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第二章 美しきにはメスを
美しきにはメスを(1)
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誰よりも美しく、誰よりも愛しい貴女――。
だからこそ私は、この陳腐な贋作を許すことができない。認めることができないのです。
◆ ◆ ◆
「おはよ、うれしょん。……ん? どしたん? ブルー・ディには一週間早いっしょ?」
「な、何でもないですよ、あはは……って、何であたしの『あの日』把握してるんですか!」
どうも。
あたしこと、絶賛悩める平凡少女の嬉野祥子でございます。
いくら同級生である美少女たちのすべてを残らず知りたいお百合頃なあたしでも、有海の口から飛び出したこの台詞には仰天せざるを得ませんでした。さすがに生理の周期まではあたしも守備範囲外です。ぶわっと冷汗が噴き出しました。まさか……有海って……いや、も……?
「んー? だってうれしょん、自分で言ってたじゃんよー。あと一週間で発売だーって」
「は――発売っ!? しないデスしないデス!」
今度はあたしの頬が、ぼっ! と音まで立てて真っ赤に染まりました。自分の究極のプライベート情報を売る宣言なんてした覚えありませんから! どんなド変態なんですか、あたしっ!
「あれー? んー、何か間違ったっぽい気がする……」
有海はようやく自分の発言に違和感を覚えたようで、アッシュベージュのベースにハイライト・メッシュを入れたセミロングを掻き毟るように頭を抱えます。っていうか、それ地毛じゃないですよね? 良く怒られませんね?
「あーさ。まりあナントカってアニメがようやくブルー・ディになるとか言ってたじゃん?」
「はいはいはいっ! 『まりあ♰しんどろぉむ』ですねっ! あれはですねっ、不朽の名作……って! それはっ! ブルーレイですっ!!」
「うっさ! 一文字しか違ってないじゃんよー。つーか、ブルー・ディってなんなん?」
「そ、それは……あ、あのですね……?」
「なんなん?」
りーんごーん。
がらり。
「皆さん、授業を始めましょう。週番さん、号令をお願いしますね」
「起立――礼――よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします。では、本日はテキストの三十九ページから――」
……助かりました。
まだ有海の頭上にはいくつものクエスチョンマークが浮かんでいるようでしたが、数学Ⅱの授業が終わる頃にはきっと綺麗さっぱりと忘れてくれていることでしょう。良くも悪くもそういう子なんです、有海って。
正直に言うと。
あたしの心はそれどころではなく、まだ先週の一連の出来事でもやもや状態なのでした。
(あなた……四十九院安里寿という人物は、本当はこの世に存在していないんです!)
そう言ったのはあたし。
(あたしは誰かがそう望む限り、こうして確かに存在していなければいけないのよ――)
そう答えたのは――。
あれは一体誰だったのでしょう?
いまだにあたしは確証が持てずにいるのです。
あの台詞にはどういう意味が隠されているのでしょう?
あの人はどんな秘密と謎を抱えているのでしょう?
結局、あの夜は半分狐か狸に化かされたような気持ちで家路につきました。そして、自分でも信じ難いことですけど、もう『四十九院探偵事務所』のお手伝いは今後一切できません、たったそれだけの一言を言えず終いで帰ってきてしまったのでした。
(また、いつでもいらっしゃいな――)
最後の最後に、安里寿さんはあたしに向けてそう言い、薄っすらと微笑みました。
(いくら正式なアルバイトじゃなく、ボランティアなお手伝いだからって……変ですよね?)
目の前のテキストに鎮座する難解な数式が霞むほど、あたしの脳裏は疑問だらけです。つい癖で、手にしたシャープペンを大して高くもない鼻と尖らせた唇の間に挟んで腕組みをし、ううむ、と考えてみます。幸いにもクラスのお嬢様たちは皆一様に授業に集中していましたので、あたしの面白ブサイクな顔は誰の目にも留まることはありませんでした。
わざわざ呼びつけなくても、そのうち来るだろうと予見していたから?
いやいや、まさか。
まさかですよ。
「馬鹿々々しい。子供騙しじゃないですか……」
「う、嬉野さん? 今、何て仰いました?」
し、しまったぁあああ!
数学担当の吉田林天音先生の動揺を隠しきれないハスキーボイスがかすかに震えています。切れ長の瞳は鋭く細められ、顔中に脂汗を浮かべた哀れな獲物――あたしに今にも飛びかかって牙を突き立てんばかりに狙いを定めています。普段はお美しくお優しい吉田林先生なのですけれど、ごくごく稀に感情が昂った刹那、今まさにあたしに向けられているものと同じ嗜虐的な色を瞳に宿すのです。
「……成績優秀な嬉野さんには、私の授業は少し物足りなかったようですね?」
吉田林先生に良く似合うマットな質感のルージュの左端が、きゅっ、と引き揚げられ、溜息が控えめに零れ出ました。あたしは思わず震え上がります。これはますますまずいです。
「あ、あのっ! ちが――違うんです! 今のはそういう意味ではなく……っ!」
「あら、そうでしたか」
ふんわりとした微笑み。
でも、サディスティックな瞳は色濃くなるばかりです。
「では……もしかして他の事をお考えになっていた、とか?」
「うっ……」
それはそれで、認めてしまったら余計にややこしいことに発展します。
嬉野、大ピンチですっ!
その時です。
救世主――有海はクラス中に響き渡る声でこう言ったのでした。
「センセー? あのー、いいんちょは今絶賛ブルー・ディなんでー。メンゴってあげてー」
ちょ――有海ぃいいいいい!?
次の瞬間、クラスが微妙な空気に包まれたまま、授業終わりのベルが鳴り響いたのでした。
だからこそ私は、この陳腐な贋作を許すことができない。認めることができないのです。
◆ ◆ ◆
「おはよ、うれしょん。……ん? どしたん? ブルー・ディには一週間早いっしょ?」
「な、何でもないですよ、あはは……って、何であたしの『あの日』把握してるんですか!」
どうも。
あたしこと、絶賛悩める平凡少女の嬉野祥子でございます。
いくら同級生である美少女たちのすべてを残らず知りたいお百合頃なあたしでも、有海の口から飛び出したこの台詞には仰天せざるを得ませんでした。さすがに生理の周期まではあたしも守備範囲外です。ぶわっと冷汗が噴き出しました。まさか……有海って……いや、も……?
「んー? だってうれしょん、自分で言ってたじゃんよー。あと一週間で発売だーって」
「は――発売っ!? しないデスしないデス!」
今度はあたしの頬が、ぼっ! と音まで立てて真っ赤に染まりました。自分の究極のプライベート情報を売る宣言なんてした覚えありませんから! どんなド変態なんですか、あたしっ!
「あれー? んー、何か間違ったっぽい気がする……」
有海はようやく自分の発言に違和感を覚えたようで、アッシュベージュのベースにハイライト・メッシュを入れたセミロングを掻き毟るように頭を抱えます。っていうか、それ地毛じゃないですよね? 良く怒られませんね?
「あーさ。まりあナントカってアニメがようやくブルー・ディになるとか言ってたじゃん?」
「はいはいはいっ! 『まりあ♰しんどろぉむ』ですねっ! あれはですねっ、不朽の名作……って! それはっ! ブルーレイですっ!!」
「うっさ! 一文字しか違ってないじゃんよー。つーか、ブルー・ディってなんなん?」
「そ、それは……あ、あのですね……?」
「なんなん?」
りーんごーん。
がらり。
「皆さん、授業を始めましょう。週番さん、号令をお願いしますね」
「起立――礼――よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします。では、本日はテキストの三十九ページから――」
……助かりました。
まだ有海の頭上にはいくつものクエスチョンマークが浮かんでいるようでしたが、数学Ⅱの授業が終わる頃にはきっと綺麗さっぱりと忘れてくれていることでしょう。良くも悪くもそういう子なんです、有海って。
正直に言うと。
あたしの心はそれどころではなく、まだ先週の一連の出来事でもやもや状態なのでした。
(あなた……四十九院安里寿という人物は、本当はこの世に存在していないんです!)
そう言ったのはあたし。
(あたしは誰かがそう望む限り、こうして確かに存在していなければいけないのよ――)
そう答えたのは――。
あれは一体誰だったのでしょう?
いまだにあたしは確証が持てずにいるのです。
あの台詞にはどういう意味が隠されているのでしょう?
あの人はどんな秘密と謎を抱えているのでしょう?
結局、あの夜は半分狐か狸に化かされたような気持ちで家路につきました。そして、自分でも信じ難いことですけど、もう『四十九院探偵事務所』のお手伝いは今後一切できません、たったそれだけの一言を言えず終いで帰ってきてしまったのでした。
(また、いつでもいらっしゃいな――)
最後の最後に、安里寿さんはあたしに向けてそう言い、薄っすらと微笑みました。
(いくら正式なアルバイトじゃなく、ボランティアなお手伝いだからって……変ですよね?)
目の前のテキストに鎮座する難解な数式が霞むほど、あたしの脳裏は疑問だらけです。つい癖で、手にしたシャープペンを大して高くもない鼻と尖らせた唇の間に挟んで腕組みをし、ううむ、と考えてみます。幸いにもクラスのお嬢様たちは皆一様に授業に集中していましたので、あたしの面白ブサイクな顔は誰の目にも留まることはありませんでした。
わざわざ呼びつけなくても、そのうち来るだろうと予見していたから?
いやいや、まさか。
まさかですよ。
「馬鹿々々しい。子供騙しじゃないですか……」
「う、嬉野さん? 今、何て仰いました?」
し、しまったぁあああ!
数学担当の吉田林天音先生の動揺を隠しきれないハスキーボイスがかすかに震えています。切れ長の瞳は鋭く細められ、顔中に脂汗を浮かべた哀れな獲物――あたしに今にも飛びかかって牙を突き立てんばかりに狙いを定めています。普段はお美しくお優しい吉田林先生なのですけれど、ごくごく稀に感情が昂った刹那、今まさにあたしに向けられているものと同じ嗜虐的な色を瞳に宿すのです。
「……成績優秀な嬉野さんには、私の授業は少し物足りなかったようですね?」
吉田林先生に良く似合うマットな質感のルージュの左端が、きゅっ、と引き揚げられ、溜息が控えめに零れ出ました。あたしは思わず震え上がります。これはますますまずいです。
「あ、あのっ! ちが――違うんです! 今のはそういう意味ではなく……っ!」
「あら、そうでしたか」
ふんわりとした微笑み。
でも、サディスティックな瞳は色濃くなるばかりです。
「では……もしかして他の事をお考えになっていた、とか?」
「うっ……」
それはそれで、認めてしまったら余計にややこしいことに発展します。
嬉野、大ピンチですっ!
その時です。
救世主――有海はクラス中に響き渡る声でこう言ったのでした。
「センセー? あのー、いいんちょは今絶賛ブルー・ディなんでー。メンゴってあげてー」
ちょ――有海ぃいいいいい!?
次の瞬間、クラスが微妙な空気に包まれたまま、授業終わりのベルが鳴り響いたのでした。
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