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第二章 美しきにはメスを

美しきにはメスを(13)

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 後日――。
 あたしと有海あみは、赤坂先生に呼び出されて美術室におりました。

「――ということだ。それで一切を不問とすることにした。お前たちにはいい迷惑だったが」
「い、いえいえー! マジびっくりしたってゆーか、そんだけなんでー」
「有海に怪我がなくてホントに良かったですよ……なので、大丈夫です」



 赤坂先生が仰るには、霧島きりしまさんには一つの『約束』をさせたんだそうです。

 それは何かというと、浅川あさかわさんと竹宮たけみやさんに今までの非礼を詫びて、改めて『友達』になってくれるように頼むこと、という内容でした。恐らくあの二人は物凄く驚くでしょうし、そう簡単に心を許し合うカンケイになれるとは思えません。特に当の浅川さんは一筋縄ではいかないでしょう。けれど、竹宮さんがきっと間を取り持ってくれるのではないかしら、とひそかにあたしはうまくいくことを願っていたりします。



『まるで罰ゲームですね……。私に友達を作れ、だなんて』

 赤坂先生の言葉を聞き終えて、霧島さんはそう呟いたそうです。



 けれど彼女は怒っているというより、何かから解放されたような、呪いが解けたような、そんな表情を浮かべていたように赤坂先生には見えたのだそうです。



 そこで、あたしはもう一つ、有海のいるこの場では伏せられたままの件を尋ねます。

「あ、あの、赤坂先生? 霧島さんの家にある筈のアレについては……?」
「一切不問と言っただろ。だが、二人と『友達』になる以上、言わない訳にはいかんだろう」

 有難いことに赤坂先生はあたしの口にした『アレ』だけでお察しいただけて、余計なことを口走らずに済みました。けれど、隣にいる有海はもちろん何のことやらって感じな訳で。

「ん? ん? アレってなんだし?」
「あ。有海は良いんですよー、知らなくっても」
「超やなカンジなんですケド!」

 伝えるだけを伝え終えた後は黙り込んでしまった赤坂先生のむすり顔に頭を下げ、あたしは不機嫌オーラ全開で先に歩き出してしまった有海のあとを慌てて追いかけます。

「あ、あのー、あ、有海さん?」
「つーん、だし!」
「あ、あのですね……アレっていうのは別に特別なアレな訳ではなくてですね?」
「ふーん、だし!」
「でも……ホントに有海が怪我しなくて良かったよ……」

 その台詞をしみじみとあたしが言うと、ようやっと有海は足を止めてくれました。

「………………ってるし」
「え? はい?」
「あたしだって! うれしょんが怪我しなくて良かったって思ってるしっ!」

 顔を真っ赤に染めて有海は廊下の端まで響くような大声でそう叫んだのです。



 あららー、耳まで真っ赤っ赤じゃないですか!
 もうっ、可愛すぎますよ!



「……ありがとね、有海っ!」
「ちょ――くっつくなし!」

 珍しく攻守逆転してあたしの方からひっついたものですから、有海の顔のほてりは一向に治まる様子がありません。こんな可愛くて愛しい親友の姿、はじめて見ました。うふふふ。





 ◆ ◆ ◆





 そのまま照れまくる有海に引き摺られるようにしてあたしたちの教室に戻った後は、遅めのランチです。いつものとおりサンドウィッチにゼリー系飲料だけで済ませる有海は良いですけれど、あたしは普通に母作の冷凍食品バンザイ! のお弁当持参なのです。またいつかのように時間ギリギリになりそうです、ううう。

「そいえばさー、うれしょん?」

 肺活量を駆使してゼリー系飲料のパウチ容器を、ぺこん、と鳴らした有海は、ふと思い出したという素振りでこんなことを口にしたのです。

「この前一緒だったガチ美人なおねーさん、うれしょんの何なん?」
「あ――ああ、安里寿ありすさんのことですね。ちょっとしたお知り合いと言いますか……あはは」

 この学院で起きた事件の謎解きを対価に、アルバイト紛いのお手伝いをしているんです、とはさすがに言えません。あたしは咄嗟に笑って誤魔化そうとします。けれど。

「ふーん、やっぱ安里寿さんってーのね。どーりで見たことあるわーって思ったしー」
「……え!? ど、何処でですか!?」
「ちょ――! うれしょん、近い! エビ、近いってば!」

 驚き一気に詰め寄ったあたしの口に咥えられたままの海老フライの尻尾が何度も鼻先をかすめ、有海は右に左に交互に顔を捩じりながら慌ててあたしの肩を掴んで押し留めます。その体制のまま、もぐもぐごくん! と尻尾ごと海老フライを咀嚼し終えたあたしは、唇の端に付いているからりと揚がった衣の欠片かけらを拭いもせず、なおも距離を詰めて問いただします。

「何処であの人を見たんです、有海! 正直に言わないと……このままチューしますよ!!」
「いーやー! うれしょんに犯されるぅうううう!!」
「うっへっへっへ……良い声で鳴きますね、有海は!」



 ――はっ!



 ふと、我に返りまして周囲を見ますと、クラスメイトの皆様の冷ややかなれどそこはかとなく生暖かい視線があたしたちに集まってしまっているではありませんか。ななな何ということでしょう。これはいけません。折角浸透した『いいんちょ』の名に傷が付いてしまいます!

「……こほん。有海? もうちょっと真に迫った演技じゃないと、オーディションには到底受かりませんよ? もう一度、最初からやりましょう。あ……皆様、どうもお騒がせしました」

 一転表情を真面目腐ったものに変えて有海と周りの皆様に平坦で冷静な口調でそう告げますと、どうにかお芝居だったと錯覚していただけたようです。何せ、目の前の有海すら信じそうになっているくらいでしたから。あたしは安堵の息を漏らして乱れた着衣を正している(?)有海にもう一度ソフトに尋ねてみます。

「さっき、安里寿さんを見たことがあると言っていましたよね? 何処で見たんですか?」
「え、えっとー……」

 有海は再び、びくっ! としながらも、あたしの落ち着き払った表情を見て貞操の危機は避けられたと安心した様子で答えてくれました。

「あーしのおばあちゃんの入院してる病院で見たんだよ。看護師さんに名前を呼ばれてて、変わった名前だなーって思ったから、ついつい覚えちゃったんだよねー」
「病院……ですか。安里寿さんは、患者さんとして来ていたんですか?」
「ううん。違うし」

 有海は迷わず首を振って弱々しい笑いを浮かべます。

「だってさー。ウチのおばあちゃんの入院してる病院って、フツーとちょっと違うもん。なんつーの? 認知症っての、あるじゃん? アレ専門の病院なんよー」
「そう……だったんですね……。無理に聞いちゃってごめんなさい……」
「いいっていいってー。あーし、ボケちゃってもおばあちゃん大好きっ子だしさー」

 あっけらかんと笑ってみせた有海曰く、そこは県立の認知症疾患医療センターで、治療と介護を含めたケアを行っているということのようです。そしてお世話になっている看護師さん曰く、解離性健忘――つまり、記憶喪失の方もごく僅かながら入院されているということで、安里寿さんは毎週欠かさず面会にやってくるのだそうです。



 手掛かりは手掛かりに違いないのですが――この先へ踏み込むべきではないとあたしは迷うのでした。
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