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第一章 溜息は少女を殺す
溜息は少女を殺す(12)
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帰りの車中、しばらく誰も口を開きませんでした。
その閉塞感と重苦しい沈黙に耐え切れなくなったのはあたしです。
「あの……白兎さん?」
「なんだい、祥子ちゃん」
「さっきの五十嵐さんの、全部分かってたんですか?」
「いやいや。さすがに知る訳ないだろ? あの子の動機までは、ね?」
え――思わず声が漏れ出ていました。
「じ、じゃあ、『溜息の主』があの人――守衛さんだって……!」
「ん? ああ、分かっていたよ。それくらいは」
助手席から後部座席を振り返り、あたしの肩にもたれかかるようにすやすや眠っている美弥さんを見つけて苦笑しながら白兎さんは事も無げにそう答えたのです。あたしは驚きました。改めてシートの中で身体ごと振り返り、白兎さんはこう続けました。
「おいおい。そんなに驚くことはないだろ? ベッド脇に置いてあったスマホのホーム画面、見てなかったのかい? 彼氏からのLIMEメッセージがひっきりなしに届いてただろ? なら、少なくとも祥子ちゃんが夢描いていたような素敵なカンケイは無しってことじゃないか」
って、良く見てましたね。
ちょっと離れた場所に立ってたのに。さすがは自称『名探偵』。
若干ソフトに、かなり雑めに弄られたあたしの偏った嗜好についての表現には、むっ、としたものの、その指摘には同意せざるを得ません。美弥さんを起こさない程度に頷くあたし。
「で、でも、それだけじゃ守衛さんが……ってことにはなりませんよ?」
「まあね」
軽く肩を竦めるようにしてポケットから煙草を取り出そうとしたところに運転手さんの非難めいた視線を感じた白兎さんは、行き場を失った右手の人差指をこめかみに添えます。
「そこは、状況証拠と推理ってとこだな。武山さん……だったっけ? ほら、言ってたじゃないか。昨日は考え事をしていて気が気じゃなかったって。今日だって太客確定の俺たち相手に溜息を吐いていたくらいなんだ、昨日はもっと酷かったんじゃないか? ん?」
「それは……そうですね。確かに」
空想と想像のほわついた世界から、粗悪なプラスチックで出来た子供騙しのデコレーションのような居心地の悪い現実に一気に引き戻されてしまったあたしは、ぽかり、と空虚な心を抱えたまま、やたら柔らかさばかり強調する合皮張りのシートにぐたりと深く身を預けました。
そして、いまさらになって思い出します。
(成程ね。でもそれって、謎ってほどでもないかしら。すぐに解けてしまいそうだから――)
だから有里寿さんはあんな風に言ったのでしょうか。
そして――。
もう一つの台詞を思い出す前に、それを口にした本人が目の前であたしに尋ねます。
「さて、と……綺麗な白百合の園を掻き分けて進んだ先に、祥子ちゃんは何を見たんだい?」
ですが――。
その時白兎さんの端正な顔に浮かんでいたのは、アテの外れたあたしを揶揄するどころか、むしろ何処か寂しげで、苦悩満ちて歪んだような、そんな意外すぎる表情だったのです。
あたしの長い沈黙を、白兎さんは別の感情と勘違いしたのかもしれません。
だからこそ、こんな言い訳めいた台詞を添えたのでしょう。
「無邪気に騙されたままの方が幸せ……俺はそうも言った筈だぜ? いや、もっとちゃんと伝えるべきだったのかもな――これは忠告だ、と。そこは俺のミスだ。祥子ちゃん、悪かった」
それきり口を噤んでしまいます。
そして、あたしたちを乗せたタクシーが『四十九院探偵事務所』に到着するまでの間、もう誰一人声を発しなかったのでした。
◆ ◆ ◆
「ふにゃあぁあああ……」
「おい、みゃあ。しゃきっとしろ。着いたぞ。自分の足で歩けって」
まだ少し寝惚けているのかよろよろと頼りなげに歩き出した美弥さんに手を差し伸べることもせず、白兎さんはポケットに手を突っ込んだまま狭い階段の一段目に足をかけます。
それを目にしたあたしは慌ててこう言いました。
「あの……あたしはどうしたら良いんでしょうか?」
「……ん? ああ、そうだった」
困ったように、ぽり、と頭を掻き、白兎さんは振り返って言います。
「謎って奴は解けただろ? 有里寿と交わしたアルバイト契約を気にしてるんなら忘れてくれても良い。どうせ本気じゃなかったんだから。ちょっと言ってみただけなんだ。大丈夫だ」
「だって……あたし、まだ何もしてませんよ?」
「それでも、だよ」
諭すようにそう言って、白兎さんは何か言いたげに口を開きましたが――やがて閉じます。
代わりに出てきたのは別の台詞のようでした。
「ま、好きにしたら良いんじゃないか? 好きにしたら良い。けどな? 関わると決めたら、この先、もっと嫌な物を見ることになるかもしれない。その覚悟だけはしておいた方が良い」
冗談の入り込む隙なんて無い真面目な顔。はじめてみたかもしれません。
ですが、それはいつまでも続きませんでした。やっと階段まで辿り着いたかと思ったら、ふらふらしながら美弥さんがしゃがみ込みまして、ゆっくりゆっくりと地面と平行な姿勢に。
「……寝る」
「おいおいおい。ここはやめろっていつも言ってるだろ? 昼じゃなくて、もう夜なんだ。通りがかりの人が心配するどころか、悪い奴が来て攫われちまうんだからな。知らないぞ?」
「上まで。おんぶして。安里寿」
「今の俺は安里寿じゃねえ。何処見て言ってんだよ。……あーもう! 仕方ねえ奴だな!」
白兎さんは物凄く面倒臭そうに美弥さんの手を引いて無理矢理立たせると、肩を貸すように右脇に身体をねじ入れました。そして最後にあたしを振り返って言います。
「とにかくだ。今日のところは帰った方が良い。そして、ちゃんと考えて答えを出すんだぜ」
「……分かりました。そうします」
「良し。良い子だ」
あたしはしばらくその場に立ち尽くしたまま、白兎さんと美弥さんが階段を昇っていくのを見つめていたのでした。
その閉塞感と重苦しい沈黙に耐え切れなくなったのはあたしです。
「あの……白兎さん?」
「なんだい、祥子ちゃん」
「さっきの五十嵐さんの、全部分かってたんですか?」
「いやいや。さすがに知る訳ないだろ? あの子の動機までは、ね?」
え――思わず声が漏れ出ていました。
「じ、じゃあ、『溜息の主』があの人――守衛さんだって……!」
「ん? ああ、分かっていたよ。それくらいは」
助手席から後部座席を振り返り、あたしの肩にもたれかかるようにすやすや眠っている美弥さんを見つけて苦笑しながら白兎さんは事も無げにそう答えたのです。あたしは驚きました。改めてシートの中で身体ごと振り返り、白兎さんはこう続けました。
「おいおい。そんなに驚くことはないだろ? ベッド脇に置いてあったスマホのホーム画面、見てなかったのかい? 彼氏からのLIMEメッセージがひっきりなしに届いてただろ? なら、少なくとも祥子ちゃんが夢描いていたような素敵なカンケイは無しってことじゃないか」
って、良く見てましたね。
ちょっと離れた場所に立ってたのに。さすがは自称『名探偵』。
若干ソフトに、かなり雑めに弄られたあたしの偏った嗜好についての表現には、むっ、としたものの、その指摘には同意せざるを得ません。美弥さんを起こさない程度に頷くあたし。
「で、でも、それだけじゃ守衛さんが……ってことにはなりませんよ?」
「まあね」
軽く肩を竦めるようにしてポケットから煙草を取り出そうとしたところに運転手さんの非難めいた視線を感じた白兎さんは、行き場を失った右手の人差指をこめかみに添えます。
「そこは、状況証拠と推理ってとこだな。武山さん……だったっけ? ほら、言ってたじゃないか。昨日は考え事をしていて気が気じゃなかったって。今日だって太客確定の俺たち相手に溜息を吐いていたくらいなんだ、昨日はもっと酷かったんじゃないか? ん?」
「それは……そうですね。確かに」
空想と想像のほわついた世界から、粗悪なプラスチックで出来た子供騙しのデコレーションのような居心地の悪い現実に一気に引き戻されてしまったあたしは、ぽかり、と空虚な心を抱えたまま、やたら柔らかさばかり強調する合皮張りのシートにぐたりと深く身を預けました。
そして、いまさらになって思い出します。
(成程ね。でもそれって、謎ってほどでもないかしら。すぐに解けてしまいそうだから――)
だから有里寿さんはあんな風に言ったのでしょうか。
そして――。
もう一つの台詞を思い出す前に、それを口にした本人が目の前であたしに尋ねます。
「さて、と……綺麗な白百合の園を掻き分けて進んだ先に、祥子ちゃんは何を見たんだい?」
ですが――。
その時白兎さんの端正な顔に浮かんでいたのは、アテの外れたあたしを揶揄するどころか、むしろ何処か寂しげで、苦悩満ちて歪んだような、そんな意外すぎる表情だったのです。
あたしの長い沈黙を、白兎さんは別の感情と勘違いしたのかもしれません。
だからこそ、こんな言い訳めいた台詞を添えたのでしょう。
「無邪気に騙されたままの方が幸せ……俺はそうも言った筈だぜ? いや、もっとちゃんと伝えるべきだったのかもな――これは忠告だ、と。そこは俺のミスだ。祥子ちゃん、悪かった」
それきり口を噤んでしまいます。
そして、あたしたちを乗せたタクシーが『四十九院探偵事務所』に到着するまでの間、もう誰一人声を発しなかったのでした。
◆ ◆ ◆
「ふにゃあぁあああ……」
「おい、みゃあ。しゃきっとしろ。着いたぞ。自分の足で歩けって」
まだ少し寝惚けているのかよろよろと頼りなげに歩き出した美弥さんに手を差し伸べることもせず、白兎さんはポケットに手を突っ込んだまま狭い階段の一段目に足をかけます。
それを目にしたあたしは慌ててこう言いました。
「あの……あたしはどうしたら良いんでしょうか?」
「……ん? ああ、そうだった」
困ったように、ぽり、と頭を掻き、白兎さんは振り返って言います。
「謎って奴は解けただろ? 有里寿と交わしたアルバイト契約を気にしてるんなら忘れてくれても良い。どうせ本気じゃなかったんだから。ちょっと言ってみただけなんだ。大丈夫だ」
「だって……あたし、まだ何もしてませんよ?」
「それでも、だよ」
諭すようにそう言って、白兎さんは何か言いたげに口を開きましたが――やがて閉じます。
代わりに出てきたのは別の台詞のようでした。
「ま、好きにしたら良いんじゃないか? 好きにしたら良い。けどな? 関わると決めたら、この先、もっと嫌な物を見ることになるかもしれない。その覚悟だけはしておいた方が良い」
冗談の入り込む隙なんて無い真面目な顔。はじめてみたかもしれません。
ですが、それはいつまでも続きませんでした。やっと階段まで辿り着いたかと思ったら、ふらふらしながら美弥さんがしゃがみ込みまして、ゆっくりゆっくりと地面と平行な姿勢に。
「……寝る」
「おいおいおい。ここはやめろっていつも言ってるだろ? 昼じゃなくて、もう夜なんだ。通りがかりの人が心配するどころか、悪い奴が来て攫われちまうんだからな。知らないぞ?」
「上まで。おんぶして。安里寿」
「今の俺は安里寿じゃねえ。何処見て言ってんだよ。……あーもう! 仕方ねえ奴だな!」
白兎さんは物凄く面倒臭そうに美弥さんの手を引いて無理矢理立たせると、肩を貸すように右脇に身体をねじ入れました。そして最後にあたしを振り返って言います。
「とにかくだ。今日のところは帰った方が良い。そして、ちゃんと考えて答えを出すんだぜ」
「……分かりました。そうします」
「良し。良い子だ」
あたしはしばらくその場に立ち尽くしたまま、白兎さんと美弥さんが階段を昇っていくのを見つめていたのでした。
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