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第三十話 千客万来
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「やれやれ……」
翌週――。
銀次郎の店は、困ったことになっていた。
「ん~! はじめてだ、こんなうまいの!」
「おおい! こっちにも一杯くれ!」
「いつまでもちびちび飲んでんじゃねえよ! 早く席空けろって!」
「うっせ! 順番なんだから、気持ちよく飲んでったって構やしねえだろ?」
「ほらほら! 遅れるぞ! とっとと飲み干して城へ行けって! 待ちきれねえ!」
早めに店を開けたと思ったら、いきなりこの調子なのである。
見るからに城の兵士らしき連中が開店前の店の前に列を作り、開けた途端に我先にと喫茶『銀』の珈琲目当てに雪崩れて込んできたのだからたまらない。その列を押し退けるように――というより、丁寧な仕草で兵士たちに道を譲られながら入ってきたのはシーノである。
「……ふう。ね? ね? ギンジロー? これ、一体どうなっちゃってるのよ?」
「たぶん、昨日のお客が広めたんだろうよ。ありがてえんだか、ありがたくねえんだか……」
銀次郎はシーノの前に、真っ赤なダリアをデザインした薄手のカップを置いて珈琲を注ぎながらこたえた。そのご当人であるトットは、列の先頭に立ち、銀次郎の淹れた一杯を大絶賛して仕事に向かったあとだった。シーノは銀次郎の複雑そうな表情を見て、ぷっ、と噴き出す。
「よかったじゃない! ありがたがっておかないとさ! まあ、静かなお店もよかったけどね」
「だろ? 朝っぱらから騒がしいったらねぇぜ、まったく……」
こうひっきりなしに客が来るのは、いかにもこの喫茶『銀』らしくないのである。
どこかうら寂しくて、ちょっと人生立ち止まって考えてみようか、という客がふらりと寄る程度が性に合っているのだ。とはいうものの、一杯また一杯に舌鼓を打つ兵士たちの顔を見れば、心の底からうまいと思ってくれていることがありありと伝わってくるので悪い気はしない。
「……なんつうかよ、今ひとつ釈然としねえんだ。連中、本当にうめぇと思ってやがるのか?」
「もう、素直に喜んだらいいじゃないのさ! ……ひねくれものなんだから、ギンジローは!」
「う、うるせえってんだ。ちぇっ、知ったふうな口利きやがって……」
もごもごぶつぶつ呟きながら大量のカップを洗いはじめる銀次郎であった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「うーん……だろうたぁ思ってけどよ……」
お昼時――。
銀次郎の店は、やっぱり困ったことになっていた。
「おお! うまいぞ! これは食休みにぴったりだ!」
「なんだかしゃっきりして、一段と気合が入りますな!」
「これが兵どもの噂していた『こーひー』なるものか」
「うーん……この苦みが実に身体に染みわたりますなぁ」
ゴードンの店がいきなり混雑しはじめたと思ったら、じきにこうなっていたのだ。
しかし、朝と明らかに違っているのは、その客層である。城付きの兵は兵で間違いないようなのだが、朝方に押しかけてきた連中と比べて年齢層が少し高くなり、その落ち着きようや細部にまで行き届いたきっちりとした着こなしと立ち振る舞いが、彼らが位の高い兵たちであることを雄弁に物語っていた。
「な、参ったなぁ………………こんなはずじゃ……」
そこに、なるべく目立たないよう身を縮めてカウンターの端に座っているのはスミルである。
「おい。いってぇどうしたってんだ、スミル?」
「こ、声っ! も、もっと小さい声でお願いしますよ、ギンジローさん……」
「?」
落ち着かなげにきょどきょどまわりを見回し、カップを守るように両の手のひらで囲いを作り、その中に顔を突っ込むようにしてスミルは囁くように潜めて応じる。銀次郎は首を傾げた。
「なんだい、なんだい。その怯えた子鼠みてぇな成りは? せっかくの珈琲が不味くなるぞ?」
「い、いや、だってさ――?」
スミルは引き攣った愛想笑いを貼りつけた顔を上げ、もう一度まわりを見た。
すると、厳めしくも精悍な顔ぶれと目が合い、慌てて顔を伏せる。
「うひぃ……」
スミルは真っ青な顔をして泣き言を並べ立てた。
「お、おやじさんにも頼まれて昼どきに来てみたら、なんだか店の中が城のお偉いさん方ばっかりなんだよぅ! これじゃあ、ギンジローさんに此処のことを教えるどころじゃないって!」
「はは。やっぱりそうか。どうりで朝来た若い連中がちっとも寄り付かねぇ訳だ」
「わ、笑ってる場合じゃないんだってば、もう……」
「でも、だ。夜は夜で忙しいんだ。……ほれ、早速頼むぜ、スミル先生!」
元気づけてやろうと一際大きな声でそう言うと、スミルの蒼い顔がますます青白くなった。
まわりを見ると――うわわっ!――お偉方の好奇の視線が自分に集まっているのが嫌でも分かった。そうして目の前の老店主に視線を向けると――にやり――笑っているではないか。
「せ、先生!? ……ぜ、絶対わざとやってるでしょ、ギンジローさん! 勘弁してくれぇ!」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「……で、こうなるって訳か」
すっかり夜も更け――。
銀次郎の店は、ようやっと落ち着きを取り戻していた。
週のはじまりの『トゥラの日』ということもあって、週末のような大騒ぎもなく、ゴードンの店も少し早めの店じまいをしたようだ。
今はカウンターにいつもの常連たち――盗賊のシーノ、城の衛兵のスミル、食堂の主人ゴードンがいつもどおりの並び順で座っている。ゴードンの妻シリルもまた来ていたが、シリルのお目当てはというともっぱらシオンなので、今は揃って小さな布団の上でうとうとしていた。
「まったく……今日はえれぇ騒ぎだったぜ」
「いや、今日だけじゃ終わらんだろうよ、ギンジロー。これからずっとこんな感じになるさ」
「ひとりじゃ大変だろうけど……まあ、一杯飲んでみたら忘れられないわよね」
「ぼ、僕も大変でしたよ、まったく……」
最後にスミルが拗ねたようなセリフを吐くと、他の三人が揃って、くすり、と笑いを溢した。すでに昼どきの一幕については、他ならぬスミル自身の口から披露済みだ。途端にスミルはむっとするが――じきまわりにつられて笑顔になった。そのスミルがこう言った。
「な、なんだか昼の一件から、やたらとお偉い方に声をかけてもらえるようになっちゃいましたよ。すっかり顔と名前を覚えられちゃったみたいで。……そうそう! しかも、ですよ!?」
突然スミルは、達磨のごとき怒ったような驚いたような険しいぎょろ目をしてみせると、声色を変えて低い胴間声でこう言い放つ。
『お、おい! スミル! お前、師団長閣下と見知りなのか? どうして早く言わないんだ!』
「――って、門番長が僕を呼び止めて言い出したんですよ! もう、笑い出しそうになっちゃいまして。今までさんざんいびってきた僕に、お偉方のツテがあるとでも思ったんでしょうね」
誰もその門番長との面識はないが、スミルの物真似は実に堂に入ったものだった。意外と器用なところがあるのがスミルだ。
すると、シーノが悪戯っぽい笑みを浮かべてこう冷やかした。
「あははっ! いやね、そんな御大層なモン、ひょろひょろスミルにありっこないのにねぇ!」
「ちぇっ! ぼ、僕だって、お転婆シーノにはとやかく言われたくないね!」
「あらあらあら! そのお転婆さんのお陰で、お漏らし寸前のところを救ってもらったのはどこのどなただったかしら?」
「そっ! そんな昔の話、持ち出すのは卑怯だぞ! 大体、あんな酷い目に遭うことになったのは――」
幼馴染同士のふたりの会話を横目に、微笑ましい思いで銀次郎はゴードンと肩を並べつつ、仕事終わりの一杯を、ぐびり、と味わうのであった。
翌週――。
銀次郎の店は、困ったことになっていた。
「ん~! はじめてだ、こんなうまいの!」
「おおい! こっちにも一杯くれ!」
「いつまでもちびちび飲んでんじゃねえよ! 早く席空けろって!」
「うっせ! 順番なんだから、気持ちよく飲んでったって構やしねえだろ?」
「ほらほら! 遅れるぞ! とっとと飲み干して城へ行けって! 待ちきれねえ!」
早めに店を開けたと思ったら、いきなりこの調子なのである。
見るからに城の兵士らしき連中が開店前の店の前に列を作り、開けた途端に我先にと喫茶『銀』の珈琲目当てに雪崩れて込んできたのだからたまらない。その列を押し退けるように――というより、丁寧な仕草で兵士たちに道を譲られながら入ってきたのはシーノである。
「……ふう。ね? ね? ギンジロー? これ、一体どうなっちゃってるのよ?」
「たぶん、昨日のお客が広めたんだろうよ。ありがてえんだか、ありがたくねえんだか……」
銀次郎はシーノの前に、真っ赤なダリアをデザインした薄手のカップを置いて珈琲を注ぎながらこたえた。そのご当人であるトットは、列の先頭に立ち、銀次郎の淹れた一杯を大絶賛して仕事に向かったあとだった。シーノは銀次郎の複雑そうな表情を見て、ぷっ、と噴き出す。
「よかったじゃない! ありがたがっておかないとさ! まあ、静かなお店もよかったけどね」
「だろ? 朝っぱらから騒がしいったらねぇぜ、まったく……」
こうひっきりなしに客が来るのは、いかにもこの喫茶『銀』らしくないのである。
どこかうら寂しくて、ちょっと人生立ち止まって考えてみようか、という客がふらりと寄る程度が性に合っているのだ。とはいうものの、一杯また一杯に舌鼓を打つ兵士たちの顔を見れば、心の底からうまいと思ってくれていることがありありと伝わってくるので悪い気はしない。
「……なんつうかよ、今ひとつ釈然としねえんだ。連中、本当にうめぇと思ってやがるのか?」
「もう、素直に喜んだらいいじゃないのさ! ……ひねくれものなんだから、ギンジローは!」
「う、うるせえってんだ。ちぇっ、知ったふうな口利きやがって……」
もごもごぶつぶつ呟きながら大量のカップを洗いはじめる銀次郎であった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「うーん……だろうたぁ思ってけどよ……」
お昼時――。
銀次郎の店は、やっぱり困ったことになっていた。
「おお! うまいぞ! これは食休みにぴったりだ!」
「なんだかしゃっきりして、一段と気合が入りますな!」
「これが兵どもの噂していた『こーひー』なるものか」
「うーん……この苦みが実に身体に染みわたりますなぁ」
ゴードンの店がいきなり混雑しはじめたと思ったら、じきにこうなっていたのだ。
しかし、朝と明らかに違っているのは、その客層である。城付きの兵は兵で間違いないようなのだが、朝方に押しかけてきた連中と比べて年齢層が少し高くなり、その落ち着きようや細部にまで行き届いたきっちりとした着こなしと立ち振る舞いが、彼らが位の高い兵たちであることを雄弁に物語っていた。
「な、参ったなぁ………………こんなはずじゃ……」
そこに、なるべく目立たないよう身を縮めてカウンターの端に座っているのはスミルである。
「おい。いってぇどうしたってんだ、スミル?」
「こ、声っ! も、もっと小さい声でお願いしますよ、ギンジローさん……」
「?」
落ち着かなげにきょどきょどまわりを見回し、カップを守るように両の手のひらで囲いを作り、その中に顔を突っ込むようにしてスミルは囁くように潜めて応じる。銀次郎は首を傾げた。
「なんだい、なんだい。その怯えた子鼠みてぇな成りは? せっかくの珈琲が不味くなるぞ?」
「い、いや、だってさ――?」
スミルは引き攣った愛想笑いを貼りつけた顔を上げ、もう一度まわりを見た。
すると、厳めしくも精悍な顔ぶれと目が合い、慌てて顔を伏せる。
「うひぃ……」
スミルは真っ青な顔をして泣き言を並べ立てた。
「お、おやじさんにも頼まれて昼どきに来てみたら、なんだか店の中が城のお偉いさん方ばっかりなんだよぅ! これじゃあ、ギンジローさんに此処のことを教えるどころじゃないって!」
「はは。やっぱりそうか。どうりで朝来た若い連中がちっとも寄り付かねぇ訳だ」
「わ、笑ってる場合じゃないんだってば、もう……」
「でも、だ。夜は夜で忙しいんだ。……ほれ、早速頼むぜ、スミル先生!」
元気づけてやろうと一際大きな声でそう言うと、スミルの蒼い顔がますます青白くなった。
まわりを見ると――うわわっ!――お偉方の好奇の視線が自分に集まっているのが嫌でも分かった。そうして目の前の老店主に視線を向けると――にやり――笑っているではないか。
「せ、先生!? ……ぜ、絶対わざとやってるでしょ、ギンジローさん! 勘弁してくれぇ!」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「……で、こうなるって訳か」
すっかり夜も更け――。
銀次郎の店は、ようやっと落ち着きを取り戻していた。
週のはじまりの『トゥラの日』ということもあって、週末のような大騒ぎもなく、ゴードンの店も少し早めの店じまいをしたようだ。
今はカウンターにいつもの常連たち――盗賊のシーノ、城の衛兵のスミル、食堂の主人ゴードンがいつもどおりの並び順で座っている。ゴードンの妻シリルもまた来ていたが、シリルのお目当てはというともっぱらシオンなので、今は揃って小さな布団の上でうとうとしていた。
「まったく……今日はえれぇ騒ぎだったぜ」
「いや、今日だけじゃ終わらんだろうよ、ギンジロー。これからずっとこんな感じになるさ」
「ひとりじゃ大変だろうけど……まあ、一杯飲んでみたら忘れられないわよね」
「ぼ、僕も大変でしたよ、まったく……」
最後にスミルが拗ねたようなセリフを吐くと、他の三人が揃って、くすり、と笑いを溢した。すでに昼どきの一幕については、他ならぬスミル自身の口から披露済みだ。途端にスミルはむっとするが――じきまわりにつられて笑顔になった。そのスミルがこう言った。
「な、なんだか昼の一件から、やたらとお偉い方に声をかけてもらえるようになっちゃいましたよ。すっかり顔と名前を覚えられちゃったみたいで。……そうそう! しかも、ですよ!?」
突然スミルは、達磨のごとき怒ったような驚いたような険しいぎょろ目をしてみせると、声色を変えて低い胴間声でこう言い放つ。
『お、おい! スミル! お前、師団長閣下と見知りなのか? どうして早く言わないんだ!』
「――って、門番長が僕を呼び止めて言い出したんですよ! もう、笑い出しそうになっちゃいまして。今までさんざんいびってきた僕に、お偉方のツテがあるとでも思ったんでしょうね」
誰もその門番長との面識はないが、スミルの物真似は実に堂に入ったものだった。意外と器用なところがあるのがスミルだ。
すると、シーノが悪戯っぽい笑みを浮かべてこう冷やかした。
「あははっ! いやね、そんな御大層なモン、ひょろひょろスミルにありっこないのにねぇ!」
「ちぇっ! ぼ、僕だって、お転婆シーノにはとやかく言われたくないね!」
「あらあらあら! そのお転婆さんのお陰で、お漏らし寸前のところを救ってもらったのはどこのどなただったかしら?」
「そっ! そんな昔の話、持ち出すのは卑怯だぞ! 大体、あんな酷い目に遭うことになったのは――」
幼馴染同士のふたりの会話を横目に、微笑ましい思いで銀次郎はゴードンと肩を並べつつ、仕事終わりの一杯を、ぐびり、と味わうのであった。
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