16 / 61
第十六話 シーノの場合(1)
しおりを挟む
かちり!
その不吉な音が聴こえた瞬間、松明のか細い灯りに弱々しく照らされていたダンジョンを、目も眩むような真っ白な輝きが辺りを真昼のように変えた。
「糞っ! 誰だ《罠》踏みやがった間抜けは!」
リーダー役を務めていた重装備の戦士、ジョットは咄嗟に何が起きたかを悟った。
すぐにも元の闇の世界に戻ろうとする視界の端に、悪戯を咎められて首を竦める悪餓鬼に似た盗賊の男の姿が一瞬映っていたが、もう起きてしまったことは取り返しがつかない。あの男は今回の《任務》で初めて組んだ奴だ。もう組むまい。次があればだが。
「シーノ! 周囲を《探知》! できるな!?」
「もうやってるってば!」
シーノは引き裂かれたような悲鳴で応じたが、
「ま、まずいよ! こ、これ、まずいって!」
よりにもよって――シーノの声に震えが混じった。
「さっきの《魔物召喚》だ! それに――!!」
「何てこった……糞ったれどもが!」
その、小さくとも嫌でも感じ取れる禍々しさを帯びた血のような赤い輝きの正体はジョットでなくても分かる。それが二つ、いや、すぐにも数えるのが追い付かないくらい次々と増えていく。
「固まれ! こいつら《死霊》だ! 引くぞ!」
「ひ――!」
「嘘! こんな階層に……!」
口々に震える囁きを漏らしながらも、パーティーの面々はジョットに背中を預けるようにして即座に寄り集まった。
ジョットはこのグレイルフォークでも一〇本の指に入る歴戦の戦士であり、一流の冒険者でもある。彼の命に従っていればきっと助かる、と思う反面、その彼がこうまで恐れる相手――《死霊》の脅威に今にも心が折れそうになる。本来ならもっと深層に降りなければ出くわすことのない怪物の筈なのだ。
「大丈夫だ! まだ囲まれてない!」
パーティーメンバーたちの心の綻びを見抜いたかのようにジョットが力強い声を張り上げ、一同を鼓舞した。
「このまま陣形を維持し、部屋の入口まで戻るぞ! 魔法使いは《火炎球》! 僧侶は《反死魂》! 他の連中は詠唱中の二人を死ぬ気で護れ! できなきゃここでこいつらの仲間入りだぞ!」
冗談のつもりもない最後のくだりで、わざわざ声にまで出して御愛想笑いをしてみせたのはさっきの盗賊だ。何やら落ち着かなげに懐をごそごそしているのが気になったが、今はそれを咎めるどころではない。
「カウントは三つ! 遅れるなよ!?」
返事はない。
が、誰もが頷いたのが伝わってくる。
「三! 二! 一! ……引けっ!」
糞っ! 一人だけ動くのが早い!
やはりさっきの盗賊だった。男は脱兎のごとく部屋の入口まで駆け出したかと思うと、合図の前に懐から取り出しておいたらしい小瓶を数個、パーティーメンバーの頭上を通過するように部屋の奥へと放り投げた。
ぱりん!
ぱりん!
次々と割れる。
その音と中身の液体に反応したらしい《死霊》たちの、眼窩の奥に灯る輝きに一気に怒りが混じったのが分かった。
るおおおおお……!
恐らく中身は聖水だったのだろう。しかしこの状況では火に油を注ぐようなもの。まるきり効果はないどころか、むしろ悪戯に悪化させただけである。
「ぜ――全力で走れ!」
ジョットは横に構え直した大剣の腹でパーティーメンバー全員の背中を強引に押し出した。
「詠唱はもういい! どのみち間に合わん! ここは俺が何とか喰い止めてみせる!」
仲間の行く先も見届けぬまま、殺到する《死霊》の方へと振り返り上段で大剣を構え直したジョットの隣に肩を寄せる者がいた。
「な、何してる!? お前も行くんだよ! 行けっ!」
「そんな訳にはいかないって!」
シーノだった。
本当なら今すぐにも逃げ出したい筈なのに、それでもシーノは首を振った。
「あんた一人、残してなんて帰れない!!」
「お前がいたところで――ええい、糞っ!」
揉めている余裕なんてある訳がない。ジョットはかぶりを一つ振り、すぐにも気持ちを切り替えた。
「絶対に掴まれるなよ!? 噛まれても駄目だ!」
そうなったら、たとえ陽の光降り注ぐ地上に戻れたとしても、その光景を最後に目に焼き付けた直後、灰に還ることになってしまう。
「このまま左右を守りながら退くんだ。倒そうとするな。ひたすら弾いて凌げ! いいな?」
「了解!」
右に短剣を、左に腕盾を油断なく構えてシーノは吼え返した。
「できないなんて言える訳ないじゃん! できなくったってやってやる!」
るおおおおお……!
ぎいん!
るおおおおお……!
ぎいん!
「こ……の……亡者どもがっ!」
「うわああああっ!」
二人は闇の奥から次々と突き出されてくる白枯れた手を必死で弾き反らし続けた。だが、それは止むどころかさらに激しさを増していく。
るおおおおお……!
るおおおおお……!
ぎいん!
「ま、まだなの!?」
「もう……少し……だっ!」
シーノの腕を振るリズムが徐々に遅れ始めた。自分でも分かってはいるものの、どうしたって疲れは隠せない。軽装のシーノでさえこうなのだから、鉄鎧に鉄兜、おまけに大剣に鋭棘盾まで構えているジョットの疲労は相当なものになる筈だ。それでも渾身の力を振り絞って闇からの攻撃を次々退けていくジョットの冒険者としての格の違いをシーノは改めて思い知らされていた。
もう限界――!
ふとシーノの脳裏によぎった刹那、
「――《火炎球》ッ!」
「――《反死魂》ッ!」
二つの声が部屋の壁を震わすように重なり合った。
その不吉な音が聴こえた瞬間、松明のか細い灯りに弱々しく照らされていたダンジョンを、目も眩むような真っ白な輝きが辺りを真昼のように変えた。
「糞っ! 誰だ《罠》踏みやがった間抜けは!」
リーダー役を務めていた重装備の戦士、ジョットは咄嗟に何が起きたかを悟った。
すぐにも元の闇の世界に戻ろうとする視界の端に、悪戯を咎められて首を竦める悪餓鬼に似た盗賊の男の姿が一瞬映っていたが、もう起きてしまったことは取り返しがつかない。あの男は今回の《任務》で初めて組んだ奴だ。もう組むまい。次があればだが。
「シーノ! 周囲を《探知》! できるな!?」
「もうやってるってば!」
シーノは引き裂かれたような悲鳴で応じたが、
「ま、まずいよ! こ、これ、まずいって!」
よりにもよって――シーノの声に震えが混じった。
「さっきの《魔物召喚》だ! それに――!!」
「何てこった……糞ったれどもが!」
その、小さくとも嫌でも感じ取れる禍々しさを帯びた血のような赤い輝きの正体はジョットでなくても分かる。それが二つ、いや、すぐにも数えるのが追い付かないくらい次々と増えていく。
「固まれ! こいつら《死霊》だ! 引くぞ!」
「ひ――!」
「嘘! こんな階層に……!」
口々に震える囁きを漏らしながらも、パーティーの面々はジョットに背中を預けるようにして即座に寄り集まった。
ジョットはこのグレイルフォークでも一〇本の指に入る歴戦の戦士であり、一流の冒険者でもある。彼の命に従っていればきっと助かる、と思う反面、その彼がこうまで恐れる相手――《死霊》の脅威に今にも心が折れそうになる。本来ならもっと深層に降りなければ出くわすことのない怪物の筈なのだ。
「大丈夫だ! まだ囲まれてない!」
パーティーメンバーたちの心の綻びを見抜いたかのようにジョットが力強い声を張り上げ、一同を鼓舞した。
「このまま陣形を維持し、部屋の入口まで戻るぞ! 魔法使いは《火炎球》! 僧侶は《反死魂》! 他の連中は詠唱中の二人を死ぬ気で護れ! できなきゃここでこいつらの仲間入りだぞ!」
冗談のつもりもない最後のくだりで、わざわざ声にまで出して御愛想笑いをしてみせたのはさっきの盗賊だ。何やら落ち着かなげに懐をごそごそしているのが気になったが、今はそれを咎めるどころではない。
「カウントは三つ! 遅れるなよ!?」
返事はない。
が、誰もが頷いたのが伝わってくる。
「三! 二! 一! ……引けっ!」
糞っ! 一人だけ動くのが早い!
やはりさっきの盗賊だった。男は脱兎のごとく部屋の入口まで駆け出したかと思うと、合図の前に懐から取り出しておいたらしい小瓶を数個、パーティーメンバーの頭上を通過するように部屋の奥へと放り投げた。
ぱりん!
ぱりん!
次々と割れる。
その音と中身の液体に反応したらしい《死霊》たちの、眼窩の奥に灯る輝きに一気に怒りが混じったのが分かった。
るおおおおお……!
恐らく中身は聖水だったのだろう。しかしこの状況では火に油を注ぐようなもの。まるきり効果はないどころか、むしろ悪戯に悪化させただけである。
「ぜ――全力で走れ!」
ジョットは横に構え直した大剣の腹でパーティーメンバー全員の背中を強引に押し出した。
「詠唱はもういい! どのみち間に合わん! ここは俺が何とか喰い止めてみせる!」
仲間の行く先も見届けぬまま、殺到する《死霊》の方へと振り返り上段で大剣を構え直したジョットの隣に肩を寄せる者がいた。
「な、何してる!? お前も行くんだよ! 行けっ!」
「そんな訳にはいかないって!」
シーノだった。
本当なら今すぐにも逃げ出したい筈なのに、それでもシーノは首を振った。
「あんた一人、残してなんて帰れない!!」
「お前がいたところで――ええい、糞っ!」
揉めている余裕なんてある訳がない。ジョットはかぶりを一つ振り、すぐにも気持ちを切り替えた。
「絶対に掴まれるなよ!? 噛まれても駄目だ!」
そうなったら、たとえ陽の光降り注ぐ地上に戻れたとしても、その光景を最後に目に焼き付けた直後、灰に還ることになってしまう。
「このまま左右を守りながら退くんだ。倒そうとするな。ひたすら弾いて凌げ! いいな?」
「了解!」
右に短剣を、左に腕盾を油断なく構えてシーノは吼え返した。
「できないなんて言える訳ないじゃん! できなくったってやってやる!」
るおおおおお……!
ぎいん!
るおおおおお……!
ぎいん!
「こ……の……亡者どもがっ!」
「うわああああっ!」
二人は闇の奥から次々と突き出されてくる白枯れた手を必死で弾き反らし続けた。だが、それは止むどころかさらに激しさを増していく。
るおおおおお……!
るおおおおお……!
ぎいん!
「ま、まだなの!?」
「もう……少し……だっ!」
シーノの腕を振るリズムが徐々に遅れ始めた。自分でも分かってはいるものの、どうしたって疲れは隠せない。軽装のシーノでさえこうなのだから、鉄鎧に鉄兜、おまけに大剣に鋭棘盾まで構えているジョットの疲労は相当なものになる筈だ。それでも渾身の力を振り絞って闇からの攻撃を次々退けていくジョットの冒険者としての格の違いをシーノは改めて思い知らされていた。
もう限界――!
ふとシーノの脳裏によぎった刹那、
「――《火炎球》ッ!」
「――《反死魂》ッ!」
二つの声が部屋の壁を震わすように重なり合った。
応援ありがとうございます!
1
お気に入りに追加
30
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる