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第十六話 シーノの場合(1)

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 かちり!

 その不吉な音が聴こえた瞬間、松明たいまつのか細いあかりに弱々しく照らされていたダンジョンを、目もくらむような真っ白な輝きが辺りを真昼のように変えた。

「糞っ! 誰だ《トラップ》踏みやがった間抜けは!」

 リーダー役を務めていた重装備の戦士、ジョットは咄嗟とっさに何が起きたかを悟った。

 すぐにも元の闇の世界に戻ろうとする視界の端に、悪戯いたずらとがめられて首をすくめる悪餓鬼わるがきに似た盗賊の男の姿が一瞬映っていたが、もう起きてしまったことは取り返しがつかない。あの男は今回の《任務クエスト》で初めて組んだ奴だ。もう組むまい。次があればだが。

「シーノ! 周囲を《探知サーチ》! できるな!?」
「もうやってるってば!」

 シーノは引き裂かれたような悲鳴で応じたが、

「ま、まずいよ! こ、これ、まずいって!」

 よりにもよって――シーノの声に震えが混じった。

「さっきの《魔物召喚サモンモンスター》だ! それに――!!」
「何てこった……糞ったれどもが!」

 その、小さくとも嫌でも感じ取れる禍々まがまがしさを帯びた血のような赤い輝きの正体はジョットでなくても分かる。それが二つ、いや、すぐにも数えるのが追い付かないくらい次々と増えていく。

「固まれ! こいつら《死霊アンデッド》だ! 引くぞ!」
「ひ――!」
「嘘! こんな階層に……!」

 口々に震える囁きを漏らしながらも、パーティーの面々はジョットに背中を預けるようにして即座に寄り集まった。

 ジョットはこのグレイルフォークでも一〇本の指に入る歴戦の戦士であり、一流の冒険者でもある。彼の命に従っていればきっと助かる、と思う反面、その彼がこうまで恐れる相手――《死霊》の脅威に今にも心が折れそうになる。本来ならもっと深層に降りなければ出くわすことのない怪物モンスターはずなのだ。

「大丈夫だ! まだ囲まれてない!」

 パーティーメンバーたちの心のほころびを見抜いたかのようにジョットが力強い声を張り上げ、一同を鼓舞した。

「このまま陣形を維持し、部屋の入口まで戻るぞ! 魔法使いは《火炎球ファイヤーボール》! 僧侶は《反死魂ターンアンデッド》! 他の連中は詠唱中の二人を死ぬ気でまもれ! できなきゃここでこいつらの仲間入りだぞ!」

 冗談のつもりもない最後のくだりで、わざわざ声にまで出して御愛想笑いをしてみせたのはさっきの盗賊だ。何やら落ち着かなげにふところをごそごそしているのが気になったが、今はそれを咎めるどころではない。

「カウントは三つ! 遅れるなよ!?」

 返事はない。
 が、誰もがうなずいたのが伝わってくる。

「三! 二! 一! ……引けっ!」

 糞っ! 一人だけ動くのが早い!

 やはりさっきの盗賊だった。男は脱兎のごとく部屋の入口まで駆け出したかと思うと、合図の前に懐から取り出しておいたらしい小瓶を数個、パーティーメンバーの頭上を通過するように部屋の奥へと放り投げた。

 ぱりん!
 ぱりん!
 次々と割れる。

 その音と中身の液体に反応したらしい《死霊》たちの、眼窩がんかの奥にともる輝きに一気に怒りが混じったのが分かった。

 るおおおおお……!

 恐らく中身は聖水だったのだろう。しかしこの状況では火に油を注ぐようなもの。まるきり効果はないどころか、むしろ悪戯に悪化させただけである。

「ぜ――全力で走れ!」

 ジョットは横に構え直した大剣の腹でパーティーメンバー全員の背中を強引に押し出した。

「詠唱はもういい! どのみち間に合わん! ここは俺が何とか喰い止めてみせる!」

 仲間の行く先も見届けぬまま、殺到する《死霊》の方へと振り返り上段で大剣を構え直したジョットの隣に肩を寄せる者がいた。

「な、何してる!? お前も行くんだよ! 行けっ!」
「そんな訳にはいかないって!」

 シーノだった。
 本当なら今すぐにも逃げ出したい筈なのに、それでもシーノは首を振った。

「あんた一人、残してなんて帰れない!!」
「お前がいたところで――ええい、糞っ!」

 揉めている余裕なんてある訳がない。ジョットはかぶりを一つ振り、すぐにも気持ちを切り替えた。

「絶対につかまれるなよ!? 噛まれても駄目だ!」

 そうなったら、たとえ陽の光降り注ぐ地上に戻れたとしても、その光景を最後に目に焼き付けた直後、灰にかえることになってしまう。

「このまま左右を守りながら退くんだ。倒そうとするな。ひたすら弾いてしのげ! いいな?」
「了解!」

 右に短剣を、左に腕盾バックラーを油断なく構えてシーノは吼え返した。

「できないなんて言える訳ないじゃん! できなくったってやってやる!」



 るおおおおお……!
 ぎいん!

 るおおおおお……!
 ぎいん!



「こ……の……亡者どもがっ!」
「うわああああっ!」

 二人は闇の奥から次々と突き出されてくる白枯れた手を必死で弾き反らし続けた。だが、それは止むどころかさらに激しさを増していく。



 るおおおおお……!
 るおおおおお……!
 ぎいん!



「ま、まだなの!?」
「もう……少し……だっ!」

 シーノの腕を振るリズムが徐々に遅れ始めた。自分でも分かってはいるものの、どうしたって疲れは隠せない。軽装のシーノでさえこうなのだから、鉄鎧に鉄兜、おまけに大剣に鋭棘盾スパイクシールドまで構えているジョットの疲労は相当なものになる筈だ。それでも渾身の力を振り絞って闇からの攻撃を次々退けていくジョットの冒険者としての格の違いをシーノは改めて思い知らされていた。



 もう限界――!

 ふとシーノの脳裏によぎった刹那、



「――《火炎球ファイヤーボール》ッ!」
「――《反死魂ターンアンデッド》ッ!」

 二つの声が部屋の壁を震わすように重なり合った。


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