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第二十四話 はじめてのおつかい(二軒目)

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「ふう、やれやれ……」

 水薬ポーション売りの店主にいぶかしげに見送られながら、銀次郎ぎんじろうは内心冷や汗をかいていた。

「どのような効果をご所望しょもうですか――ときたもんだ。こちとらまるでさっぱりだってえのに」
「ぶう?」
「ああ、そうとも。知ったかぶってるだけだとも。この爺様じいさまにはちんぷんかんぷんの、坊主のきょうみてえなもんさ……ふうむ、そういやあ、あの嬢ちゃんと坊ちゃんが言ってたっけな……」


 銀次郎のれた珈琲には、魔法じみた力がある――と。
 シーノとスミルは、そう言っていた。


 ふたりは事実としてその効果を体感した上で、実感としてそう評したのである。つまり、今しがた冷やかしたばかりの店に並べられていた品々と近しい物、ということになるのだろう。

「しっかし参ったな、こりゃ。いくら安い水薬でも、ぐれいる銀貨五枚からですよ、ときた」
「ぶう……。ぶぶぶ?」
「いやいやいや――!」

 銀次郎は腕の中で小首を傾げて見上げるシオンの顔を見つめ、首を左右に振った。

「こう見えてもこの老いぼれ、一度口にしたことは違えず守るのが性分しょうぶんでな。値は変えねえよ」

 なんとなく会話が成立しているようにみえて、実のところ、まるでみ合ってはいない。銀次郎の常々つねづねくせであるひとり言が、なんとなしにシオンの出した音と呼応こおうしているように見えているだけである。シオンはシオンで、まだ言葉ともつかない幼子の自分のつたなつぶやきに銀次郎がいちいち応えてくれるものだから面白がっているだけなのであった。

「ようし」

 えいやと弾みをつけて抱え直すと、宙に浮いた心持ちのシオンはきゃっきゃと笑いたてる。

「やっぱり下町とは一味も二味も違うねえ。どおれ、今度はなるべく馴染みのありそうな店にお邪魔してみるとするか」

 年を取ると、人間、多少のふてぶてしさを身に着けなければ息苦しくもなる。こういう時には下手に臆病にならず、思いきって相手のふところに身を預けるくらいの心構えでなければいけない。

 さすがにそれを自分の口から並べ立てるほどの厚かましさはないものの、銀次郎は大変機嫌のよろしいシオンと共に、少しもめげることなく次なる店探しをはじめた。

「さてさて、お次は――っと。おう、あれだ、あれだ」

 とある軒下に、おあつらえ向きに御座ござを敷いて売り物を並べている物売りを見つけた。シリルが言っていたように、どうやら別の町からやってきたようだ。せっせと見栄えを気にかけ店を広げているたくましい男の邪魔をしないようにしばし足を止めて見物する。野菜売りらしい。

「おっと」

 と、シオンの声に気づいた男が振り返って、にかっ、と白い歯を見せた。

「まだ途中なんでさ、旦那だんな! 散らかってますが、どうぞどうぞ!」
「いやいや。済まん済まん。冷やかし半分だ。気にせずやってくれ」
「がははは! 冷やかし大いに結構! 客がいてくれた方が店は繁盛するってね!」

 そう言って物売りの男は豪快に笑い飛ばした。農家らしい陽に焼けた髭面で、肩口からむき出しの腕っぷしは強そうだが、実に気の良さそうな男である。銀次郎はしゃがみのぞき込んだ。

「ははあ。こいつは良さそうだぞ。俺でも見知った売り物が並んでやがらあな」
「ぶー!」

 色や育ちは違っていても、近所の八百屋に並んでいそうな品に似たものが多い。

 丸々と太った人参。だいだいの色合いは多少せている気もするが人参だろう。玉葱たまねぎの頭から長葱が生えたようなもの。わざわざ長い緑の葉もつけて売っているのだから、そこも食材にするのだろう。どちらの味がするのか気になるところだ。白菜のように縦長な形をしているキャベツ。外側の葉は虫食いも酷いが、大きく広がった葉を数枚はぎ取ってしまえば見慣れた姿になるだろう。

 あとは、大振りなかぶにさまざまな豆。豆に関していえば、乾物だからかやたら種類が豊富で色もさまざまな山盛りにしてあり、それぞれの山の上に年季の入ったはかますが置いてあった。


 年を取り、食もそこそこ細くなった銀次郎だったが、それでも多少なりの蓄えは必要とする。妻の善子よしこ亡き後、しばらくの間は近所のコンビニで手軽に口にできる物で済ませてしまっていた銀次郎だったが、どうも味付けが濃かったり、あぶらっこくしつこかったりで、近頃は料理の真似事まねごとなぞしている。善子の残した『料理ノート』があるので、お手本と手順ならあったのだ。


「こっちも気になるにはなるんだが。……おう、そうだ。おめえさんのおまんまの方が先だな」
「ぶっ! ぶうーっ!」
「おう、お兄さん。ちょっと聞いてもいいかね?」

 そこで、銀次郎は物売りに声をかけた。

「へい! なんでやしょ?」
「俺ぁ実はな――」

 といって銀次郎は、初対面の物売り相手に、自分は別の世界から店ごと来たのだ、とあっさり伝えてしまうのであった。もう三度四度ともなると、話して聞かせる銀次郎も馴れたものだ。

「冗談だろ!? 七〇越してるのかい!? あんたが!?」

 ラデクと名乗った野菜売りはたちまち、ぎょっ、として腰を抜かしそうになった。そうして、顔の輪郭に沿って生えているひげでながら感心したように銀次郎の姿を眺め、こう続ける。

「話にゃ聞いたこともあったが、実際に『異界いかいびと』に会って、この目で見たのははじめてだ! なんだい、案外ウチの爺様と変わらねえな! っと、ウチの爺様はまだ四〇だったぜ! がははは!」
「てな訳でだ、ラデクさんよ?」

 まだ大笑いしている最中のラデクに銀次郎は尋ねた。

「俺ぁこの世界で見るもの聞くもの、そのほとんどが初物なんだ。んで、今朝はお勉強ついでに買い物にきたってえ訳なのさ。この子にもおまんまを喰わせてやらにゃならんだろうし」
「なるほどねえ。んじゃまあ、喜んでお手伝いさせてもらいますよ、旦那!」
「おいおい、旦那はよせ! 俺のいた界隈かいわいで『旦那』って呼ばれてる連中は嫌えだったんだ」

 花街はなまちのしきたりや名残りが残る下町界隈では育ってきた銀次郎にとって『旦那』というのは、太客ふときゃくであるのと同時に、毎夜芸子遊びにうつつを抜かす小洒落て粋な道楽者という悪い印象がある。

「それじゃあだ」

 すると、ラデクは代わりにこう言った。

「俺らは若造だがこの世界で二〇年生きてきた大先生だ。で、あんたは年長者だが物知らずの生徒でもある……。だったら、互い間をとって、ラデクとギンジロー、ってことでいいな?」
「おう、それで構いませんともさ、ラデク
「かーっ。この爺様、わざと先生呼ばわりしてからかってやがる! ったく、喰えねえ爺様だ」

 どうも伝法な口調といい、あけすけな物言いといい、どちらも妙に気が合うようでふたりして大笑いしている。その様をシオンが、ぼけーっ、と眺め、肩をすくめるような仕草をした。

「ようし! そんなら、早速お勉強をはじめるかね、ギンジロー?」
「よろしく頼むぜ、ラデク先生!」


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