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第十五話 隠されていた判例

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 一夜明け――。


「よお、勇者A。今日も早いんだな」


 途中まではエリナと一緒だったのだが、なにやら用事がある、ということで、俺はひとりオフィスに到着していた。

 さすがに俺の手かせと首かせを目にすると、ぎょっ、とするヤツもいるのだが、俺の方は早くも慣れっこだ。そこにちょうどハールマンさんの姿が見えて挨拶する。


「あ、おはようございます。ハールマンさん。……というかですね、俺の名前は――」

「そんなことより、だ。さっそくですまないが、これを見てくれないか?」


 ぜんぜんちっとも俺にとっては『そんなこと』ではすまない重要なことなのだけれど、ハールマンさんの青白い手に握られた一枚の紙におのずと視線が向いた。

 思わず声が出る。


「『審問会騒然! 戦犯勇者に下る』……これ、ホントですか!?」

「掲載されていたのは『ラテ新』――」


 言いかけたハールマンは思いついたように言い直した。


「ああ、そうか。この地でもっとも発行部数の多い『ラッテラ連合新聞』に掲載されていた記事らしい。かなり扱いは小さかったようだがな」


 ハールマンさんの言うとおり、記事の内容は衝撃的なもののはずだったが、妙に小さい。写真もなければ――そんな技術があればのハナシだが――単に事実をつなぎ合わせたような簡潔でそっけない文章だった。どうにも腑に落ちない、それはハールマンさんも同じ思いのようである。


「この業界にいる俺たちでも見ていないくらいだからな。たかが数日前のことなのに、だぞ?」

「理由は――判決の理由は書かれていない?」

「それがないんだな。だから、余計に疑問が残る」

「うーん……」


 この新しい世界に、魔法律事務所はたった三社しか存在しない。

 なのに、こんな常識をくつがえすほどの判例に気づかないなんて、ありうるのだろうか?


「戦犯扱いの勇者はことごとく死刑を宣告される――てっきり俺はそう思っていたんですけど」

「これを見る限り、そうではなかったのだろうな」

「これ、一件だけ、ですか?」

「そうだ」


 ハールマンさんは、デスクの端に置かれていた、見なれない真紅のどろりとした粘度の高そうな液体で満たされたカップを引き寄せると、それに口をつけながら記事から目を放した。


「『魔法律』に基づいて行われる『審問会』はだな? 人間族と魔族との争いが終結するはるか昔から、我々魔族の間では行われていたものなんだ。人間にとってはついこの前からはじまったように思えても、その歴史はかなり古い。そのなかでも、この判例は極めて異質なものだ」

「なるほど……。ところで、そのカップの中身……なんなんです?」

「……飲んでみるかね、勇者A? イケるぞ」

「い、いえいえ! け、結構です」


 くくく、と血の気のない口元を赤く染めたハールマンさんは笑う。それから、急に難しい顔つきをすると、少し声のトーンを抑えてこう告げた。


「さっき俺は、戦犯勇者が死刑宣告されなかったのは一件だけだ、と言ったよな? しかしそれは、あくまで終結後のハナシに限ったことだぞ」

「……どういう意味です?」

「それ以前にも、こうした判例はあった、ということさ」

「――!?」


 それはつまり、人間族と魔族との血で血を洗う争いの最中に、魔族に捕らえられてしまった勇者が『審問会』にかけられ、死刑以外の判決を受けた、ということを意味しているのだ。


「じゃ、じゃあ、その判例の内容をくわしく調べれば――」

「それは無理だ」

「へ?」

「いずれも、判決の理由が書かれていなかったからだ。普通なら……こんなことはありえない」


 今まで静かだったオフィスに、徐々に所員が姿を見せる。見習い兼雑用のエリナの時間に合わせてやってきたのだけれど、いつも一番乗りだったらしい。

 ハールマンさんは飛び交う挨拶に軽く手を挙げて応じると、うす暗い資料室の中へと俺を招き入れてドアを閉めてしまった。


「これはあくまで俺個人の考えだがな、勇者A?」


 ハールマンさんはうす闇の方が目が利くのだろう。だが、俺は――痛っ――さっそく足をぶつけてしまった。ハールマンさんが、くく、と笑う。


「ひとくちに『勇者』と言っても、その目的はさまざまだ。魔族に執着的な恨みを抱いて、復讐を誓い根絶やしにせんとする者もいれば、そんな負の感情とは一切無縁の、世界に平和をもたらすことをひたすら望む理想主義者もいる――ごく少数派だろうがね。つまり『審問会』では、その違いを冷静に、感情抜きで見極めるのだろうと思う。……さて、?」

「どっちと言われても……」

「ここにいるのは俺ひとりだぞ?」

「いや……本当にわからないんです、俺」

「ふむ」


 もしかするとハールマンさんは、俺に魔族への敵対意思があるかどうかを疑っているのかもしれない――ふとそんな考えが脳裏をよぎった。


 いくら弁護人を引き受けたからとはいえ、俺がどんな人物なのか、まだ彼らはそれを知るはずもない。それが成り行きであろうが、正当な手順であろうがだ。

 今は誰もがあのにっくき宿敵――というか相手にもされていないのだろうけれど――業界一位の《黄金色の裁き》魔法律事務所にひとあわふかせようと躍起になっていたけれど、このハールマンさんは、あくまで冷静に、本当に俺を救おうとする行為が正しいものなのかどうかを考えていたのだろう。


 そう考えたら、安直に『わからない』とこたえてしまった自分が恥ずかしくなった。


「あの……ごめんなさい。『わからない』なんて変ですよね」

「変ではないさ。それが君の本心だったんだろう?」

「い、いえ……あの……! まあ、そうなんです実は」


 下手に隠し立てしてもハールマンさん相手には無駄だろう。
 素直にこたえることにした。


「なにしろ、勇者になんてなりたてで。それも、あの横柄で偉そうな王様に無理やり召喚されて命じられるままに従うしかなくって。断る権利なんて与えてもらえなくて……。俺、なんのために死に物狂いで戦ってるんだろう、何度もそう思いましたから」

「ふむ。それなりにお前も大変だったんだな、勇者A」

「ええ、まあ」


 それでも俺は、お涙ちょうだいの美談にだけはしたくないという強い気持ちがどこかにあった。ハールマンさんのあいづちに似た慰めの言葉にあいまいな微笑みで応じると、こう続ける。


「それでも俺は実際に、あのダンジョンの中であなたたち魔族と対峙して。そうするしかなかった……生きるためには。それが罪だと言われたら、俺はなにも反論できません」

「……」


 ハールマンさんは黙ったまま床に落とした俺の視線の先を見つめ、それから朱色に輝きを帯びたまばたきしない瞳で俺の顔を、じっ、と見つめた。不思議と怖さや恐ろしさはなかった。

 その瞳に向けて、俺は言う。


「でも、あそこから出してもらえて終結後のこの世界を見た時に、どうせ召喚されるならこっちの方がよかったな、そう思いました。人間だけじゃなくって、いろんな種族がいる。ケンカや小競り合いや、いじめなんかもあるにはあるんだろうけれど、お互いがお互いを尊重しながら、とりあえず仲良く生活してる。それに……みんな楽しそうに見えたんですよ。だからです」

「……、か」


 ハールマンさんはそう繰り返すと、いきなり細いカラダを折るようにして笑いはじめた。


「そうかもしれないな、くくく……。君は面白いヤツだな」

「はぁ……それはどうも」


 ホメられているのかどうなのか。
 呆れられただけかもしれない。


「いや、不意打ちのようですまなかった。少し気になってしまってね」


 ハールマンさんがドアを開けてくれた。
 オフィスには活気があふれている。


「……おかげで、少しだけだが君のことがわかったよ、勇者Aクン。言いそびれていたが、俺はこの事務所の設立メンバーのひとりだ。とも呼ばれている。だから、うかれている連中が心配になっていたんだ。だが……大丈夫だろうと判断した。君と話してみた結果、ね」


 俺はよほど目に見えてフクザツそうな表情を浮かべていたのだろう。

 ハールマンさんは器用にウインクしてみせると、どうやらどこにも見当たらない俺を探していたらしいエリナが、ふくれっ面で仁王立ちしているところへ押し出すように背中をついた。


「さあ、行きたまえ。お嬢さんドムニッショアーラがお待ちだぞ? 勇者Aクン。こちらは――問題ない、任せてくれ」


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