病むほどにつらいことだったんだろう。
「シルフィラスア」
低く重量感のある声が響き、顏を上げると、そこには父王が立っていた。思わず眉をひそめてしまったが、すぐに表情をつんとした鉄仮面顔に取り繕う。
「これは陛下。いかがされましたか」
「ルーヴィアの様子について聞きにきた」
――ルーヴィア。俺の父、つまり父王の側婿の名前だ。
父の様子を聞きにきただと。何を今さら。お前が父にもっと愛情表現していたら、父の心は壊れなかったのに。
「患者のプライバシーは守る義務があるため、お答えできません」
「私は国王だ。その私の命令を聞けないと言うのか」
「はい」
「思い上がるな。誰のおかげでここにいられると思っている」
「不服でしたら、どうぞ解雇なさって下さい。喜んでここを出て行きます」
誰も宮廷医にしてくれなんて頼んでないんだよ。
俺の反抗的な態度が気に食わないのだろう。父王の顏が苛立っていたが、それ以上は何もいなかった。「そういうところはルーヴィアとは似ていないな」とぼそりと呟いて。
立ち去っていく父王の背中を、俺は睨みつけていた。父の様子を聞いて何がしたかったのか――多分、だけれど。早く死なないかを聞きたかったのではないかと思う。精神を病んだ王婿なんて、外聞が悪いから。実際、父王はそうぼやいていると聞いた。
冷酷無慈悲とはあの男のことを言うのかもしれない。ますます見下げた男だ。ほとんど全部、お前のせいだろう。
腹立たしく思いながらもその日、仕事自体は平穏に終わった。定時で上がり、次に向かう先は俺が子どもの頃に住んでいた宮殿だ。つまり、父が暮らす宮殿。
「……父様」
俺はそろりと部屋の扉を開く。今日の調子を聞きにきたわけだが、それは宮廷医としてだけじゃない。息子として心配だからというのもある。
どんなに冷たくされていても、肉親の情というものがあるのか、嫌いになれないのだ。
「本日のお加減はいかがでし――」
ガチャァァンっ!
寝台にいた父が、傍にあった紅茶セットを卓から払い落とした。絨毯に紅茶のシミが広がっていく。何よりも、白い陶器が粉々だ。
「もう顔を見せないでって言っているだろう!?」
「……すみません」
俺は泣きたくなる衝動を必死に堪え、冷静に言葉を返す。淡々と、僅かばかりの愛情をこもった言葉を。
「何かありましたら、遠慮なくお呼びつけ下さい。……お大事に」
扉をそっと閉めると、いつの間にか後ろに年嵩の宮女が立っていた。怒っているような、しかしそれでいて心配もしているような表情だ。
「シルフィ様。ルーヴィア様は……」
「いつもの通りだ。悪いけど、後始末を頼めるか」
「……はい。シルフィ様、あまり真に受けませんよう。ルーヴィア様は精神を病まれていらっしゃるのですから」
俺の心を慮って声をかけてくれているのだろうが、俺は曖昧に笑うしかない。だって、父が冷たかったのは精神を病む前からだ。
「ごめん、じゃあ戻るよ」
職場兼自宅でもある医務塔に戻ることを伝えると、年嵩の宮女は寂しそうな顔をしていた。本当はきっとこっちに戻ってきてもらいたいんだろうなと思う。しかし……父と暮らすのはもうできない。こちらの精神が参ってしまう。
『おとう様、お花をつんできました。おとう様のおぐしによく似合うと思っ――』
三歳の頃、差し出したミモザの花を、容赦なく払い落とされた記憶。
『お、お父様、下町でお菓子を買ってきました。よかったら、召し上がっ――』
十二歳の頃、差し出した箱菓子を、これまた勢いよく払い落とされた記憶。
今思い出しても、胸が苦しくなる思い出ばかり。だから、父が何かを払い落とすような仕草を見ると、動悸がしてくる。今も、心臓の音がうるさい。
後宮の敷地を歩きながら、俺は胸元を押さえてうなだれた。――どうして父は、俺を受け入れてくれないんだろう。
もう何年も前からの疑問の答えは、今も出ていない。
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