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第二十五話 はじめてのおつかい(二軒目続き)

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「――で。――だ」

 こうして隣町からやってきた物売りのラデクは、店先に並べた品々の名前と味、それともっともポピュラーな調理方法について、目の前の年老いた教え子である、異世界から来たという八十海やそがい銀次郎ぎんじろうという老人相手に説明することになったのだった。


 しかしながら、元々物売りだから口上こうじょうはお手のものだし、自分で丹精込めて育てた品々ばかりだから、聞いていて実に耳ざわりが良い。

 その銀次郎はというと、おおかた目星をつけていたとおりだったので、驚きすぎることもなく、ラデクの言葉にうなずいていた。


 ひと通り終わったところで手を叩きつつ、銀次郎は尋ねた。

「いやあ、勉強になった、ラデク先生。ところで、だ――?」
「その子に食わせるにゃどれがいい、って言うんだろ?」

 ラデクは待ってましたとうなずき返して、緑色の艶やかな豆をひとすくいして見せる。

「なら、緑エンズだわな。ただ、乾きはダメだ。採れたてのつやのあるのがいい。それを柔らかく煮てよーく潰してやるのさ。ただ、青臭いって嫌う子どもも多くてな……。だまだましやんな」
「ほう、緑エンズか……」


 おそらくこれは、グリーンピースのような豆なのだろう。エンドウ豆の若採りのものだ。豆を主食として食べる風習は、日本の、それも下町育ちの銀次郎には珍しいものだったが、世界的にはごく一般的である。


 そこでさらに、銀次郎はこう加えて尋ねた。

乳飲ちのみ子にゃどうするのが常識なんだか、ご存知かい? ラデク先生?」
「そりゃあ、母親の乳が一番だろうさ」
「だろうとも。だが……この子は拾い子でな。縁あって俺らが面倒見てんのさ」
「おっと。……となると、代わり乳が必要だな。ただし……そっちは銭次第で話が変わるんだ」
「たとえば?」

 問われたラデクは、うーん、とうなり、その場に胡坐をかくように座り込んだ。
 それからこうこたえる。

「金持ち連中は、乳の出る下女げじょを雇う。ただこいつは人っ子ひとり雇うってえんだから高い」
「とてもそんな銭はねえな……」
「お次はこいつだな」

 ラデクは大粒の実がついた穂を、銀次郎の目の前によく見えるように差し出した。

「なんでえ、そりゃ。麦か?」
「俺たちはこいつを、オッツと呼んでる。栄養抜群で良く実るんだ。売り物にするときにゃ穂から実だけを外して量り売りしてる。煮て良し、粉にしてから練って焼いても良し。主食だよ」
「ほう」
「赤子に食わせてやるにはよく煮込んで柔らかくしてやりゃあいい。俺もこれでデカくなった」
「はは。それは参考になるねえ」


 たぶんこれは、大麦かオーツ麦のたぐいだろう。こんなに小さい子にあげて大丈夫なのかと銀次郎は心配になったが、ラデクが言うには、このあたりの子育てでは当たり前に使うそうだ。


「そして最後。それは、乳の出る家畜を飼うか、飼ってる家から分けてもらうってことだ。しかしこれだと日持ちが悪い。すぐに腐っちまうし、家畜の種類によって味も日持ちも変わる。……ま、余所よそから来たあんただから正直に言うが、よほどの貧乏人以外はやりたがらないね」
「ううむ」

 銀次郎の家には冷蔵庫があるのだが、そんな文明の利器はこの世界にはないに違いない。だから、銀次郎の中の常識とは優先度が逆さまになっているのだろう。

「家畜の種類、ってのはなんなんだ?」
「たとえば、ヌートだ。こんな奴で、草を喰う。肉が美味いぜ。ヌー、ヌー、って鳴くんだ」

 ラデクは砂の上に指先で絵を描いた。
 なかなか才能がある。毛足が長い牛のようだ。

「それからこれ……グーグー。街中で竜車を引いてる姿を見なかったかい? まあ竜――ドラゴンの中でも比較的おとなしい、小型の無翼種でさ。首の色で赤首レッドネック青首ブルーネックに分かれてる」

 う――と銀次郎は露骨に渋い顔をする。苦手という訳ではなく、シーノとはじめて会った時のつまらない喧嘩をどうしても思い出してしまうのだ。因縁の相手、ということになる。それに、爬虫類の乳、というのに抵抗もあった。そもそも今までそんな代物しろもの、見たことも聞いたこともない。

「あとはメリノーとかヒージャだな。メリノーは毛を刈り取って服をこしらえたりするのに飼うんだ。ヒージャは山の民が好んで飼う。丈夫だし、寒さにも強い。険しい道も登れるからな」


 絵のセンスをもったラデクでも、このふたつを描いた絵はあまり見分けがつかなかった。ただ、メリノーは巻貝のような角を持ち、ヒージャは鋭角な鋭い角を持つ。羊と山羊やぎだろうか。


 ともあれ、銀次郎が当初イメージしていた『牛乳を買ってきて飲ませる』というアイディアは、この世界ではかなり異端視されていることが分かった。話しているラデクの表情であったり、その言葉尻であったりにそれが顕著に現われていたからだ。

「勉強になったよ、ラデク。お陰で助かった。ありがとうな」

 いつの間にかラデクと同じような恰好で向かい合うようにして地べたに胡坐をかいていた銀次郎は、まるで武士のように頭を下げる。いきなり傾いたせいで落ちそうになっているシオンの姿と、自分の父親よりはるかに長生きしている伝説級の長老の礼にラデクは慌てふためいた。

「い――いいっていいって! 困った時はお互い様だもんな! ……で、どうする気だい?」
「俺のいたところではな?」

 せっかくここまで説明してくれたのだからと、銀次郎は正直に打ち明けた。

「牛の――ヌーヌーってのの乳をやるのが普通だったんだが、ここじゃそうもいかんようだ。もちろん、母親の乳がありゃあ一番だったんだが――」
「その子の母ちゃんってのはどうしちまったんだ?」
「……分からん。だが、この爺様が任されちまったからにゃあ、なんとかしてやりたいのさ」
「うーん……」

 ラデクは口をへの字に曲げ、真剣な顔つきで頭を悩ませているようだった。他人事ひとごとだというのに、つくづく気のいい男である。やがて、鼻から息を吐き、こう告げた。

「なら、オッツを煮た奴を食わせてやりなよ。すりつぶしてどろどろにしてもいい。それで物足りないようなら、新鮮な緑エンズを煮てさじつぶした奴がいいだろう。味も変わっていいさ」
「うむ。そうするか」

 と、そこまでとんとん拍子で進んだところで、はた、と銀次郎は思い出した。

 ラデクが不思議そうに見つめると、銀次郎は悪戯いたずらが見つかった子どものように、ズボンのポケットからなけなしの『ぐれいる貨』を取り出す。そして手のひらの上で広げてみせた。

「そうだった……。今は手持ちがこれぎりしかねえんだ。向こうの世界の金はあるんだが……」
「そのふたつだけなら充分さね。オッツをふたすくい、緑エンズをひとすくいで丁度ちょうど鉄貨十五枚だ」
「そうか。それは助かる。もらってくぜ」
「あいよ!」

 ラデクは早速はかまずを手に取った。

 そこに山盛りに盛って、こぼれんばかりの粒をわらで編んだような袋ふたつに分けて入れてくれた。どうやらかなりサービスしてくれているらしい。ありがたい話だ。それからラデクは、その横にあった野菜の中でも見栄えの悪いものを拾い上げた。

 そうして、不器用なウインクをして笑うと、こう告げた。

「ほら! こいつはおまけだ! 気に入ったらまたよろしく頼むぜ、ギンジロー!」


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