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第十七話 シーノの場合(2)

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 るおおお……。
 るお……。

 部屋の中央で灼熱の赤と清浄の白が交じり合うように炸裂し、《死霊アンデッド》たちの姿が怨讐おんしゅうのこもったうめき声を上げつつ輪郭を失っていく。もっと高位の僧侶でも連れてこない限り、倒すまでには至らないのだろう。それでも、追い払うことさえできればジョットたちの勝利だ。

「二人とも、無事!?」
「間に合った……っ!」

 部屋に通じる通路口には、退却しながらも決して詠唱を止めなかった魔法使いと僧侶が残っており、駆け戻ってくるジョットとシーノに引きった精一杯の笑顔を向けていた。

「馬鹿野郎! 構わず逃げろって言ったのに!」

 ジョットは歯をくようにして微笑む。

「お前たちのおかげで助かったぜ! 正直もう駄目かと――」
「ジ、ジョット!?」

 二人の笑顔が凍りついた。
 そして、それに気付いたのは魔法使いと僧侶だけではなかった。

「あ――危ない……っ!!」

 二人の目に映るスローモーションになった視界の中で、ジョットの背後の闇からぬるりと染み出してきた一体の《死霊》の右手から繰り出された凶撃との間に、割り込むように身を投げ出した人影が見えた。

「あうっ!」

 甲高い悲鳴と共に、ぼんやりと緑色の光が生じる。

「糞っ! くたばりやがれっ!」

 即座にジョットは振り返り、くらうつろな視線を向ける二つの眼窩がんかの中央に、渾身の勢いで大剣を突き込んだ。

 ぞん!!

 相手が《死霊》ゆえ手応えは乏しかったが、嘲笑あざわらうような冷笑だけをその場に残し、《死霊》の姿は元の闇の世界へと還っていった。

「ああ、畜生っ!」

 それを見届ける間もなく躊躇ためらわず大剣を手放すと、ジョットは自分の身代わりとなって《死霊》の凶撃をその身に受け倒れ伏したシーノの身体を震える手で抱き起した。

「なんでだ!? なんで俺の身代わりなんかに!」
「だ、だってさ」

 シーノは照れくさそうに笑ってみせた。

「あんたにはまだいて貰わないと困るじゃんか。グレイルフォーク《十傑》の戦士、ジョットにはさ」

 くぐもった咳を一つする。

「それに……正直言っちゃうと、咄嗟とっさに身体が動いちゃっただけなんだよ。たとえあんたじゃなくったって、あの間抜けではた迷惑な盗賊の男だったとしてもさ、きっと同じだったんだ。でも、失敗しちゃったなあ……」
「もう喋るな、シーノ」

 ほのかな松明の灯りに照らされたジョットの顔は、笑っているようにも泣いているようにも見えた。

「大丈夫、俺が連れて帰ってやるからな。絶対に」
「あー。うん。でも、駄目かもね」

 シーノは困ったように笑い返した。

「知ってるでしょ? 《死霊》にやられた傷は治らない。きっとあたし――」
「黙ってろ!」

 ジョットは最後まで聞こうとはしない。

「この町で最高の大僧侶のところまで連れて行ってやる! あいつなら《浄化キュア》できるんだ! 死なせてたまるかよ!? こんな傷一つくらい――」



 突然、ジョットの口が半開きのままで凍りついた。



「……ジョット?」
「こんな傷………………嘘……だろ!?」

 不安げな色を隠せないままシーノが問い返すと、ジョットは驚愕に目を丸くした。そして徐々に表情を明るく変えていく。

「おい、シーノ! お前、からかいやがったな!? 傷一つ負ってないじゃないか! 糞っ、こいつは一杯喰わされたぜ! 畜生!」
「………………え?」

 からかわれている気分なのはシーノの方だった。しかし――確かにそう言われてみればさっきまでの激痛も悪寒も嘘のように消え去ってしまっている。

「良かった、本当に良かった! 今ならこんな冗談、いくら聞かされたって構やしねえって気分だからな! だがな、シーノ? 次やりやがったら、ただじゃおかねえぞ!?」
「ぐ――! ち、ちょっと待ってよ! 待って!」

 怪我人だと言うのにジョットに背中を思いっきりどやされて、慌てふためくのはシーノの方だった。

「あたしは冗談なんか言ってないってば! 確かにさっき、あの《死霊》の一撃を!」

 そこでシーノは、どうしたらいいのか分からず互いに顔を見合わせてひそひそ話をしている魔法使いと僧侶に助けを求めた。

「ねえ! あんたたちなら見てたでしょ!?」
「う……」

 いきなり話の矛先を向けられて言葉に詰まった魔法使いの女は、渋々と口を開く。

「見てはいたんだけどね」
「だったら――!」

 なおも喰い下がるシーノのあまりの剣幕にひるんでしまった魔法使いの代わりに、おずおずと口を開いたのは僧侶の男だった。

「どのみちここからは君の背中までは見えなかったんだ。でも、確かに《死の手デスタッチ》を喰らってしまったように僕には見えた。だからだよ。だからこそ僕たちは判断に迷ってるんだ」

 科白せりふの後半で僧侶の男はわずかに言葉をにごしたが、それはもし仮にシーノがあの死の一撃を受けてしまっていたのだとしたら、リーダーのジョットが何と言おうが町まで連れて帰るのは危険だと考えていたからこそだろう。まだ陽が出ていれば良いが、もし夜になっていたら恐ろしいことになる。町が壊滅しかねない。

 そこで僧侶の男は、意を決したように歩み出た。

「ちょっといいかい、シーノ?」

 そろり、とそのまま歩を進めシーノのそばに片膝をつくと、小さく囁くように詠唱を始めた。

「お――おい!?」

 シーノは何が起こるのかまるで見当もつかなかったのだが、経験豊富なジョットはその詠唱の意味を瞬時に悟ったようだった。小さく悲鳴を漏らして止めようとしたものの、魔法使いの女にやんわりと制止され、仕方なく動きを止める。

 ぽうっ。

 背中に触れた僧侶の男の両手から、闇にミルクを溶け込ませたような光が放たれる。だが背後で起きているその一切は、シーノにはまるで見えない。

「ありがとう。これではっきりした」
「何をしたってのよ? 何がはっきりしたの?」

 憮然ぶぜんとした顔付きで問い質すシーノだったが、その問いに答えたのは何故なぜかジョットだった。

「言いにくいんだがな――」
「言ってってば!」
「今のはただの《治癒ヒール》、初級の治癒魔法だよ」

 ほっ、としかけたのだが、

「だがな? もしお前が《死霊》から傷を受けていたとしたら、今ので激痛を覚える筈なんだ。《死霊》に《治癒》なんて逆効果だからな」

 吐き捨てるように言ったジョットの刺すような視線を交わすようにして、僧侶の男はシーノだけを見つめて済まなそうに曖昧な笑みを向けた。

「そして、はっきりした、って言ったのはですね、どうにも僕たちには理解できないことが起きている、ってことだけはっきりした、ってことなんですよ」
「へー……」

 じろり、とシーノにまで睨まれ、僧侶の男は所在なさげに床の上に視線を彷徨わせた。だが、彼の行動も決して悪意からではないと分かっているだけに一概に責める気にはならない。

「一つ、いいかしら?」
「はいはい。どうぞ」

 ひとりぶつぶつとつぶやきながら頭を悩ませていた魔法使いの女が、わずかに眉を寄せたままの顔でシーノに尋ねた。

「あなた、ここに来るまでに何処どこかで《加護ブレス》を授かってきた? それとも何かしらの《護符アミュレット》を持っていたりはする?」
「な、ないわよ! ないない! どっちもあたしには手が届かないって!」

 歴戦の冒険者ならまだしも、だ。

「第一、この程度の《任務クエスト》でそんな高価な物をわざわざ準備してくる奴なんていないでしょ? どこぞの貴族様んところの、お騒がせなお転婆娘じゃないんだからさ!」
「でもね? さっき、あの瞬間、あたしには確かに見えた気がするのよ。あなたを護る術式らしきものが発動したのが。……ううん、絶対にそうよ」
「って言われても……」

 身に覚えがないことには変わりがない。それでも納得のいかないらしい魔法使いの女は、僧侶の男と入れ替わるようにシーノの傍に近づいた。

「微かだけど、魔力を感じる」

 シーノの肌に触れたまま真剣な面持ちで魔法使いの女は言うのだが、やはり背中で起きていることがまるで見えていないシーノは困り顔で顔をしかめると、傍で一部始終を見守っていたジョットに向けて肩をすくめてみせるのが精一杯だった。

「ま、まあまあ。もういいじゃないか、二人とも。少なくとも、このままシーノを連れて帰っても安全だ、ってことだけは分かっただろ?」

 魔法使いと僧侶は渋々うなずいた。それでも目の前で起きた事象に納得できないのと、仲間が無事だと分かったことは別である。すぐに微笑みが戻った。

「よし。だったら早いとこ地上に戻るとしよう。残りの連中も拾ってやらないとな。ただしだ……あいつだけはこってり絞ってやらないと、俺の気が済まない」

 科白の最後のくだりでジョットを除いた残りの三人の微笑みが引き攣った。彼とパーティーを組み、派手にやらかしてしまった新米冒険者への『説教』もまた、ある意味、彼の伝説を支えるひとつとなっているからだ。

「改めて礼を言わせてくれ、シーノ」

 最後にジョットは、振り返ってこう言ったのだった。

「有難う。お前には助けられた。いつか必ずこの借りは返す。たとえ何があっても――約束だ」


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