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第二章 美しきにはメスを

美しきにはメスを(4)

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「あ、あの!」

 あたしは颯爽と風を切るようにブーツのかかとを鳴らして歩く背中に声を掛けます。

「なあに? そんなに驚くこともないでしょ? さっき説明したわよね、白兎はくとは留守だって」
「い、いや、そうなんですけども……」
「あら、ご不満?」

 意味深な微笑みを浮かべて振り返ったのは――そう、安里寿ありすさんです。

 とんっ、と足を踏み鳴らしてスタンスを広げつつ、腕組みをしているポーズはまるでファッション雑誌のモデルのよう。愉快そうなルージュの端を手の甲で押さえるように笑います。

「ふふ。もしかして祥子ちゃん……白兎の方が良かったり?」
「そういうことではなくてですね。いえ、断然安里寿さんの方が良いに決まってるんですが」
「なら、いいじゃない」
「外には出たがらないんだ、って、白兎さん、言いましたよね?」
「また勝手なことばかり言いふらすんだから。別に私、引きこもりって訳じゃないのよ?」

 妙にミスマッチな子供じみた仕草で安里寿さんは、ぷくー、と頬を膨らませます。
 ああ。胸がきゅんきゅんするほど、とっても可愛い。



 ――なのですが。



 今のあたしの台詞は『あなた自身がそう言ったじゃないですか』とカマを掛けて尋ねたつもりのものだったのです。それなのに……なんでしょう、この違和感。

「もしかして、他にも妙なこと吹き込まれてない? もう、油断も隙もないんだから……」

 安里寿さんは腰に手を当て短い息を吐いた後、二つの手を肩のあたりでふわっと開きます。

「白兎は祥子しょうこちゃんに不思議と甘いのよ。だから、あることないこと余計なことばかり話しちゃうみたい。だから今回は、絶好のタイミングだったのよ。『動かざる名探偵』こと私――四十九院つるしいん安里寿の登場には。ふふ、なんちゃって」
「安里寿さんがそう仰るなら、あたしもそれでいいんですけど」
「ん。じゃあ行きましょ」

 再び踊るようなステップで学院目指して歩いていく安里寿さん。あたしはそれをぼんやりと見つめながら今頃思い出します。すらりと背筋の伸びた安里寿さんの後ろ姿は、白兎さんのそれとはまるで違うということに。白兎さんは、春の陽気の下でも寒そうに肩を竦めるような猫背でしたっけ――。



 いやいやいや。
 それはそれ、これはこれ、です。

 今はまず第一に、美術室で起こった事件の真相を解き明かす方に集中しないと。



「で、祥子ちゃん? 問題の被害にあった絵の持ち主って、もう判明してるのかしら?」
「き、聞いてます、赤坂先生から――美術担当の先生なんですけどね。ええと確か――」

 あたしは歩みを止めることなく胸ポケットにしまい込んでいた生徒手帳を取り出しました。

「美術部員の霧島きりしま秋良あきらさんだそうです。学年は1年で5組」
「祥子ちゃんご自慢のデータベースには、どんな子って登録されてるの?」
「……はい?」
「白兎が教えてくれたわよ? 祥子ちゃんは学年中の女の子をデータ化して記憶してるって」



 ……むう。
 確かにあることないこと余計なことばかり話す人ですね、白兎さんって。



 でも、事実は事実ですので、渋々脳内に出力した文字を舌に載せて吐き出します。

「ええと……。背は158センチで細身。色白で、黒髪ロングをうなじのあたりで一まとめに黒のリボンで束ねています。たまに廊下で見かけることがあっても、内気であまり笑わない印象でした。そうですね、悪く言ってしまうと……」
「人付き合いが苦手で幸薄さちうすそうなタイプ、ってところかしら?」
「……随分はっきり言いますね」
「祥子ちゃんが言い難そうだから代わりに言ってあげただけよ、それに、ほらあそこ――」



 刻限は夕方。生徒たちがちらほら帰路につく中、安里寿さんの視線の先に目を向けると――そこにたった今説明したばかりのイメージに九十九パーセント合致する探し人、霧島秋良さんご本人が思いつめたような顔つきで歩いていたのでした。あたしは意を決して駆け寄ります。



「えっと。霧島さん……だよね?」
「そ………………そうですけれど」
「あたし、2年の嬉野うれしの祥子って言います。よろしくね」
「はぁ……はい。先輩が私に何の御用件でしょうか?」
「ね? ちょっとだけ、お話、良いかしら?」

 あたしの肩越しに顔を突き出した安里寿さんが声を掛けましたが、初対面の相手が増えただけの霧島さんはますます怯えたように縮こまり、もう物も言えずに地面に視線を落としているだけです。これは……困りました。嬉野ピンチです。

「えっとね。こ、この人は」
「祥子の姉の、安里寿って言います。驚かせちゃってごめんなさいね」
「お姉さん、ですか」
「そうなの。でね、妹が怪我をした、って聞いたものだから、慌てて駆けつけたって訳なの」

 すらすらと淀みなく嘘を吐く安里寿さん。あまりに自然すぎて、あたし自身がそうだと信じ込みそうになったくらいです。すると、霧島さんは、つい、と視線を上げて眉をしかめました。

「もしかして……あたしの作品のせいで怪我をされたのって……嬉野先輩だったんですか?」
「ううん! ……ま、あたしも巻き込まれたうちの一人なんだけどね。直接怪我をしちゃったのはあたしの親友の木崎きさき有海あみで、それだって――」
「も、申し訳ございません! 取り返しのつかないことを……!」
「いやいやいや!」

 突然、霧島さんが小柄な身体から出たとは思えないほどの声量で言い放ち、九〇度以上腰を折ると、周囲の生徒たちがすわ何事かとすっかり仰天した表情を見せました。あたしは大慌てで霧島さんの肩をなるべく優しく掴んで、そっと抱き起しながら声を潜めて囁きかけます。

「霧島さんだって被害者じゃない。あれは事故だもん。むしろこっちの不注意っていうか」
「そ、それでも!」
「大丈夫だって。それよりさ……ここ、人が多いから……ね?」
「うんうん。今から祥子と一緒にお茶でもしよう、って言ってたところなの。一緒にどう?」
「あ………………は、はい。大丈夫……です」

 機転を利かせた安里寿さんの提案に恐る恐る頷いた霧島さんでしたが、表情を硬く強張らせたままあたしたちの後ろを重い足取りでついてきます。ますます委縮させてしまったようで少し可哀想にも思えてきますが、どう言葉をかけようが、もとより心を閉ざしがちな性格が災いして一向に友好的なムードが訪れません。「友愛」をモットーとするウチの学院ではさぞ生きにくいでしょうに……と同情してしまいます。



 からん。



 普段お邪魔したことのない商店街の片隅にある古風な喫茶店の店内は閑散としていました。先頭を進む安里寿さんに、窓際から離れた向かい合わせのボックスシートへ案内されます。

「さ、そこに座って。好きなものおごってあげる。えっと……秋良ちゃんは何が好き?」
「あ、あの……私は……」
「いいのいいの。学院の子なら皆お友達よ。あたしねぇ……うーん、これなんかどう?」
「………………じゃあ、それでお願いします」

 いきなり安里寿さんに隣に腰かけられて『秋良ちゃん』呼びされて、霧島さんが戸惑っているのが分かります。でもこれで、詰問じみた物騒なムードはいくぶん和らいだのではないでしょうか。その後も安里寿さんはしきりに、霧島さんの艶やかで真っ直ぐな黒髪や雪のように白い肌を羨ましそうに褒めたりしています。そうするうちに徐々にですが霧島さんの表情から硬さが取れてきたように思えました。



 そして、それぞれの前にあったパフェとショートケーキとあんみつの器が空になった頃、霧島さんは誰に向けるでもない薄い微笑みを浮かべ、静かにこう呟いたのです。

「友達って……なんなのでしょう。私には、もう分からないんです……」
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