冷たく、硬く、無慈悲なスフィア。

虚仮橋陣屋(こけばしじんや)

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第14話 A Bridge Too Far

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 ひょこり――。
 とある路地の角から、ミルクティー色のくまのぬいぐるみが顔を出す。

「一切の存在は確認できない。本線に復帰しても問題ないとマッティは判断する」

 しかし、その愛嬌のある外見に不釣り合いの、のっぺりと平坦で、さざ波ひとつ立たない冷静さを保った男の声が飛び出すと、自分を右手で握り締め、支えている相棒を振り返った。

「ふぅ……。じゃあ、当初の予定通り、四号線沿いに移動しよう。裏道は神経がぴりぴりして」
「危険があればマッティが合図をした。アオイはいつもどおりにしていれば良かった」
「それは……さすがに無理だよぅ……」

 淡々と話すくまのぬいぐるみと育ちの良さそうな女子高生の奇妙なコンビは、互いに頷き合ってから慎重に一歩踏み出した。


 警戒が厳しいであろう日中は、目ぼしい大きな建物や施設を見つけてそこに間借りし、息を潜めるように夜の行軍に向けた準備と、必要な栄養の摂取、睡眠による疲労回復に努める。

 昨日は区役所だった。

 ミッションスクール育ちの女子高生、あおいは、やはり罪の意識がぬぐえないまま、区役所の執務区画に残されていた品々をけ、この先の旅路に必要な物を一時ことにした。今回はマッティに頼まれていた分もあり、用途は分からないものの、罪の重さは変わらなかった。


 そして、陽が落ちるなり、その場をあとにして行軍を再開している。

「環七を越えたら、いきなり凄い車の数だね……」
、のだろう。そうマッティは推測する」

 ふたりの目指す日本橋方面へと目を向けると、おびただしい数の自動車がひしめき合っていた。玉突き事故を起こしてしまったような混雑具合だが、極限まで隙間がないだけで事故のあとはない。おそらくはあの梅島陸橋での検問が原因で通行を封じられていたのだろう。

「車の間を抜けていった方が気づかれないんじゃないかな? どう、マッティ?」
「良いアイディアではある、とマッティはこたえる」

 そこでマッティは、あたしの手を引き、目の前の一台の車の近くまで近づいてのぞき込む。

「ただし。これらすべてが無人だとは限らない。そして、燃料が残っていれば危険も生じる」
「うーん……じゃあ、舗道を歩く?」
「マッティは、ノーとは言っていない。リスクを伝えたかっただけだ」
「……むー」

 ああしろ、こうしろ、と命令された方が楽だ。ただなにも考えず、それに従うだけで事足りるからだ。なにも見なくていい。なにも感じなくていい。なんの罪の意識も覚えなくていい。

 ただ、マッティは違った。

 肝心な部分では有無を言わさぬ口調で命じたこともあったけれど、基本的には行動の選択は常にあたしに一任されている。マッティ自身が、あたしの手を借りなければ移動することすらできないことがその一因のような気もするけれど、大部分はマッティの性格なのだろう。

「じゃあ……あたしの直感を信じる。舗道じゃなくて、車の間を抜けていこう」
「了解。マッティはアオイの決断を尊重する」

 たしか記憶に誤りがなければ、すぐにも東京スカイツリーラインの高架をくぐり、その少し先には荒川――千住せんじゅ新橋がある。埼玉方面からは小区間の自動車専用道路となり、このまま道なりにスムーズに進んで行けるはずだ。

「この先に、大きな橋があるの、マッティ。そこでまた検問をやっているんじゃないかな」
「可能性は高い。とマッティはこたえる」
「でも、見つかる前に車の陰に隠れたら、気づかれないと思うんだ」
「相手が人間であれば、だな」
「……どういうこと?」
「相手がもし、『ノグド』であれば――」

 マッティは周囲を見回してから続けた。

「彼らの乗るスフィアを使うことで、生命体の存在の有無を察知することが可能だからだ」
「レーダー……みたいなもの?」
「熱感知、動体感知、気体成分の視覚化……そのようなものがある」

 つまり、効果範囲内の温度の変化や、動く物体の発見、呼気により変化した気体成分――たとえば二酸化炭素――の映像化といったところだろうか。それならば、たとえ今が夜だとしても、逃れるすべはないだろう。

 思わず足の止まったあたしに、マッティが気休めのように付け加えた。

「こちらから近づいてくるだろうとは予測していないはずだ。先手を打とう」
「偵察してみる? またあのドローンで?」
「バッテリーの状態が十分ではない、とアオイは言っていた。あれを失うのは多大なる損失だ」
「じゃあ……どうするの?」
「一旦、接近してみるのも手だ」

 いつもはやたらと用心深いくせに、といぶかしみながらも、マッティの言葉を信じて進むことにした。やがて、ゆるゆると右曲がりに上っていくオーバーパスが見え、あたしは少しだけ中腰の体勢を維持しながら、慎重な足取りでぎっちりと敷き詰められた車の間を進んで行った。

 やがて地面の角度が正常に戻ると、あたしはちょっぴり顔を突き出して、すぐ引っ込めた。

「誰も……いないみたい」
「マッティはまだ警戒している」
「って言われても……」
「昼間、頼んでおいたものは確保できたのだろうか。アオイ?」
「あるわよ? ほら、ね?」

 車の後部に寄りかかるようにして腰を降ろし、ボストンバッグの中を漁って目当ての物を取り出してみせた。ずんぐりむっくりしたフォルムの油性マジックだ。最近あまり見かけない。

「でも、こんなもの、何に使うつもり――」
「こうする、とマッティは実演してみせる」

 あ――と叫ぶ暇もなかった。あたしの左手にあった油性マジックを奪い取ったマッティは、ためらいなくキャップを引き抜く。そして、いつの間にか持っていたライターで、つん、とした臭いの漂うペン先に火をつけて、小さな身体に似合わない力強さで思い切り前へ放り投げた。

「な――っ!?」
「……静かに! とマッティは警告する」


 ――がつん!


 油性マジックの本体は、分厚いガラス製のおかげか、割れてしまうことはなかった。だが、ヒビくらいは入った感じの重くて鈍い音がした。片側三車線ある広い路面の冷えたアスファルトの上で、軸に火を灯した油性マジックがころころと転がっていく。

「……っ」

 あたしはひたすら口を両手で塞ぎ、その光景をじっと見守っていた。

 すると、



 ――どしゅんっ!!

「――っ!?!?」



 いずこからか放たれた一筋の赤く淡い光が、一瞬にして油性マジックを爆散させたのだ。マッティがあたしの耳元でそっとささやく。

「戻ろう。撤退だ。ただし――出来る限りゆっくりと。いいな、アオイ?」


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