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第二十話 一杯分の魔法
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スミルの話が終わり――。
「うーん……」
すっかり弱り切った表情でゴードンは唸り、分厚い手のひらでごしごしと頬を擦っていた。
「で、それが一体、さっきのシーノの話とどう繋がってくるってんだよ? 俺にはさっぱりなんだが」
「ぼ、僕にだって分かりませんよ」
スミルはいつものように首を縮こませて、組み合わせた両手を身体の前でもじもじと動かしている。
「けどですね、多分、こういうことなんじゃないかと思うんですよ。僕とシーノに共通すること、それは、ギンジローさんの『こーひー』を飲んだってことです!」
一瞬の沈黙。
ちょうどコーヒーサーバーを手にしていた銀次郎は動きを止め、片眉を跳ね上げて手の中にある褐色の液体を仏頂面で、じいっ、と見つめた。
「これか?」
「ですです」
「おいおいおい……」
銀次郎は、呆れたように目を回して見せる。
「こいつはただの珈琲だぞ? こんな物に一体どんな力があるってえんだ? それじゃまるでこの珈琲が魔法じみた一杯だとでも――」
「ええ。僕、そう言ってます」
「おいおいおい……」
スミルは至って真剣な顔付きだった。それを目にすると、銀次郎も口に出そうとした言葉を吞むしかない。代わりにシーノに助け舟を求めようとしたのだが、
「そっか。だから、あの時……!」
誰に見せるでもなく幾度も頷いてから、シーノは切り出した。
「ほら、今朝のこと、覚えてるでしょ? あたしさ、『こーひー』の御礼を言って、勢いよく走り出したら転びそうになっちゃったじゃない? あの時は、やけに身体が軽いなあって思ってたけど」
「あ! シ、シーノもそうだったのか!」
ようやっと腑に落ちたとでもいうように、スミルも頷き返した。
「僕もそうなんです。遅刻だ遅刻だ! と慌てて駈け出したら勢いが付き過ぎて、途中、何度も転びそうになりました。ま、結局転んだし、遅刻もしたんですけど」
「ううむ」
そう言われても、銀次郎は唸ることしかできない。そこで三人の視線は自然と一人に集められた。だがその当人は、その期待混じりの視線に気付くや否や慌てて手を振る。
「待て待て! 俺は何もなかった、ある訳ねえ!」
真面目腐った三人に見つめられて、ゴードンはしどろもどろになりつつ言い訳じみた科白を吐いた。
「いいか、俺は食堂の店主なんだぞ? 大層な冒険譚なんぞあるもんかね! そりゃあ、何だか今日は妙に調子が良い、くらいは思ったぞ? だからと言って、それがこの『こーひー』に魔法の力が宿ってるんだ、なんて証拠にゃならんだろうが?」
「そりゃあそうだけど」
「それにだな」
渋々スミルとシーノがそれを認めると、ゴードンは屈託のない笑みを浮かべてみせた。
「ギンジローの『こーひー』だろうが、俺の自慢の料理だろうが、心のこもった最高の一品に満足して幸せな気分になれでもすりゃあ、そいつの一日には何かしらの良い事が起きるってこった。そいつは俺の理想でもあるし、そうなりゃ本望だよ。だろ?」
「だな」
無茶苦茶な論法には違いはなかったのだが、さっきまでの突拍子もない話よりははるかに銀次郎が頷くのは簡単だった。スミルとシーノはまだ何か言いたげに視線を交わしたが、そう言われてしまうと口を噤むよりない。示し合わせたように二人してカップに口をつける。
「にしてもだな。やっぱり、鉄貨五枚ぽっち、ってのはどうなんだよ、ギンジロー?」
ぶーっ!!
と、揃って含んだばかりの珈琲を噴いてしまった。
「こ、このっ! 何てことしやがる!」
「い、いやだって!」
「ご、ごめん、ギンジロー! でもさ!」
銀次郎から手渡された布巾でカウンターの上をごしごし拭きながらシーノは声のトーンを跳ね上げる。
「あたしたちの話がほんのちょっぴりでもホントだったとしたら、鉄貨五枚ってのはさすがにないよ! ううん、そうじゃなくったって安すぎやしない!?」
「もう決めちまったんだ」
銀次郎は何食わぬ顔で肩を竦めてみせる。
「それにだ。ゴードンが言ったように金貨一枚だなんて言おうもんなら、お前たちは気安く来ちゃくれなくなるだろう? それとも、そんなにお金持ちだったのかね、お坊ちゃまにお嬢ちゃま方?」
さすがにその値段を聞かされたら、スミルもシーノも言葉を失う。揃ってゴードンの顔を見つめたものの、一流を自負する料理人の方はというと余程自分の見立てに自信があるのか、神妙な顔つきで頷いただけだった。
「う。そりゃあたしたちは嬉しいけど!」
「さすがに金貨一枚は……うーん」
「だろ? じゃあ、いいじゃねえか」
満足気に銀次郎は話を締め括った。
が、今のやり取りは少々騒がしかったようだ。
「う………………ふええ」
何やら店の奥からか細い泣き声がしたかと思うと、誰の目にも銀次郎の表情が曇ったのが分かった。
「おっと。こりゃしまったな」
三人をその場に残し、銀次郎はそそくさとカウンターを後にする。状況がまるで掴めない三人は、物も言わずに互いの顔を見つめ合った。
「よしよし。起きちまったんだな。悪かった」
一人の子供を抱きかかえて銀次郎が戻ってきた。お世辞にも子供の扱いに慣れた素振りではなかったものの、子供の方は銀次郎のシャツの胸元あたりを小さな手で、ひし、と掴んでいる。
「……う」
声の騒々しさに目を覚ましたとはいえまだ眠そうで、夢の世界が手招きするままにうつらうつらと首を揺らしている。その様に目を細め、ゴードンは囁くように尋ねた。
「おっと。その子は、お前さんの娘か何かか?」
「馬鹿言え」
銀次郎はむっつりと顔を顰める。
「この老いぼれに、こんなちっちゃな娘がいてたまるかってんだ。俺の連れ添いはな、十年も昔に死んじまったよ。ましてや孫でもねえとも」
抱きかかえた女の子の頭を無意識に撫でながら、銀次郎は弱り切った表情を浮かべて言った。
「俺もちぃとばかり困ってるんだ。さっき、部屋の片づけをしていたところで見つけちまったんだよ。あんなことがあったもんで、酷い散らかりようでな。ああ、いけねえ。そうだった」
そこで銀次郎は三人に、この世界に来るきっかけとなった大地震について最初からもう一度順を追って説明してやるのだった。
「うーん……」
すっかり弱り切った表情でゴードンは唸り、分厚い手のひらでごしごしと頬を擦っていた。
「で、それが一体、さっきのシーノの話とどう繋がってくるってんだよ? 俺にはさっぱりなんだが」
「ぼ、僕にだって分かりませんよ」
スミルはいつものように首を縮こませて、組み合わせた両手を身体の前でもじもじと動かしている。
「けどですね、多分、こういうことなんじゃないかと思うんですよ。僕とシーノに共通すること、それは、ギンジローさんの『こーひー』を飲んだってことです!」
一瞬の沈黙。
ちょうどコーヒーサーバーを手にしていた銀次郎は動きを止め、片眉を跳ね上げて手の中にある褐色の液体を仏頂面で、じいっ、と見つめた。
「これか?」
「ですです」
「おいおいおい……」
銀次郎は、呆れたように目を回して見せる。
「こいつはただの珈琲だぞ? こんな物に一体どんな力があるってえんだ? それじゃまるでこの珈琲が魔法じみた一杯だとでも――」
「ええ。僕、そう言ってます」
「おいおいおい……」
スミルは至って真剣な顔付きだった。それを目にすると、銀次郎も口に出そうとした言葉を吞むしかない。代わりにシーノに助け舟を求めようとしたのだが、
「そっか。だから、あの時……!」
誰に見せるでもなく幾度も頷いてから、シーノは切り出した。
「ほら、今朝のこと、覚えてるでしょ? あたしさ、『こーひー』の御礼を言って、勢いよく走り出したら転びそうになっちゃったじゃない? あの時は、やけに身体が軽いなあって思ってたけど」
「あ! シ、シーノもそうだったのか!」
ようやっと腑に落ちたとでもいうように、スミルも頷き返した。
「僕もそうなんです。遅刻だ遅刻だ! と慌てて駈け出したら勢いが付き過ぎて、途中、何度も転びそうになりました。ま、結局転んだし、遅刻もしたんですけど」
「ううむ」
そう言われても、銀次郎は唸ることしかできない。そこで三人の視線は自然と一人に集められた。だがその当人は、その期待混じりの視線に気付くや否や慌てて手を振る。
「待て待て! 俺は何もなかった、ある訳ねえ!」
真面目腐った三人に見つめられて、ゴードンはしどろもどろになりつつ言い訳じみた科白を吐いた。
「いいか、俺は食堂の店主なんだぞ? 大層な冒険譚なんぞあるもんかね! そりゃあ、何だか今日は妙に調子が良い、くらいは思ったぞ? だからと言って、それがこの『こーひー』に魔法の力が宿ってるんだ、なんて証拠にゃならんだろうが?」
「そりゃあそうだけど」
「それにだな」
渋々スミルとシーノがそれを認めると、ゴードンは屈託のない笑みを浮かべてみせた。
「ギンジローの『こーひー』だろうが、俺の自慢の料理だろうが、心のこもった最高の一品に満足して幸せな気分になれでもすりゃあ、そいつの一日には何かしらの良い事が起きるってこった。そいつは俺の理想でもあるし、そうなりゃ本望だよ。だろ?」
「だな」
無茶苦茶な論法には違いはなかったのだが、さっきまでの突拍子もない話よりははるかに銀次郎が頷くのは簡単だった。スミルとシーノはまだ何か言いたげに視線を交わしたが、そう言われてしまうと口を噤むよりない。示し合わせたように二人してカップに口をつける。
「にしてもだな。やっぱり、鉄貨五枚ぽっち、ってのはどうなんだよ、ギンジロー?」
ぶーっ!!
と、揃って含んだばかりの珈琲を噴いてしまった。
「こ、このっ! 何てことしやがる!」
「い、いやだって!」
「ご、ごめん、ギンジロー! でもさ!」
銀次郎から手渡された布巾でカウンターの上をごしごし拭きながらシーノは声のトーンを跳ね上げる。
「あたしたちの話がほんのちょっぴりでもホントだったとしたら、鉄貨五枚ってのはさすがにないよ! ううん、そうじゃなくったって安すぎやしない!?」
「もう決めちまったんだ」
銀次郎は何食わぬ顔で肩を竦めてみせる。
「それにだ。ゴードンが言ったように金貨一枚だなんて言おうもんなら、お前たちは気安く来ちゃくれなくなるだろう? それとも、そんなにお金持ちだったのかね、お坊ちゃまにお嬢ちゃま方?」
さすがにその値段を聞かされたら、スミルもシーノも言葉を失う。揃ってゴードンの顔を見つめたものの、一流を自負する料理人の方はというと余程自分の見立てに自信があるのか、神妙な顔つきで頷いただけだった。
「う。そりゃあたしたちは嬉しいけど!」
「さすがに金貨一枚は……うーん」
「だろ? じゃあ、いいじゃねえか」
満足気に銀次郎は話を締め括った。
が、今のやり取りは少々騒がしかったようだ。
「う………………ふええ」
何やら店の奥からか細い泣き声がしたかと思うと、誰の目にも銀次郎の表情が曇ったのが分かった。
「おっと。こりゃしまったな」
三人をその場に残し、銀次郎はそそくさとカウンターを後にする。状況がまるで掴めない三人は、物も言わずに互いの顔を見つめ合った。
「よしよし。起きちまったんだな。悪かった」
一人の子供を抱きかかえて銀次郎が戻ってきた。お世辞にも子供の扱いに慣れた素振りではなかったものの、子供の方は銀次郎のシャツの胸元あたりを小さな手で、ひし、と掴んでいる。
「……う」
声の騒々しさに目を覚ましたとはいえまだ眠そうで、夢の世界が手招きするままにうつらうつらと首を揺らしている。その様に目を細め、ゴードンは囁くように尋ねた。
「おっと。その子は、お前さんの娘か何かか?」
「馬鹿言え」
銀次郎はむっつりと顔を顰める。
「この老いぼれに、こんなちっちゃな娘がいてたまるかってんだ。俺の連れ添いはな、十年も昔に死んじまったよ。ましてや孫でもねえとも」
抱きかかえた女の子の頭を無意識に撫でながら、銀次郎は弱り切った表情を浮かべて言った。
「俺もちぃとばかり困ってるんだ。さっき、部屋の片づけをしていたところで見つけちまったんだよ。あんなことがあったもんで、酷い散らかりようでな。ああ、いけねえ。そうだった」
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