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第五十一話 魔性の者ども

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「ほお――」

 そして、約束の会合の日になった。

「おあつらえ向きにえらくいい天気じゃねえか。ええ、『』?」
「……あのな、じじい

 結局付き合わされることになったグレイフォーク一世は、引きり気味の笑みを浮かべる。

「俺はこうみえても、一国のあるじなんだぞ? その『金の字』はやめてくれ」
「けっ。こちとらカタカナは苦手なんだよ」

 城塞都市・グレイルフォークの高い外壁に設けられた大きな門から外へと出ると、どこまでも続く草原が広がっていた。その、はるか遠くにいくつかの人影のようなものが見える。おそらくそれは『魔性の者ども』の尖兵せんぺいなのだろう。

 そこに向けて、銀次郎は声を張り上げた。

「おうおう! 大勢でご苦労なこったな!」

 歳は老いても、銀次郎の腹から出す声は良く通った。
 人影がわずかに動く。そこに続けて言う。

「だがよ? こちとらこの哀れな爺様とご立派な王様のふたりぽっちだ。数を合わせてくんな」
「……はぁ。まったく、無茶を言う爺様だ……そんなもので素直に言うことを聞くと思うか?」
「いいや、思っちゃいねえよ」

 そして、グレイフォーク一世がそれにこたえる前に、もう一度銀次郎はこう声を張り上げる。

「まさか、尻ごみする訳じゃあるめぇな? たったふたりぽっちだぞ? それが怖ぇのかい?」
「お、おいおい……無闇に挑発するなって」
「だがよ? こうまで言われて、大勢でかかって来る訳にもいくめえ? 赤っ恥だぜ」

 それが通じたのかどうなのかは分からないが、先程まで視界にいた人影がひとり、またひとりと消えていき、そのほぼ中央に新たなふたつの影が現われた。

「ほう――」

 そこを目指して、銀次郎とグレイルフォーク一世はまっすぐに進んで行く。

「……うまくいったのか?」
「そりゃこれからだ。こっからがいっとう肝心なところさ」

 なるべく顔の向きは変えず、グレイルフォーク一世は銀次郎に尋ねたが、さらりと返されてしまった。

「ま、俺ぁ死んでも生い先短いが……。『』、おめえはそういう訳にゃいかねえ。これからも城の連中のまとめ役になってもらわにゃならねえんだからな。気ぃ抜くんじゃねえぞ?」
「……承知した」


 そうして、永劫にも感じられる歩みの果てに。
 ふたりとふたりが出会い、相対した。


「また会ったな、魔性の王」
うたとも、人の王よ」


 そして――。

 銀次郎の目の前には、あの時とは違う装束を身にまとった、おおよそ役人には見えない痩身の見慣れた男が立った。その細く吊り上がって嘲笑あざわらっているような目が、きゅ、と細くなる。


「……やはり、あなたでしたか、狸爺殿。因果なモンだ」
「おう、来たぜぇ。その恰好もいけ好かねえな、三下さんした狐」


 魔性の王――。
 その姿をはじめて目にする銀次郎にとっては意外だったが、女だ。

「……」

 裾の広がった目のやり場に困るロングドレスの奥から覗く肌は抜けるように白く、もはやその薄い皮膚一枚下に流れる静脈が色濃く浮き出るほど白く透き通っていた。だが、その中で唇だけがぞっとするほど赤い。赤々とぬめり、てらてらと妖しく艶を帯びている。髪は足元近くまで伸び、何かを探るようにうねうねと揺らめいていた。ときおり浮かんで消えるのは、黒炎のごとき燐光か。そして、その切れ長の伏し目がちな視線が、値踏みするように二人を見ている。


 ぶるり――ただそれだけで震えが止まらなくなるほどの圧倒的な存在感であった。


「……ぬしが『異界びと』かえ?」
「おう。俺の名前は、八十海やそがい銀次郎ってえんだ。……てめえ様は?」
「名などとうに忘れちもうた。じゃが、わらわのことを呼ぶならば、テウメサと呼ぶがよござんす」

 どういう理屈か、テウメサと名乗る『魔性』は、花魁おいらん言葉のような奇妙な節回しで話した。花街はなまち育ちの銀次郎にとってはいくぶん馴染み深く、親しみあるものだったが、テウメサがときおり浮かべる微笑のようなもの――なぜか銀次郎にはそれが笑顔だとは思えなかった――が、そのたび身を震わせる底知れぬ恐怖を思い出させてくれた。

「テウメサ、かい。悪くないねえ」

 銀次郎は思い出したように、にやり、と微笑みを浮かべてみせた。
 だが、無様に引き攣ってしまっている。

「なんでえ。そんな婆様でもあるまいに、大事なてめぇの名前を度忘れするたぁいけねえなぁ」
「三〇〇〇年――」

 テウメサは、ぽつり、と呟き、たっぷりと間を空けてからこう続ける。

「なんのまぁ。その年月を永劫と嘆くか、刹那と笑うかは、その者の気心ひとつでござりんす」
「あ、あんたぁ! さ、三〇〇〇年ってぇ言ったのか!? つまり――!」
「あら、かねえことを!」

 けらけら、とテウメサは笑うが、その細く妖艶な瞳の奥は笑ってなぞいなかった。

「娘に歳尋ねるなんざぁ、野暮やぼなこと言いなんすな。それより――さぁさ、話を進めなんし」
「ほら、そこまでだ、狸爺様。あんたらのお相手はわたしの仕事でね」

 選手交代とばかりに、あの日、あの時、銀次郎に『狐塚こづか来人らいと』と名乗った若い男がいささか乱暴に割り込んできた。代わりにテウメサは薄笑いだけを残して一歩下がる。

『狐塚来人』は、グレイルフォーク一世と銀次郎のふたりを前に、改めてこう名乗りを告げた。

「わたしの名前は、ホルペライト。ここにおわす姫様の代理人ですよ。そして、『魔性の者ども』すべての代理人でもあるのです。これからの発言には、少しご用心なさってくださいね」
「……てめぇ、そりゃどういう意味だ?」
「どういう意味も」

 ホルペライトは糸のように目を細めて、はン、と短く笑う。

「こちらも貴方がたを『人間ども』すべての代理人としてみている、ということですよ。いっときのたわむれや冗談が、冗談で済まされないこともある、と申しております。お分かりですね?」
「どうしてあっちのお偉い様と差しで話しさせねぇんだ?」

 いかにも不満げな銀次郎のひと言に、グレイフォーク一世はぎくりと表情を強張こわばらせ、ホルペライトはかすかな苛立いらだちを目の端に浮かべた。

 ひと呼吸ついて、ホルペライトはこう告げる。

「さきほどやりとりして分かったでしょう? なにぶん高貴なお方でね。貴方がたとスムーズに会話するのは、少々難しいのですよ。だから、わたしが代わりにお相手させていただきます」
「ったく……仕方ねぇ」

 以前のやりとりから、銀次郎が彼を軽んじ、過小評価しているのはホルペライト自身も承知していた。だが、今しばらくは辛抱しなければ、と苦虫を噛み潰したような顔で見つめている。

「だが、肝心な時には出張でばってもらうぜ。……構わねえよな?」
「……まあ、そんな事態にはならないと思いますがね、狸爺様」

 誰がどう見ても雲行き怪しげなふたりの剣呑極まりないやりとりに、次第にグレイフォーク一世の胃のはきりきりと痛み出すのであった。


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