風邪ひいたらバ先の客が家に押しかけてきた

西を向いたらね

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本編

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チャイムが鳴った。

「誰だよ。こっちは高熱出してるってのに」
ベッドの中で独り言ちた。

ぼんやりとした頭では無視をすることすら思いつかず、布団からやっと這い出て玄関までゆっくりと歩く。

内鍵をかちゃりと開けて、ドアを開けた。

「……え?」

そこに立っていたのは、見覚えのある顔だった。

スッとした顔立ちに、黒いパーカー。なんというか、整った顔……だけど、それよりもまず、脳内で警報が鳴る。

誰だっけ、この人。

「あ、あの……薬局の……?」

うん、たぶんそう。俺のバイト先である薬局に、よく来る人。家が近いのか、頻繁に来ては何かしらを買っていく、いわゆる常連さんなのだ。

何も客の顔を全員覚えているわけじゃない。
その人は、整った顔をしているうえに、まとめて買えばいいのに何度も来ては商品を一つしか買わないため、「キレーな顔した要領の悪い人」として記憶に残っていた。

朝に来て歯ブラシ1本を買い、昼に来て歯間ブラシを買い、夜に歯磨き粉を買う。
縛りプレイでもしているのか? 一日かけてめちゃめちゃ丁寧に歯磨きをしているのか?

そんな買い方をしてる客がいれば、誰だって気になるものだろう。

そんな薬局の常連さんが、どうしてうちに…?

「来ちゃった。風邪、大丈夫?」

にこ、と笑って、紙袋を差し出された。

中身がチラリと見える。
風邪薬、ポカリ、おかゆ……まるで看病に来た人みたいに。

袋を押しつけてくる手が、妙に優しくて、そしておそろしく感じた。

「だ、大丈夫です」

断りの意思を持ち、袋を押し返す。

「そう、よかった…おかゆ、俺がやっちゃうから寝てていいよ」

拒絶を込めて放った言葉は、どうやら体調に対する「大丈夫」だと思われてしまったらしく、常連さんは俺をグイグイと押して玄関に押し入ってくる。

「大丈夫です…大丈夫です…本当に、大丈夫です…」

日本語とは難しいものだな…などと考えながら、回らない頭で拒絶の言葉を繰り返してみたが、もちろん伝わるはずもなく、押されるがままにまたベッドまで戻ってきてしまった。

風邪の寒気とは違う、別の冷たいものが、背筋をなぞっていった。


---

抵抗する気力も失せて、ベッドからキッチンに立つ常連さんの背中をぼんやりと眺めていた。

いや、こんな不審な男に“さん”付けなんてしてやるものか。
常連さんなんかじゃない。常連だ、常連。

男がすっと引き出しを開けて、おたまを取り出した。
その後も、まるで自分の家かのように常連は手際よく作業を続ける。

「あれ、ケトル新しくなってる! これちょっといいやつじゃん?」

「そう、最近買ったけど…新しく“なってる”って…何?…ですか?」

言い回しに違和感を覚え聞き返したが、声がかすれていたせいか、それとも聞こえないふりをされたのか。
男は俺の質問に答えず、湯を沸かしながらさらりと言った。

「汗、かいたでしょ。後で体拭いてあげるからね」

「いや、昨日お風呂入ったから今日はいいです」

「そうー? 拭いたほうがいいと思うけどな。
あとさ。こういうの、ほんと怖いからさ! やっぱ連絡先交換しとこう? 俺、ちゃんと連絡取れないと不安だよ。もし俺が駆けつけるのが遅くなって死んじゃったらどうするのって話!」

「……いや、あの、そういうのは……」

「もう、病人なんだからあとででいいよ。
今は、ほら。おかゆできたから」

トレーにのせたレトルトのおかゆを手に、にこにこと笑いながら戻ってくる。
俺が毛布にくるまっていると、その隣に自然な動作で腰を下ろした。

「熱あると、自分で食べるのしんどいでしょ? 俺がやるよ」

「いや、自分で——」

「大丈夫、大丈夫、気にしないで!」

そう言って、スプーンをすくっては口元に運ばれる。

腹は減っていたし、おかゆもレトルトのものだったので、まあ悪さもできないかと、もうなんとでもなれと半ば諦めて口を開けてパクつく。

空っぽの胃にじわりとおかゆのぬくもりが広がる。
こんな状況でさえなければ、有難がれたのにな…

「……ごちそうさまです」

「うん、えらい。じゃあ、熱あるし、体拭こうか!」

「いえ、結構です」

「えっ、でも熱あるとさ、汗かくし、拭くとスッキリするっていうか……」

「いや、本当に、結構ですから」

一応、手は引いてくれた。けれど——

「ま、いいや。手、握っててあげるから。安心して、ね?」

……手を包まれた。

優しい手だった。
でも、優しいってことと、“安心できる”ってことは別物なんだと、初めて知った。

頭が重くて、視界が霞んでいる。

——怖い。でも。

体が熱くて、もう何も考えられなかった。

彼の言葉が遠くなっていく。
「この人は天下のお節介で、誰彼構わず不法侵入しては看病してる人なのかも知れないなぁ」
なんて馬鹿みたいな考察をしていたら、視界が暗くなって、意識はふっと落ちた。

最後まで、手の感触は残ったままだった。
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