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第二章 美しきにはメスを

美しきにはメスを(6)

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「さて。祥子しょうこちゃんはどう思ったのかな?」
「いや、どうもこうもないですよ」

 結局無理に引き留める訳にもいかずに霧島きりしまさんを見送ったあたしたちは、もう陽も落ち夜のとばりが降りる時刻だということもあって一旦『四十九院つるしいん探偵事務所』に戻ることにしたのです。そして戻るや否やの安里寿ありすさんの問いかけに、あたしは半笑いで力なく首を振り返しました。

「だって、何も話してくれなかったじゃないですか、霧島さんは。あれだけじゃ――」
「それでも見えてくるものはあるのよ?」
「例えば、なんでしょう?」

 まるで見当がつきません。
 デスクの向こう側の安里寿さんは、そんなあたしに向けて指を順番に立てていきます。

「例えば、塗り潰されて切り裂かれたキャンバスに描かれていたのは美術部の部長、三年生の鷺ノ宮さぎのみや真子まこさんの肖像画だった、ってことよね」次に隣の中指、ぴょこり。「そして、それを描いていたのが霧島さんであり、彼女は最近できた二人の友人――部活の仲間のことについて悩んでいた」
「ま、まあそうですけど……」

 話の行先がちっとも分からず、あたしはソファーに埋もれるように身を預けたまま無精無精頷きます。だって、被害にあったのが霧島さんの作品だった、ってことならはじめから赤坂先生より伺っていたのですから、何をいまさら、って感じじゃないですか。

「それから、もう一つ」安里寿さんは構わずさらに隣の薬指を、ぴょこり。「霧島さんの悩みの種でもある二人の友人――浅川あさかわ千衣子ちいこさんと竹宮たけみや花咲里かざりさんもまた、鷺ノ宮真子さんの肖像画を描いていた、ってことよね。違ったかしら?」
「確かに……そうですね」

 言われてみれば当然のことです。

 けれど、あたしはちっともそんな風に考えていなかった自分に気付き、同時に安里寿さんの指摘に素直に感心してしまいました。そして尋ねます。

「どうして浅川さんと竹宮さんの描いた絵は被害に遭わなかったのでしょうか?」
「はい。それ減点ね、祥子ちゃん」
「へ?」きょとんとするあたし。
「うふふふ」

 安里寿さんは小鳩のように笑いを溢しました。
 くっそ、可愛いなあ、もう。

「だってまだこの時点では、二人とも被害に遭ってないだなんて断定できないでしょ? 話も聞いてないし、確かめてもいないんだからあたしたち。次にやるべきことが見えた、って訳」
「なるほど」

 ふむ。あたしは名探偵の解説に耳を傾ける助手よろしく、もっともらしく頷いてみせます。

「じゃあ、明日の放課後、今度は浅川さんと竹宮さん、お二人に話を伺おうってことですね」
「そういうこと」

 んふ、と目を細め、それから非難がましく大袈裟に眉を吊り上げてみせる安里寿さん。

「あの白兎はくとじゃあるまいし、犯罪すれすれの身分詐称アンド潜入捜査なんてあたしのガラじゃないもの。帰り際にうまく二人を見つけてつかまえるしかないわね。できれば美術部の顧問の先生にもお話しを伺いたいところだけど……。どう? 何とかできそう? 祥子ちゃん」
「うーん……。何しろ赤坂先生は男性ですからね。あたしのやる気が行方不明です」



 以上証明終了。Q.E.D.



「はぁ……だと思った。なら別の手を考えるわよ、もう」
「すみません」そこまでストレートに納得されるのも超フクザツなのですけれど、とりあえず謝ることにします。「あの。でも、白兎さんに交代すれば楽勝でしょうね、きっと」
「ウチの信用性に関わるから、ダ・メ・よ」
「……っていう設定なんですよね?」
「ん? 何か言った? 祥子ちゃん」
「い――いえいえ! えと、何も言ってないです、はい」



 本当に何なんでしょうね、この違和感。

 やっぱりいくらカマを掛けてみても、まるで手応えがないっていうか何というか。大体、今の状況ならどう考えたって衣装着替えて化粧を落とせばそれで済む訳じゃないですか。手っ取り早く問題が解決するんです。多少の違法行為なんて合理的――いやいや、と言うよりも書類も吸殻の山も放置するような典型的な面倒臭がりの白兎さんなら迷うことなんてない筈です。



 なのに――どうして?



 美術部で起きた怪事件を解決しなければならないという時に、あたしの関心事はすっかり謎の双子探偵が抱える事情の方に向いてしまっていました。

 と考えてから、思わず苦笑するあたし。

 いつから探偵になったのでしょうね、あたしってば。別に首を突っ込むところじゃない筈なのに。地味で目立たず、存在感の希薄なただの傍観者としてお年頃の女子高生を愛でているだけでもう幸せ! って子だった筈なのに。



(ただ……祥子ちゃんはこっち側のニンゲンかと思っただけだから)

 今のところは、かもしれませんね、ということにしておきましょう。



 そろそろ帰り支度をしようとソファーから立ち上がり荷物をまとめていると、ふいに安里寿さんのデスクの上の白い小洒落た電話が鳴りました。そのディスプレイに映ったであろう電話番号を横目で見た安里寿さんが――見る間に表情を強張こわばらせたのが分かりました。

「じゃあ、気をつけて帰るのよ、祥子ちゃん」
「はい。あの……お電話、鳴ってますけど」
「知ってるわ。大丈夫なの、これはね」
「ソ、ソウデスカ」

 辛うじて笑顔の形を保っているというだけの、クールビューティーを通り越して少し寒気のするほど怖い表情。それはあからさまに、早く帰って、とあたしを急かしていました。

「また明日来ます、安里寿さん」

 閉まりゆく扉の隙間から見えたのは、まだ鳴り止まぬ電話を抱え、椅子ごとくるりと窓の方を向いて背中越しに無言で手を振る安里寿さんの姿でした。





 ◆ ◆ ◆





「それでも見えてくるものはある……かぁ」

 すっかり陽の落ちた帰り道、あたしはぼんやりと考えていました。



 まず、四十九院安里寿と四十九院白兎という双子の探偵がこの街に存在する、ということ。

 これは事実です。戸籍上確かだとか、ヒトという生命体として明確に別個の存在なのかとか、この際そういうことは抜きにして、あたしはその二人に実際に逢ったことがあるのです。だったら、あたしにとっては事実。現実のお話です。



 そして、二人を同時に見たことはない。

 これも事実です。偶然も偶然のたまたまの話だったり、妙に疑ったあたしの勘繰りすぎなだけかもしれません。でも、少なくとも同じ事務所で働く二人を同時に見たことがない、というのは不自然だと言ってもいい筈です。よほど仲が悪いか、何か別の事情があるのか。



 実は、二人は同一人物である。

 これは――事実だと思っていました。でも、それ減点ね、という安里寿さんの声が聴こえる気がします。まだこの時点では、二人が同一人物だなんて断定できない。話も聞いてないし、確かめてもいないんですから。そうですよね、安里寿さん。



 そして一番の問題は――この謎は果たして解くべきなのか。
 嬉野、今夜は眠れそうにありません……。
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