天使のフィルター

あきちか

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天使のフィルター

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 天使がつくったエンジェルランドは、南の海に浮かぶ、美しい島だ。
 エンジェルランドの真夏の空は、サファイアのように、青く透明に輝く。
 夏休みになると、この島の子どもたちは、太陽が金色に輝く朝から、星々が空をうめつくす夜まで、海や森で、ずっと遊ぶのだ。

「行きたくない!」
 コハクは、思わず叫び、フウッ、と溜め息をついた。
 今日は、小学校の登校日だ。
(夏休みぐらい、もっと自由にさせてほしい)
 コハクは枕を抱いて、ベッドで丸くなった。
 すると部屋に〈マイヤー〉が入ってきて、
「チコクシマス、イソイデクダサイ」
 ベッドからコハクをおいたてた。
 マイヤーというのは、コハクのおじいちゃん〈エジポン博士〉がつくった人型ロボットで、コハクの身の回りの世話やボディガードをしてくれる万能ロボットだ。
 ピンポーン、ピンポーン、チャイムが鳴る。
「もうこんな時間!」
 コハクは鏡を覗き込む。きれいな二重の目をくりくり動かし、短かめの黒い髪を軽く整える。それからお気に入りの赤いワンピースを着て、二階の窓をばんと開けた。
 ふわっと柔らかな風が部屋に入る。
「コハクちゃん、おはよう」
 イーライが、にこやかに手を振り、澄んだ青い目で見上げる。
 小柄で小麦色。何でもハキハキいう、おてんばなコハクと違い、イーライは細くて色が白く、おっとりタイプだ。自分でよく考え、言葉を選んで話すので、同じ五年生とは思えないほど大人びて見える。
「おはよう、すぐいくね」
 コハクは慌てて四角いリュックを背負い、階段をかけ下りる。するといつものように、愛猫ダイアンがジャンプして、コハクのリュックに飛び乗った。
「わぁ、わぁ」
 背中のダイアンがズッシリ重い。ここ数日、大好物のかつおの缶詰を、与えすぎたせいだろうか。
「ダイアン、太ったでしょ」
 コハクは、ちらとダイアンを振り返る。
 するとダイアンは、
「急ぐにゃ」
 と、はぐらかし、ニタッと笑う。 
「今日から、ダイエットよ」
 コハクがピシャリという。
「ひどいにゃ」
 ダイアンは、眉間に三本シワを寄せる。
 コハクのお父さんとお母さんは、コハクが赤ちゃんの頃、飛行機事故で帰らぬ人になった。ダイアンは、天国の両親が、コハクにプレゼントした天使ネコだ。だから人間の言葉が話せるのだ。
 コハクは、下がったリュックの肩ひもをグッとにぎりしめ、玄関を出た。
「おまたせ!」
 外に出ると、コハクはイーライにぺこり、頭を下げた。すると、リュックにしがみついたダイアンの、小さな顔があらわれた。
「ダイアン、おはよう」
 猫好きのイーライは大喜びし、ダイアンのあごを、指先でこちょこちょする。
 ダイアンはうっとり心地よさそうに顎をのばす。
 イーライは、コハクの家より小学校に近いけど、ダイアン見たさに、毎朝、早起きしてコハクを迎えに来るのだ。
 イーライのダイアンいじりが続く。
 その時、
「おはよう!」
 黄色いTシャツと青い短パン。幼なじみのアルウが大きく手を振ってあらわれた。
 アルウは、ひよろっとしているが、外で遊んでばかりで色黒だ。勉強が大嫌いだけど、大人になったら博士のような発明家になるのが夢だという。
 ダイアンは、あごを伸ばして目を閉じている。イーライのマッサージがよほど気持ちいいのだろう。
「わぁ、ぼくもさわらせて」
 アルウも指先で、ダイアンの襟首あたりの、濃い茶色の毛を優しくなでる。
 二人がダイアンと遊んでいる間、コハクは腰をまげたかっこうで、息が苦しい。もう我慢の限界だ。
「あいさつは、そのへんでいいかしら」
 コハクは顔を上げ、プハーと深呼吸した。
 そのとき、コハクの後ろから、
「イーライ、アルウ、おはよう」
 おじいちゃんが、ニコニコと手をふりながら、あらわれた。珍しく、白衣じゃなくて、ネクタイにダークブルーのスーツだ。
「おはようございます」
 二人も、笑顔であいさつする。
「今日は、寄り道しないで、真っ直ぐ学校に行くんだよ」
 おじいちゃんは、優しくコハクを見つめ、孫むすめの頭を、くしゃくしゃとなでた。
「ふぁーい」
 コハクは、ふくれっ面になる。
(今日こそは、天使の神殿を発見しようと思ってたのに……)
 今から一万年ほど前、この島にベルという天使が現れ、エンジェルランドをつくったという伝説が残っている。島の人たちは、ベルに感謝し、コーパル湖に、黄金の天使の神殿をつくったという。
 コハクたち三人の夏休みの計画は、その天使の神殿を見つけることなのだ。
「研究所に行くの?」
 コハクは、気持ちを切り替え、おじいちゃんを見上げる。
「そうだよ。今日は大事なお仕事があるから、帰りが遅くなるとおもう。さびしいだろうけど晩ご飯は一人で食べてくれないか」
 おじいちゃんはそう言ってコハクの頭をやさしくなでた。
「はーい」
 コハクは、さびしげに返事した。
 コハクのおじいちゃんは、毎日研究で忙しい、だけど、晩ご飯は必ず家に帰って、コハクと一緒に食べる。ところが、今日は帰りが遅くなるという。とても大切な発明の発表があるというのだ。
 その時、家の前に白い車が着いた。車といっても宙を浮く、タイヤのないエア・カーだ。
 ドアがカモメが羽を広げたように開き、運転席から助手のハイマンさんが顔を出した。
「おはようございます」
 ハイマンさんは、手を上げ、エジポン博士とコハクに小さく頭を下げる。
「じゃ、先に行くよ」
 おじいちゃんは車に乗り、コハクに笑顔を見せながら、大きく手をふった。
「行ってらっしゃーい!」
 コハクも元気よく手をふる。
 ドアが音もなく自動で閉まり、車はUFOのようにビュンと飛びさった。
 エア・カーが見えなくなると、コハクはマイヤーを振り返り、
「お留守番、よろしく!」
 と、玄関にダイアンを降ろそうとした。
 するとダイアンは、
「おいらも一緒に行くにゃ」
 リュックに爪を立て、降りようとしない。
「ダイアンはお留守番するの」
 コハクはリュックを小さく揺さぶる。
「いやにゃ」
 マイヤーと遊び飽きたダイアンは、毎日が退屈でしかたがないのだ。
 コハクが困り果てていると、
「じゃ、あたしが連れて行ってあげるわ」
 イーライが、優しくダイアンを抱きあげる。
「にゃっほー」
 ダイアンは嬉しそうにイーライの手を、ペロペロと舐めた。
「もう、イーライちゃん、ダイアンを甘やかしちゃだめ」
 コハクは腕を組んでダイアンを、じっと見たが、ダイアンはグルーミングして、知らんぷりだ。
 去年、ダイアンが、まだ子ねこだった頃、コハクは、密かにダイアンを学校に連れて行ったことがる。ところがちょっと目を離したすきに、学校の飼育小屋に入って、うさぎ、百羽を全部逃がしてしまったのだ。しかもダイアンとうさぎの大運動会で学校中が大騒ぎ。
 放課後、コハクは職員室によばれ、先生から、こっぴどく叱られたのだった。
「今日は、大人しくしてるのよ」
「わかってるにゃ」
 ダイアンは嬉しそうに目を細め、イーライの腕の中で、ゴロゴロとのどを鳴らした。 
 コハクの白いレンガ造りの家は、緑の絨毯が敷きつめられたような、小高い丘にある。庭先には糸杉が立ち並び、朝早くから、小鳥たちが、愛らしく、チッ、チッと鳴く。
 丘の斜面の大部分は、ぶどうやオリーブの畑が遠くまで広がり、地平線の彼方には、青い海が見える。
 家の前を通るでこぼこ道は、ふもとの村につながる一本道だ。ゆるやかなカーブを描くその道を、道なりにてくてく歩いていると、コハクたちの小学校に着く。
そして、おじいちゃんの研究所は、その村からエア・カーで、北へ三分ほど飛んだ、大きな街にあるのだ。

 あれだけいやだった夏の登校日も、終わってみればあっけなかった。
(早く帰ろうっと!)
 コハクは急いでリュックに荷物を入れた。
 その時だった。
 教室の大きなテレビ画面に、
「ニュース速報です。ニュース速報です」
 大きなテロップが流れた。
 帰りの準備でざわめく教室が、シンと静まりかえる。
「今から、天才発明家、エジポン博士の重大発表があります」
 コハクをはじめ、クラスのみんなが、テレビ画面をくいいるようにみつめた。
「それでは、エジポン研究所から、発表のようすをお伝えします」
 急にカメラが切りかわり、大きな画面に、エジポン博士とハイマンさんがうつった。
「コハクちゃんのおじいちゃんだ」
 イーライとアルウが声をあげた。
 クラスのみんなが、コハクに注目した。
 コハクの頬が赤くそまる。
 テレビ画面には、エジポン博士の、光る禿げ頭や、耳の生え際の白髪、だんご鼻、白いあごひげが、大きく映し出されている。
「ゴッホン」
 エジポン博士は、重々しく咳をした。
 会場がシンと静まりかえる。
「我々は、ついに愛の発明をしました」
 博士の第一声に、つめかけた記者たちは、キョトンとした。
「博士、今、何といわれましたか?」
 若い男性記者が聞き返す。
「愛の発明をしました」
「愛を発明したんですか?」
 若い記者が博士をからかうようにいう。
 せまい会場にドッと笑い声がうずまく。
 エジポン博士は厳しい目で会場を見回し、
「わたしは『愛を発明した』と、ひとこともいってません。『愛の発明をした』といっているのです」
 と、ピシャリといって、若い記者をきつく睨んだ。
 再び会場が静まりかえる。
 ガタンと、椅子の音がして、シニヨンの若い女性記者が立ち上がった。
「とてもロマンチックな発明ですね」
 優しいが、よく通る声だった。
「美しいおじょうさん、ありがとう」
 エジポン博士は微笑み、会場は和やかな雰囲気につつまれた。
「我々は、ついに、あの夢のマシーン、天使フィルターを発明しました」
 その瞬間、嵐のようなシャッター音と閃光が博士に降りそそいだ。
 記者たちは動揺を隠しきれず、会場は騒然となった。
「あの、夢のマシーンを発明されたんですね」
「そのとおりです。我々は天使フィルターを完成させたのです。この発明で人類はついに、戦争のない世界、完全に平和な世界を手に入れることが出来るのです!」
 エジポン博士は立ち上がると、黄金の宝石箱から、ローズクォーツの玉と銀の台座を、取り出して、記者たちに見せた。
 会場にフラッシュの嵐が吹き荒れる。
「では、はじめます」
 エジポン博士が銀の台座をハイマン助手に手渡すと、彼は実験台の上にそれを固定した。
 会場が水をうったように、静まりかえる。
「これが天使フィルターです」
 エジポン博士が、ローズクォーツの玉を、銀の台座にはめこんだ。
 すると、高さ二メートルほどの、ピンクゴールドに輝く、光のハート型リングが空間に浮かびあがった。
「ワァッ!」
 会場に、歓声が上がり、記者たちは光りのリングに心をうばわれた。
「この発明は天使が与えた奇跡の発明です。天使フィルターをくぐった人間は、天使の洗礼を受けた者のように、心と魂が清められ、心の闇や穢れがなくなります。そして魂は、天使の魂のように光り輝くのです」
「うおおっ」
 会場にどよめきが走る。
 そこでエジポン博士は、一呼吸おき、
「完成できたのも共同研究者、ハイマン君のおかげです」
 と、ハイマン助手をみんなに紹介した。
 会場は拍手で沸き、シャッター音が嵐のように鳴る。
 すぐに記者たちは、競うように質問を浴びせた。
「凶悪な犯罪者でも、天使フィルターで心と魂を清め、善人にすることができますか?」
「もちろん出来ます。天使フィルターは、天使の愛の光りです」
「エンジェルランドの全ての人が、天使フィルターをくぐれば、王国はどうなりますか?」
「天使の王国、真の愛の王国になるでしょう」
 博士は、記者たちの問いに、一つ一つ丁寧に受け答えした。
「まさに天使のフィルターは愛の発明ですね」
 シニヨンの女性記者が、博士を尊敬の眼差しでみつめた。
「もう、戦争や差別はうんざりです。我々の最終目標は、地球を丸ごと、天使フィルターで清めることです。そうすれば、自分の欲望のために、平気で他人や動物を傷つけ、命を奪い、地球環境を破壊するような人間たちを、一瞬で、天使の心と魂の持ち主に変えることが出来ます。もちろん、心が美しい人の魂は、より美しく光り輝き、世界中に天使があふれるでことでしょう。そうなれば、地球から戦争が消滅し、人類は永遠の平和を手に入れることが出来るのです」
 エジポン博士が話し終えると、記者たちは一斉に立ち上がり、会場全体が、割れるような拍手で震えた。
 この衝撃的なニュースは、またたくまに、世界中に配信され、〈エンジェルランドのエジポン博士、天使フィルターを発明! 人類はついに世界平和を手に入れることに〉という大見出しとともに、エジポン博士の禿げ頭と団子鼻の写真が、世界中の新聞の、トップをかざった。

 ニュース速報が終わると、先生をはじめ、クラスのみんなが、コハクを取り囲んでいた。
「エジポン博士のサイン欲しいなぁ」
「先生は、コハクちゃんの担任で、嬉しいわ」
「コハクちゃんのおじいちゃん、凄い!」
(……)
 コハクはみんなから次々と声をかけらた。
(朝、会った時に、どうして、話してくれなかったの)
 コハクは、おじいちゃんに腹が立った。無性に腹が立った。天使フィルターのことを、全く聞かされてない。だから、何も答えるが出来ないのだ。
 コハクは、耳を塞ぎ「わあっ」と声を上げたくなった。
 その時、誰かが、コハクの手を強く引っ張った。混雑する教室から連れ出してくれた。
「コハクちゃん、大丈夫?」
 イーライとアルウだった。
「ダイアンがいないわ」
 コハクが、生徒や先生でごったがえす教室を、心配そうに振り返る。
「おいらなら、ここにいるにゃ」
 コハクのリュックから、ダイアンが、ピコッと顔だけ出した。
 三人は、混乱する教室から脱出し、校舎の裏の門から、逃げるように学校を飛び出した。

 記者会見から数日後、エジポン研究所に、なんと、アンバー刑務所から天使フィルターの注文が入った。施設の人間を天使フィルターで更正させ、社会復帰させることが出来ると期待されたのだ。
 さっそくエジポン博士とハイマン助手は、刑務所に行き、天使フィルターを納品した。
「お願いします」
 所長の希望で、天使フィルターは、施設と運動場を仕切る、大きな鉄の門に、取り付けられることになった。
「ここがいいだろう」
 白衣を着たエジポン博士は、門の一番高いところを指さした。
「わかりました」
 ハイマン助手は、宝石箱からローズクォーツの玉と銀の台座を取り出して、指定された場所に慎重に取り付けた。
(これで良し!)
 ハイマン助手が右手を高く上げ、博士に合図する。工事が完了したのだ。
「うむ」
 エジポン博士が大きくうなずく。
「お願いします」
 所長もエジポン博士の隣に並び、鉄の門を見つめる。
 天使フィルターで、罪を犯した人たちが、天使のような心と魂をもつ人間になったなら、王様の恩赦がおりることになっていた。
 運動場には、奇跡の瞬間の目撃者になろうと、多くの記者と職員が集まっていた。
「ハイマンくん」
 エジポン博士が目配せした。
「はい」
 ハイマン助手はうなずき、手に持ったスマホの画面をタッチする。鉄の門にピンクゴールドのハート型リングが、美しく輝く。
「おおっ!」
 運動場に集まった人々のあいだに、大きな声があがった。
「オッホン」
 エジポン博士がいつもの咳ばらいをする。
「素晴らしい」
 所長が思わず溜め息をもらす。
「いつでもどうぞ」
 エジポン博士は、ピンと背筋を伸ばした。
「今から朝礼をはじめる。全員、運動場に集合! 運動場に集合!」
 館内放送が流され、罪を負った百人ほどの人たちが、続々と長い廊下を歩き出した。
「あの美しいイルミネーションは何だ?」
 人々は口々に呟き、天使フィルターをくぐって、次々と運動場に姿を現した。
「こ、これは一体どういうことだ……」
 所長をはじめ、集まった職員たちは、彼らの変わりように思わず声を上げた。
「オッホン。これが天使フィルターです」
 エジポン博士は誇らしげに胸を張った。
「信じられん……彼らの表情から、とげとげしさや、鋭さがない。それどころか、まるで天使にでもなったように、優しい眼差しをしている」
 所長は目をこすり、幾度となく目の前の人たちを見回した。
「すぐに天使度メーターで測りなさい」
 所長の命令で、慌てて職員が、タブレット型の天使度メーター〈人間の魂の天使度を測る測定器〉のボタンをタッチした。
「これはどういうことだ……」
 職員の声が震え、タブレットを握る両手が震える。
「どうした」
 所長も、天使度メーターの画面を覗き込む。
「メーターの数字が百パーセントです!」
 職員は、測定器をリセットして、天使度を測り直した。ところが、何回しても天使度が百パーセントを示すのだ。
「測定器が壊れているのか? 魔法か?」
 所長や職員たちは、天使の魂になった人たちを前にして、呆然と立ちつくした。
「愛の発明です」
 エジポン博士はにこやかに笑った。
「この刑務所の役目は終わりました」
 所長は目頭に涙を浮かべ、
「今日は特別な日だ。国王から恩赦が出た。きみたちは自由だ。三年間の社会福祉ボランティアに参加しながら、新しい人生をスタートしたまえ。おめでとう!」
 と、声を震わせながら宣言した。
 その瞬間、ワアッと歓声が上がり、囚人たちはもちろんのこと、エジポン博士や職員たちも、涙を浮かべ、ハグしたり、肩を抱き合ったりして喜んだ。 
 その後、罪を犯して、施設に収容された人たちは、次々と天使フィルターをくぐり、王様の恩赦で罪を赦され、社会復帰していった。
 もちろん、「罪をそんなに簡単に赦していいのか」という反発や抗議の声も、国民の間から上がったが、王様は、「人間は生まれながらの天使である。人を裁くのは神のみ。罪を赦すこともまた天使に近づく修行である」といって、惜しげもなく恩赦を出した。
 この衝撃的なニュースは、世界中で大きく取り上げられ、エンジェルランドは天国に最も近い王国と賞賛された。そして、エジポン博士は地球平和賞の最有力候補者にノミネートされたのだった。 
 
 八月も終わりに近づいていた。やっと夏休み最後の登校日が終わる。
 コハクは、ピンクの四角いリュックをコトコト揺らしながら、逃げるように教室を出た。
 相変わらず、小学校では、天使フィルターの話題でもちっきりだったからだ。
「おじいちゃんのせいよ」
 コハクは小さく呟き、廊下を駆ける。
 エジポン博士が一躍有名になったので、コハクは博士の孫ということで、メディアの注目を浴び、毎日のように、見知らぬ人から声をかけられ、心が参っていたのだ。
「コハクちゃん、まって」
 リュックを軽く引っ張られた。振り向くとイーライが肩で息をしている。
「一緒に帰ろうって、声をかけたのに、どんどん走るから、びっくりしたわ」
「ごめん」
 コハクは小さく頭を下げた。
「急いでた?」
 イーライが横に並んで歩く。
「おじいちゃんの発明のことで、みんなから、あれこれ聞かれるのが嫌なの」
「エジポン博士、有名人になったからね」
「知らない人にあとをつけられたり、しつこい電話やメール。もう、うんざり」
「コハクちゃん、呼び止めて迷惑だった?」
 イーライが、申し訳なさそうにいう。
「そんなことないよ。イーライちゃんは友達だから」
 コハクは笑ってみせた。
「よかった」
 イーライは、安心し、にっこりする。
 校門が見えてきた。アルウが二人に大きく手を振る。
「あれ、アルウくん、早いわね」
 コハクは少し驚く。
「今日は、夏の課題してたから、残されなかったよ」
 アルウは、嬉しくて、顔全部で笑った。
「今日は遊べないよ」
 コハクがそっけなくいう。
「コハクの周囲、騒がしいもんな」
 アルウは気の毒そうに見た。
「みんな、おじいちゃんのせいよ」
 最近のコハクは、いつもピリピリしている。
「変な奴にからかわれた?」
「毎日、毎日、どこにいっても知らない人に待ちぶせされたり、声をかけられたり……」
「有名になるのも辛いわね」
 イーライが、肩を落とす。
 コハクは、無言でうなずく。
「あたし帰る」
 校門を出ると、コハクは走りだした。
「待って!」
 慌ててイーライとアルウが、おいかける。
 しばらく歩いていると、草原の坂道に、真っ赤なエア・カーが駐車していた。
 コハクたちが、車の横を通り過ぎようとすると、エア・カーからシニヨンの若い女の人が降りてきて、
「エジポン博士のお孫さんね」
 と、コハクを呼び止めた。
「ちがいます!」
 コハクは強い口調で否定し、歩き続ける。
「君も博士のお孫さん?」
 今度はアルウが呼び止められた。
「ち、ちがいます」
「じゃ、コハクちゃんのボーイフレンドかな」
「そんなんじゃありません」
「アルウ、何してるのよ!」
 コハクが振り返り、きつく見る。
「だってこの女の人が」
 ためらっているとコハクが血相変えてやって来て、アルウと女の人の間に立った。
「もういいかげんにしてください」
「コハクちゃんね」
「そうですが」
「はじめまして、天使新聞のエレナです」
「知ってます」
「どこかでお会いした?」
「記者会見でおじいちゃんに質問してた記者の人でしょう。あたし、人の顔を一度で覚えられるんです」
「さすが博士のお孫さんね」
「おじいちゃんに用があるなら、直接研究所に行って下さい。あたしに発明のこときかれても、何もわかりませんから」
 コハクは背の高いエレナを見上げた。
 エレナは、ヒールを履かなくても一七〇センチはありそうだ。モデルのように手足も長く、艶のある亜麻色の髪を、シニヨンに綺麗にまとめている。
「ごめんね」
 エレナは、コハクの目の高さまですっと屈み、名刺を手渡してやさしく微笑んだ。
「何の用ですか?」
 コハクは名刺をちらとみる。
「コハクちゃんに、会いたかったの」
 もういちどエレナが微笑む。
「会えたから、もういいですよね」
「引き留めてごめんなさい」
「あたし帰ります」
「お家まで送るわ」
「けっこうです」
 コハクは、ずんずん、歩き出した。
「ど、どうも」
 アルウとイーライもエレナに小さく挨拶し、急いで走り出す。
「コハクちゃん」
 エレナがもう一度呼びかける。
 コハクが振りかえる。
「あたしエジポン博士を尊敬しているの。だから博士の発明が世界中で認められることを祈ってるわ」
 コハクは黙ってエレナをみつめた。
「だから」
 エレナは続けた。
「だから、コハクちゃん、これから大変なことが沢山あるかもしれない。もし何か困ったことがあったら、遠慮なくあたしに連絡して。あたしはあなたの味方よ」
 エレナは小さくコハクに手をふり、真っ赤なエア・カーで飛び去った。
「……」
 三人の前から赤いエア・カーが遠ざかる。
「コハクちゃん、大変ね」
 イーライがあきれ顔でいう。
「毎日、色んな人が声をかけてくるの」
 コハクは大きくため息をつき、あごをつきだした。
 三人は緩やかな草原の坂道をのぼる。ブドウやオリーブ畑に、夏のあたたかな風が吹き、緑の草が、海のようにざわめき波うつ。
 いつのまにかイーライの家の前だった。
「コハクちゃん、アルウくん、おやつ食べていかない?」
 イーライはいつも優しい。
「あたしはだめ。また誰か家に来てるかもしれないから、早くお家に帰らないと」
 コハクはまっすぐイーライを見つめる。
「アルウくんは?」
 イーライがアルウの顔をのぞき込む。
「あ、ぼくも用事があるから帰らないと」
 アルウが頭を掻きながら返事する。
 イーライは残念そうに微笑み、
「あした、遊ぼうね」
 手を振りながら、玄関のドアを開けた。
「うん、またあした!」
 コハクとアルウが笑顔で大きく手を振る。
 イーライが家に入ると、二人は横に並んで歩き出す。
「ほんとは用事ないんでしょ。せっかく誘われたんだから、おやつ食べればよかったのに」
 コハクが横目でアルウをみる。
「やっぱり三人のほうが楽しいから」
 アルウは後ろ首をぼりぼり掻いた。
「くふっ」
 コハクはちょっぴり笑う。
「また誰か待ち伏せしてるかも」
 アルウは、心配そうにコハクの横顔を見る。
「ありがとう」
 コハクはえがおで瞳を輝かせた。
 やっぱり一人は心細いのだ。
 二人は歩き続けた。
「あの人、悪い人じゃないわ」
「あの人って?」
「さっきの記者の人」
「そ、そうだね」
 アルウは両手を頭の後ろに組んで気のない返事をする。
「アルウ、あのお姉さん好きでしょう」
「わぁ!」
 コハクの思わぬ言葉に、アルウは足を滑らせそうになる。
「やっぱり、そうね!」
「ち、ちがうよ」
「だって美人だし、声をかけられて嬉しそうだったじゃない」
 コハクは悪戯っぽい目をして微笑み、走り出す。
 アルウもすぐに、おいかける。
 やがて小高い丘に、白いレンガで造られた、コハクの家が見えてきた。
「じゃ」
 アルウが、にっこり笑い、手を上げる。
「またね」
 コハクも微笑み、手を振る。
 アルウが行ってしまうと、コハクは肩ヒモを両手でグイと引き、ピンクのリュックを持ちあげた。それからいっきに家までの坂を駆けのぼった。
 家の玄関が見えた。すると、濃い茶色のねこが、走ってきた。
「ダイアン、ただいま」
「おかえりにゃ」
 ダイアンは、コハクに遠慮なく、飛びつき、リュックによじ登る。
「もう、リュックが、ぼろぼろよ」
 いつものことながら、コハクは、ダイアンのこのクセに、どうも慣れない。
「かつお節、食べたいにゃ」
 さっそくおやつのリクエストだ。
「マイヤーに頼んでたはずよ」
「マイヤーは、カロリーオーバーとかいって、おやつくれないにゃ」
 ダイアンは、ふんがいする。
「そりゃ、そうよ。最近、太ってるよ」
「いまがベスト体重にゃ」
「その大きなお腹が?」
 コハクはダイアンを抱きかかた。両腕にズッシリ体重がかかる。
「やっぱり重いわ」
「ばれたにゃ」
 ダイアンは、がっかりして、うなだれる。 コハクは、ダイアンを抱いたまま、玄関のドアを開け、家に入った。
「コハクか」
 まだ午後の二時だというのに、珍しくおじいちゃんの声がする。
「ただいま」
 ダイアンがコハクから飛び降りる。
「おじいちゃんに買ってもらった、新品の四角いリュック、泥で汚れてしまったの」
 コハクはピンクのリュックを床に降ろす。
「ルッチョラで洗えばすぐに新品同様になるよ」
 ルッチョラは、直径六十センチぐらいの透明な球体で、洗い物を中に放り込めば、特殊な菌が、瞬速で汚れを分解する洗濯ロボだ。
「やった!」
 コハクは大喜びして跳び上がり、さっそくリュックをルッチョラの中に放り込んだ。 
「これでよし!」
 コハクがフタを軽くぽんぽんと叩く。
 ルッチョラの円い透明のフタが閉まる。
「アライマス」
 ルッチョラはホタルの光りのような、やや緑がかった黄色い光りを発光し、部屋の中をゆっくり転がりはじめた。
「そのままほっとけば洗濯から乾燥まで自動でしてくれるよ」
 エジポン博士は両手をズボンのポッケにつっこみ、微笑んだ。
「おじいちゃん、いつもすごいね」
 コハクは尊敬の眼差しで、目を輝かせた。
「ジュース飲むか」
「うん」
「マイヤー、すまないが、ジュースを頼む」
「モギタテノ、ブドウモアリマス」
 マイヤーが冷蔵庫のよく冷えたブドウのホログラムを空間に浮き上がらせた。
「ブドウか、美味しそうだ。一緒に頼むよ」
「ハイ」
 マイヤーは、ジュースとブドウを、すぐに冷蔵庫から持ってきた。
「ありがとう! マイヤーも一緒にジュース飲もうよ!」
 コハクが呼ぶと、
「アリガトウ、ゴザイマス」
 マイヤーが、コハクの左側に座る。
 コハクはおじいちゃんとマイヤーに挟まれ、満面の笑顔をみせた。
 その時、ダイアンが、マイヤーの肩に飛び乗った。好奇心旺盛なダイアンにとって、マイヤーは格好の遊び相手だ。
 ところがマイヤーは、
「ハクション、ハクション」
 突然、咳き込んで、くしゃみが止まらない。
 ダイアンは、遊び相手にならなくて、つまらなさそうに、後ろ足で耳の裏を掻いた。
「今日ね、シニヨンの女の人に声をかけられたよ」
 コハクはジュースをゴクリと飲んだ。
「シニヨンの女の人?」
 おじいちゃんはキョトンとしている。
「記者会見の時に、おじいちゃんの発明をロマンチックな発明っていった女の人」
「ああ……あのお嬢さんか」
 ようやく思い出したのか、博士は、ゆっくり二、三度、うなずいた。
「エレナさん、おじいちゃんのこと尊敬してますって」
 コハクはブドウを一つ摘まみ、口に放りこんだ。
「それはありがたいな」
 おじいちゃんは、コハクの話しを聞くのが嬉しくて、顔全部で笑った。
「おじいちゃん、今日はめずらしいね」
「そうか」
「だって昼間なのに家にいるんだもの」
「たまには休まないとな」
「じゃ、今日は、ずっとお家にいるの?」
 コハクは目を輝かせ、瞬きする。
「そうだよ」
 おじいちゃんは微笑みながら、うなずく。
「やった!」
 コハクはソファの上に立ち上がり、繰り返しジャンプした。
「コ、コハク」
 小柄なエジポン博士が上下する。
 ダイアンもコハクと一緒にジャンプする。
 しばらく笑顔だった博士も、揺れて気分が悪くなったのか、
「コハク、そろそろ座りなさい」
 さすがにコハクをとめた。
「はーい」
 コハクがちょこんと腰かける。
 おじいちゃんは、柔らかなえがおで、左手をのばしコハクの頭をくしゃとなでた。
「今日はずっと家にいるから」
「やった!」
 コハクは、幸せそうに笑った。
 今日は家族団らん、楽しい一日になりそうだ。
 
 エンジェルランドの暗黒街の大ボス、デビルンは、天使フィルターの発明から、眠れない毎日を送っていた。
 仲間や手下が、警察に捕まると、その翌日には、まるで別人になったように、善い人になって帰って来くるからだ。おかげで何千人もいた悪党仲間も、今では、わずかな人数となっていた。
「おれの組織は壊滅だ」
 深夜の三時を過ぎていた。デビルンは激しく苛立ち、ベッドに腰掛け頭を抱えた。
 その時、部屋の奥の暗がりから、
「あんた、それでも悪党なの」
 と、不気味な声がした。
「だ、誰だ!」
 デビルンは枕の下から拳銃を取り、部屋の奥に銃口を向けた。
「悪党なら、いちいち、びびらないのよ」
 デビルンの前に、コウモリのような羽を持つ、黒猫が現れた。
「な、なんだ、のら猫か」
「ほんとにあんたはチキンね」
 黒猫があざわらう。
「なんだと!」
 デビルンはカッとなり、引き金に力を入れた。すると銃口が飴のようにグニャリと曲がり、自分の方を向いた。
「ひ、ひぇー」
 デビルンは驚いて、ひっくり返り、ゴキブリのように手足をばたつかせた。
「怯えすぎよ」
 黒猫は音もなく移動し、呆れ顔でデビルンの顔を覗き込んだ。
「た、助けてくれ!」
 デビルンは、不気味な黒猫に殺されると思い、震え上がった。
「あたしは、悪魔猫、ルシニャンよ」
「ルシニャン」
 デビルンはカエルのように腹ばいになって、ルシニャンを見た。
「あなたの味方よ」
 ルシニャンが、黒く長い髭をピンと伸ばし、デビルンを鋭い目で睨む。
「み、味方だと。猫のくせに」
 馬鹿にするなと、デビルンが鼻でわらう。
「あんたを助けたいの」
 ルシニャンは、四つ足をぴんと伸ばし、はいつくばったデビルンを見おろした。
「のら猫め! おれをなめるなよ!」
 デビルンは立ち上がろうとしたが、金縛りにあって、目玉と口しか動かせない。しかも、見えない力で喉が締め付けられ、息が出来ないのだ。
「く、苦しい……」
「天使フィルターが邪魔なんでしょう」
 ルシニャンがニタッとわらう。
「あ、あたりまえだ……」
「あたしと取引しない?」
 ルシニャンは、箱座りして黒い鼻先をデビルンの目の前につきだした。
「と、取引……」
「あなたの魂が欲しいわ」
「た、魂をやれば、お、おれは死ぬ……」
「生きてるうちは取らないわよ」
「し、死んだらか……」
 ルシニャンがゆっくりうなずく。
「あ、あんたはおれに何をくれる」
 デビルンの息が少し楽になる。
「ありとあらゆる欲望を満たしてあげるわ」
「あらゆる欲だと!」
「あなたが望むもの全てよ」
「おお、それは嬉しい取引だな」
「あなたが欲深くなれば、不幸な人間が増えるわ」
「それがあんたに何の得になる」
「人間が嫉妬や怒りで、互いに傷つけ合えば、魂は光を失い悪に染まるのよ」
「悪趣味だな」
「あなたも、人の苦しみや悲しみを楽しんでるわ」
「たしかに、そうかもしれん」
「人間の魂が輝きを失えば、闇が広がり、闇が深まる。この世は悪魔の世界になるのよ」
「なるほど、おれも神や天使ってやつが、吐きけがするほど嫌いだ。愛だの光りだの、聞いてるとむしづが走るぜ」
 金縛りが解け、体が自由になったので、デビルンはゆっくり起き、胡座をかいた。
 するとルシニャンも床にお尻をつき、向き合うように座った。
「趣味が合うようね」
 ルシニャンがニタリと笑う。
「そうだな」
 デビルンもニッと笑った。
「悪魔の契約をする気になったかしら」
 ルシニャンが、邪悪な緑に目を輝かせる。
「もちろん」
 デビルンは緑の目に呑み込まれた。
「なら誓いのキッスよ」
 ルシニャンが鼻を突き出す。
「き、キッスだと」
 デビルンは、四つんばいになって、黒猫に顔を近づける。するとルシニャンが鼻を突きだし、デビルンの鼻にギュッと押しつけた。
「契約成立よ」
 ルシニャンが薄笑いする。
「簡単だな」
「悪魔はシンプルが好きなの」
「おれはこの国の全ての金が欲しい」
「金なんてそんなちっぽけなものより、あんたは、この国の王になることも出来るわ」
「王か、悪くないな」
 デビルンが、思わずほくそ笑む。
「天使フィルターが邪魔なの」
「そうだ。気にいらね。ぶっ壊す」
「さっそく作戦会議よ」
 ルシニャンは黒い羽をたたんで箱座りし、緑の目を鋭く光らせた。
 それから深夜の薄暗い部屋で、悪魔猫と悪党が、ひそひそと、恐ろしい計画の打ち合わせを、はじめるのだった。 
 ルシニャンと悪魔の契約を交わしたデビルンは、数日後、さっそく悪党仲間の全員に、銀行強盗の計画を持ちかけ、実行に移した。
 ところが、デビルンが、突然仲間を裏切り、警察に計画を通報したのだ。おかげで悪党仲間は全員つかまってしまった。
 しかもデビルン自身も自首し、
「わたしは罪をつぐなう。天使フィルターをくぐり、世のため人のために働きます」
 と心を入れ替える決意を表明したのだ。
 こうしてデビルンと悪党たちは、あっけなくアンバー刑務所に送られ、天使フィルターを、くぐった。
「もう、この王国で凶悪な犯罪は起こらない」
 刑務所の所長は思わず呟いた。
「わたしがデビルンの天使度を測ろう」
 所長は天使度メーターを握り、デビルンに向けると、すぐにメーターが振り切れた。
「おお、天使度が百パーセントだ」
 所長は顔を上げ、デビルンの横顔をしみじみと見つめた。
「デビルン、いや、デビルンさん。これからは共に、世のため人のために頑張りましょう」
 所長は親しげに、かつての暗黒街の大ボスに手を差し出した。
「ありがとうございます。がんばります」
 デビルンは、頭を下げ、両手で所長の手を握り締めた。
 世間を脅かす悪党が、全て善い人になった瞬間だった。
 王様はお城のテラスから手を振り、
「もうエンジェルランドに悪党はいない。刑務所も必要ない。わが王国は、天使のすむ、真の平和な国、真の愛の王国になったのだ」
 と、自信に満ちた声で人々に宣言した。
 すると国中の人々が「真の平和! 真の愛!」と熱狂し、王国の至る所で平和のお祭りやパレードが行われた。
 その後、エンジェルランドの全ての刑務所が、天使の公園として生まれ変わり、人々の憩いの場となった。しかも公園の全部に天使フィルターが置かれたので、多くの人々が、競って天使フィルターをくぐたのだった。

 ハイマンはエジポン博士の命を受け、天使フィルターのメンテナンスに行った。行く先は、アンバー刑務所跡地の公園だ。この公園の天使フィルターは、その後、エンジェルランド全土に設置された、天使フィルターのメイン施設で、この施設の天使フィルターが、全国のフィルターのエネルギーをコントロールしていた。
 公園に着いたハイマンは、天使フィルターの一号機に向かって歩いた。
 今はもう、要塞のような建物や、受刑者の脱走を阻む分厚く長い壁、レザービームを流した高いフェンスはなく、見晴らしのよい高台に、公園を埋め尽くすほどのマドンナ・リリーが美しく咲き乱れていた。
 ハイマンの目に、天使フィルターの美しい、ピンク・ゴールドのハート型リングが見えてきた。
「全てはここからはじまったのだ」
 ハイマンは天使フィルターの前に立ち、リングを見上げた。
「これは、おれがいなけりゃ出来なかった」
 ハイマンは大きくため息をつき、天使フィルターのリモコンを握りしめた。
 その時、急に風が吹き辺りが真っ暗になった。そして、心に絡みつく不気味な声がした。
「そうよ、あんたは不当に評価されてるわ」
「だ、だれだ!」
 ハイマンは周囲を見渡したが、だれもいない。ところがいつ来たのか、緑の目をした黒猫が、足下にいた。
「薄気味悪い猫だ」
「レディーに失礼ね」
「ね、猫がしゃべった」
 ハイマンは思わず黒猫の前から退いた。
「猫、一匹に、びびらないで」
 ルシニャンがあざわらう。
「な、なんだと」
「あたしは悪魔猫、ルシニャン」
「悪魔猫だと」
「あんたの味方よ」
「化け猫め」
「あなたはエジポンより天才よ」
「悪魔め! 騙されんぞ」
「そうヒステリックにならないで」
 ルシニャンが、フゥ、とため息をつく。すると、ハイマンの体がふわりと浮く。
「や、やめろ!」
 気がつくと、ハイマンはマドンナリリーの花壇の上に仰向けに倒れていた。
「か、体が」
 ハイマンは金縛りにされ、目と口しか動かせない。
「ゆっくり話しましょう」
 ルシニャンは、そういいながら、ハイマンのお腹に、ドスッ、と飛び乗った。
「おえっ」
 ハイマンが身もだえる。
「少しは自分の欲に正直になったかしら」
「……」
 ハイマンは目だけをくりくり動かした。
「あたしと手を組めば、あんたは、地位も名声も大金も手に入れることが出来るわ」
「なぜおれの欲を叶えようとする?」
「あたしは天使が嫌いなのよ」
「おれにどうしろと」
「ようやく素直になったわね」
「ああ、そうさ、有名になりたいさ。おれが世界一の天才だと世界に認めさせたい。エジポンのプライドや名声を叩きつぶしたい」
「そうこなくっちゃ」
 ルシニャンがハイマンから飛び降りる。
「あっ」
 金縛りが解け、体が自由になる。
 ハイマンは、上体を起こし、二、三度大きく深呼吸した。
「これから天使フィルターのバージョンアップをするでしょ」
「なぜ知ってる?」
「あたしは、何でもお見通しよ」
 ルシニャンは地面にお尻をつけて座り、ハイマンをじっと見た。
「確かにバージョンアップだ。このメインフィルターをバージョンアップすれば、全国のフィルターも新バージョンに自動更新される」
「天使フィルターがバージョンアップすれば、フィルターで天使の魂になった人間の天使度も、連動してアップするわよね」
「そのとおりだ」
「なら、バージョンアップせずに、バージョン・ダウンしてほしいわ。それも極限までね」
「な、何だと。人間の魂が光を失うぞ!」
「それでいいのよ」
「なに」
「魂が光を失えば、この世はどうなるかしら?」
「ど、どうって」
「この世は闇になるのよ」
「闇になる」
「察しが悪いのね」
「……」
「魂が輝きを失えば、人間は限りなく利己的になり、欲深く、冷酷で残忍になるわ」
「人間を悪魔にする気か」
「あなたは、コントローラーのスイッチを入れるだけでいいの。それだけで、あんたはこの国の王でも、世界の王にでもなれるわ」
「だがルシニャン、おまえに何の得がある」
「あたしは人間が、心も魂も醜くなって、駄目になるのを見たい。神の創造物を壊したいのよ」
 ルシニャンは薄笑いし、話し続けた。
「人間は天使になど成れない。あんたは、おろかな人間どもに、それを教えてやるの。特におごり高ぶったエジポンにね」
「条件は何だ」
「あなたの真っ黒く染まった魂が欲しい。あんたは死ぬ瞬間まで、欲望の限りをつくして生きるの。大金、地位、名誉、欲しい物は全て満たしてあげるわ」
「欲望の限りを尽くせば極上の黒い魂が出来上がるというわけか」
「素敵でしょ」
「おれに天使の信仰を捨てろというのか」
「神も天使も信じてないくせに、クフッ」
 ルシニャンの目が笑う。
「死ねばおれは地獄に落ちる」
「地獄は嫌?」
「あたりまえだ」
「じゃ、いいことを教えてあげるわ」
「いいこと」
「約束を守れば、あなたの魂は天使の裁きを受けなくてすむのよ」
「どういう意味だ」
「あなたの魂が、あたしのものになったとき、悪魔の魂になるの」
「悪魔の魂だと」
「悪魔の魂になれば、あなたは天使の裁きを受けることなく、悪魔の国で、死んでも欲望の限りを尽くすことが出来るのよ。すてきでしょう」
「悪魔も悪くないな」
「悪魔の国は、天国より楽しいわ」
「わかった。取引しよう」
 ハイマンは少しもためらわなかった。
「こっちへ顔を近づけて」
 ルシニャンが鼻先で来いと合図する。
 ハイマンは、四つんばいになって鼻先をルシニャンの顔に近づけた。ルシニャンの湿った鼻先が、ハイマンの鼻先に、グニュ、と押しつけられる。悪魔の生臭い口臭が、口の中から入り、彼の肺を満たした。
「へ、こ、これだけか」
「悪魔と取引するのは簡単でしょ」
「ああ」
「さっそく仕事に取りかかりなさい。天使度をマックス、バージョンダウンにするのよ」
「わかった」
 ハイマンは薄ら笑いし、天使度が極限までダウンするよう、天使フィルターのプログラムを変更して、スイッチを入れた。
 
 その頃、エンジェルランドでは、何千万人もの人々の魂が光り輝き、王国の全てが、愛と平和で満ちあふれていた。
 警官や王様に仕える兵隊たちは、平和になった町をしみじみと眺め、
「もう、われわれの出番はなくなった」
 口々につぶやくと、一人、また一人と、天使フィルターをくぐった。
 彼らは仕事を失ったが、貧しさや、重い病気、孤独や老いで苦しむ人々を助ける仕事にすすんで就いた。
 警官だったある人は、田畑で作った米や麦や野菜を飢えに苦しむ人々に配り、また、兵隊だったある人は、山奥や離島を行き来する、ヘリや船で病人を運んだ。武器を売っていた商人たちも、病や怪我で苦しむ人たちのところに、爆弾の代わりに、薬や医療器具を命がけで運んだ。
 こうして、すべての人々が、他人を優しく労り、幸せや笑顔を届ける仕事に就いたのだった。
 その一方で、銃やミサイル、戦車、戦闘機、軍艦、ロボット兵器など……人殺しのための、あらゆる兵器は解体され、溶鉱炉で溶かされた。しかも、溶けて金属の塊となった鉄屑は、車いすや介護ベッド、ロボット義足など、社会で最も苦しんでいる人々の為に優先的に使われたのだ。
 エンジェルランドは、天使の国、愛の国となり、世界中の人々の、あこがれの王国、地上の楽園となるはずだった。

 王様とお妃様が王の部屋で寛いでいると、
「大変です! 大変です! 王国のいたるところで、人々が暴れ、お店を壊してます」
 部下が血相変えて駆け込んできた。
「バカも休み休みにいいたまえ」
 王様は、部下の悪いジョークかと思った。
「王様、もう、このお城も占領されました!」
「ジョーダンがすぎるぞ!」
 さすがの王様も、腹立たしくなって、王の椅子から立ち上がった。
 その時、奥の扉に黒スーツの男が現れ、
「ここはおれの城だ」
 と、事もなげに言い放った。
「デビルン」
 王様は怒りにふるえ、彼を睨んだ。
「王様から名前を呼ばれるとは、光栄ですな」
 デビルンは、わざとらしく頭を下げた。
「君は天使フィルターで更生したはずだが」
「へい、たったいま、その天使フィルターで、悪党として更生いたしやした」
「何だと!」
「まぁ、難しいことはハイマンに訊いてくだされ。それより、サッサとそこをどけよ、老いぼれ」
「デビルン、血迷ったか」
「血迷ってるのは、王様、あんたでやんすよ。ワッハッハッ」
 デビルンは冷たく笑った。
「デビルンを引っ捕らえよ」
 王様は、強い口調で部下たちに命令した。
 ところが、誰一人として、デビルンを捕まえようとしない。それどころか、駆けつけた全ての部下たちが、冷ややかに笑い、王様が狼狽するのを楽しんだ。
「いったい、これは」
 王様は呆然となった。
「王と王妃を引っ捕らえろ」
 デビルンらは、王様とお妃様を取り押さえると、王冠を奪った。
「天使フィルターなんて、ふざけたものに頼るから、こうなるんだ」
 デビルンは、自分で王冠をかぶると、王の椅子に腰掛け、王様とお妃様を見下ろした。
「人間の魂を機械で天使の輝きにするなんて、ふざけた発明をエジポンがしやがった。ところが、親切なハイマンが、面白くねえと、天使フィルターに、ちょこっと手を加え、魂を真っ黒にする、悪魔フィルターにしたのさ」
「ハイマンが、まさか」
 王様は、愕然とし、うなだれた。
 その時、銀縁メガネの男が現れた。
「人間が、一度でも天使フィルターをくぐれば、フィルターのエネルギー量を変えることで、人間の魂を、天使にも、悪魔にも変えることができるのです。つまり天使フィルターには天使と悪魔の顔があるのです」
 王様の目の前に黒いスーツを着たハイマンが立っていた。
「エジポン博士を裏切ったな」
「エジポンのせいで、おれは世の中から不当に低く評価された。世界一の天才は、このおれだ!」
「おまえは間違ってる」
「だまれ!」
 ハイマンは激しく叫び、王様とお妃様を牢に閉じ込めるよう、部下たちに命じた。
 その時、玉座の上にルシニャンが現れた。
「二人ともよくやっわね、これでエンジェルランドは悪魔の王国になったわ」
 ルシニャンは二人を見て、満足げに笑った。
「ちょろいもんだぜ」
 デビルンが自信満々に目を輝かせる。
「わたしが天才だから、できたのだ」
 ハイマンはデビルンを無視した。
「誰のおかげで作戦が成功したと思ってる」
 デビルンは、ハイマンの偉そうな態度に、むかついた。
「ふん」
 ハイマンが鼻でわらう。
「きさま、なめんなよ」
 デビルンが腰のレーザー銃を握る。
 ハイマンも銃のトリガーに指をかける。
「いいかげんにしなさい! 今、あんたたちに死なれたら、極上の黒い魂が手に入らないでしょ。約束は守ってもらうわ」
 ルシニャンは、怪しく光る緑の目で、二人を威圧した。
「や、約束は守るぜ」
 デビルンは、悪魔のエネルギーに震え、銃をおろした。
「おれも約束は守る。ついでに、デビルン、おまえに、この国はやる」
 ハイマンがニヤリとしながら、メガネの縁をつまんだ。
「なに」
「おれは、世界の王になるのさ」
 ハイマンは、そういって、高笑いし、王の部屋から出て行った。

 エンジェルランドが大変なことになっているとは知らず、コハクは、夏休み最後の探検をしに、イーライとアルウの三人で、コーパル湖に来ていた。もちろん、目的は、三人の夢、黄金の天使の神殿を探すためだ。
「やっぱり今日も見つからないね」
 コハクが小さく肩を落とす。赤いワンピースが風に揺れる。
 エジポン博士に黙って、新型エア・カーを借りてきての探検だった。もちろんコハクは免許を持たないので、操縦はマイヤーだ。
「伝説の天使の神殿は、違う場所にあるんじゃないかな」
 アルウは、神殿伝説の絵本をパラパラめくった。
「今日はこれでおしまいね。エア・カー無断で借りてきたから、早く帰らないと、おじいちゃんに叱られるわ」
 コハクは、おじいちゃんが心配する顔を思い浮かべ、申し訳なさそうに、うなだれた。
 その時、マイヤーの真っ白なボディーが、真っ赤になり、危険モードになった。
「エジポンハカセカラ、キュウジョ、シンゴウガ、デテマス!」
「おじいちゃんが助けを……」
 コハクは青ざめ声を震わせた。
「コハクちゃん、急ぎましょう!」
 三人はすぐにエア・カーに乗り、コハクの家に飛んだ。
 数分後、エア・カーはコハクの家に着いたが、すでに建物はなく、焼け落ちたがれきの山があるだけだった。
「おじいちゃん! ダイアン!」
 コハクは、エア・カーから飛び降り、がれきの山に走った。
「コハクちゃん!」
「コハク!」
 イーライとアルウも慌ててあとをおう。
「おじいちゃん!」
 コハクの目に涙があふれる。
「コハクちゃん」
 焼けこげた建物から、人影があらわれた。ダイアンを抱いた、エレナだった。
「エレナさん、ダイアン!」
 コハクがダイアンを受けとり抱きしめる。
「エレナさんが、燃える家から救い出してくれたにゃ」
 ダイアンは、すすで真っ黒くなっていたが、火傷もなく、大きな怪我もしてなかった。
「エレナさん、ありがとうございます」
「あたしが取材で着いたとき、家はものすごい炎につつまれてたの」
「おじいちゃんは」
「反乱したデビルンたちが、どこかに、連れて行ったにゃ」
「デビルンが反乱って、どういう意味なの? みんな天使になったはずじゃ」
 コハクは自分の耳をうたがった。
「天使フィルターが、ハイマンに改造され、悪魔フィルターにされたにゃ」
「そんな……まさか、あのハイマンさんが」
「デビルンが話してたにゃ。ハイマンはエジポン博士を恨んでいるとにゃ」
「ハイマンさんに濡れ衣をきせるためじゃないかしら」
 エレナがつぶやく。
「きっとそうよ」
 イーライも、まじめなハイマンさんが、そんなことをするはずがないと思った。
「ちがうにゃ。ハイマンもデビルンも、ルシニャンに魂を売ったにゃ」
「ルシニャン?」
 三人は声をそろえる。
「悪魔猫にゃ」
「まさか堕天使猫のこと?」
 エレナは小さな頃に読んだ、天使猫と悪魔猫の物語を思い出した。
「あれは本当の話しにゃ。地上に堕とされたルシニャンは、神様を逆恨みし、悪魔猫となって、宇宙を悪で染めようとしてるにゃ」
「ハイマンさんは、だまされたのよ」
 コハクが気の毒そうにいう。
「ハイマンにも心の弱さがあったにゃ」
「大人も心がもろいんだ」
 アルウの一言に、みんな肩を落とす。
「心の弱さに、大人も子供もないわ」
 珍しくイーライが興奮気味になり、拳を握りしめる。
 イーライは大人だと、コハクはいつも思う。
「エンジェルランドを救わなきゃ」
 いってみたものの、コハクは何も出来ない。それでもいう。いえば考えるから。考えれば何か思いつくかもしれない。
「どうしたらいいんだろう」
 アルウが地べたに座り込んで腕を組む。
「早くエジポン博士を探しだして、みんなを元に戻さないと、世界中で戦争が始まるにゃ」
「どうしてそんなことになるの」
 コハクが青ざめる。
「俺たちの野望は世界の王になることだって、デビルンがいってたにゃ」
「そんな……」
 イーライは涙を浮かべ、両手で顔をおさえた。
「そうよ。元に戻せるのは、おじいちゃんだけ。マイヤー、おじいちゃんがどこに連れて行かれたか、わかった?」
「オシロノ、チカシツデス」
「ええ! どうして、お城なの? クリスタル城には、王様がいるじゃない!」
 コハクの声が震える。
「まさか王様まで、魂が悪魔になったの」
 イーライの手足が震える。
「王様とお妃様も牢に閉じ込められたの」
 エレナさんが情報をつかんでいた。
「お城が乗っ取られたってことですか?」
 アルウはエレナの顔をのぞき込む。
「デビルンが自分で王冠をかぶり、王位についたそうよ」
 エレナが拳を握りしめ肩を落とす。
「エンジェルランドは悪魔の王国になってしまったんですか?」
 イーライは恐ろしくて、体の震えが止まらなくなった。
「じゃハイマンさんはどうなったの?」
 コハクはどうしても、ハイマンさんが、おじいちゃんを裏切ったとは、信じられない。
「わからないのよ」
 エレナの情報網でもハイマンの足取りは掴めないようだ。
「ケイコク! ケイコク!」
 マイヤーのボディーカラーが、真っ赤に変化した。
「キケンガ、セマッテマス。ココハ、キケンデス」
 マイヤーの探知機が何かに反応したのだ。
「急ぎましょ。町や村で人々が暴れてるの」
 その時、大きな爆発音とともに、エレナのエア・カーが炎上した。ミサイル攻撃を受けたのだ。
「きゃあぁ」
 コハクたちは、耳を押さえ、その場にかがみ込んだ。恐ろしくて足がすくみ、立ち上がることさえ出来ない。
「早く逃げるのよ!」
 エレナが、コハクたちをエア・カーに走らせる。
「ハヤク! ハヤク!」
 マイヤーが、エア・カーの発進準備をした。
「急いで!」
 エレナに押され、コハクたちは次々と、エア・カーに乗り込んだ。
 空の一点がキラリ輝いた。新型のロボット戦闘機だった。
「エレナさん早く!」
 コハクは手をのばしたが、
「マイヤー、発進しなさい!」
 エレナは叫び、ドアを閉めた。
「四人乗りよ。はやくエジポン博士を助けて、天使フィルターの暴走を止めるの」
 車は急発進し、エレナが小さくなる。
「マイヤー、どうして発進したの。エレナさんを見殺しにするつもりなの。そんなこと許さないわ! すぐに戻りなさい!」
 コハクは、マイヤーの背中を何度も叩く。 
 その時、目の前に、ロボ戦闘機があらわれ、今にも、ミサイルを発射しようとした。
「わあっ!」
 コハクたちは驚き、思わず頭をかかえ、顔を膝のあいだに沈めた。
「ロック・オン」
 マイヤーの電子的な声とともに、メガEMP砲がロボ戦闘機めがけ発射された。
 メガEMP砲は、エジポン博士が発明した。あらゆる兵器を無力化する電磁波砲なのだ。
「テキヲ、ムリョクカ、シマシタ」
 マイヤーが、抑揚のない声で報告した。
「エレナさんは」
「ゴブジデス。スグニ、タスケマス」
 マイヤーは、エア・カーをエレナの頭上まで飛ばし、無重力ライトで吸い込んだ。
「四人乗りだから、飛べないと思ったのよ」
 エレナさんが、申し訳なさそうにいう。
「あたしたち、子供だから、三人で、大人一人分よ」
 コハクがニッと笑う。
「え、あたしそんなに太ったかしら」
 エレナは、ちらと、お腹周りを見て、頬を赤らめた。
「エジポンハカセヲ、タスケニ、イキマス」
 マイヤーが、アクセルを思いっきり踏む。
 エア・カーは猛スピードでクリスタル城に飛んだ。

 デビルンは、王様気取りで、愉快だった。ハイマンもどっかに行ってしまい、自分に危害を加える存在は何一つない。むしろ刺激がなくて、退屈でどうかなりそうなくらいだった。
「面倒な奴らがくるわ」
 王座にふんぞり返る、デビルンの中年太りした、お腹の上に、ルシニャンがあらわれた。
「何がめんどうなんだ」
「ダイアンが来るわ」
「はぁ、ダイアンって誰だ?」
「天使猫よ」
「それが問題でも?」
「ダイアンは神に近い天使よ」
「たかが猫だろう」
「あたしも猫だけど」
「これは失礼した」
「手強いわ」
「悪魔フィルターを改造した、このデビル銃があれば大丈夫だ」
「一発で仕留めるのよ」
「おれの腕を見損なうな」
 デビルンはまるで西部劇のガンマンのように、指先でくるくると銃を回し、腰のフォルダーにしまった。

 コハクたちのエア・カーの前に、水晶で造られた、美しいクリスタル城があらわれた。
「ツキマシタ」
 マイヤーは、そういいつつ、エア・カーを、なかなか、城に近づかない。
「どうしたの、早くお城に下ろして、おじいちゃんを助けるのよ」
 コハクは後ろの席から、身を乗り出した。
「ルシニャンがいるにゃ」
 ダイアンは、目玉をまん丸くした。
「わかるの?」
「やつの存在を感じるにゃ」
 ダイアンはコハクの膝の上で立ち上がり、クリスタル城をにらんだ。
「デビルンガ、シンガタジュウヲ、モッテマス」
 マイヤーがすぐに、デビル銃を探知し、性能をスキャンした。
「ダイアンを恐れているのね。天使のエネルギーを吸い取る恐るべき武器よ」
 エレナがダイアンの背中をなでる。
「おいらなら、大丈夫にゃ」
 ダイアンが目を三日月に細め、ニッと笑う。
「マイヤー、おじいちゃんはどこ?」
 エア・カーを急旋回させ、マイヤーは、お城の全てをスキャンした。
「キタノ、チカシツニ、ハッケン!」
 マイヤーは、スキャンした地下室とエジポン博士の立体映像を室内に投影した。
「おじいちゃん」
 コハクが涙ぐむ。
「あたし、記者かけ出しの頃、お城の取材で、この地下室に入ったことがあるの」
「エレナさん、すごい!」
 イーライが声をあげる。
「地下室は、秘密のトンネルで、お城から少し離れた、外の牧場とつながってるの」
「やった!」
 コハクが、パシッ、と景気よく手をたたき、シートで跳ねる。
「あの牧場に着陸して」
 エレナの誘導で、エア・カーは、静かに牧場におり、馬を驚かさないよう、厩舎の中に音をたてず駐車した。
「ここが地下室の秘密の出入り口よ」
 エレナは、馬小屋に敷き詰められた、わらの束を、大きなフォークで、急いでどけた。
「わぁ、マンホールだ」
 アルウが思わず声をあげる。
 コハクの目の前に、大きな円盤状の鉄のフタがあらわれた。
「エレナさん、早く開けて!」
「コハクちゃん、実はあたし、フタを開ける、秘密のコードを知らないの」
「そ、そんな」
 コハクもイーライもアルウも、がっかり肩を落とす。
「ワタクシニ、オマカセヲ」
 マイヤーはそういって、お相撲さんのような大股で、フタの前にかがむと、鋼鉄の円盤を、パワー全開で、あっけなく取り払った。
「イソギマショウ!」
 マイヤーが、真っ先に地下道に飛び降りる。
「おいらも行くにゃ」
「待って!」
 コハクたちも慌てて後に続く。
 地下道は真っ暗だったが、マイヤーの目から発するビームライトで、明るくなった。
「長いトンネルだわ」
 コハクが不安げに声を上げる。
「もうじきよ」
 エレナがコハクを振り返る。
「ツキマシタ」
 マイヤーが立ち止まる。
「行き止まりじゃない」
 コハクは大きな壁の前で立ちつくした。
「これがドアよ」
 エレナが岩の壁を両手で押すが、びくともしない。
「オマカセヲ」
 マイヤーは岩壁に近づき、右手の超合金ドリルで、岩に穴を開けた。
 コハクが穴から中を見る。
「おじいちゃん!」
 穴の向こうに、エジポン博士の姿が見える。
「コハクか」
「おじいちゃん、今、行くからね」
「だめだ、ここは危険だ、早く逃げなさい!」
「いやよ」
「コハク、だめだ!」
「マイヤー、ドアを開けて!」
 おじいちゃんが止めるのも聞かず、コハクはマイヤーに命じた。
「ワカリマシタ」
 マイヤーは、大きな岩盤で出来たドアを、パワー全開で粉々にぶちこわした。
 ガラガラと、岩壁が砕け、小石が室内に飛び散った。
「やった!」
 喜んでコハクたちが地下室に入ると、
「よくきたな」
 デビルンと大勢の兵たちが姿を現した。
「簡単にここまでこれたのは、罠だったのね」
 エレナがコハクたちの前で両手を広げる。
「お馬鹿な記者とガキども、今頃気づいたか」
 デビルンが兵たちに目配せする。
「マカセテクダサイ」
 マイヤーがEMP銃で、デビルンたちの兵器を無力化しようとしたが、
「くたばれ、ポンコツやろう!」
 デビルンが素早くデビル銃を撃った。
 その瞬間、マイヤーは糸の切れた、操り人形のように、石床の上にころがった。
「ひどいわ!」
 コハクは泣きながらマイヤーを揺さぶる。
「うるせい、ガキ!」
 デビルンがコハクを蹴ろうとすると、
「この娘に手を出すな!」
 エジポン博士がコハクをかばう。
「おじいちゃん!」
 コハクは、祖父に抱きつき、泣きじゃくった。
「女とガキどもを捕まえろ!」
 デビルンの命令で、兵たちが取り囲む。
「その子たちに、手を出すな」
 博士が、デビルンを睨む。
「おれは、この国の王だ!」
「王だと、笑わせるな。おまえは、いかさまで王になった、偽の王だ」
 エジポン博士は、お腹をかかえて笑った。
「わらうな、じじい!」
 デビルンは怒り、右手で博士のえり首をつかんだ。
「いいか、よく聞け。おれを王にしたのは、あんただ。あんたの発明が、おれを王にし、あいつらを兵にしたんだ」
「ど、どういう意味だ」
「あんたの天使フィルターで、ほとんどの人間が天使のようになっちまった」
「そうだ。この国は天使の国になったはずだ」
「ところがハイマンが、天使ばかりじゃ面白くないと、天使フィルターのプログラムを書き換え、悪魔フィルターにしたのさ」
「な、なんだと。信じられん」
「この銃も、天使フィルターを改造して出来たデビル銃だ」
 デビルンが、エレナに銃口を向けた。
「やめろ!」
 エジポン博士が止めるより早く、デビルンが引き金を引いた。
「きゃあぁ」
 エレナは、デビル銃の悪魔ビームを浴び、床に倒れた。
「エレナさん」
 コハクたちが駆けよる。
「さわるな!」
 エレナは、人が変わったように、荒々しく叫び、コハクたちをおい払った。
「なんてことだ」
 エジポン博士は、両手を床につき、がく然とうなだれた。
「これでわかったろ。元はといえば、あんたが、人の魂を天使にするなんて、くだらない発明を思いつくから悪いんだ」
 デビルンは、あわれむように博士を見おろした。
「おじいちゃんは、悪くない」
 コハクは、デビルンめがけ、小石を投げた。
「痛て、このクソがきが」
 イーライや、アルウもコハクと一緒に、小石を投げる。
「そこまでよ」
 デビル銃で、魂が真っ黒になったエレナが、コハクの腕をつかんだ。
「エレナさん、目をさまして!」
 コハクの声もむなしく、
「この子たちも悪魔の魂にするわ」
 エレナは、デビルンの前にコハクを突きだした。
「おもしろい」
 デビルンはニタリと笑い、コハクの頭を左の手で鷲づかみにした。
「コハクに手を出すな!」
 立ち上がろうとするエジポン博士を、兵たちが押さえつける。
「遊びはここまでだ。じじいとガキどもを、壁の前に立たせろ」
 デビルンが、尖ったアゴをしゃくり、兵たちに命じた。
「おまえらの魂を、悪魔の魂にしてやる。悪魔に魂を売れば、人生楽しいことばかりだぜ」
 コハクたちは、兵に取りかこまれ、地下室の壁に沿って、横一列に並ばされた。
「地獄に落ちな」
 デビルンは、銃をかまえ、狙いをさだめた。
「そこまでにゃ」
 ダイアンが猛烈な勢いで、デビルンに顔面に飛びかかり、激しく目を引っかいた。
「ぎゃあぁ!」
 デビルンは血まみれの顔を両手で押さえ、
「左目が見えない」
 と、叫びながら、のたうち回った。
「銃を壊すんだ」
 エジポン博士が、床に転がったデビル銃を踏みつけようとすると、
「銃を奪い返すのよ」
 悪魔の魂になったエレナがじゃまをする。
「みんな目を覚ますにゃ」
 ダイアンが大きな声で叫んだ。
 すると、ダイアンの全身が金色に光り輝き、背中に純白の羽があらわれた。
「天使猫ダイアン!」
 コハクは、目を輝かせた。
 エジポン博士もイーライもアルウも、その場に居合わせた、全ての人たちが、金色に光りかがやくダイアンを、あがめるように見つめた。
「コハクちゃん、あたし、いったい」
 エレナがダイアンの愛の光で魂を清められ、正気に戻った。
「わたしたちは、何をしているんだ」
 兵たちも、みな正気をとりもどした。
「エレナさん。よかった」
 コハクが涙を流し、エレナに抱きつく。
 イーライもアルウも泣いて、手を取り合う。
「そこまでよ」
 デビルンのそばに、黒猫が現れた。
「ルシニャン、やっと現れたにゃ」
「ダイアン、あんたに再会できて嬉しいわ」
「この品の悪い黒猫と知り合い?」
 コハクが、ルシニャンをまじまじと見る。
「コハクちゃん。こいつは神様に背いて、天国から地上に堕とされた、堕天使猫にゃ」
「背いたんじゃないわ。意見したまでよ」
「それなら、素直に神様に謝ればいいにゃ」
「いやよ!」
「あいかわらず、ひねくれたやつにゃ」
「ウーガルルル、シャー」
 ルシニャンが牙をむきだした。
「ガルルル」
 ダイアンも激しく威かくする。
「シャー、シャー」
 ダイアンの目が天使の金にかがやく。
「ウーウ、ウーウ」
 ルシニャンの目が悪魔の緑にひかる。
 二匹の猫は、背中の毛を逆立て睨みあう。
「ウー、シャー」
 先に猫パンチしたのは、ルシニャンだった。
「ガルル、シャー」
 ダイアンも猫パンで応戦した。
「シャー、シャー」
 ルシニャンが、猫キックを猛打する。
「ガルル、シャー」
 ダイアンのダブル猫パンチが炸裂だ。
「ダイアン、頑張って」
 コハクの両手に汗がにじむ。
 ダイアンとルシニャンは、天井で、壁面で、地下室の至るとこで、死闘を繰り広げた。
「博士!」
 エレナが、デビル銃を拾い、エジポン博士に手渡した。
「こんなものをハイマンが……。もし天使フィルターと同じからくりなら、天使銃にできるはずだ」
 博士はあらゆるコマンドを入力した。
 その時だった。
「ミギャアァ」
 ダイアンの叫び声が地下室に響いた。
「クソ猫め、捕まえたぞ」
 デビルンが、ダイアンの天使の羽を鷲づかみにした。
「ダイアン!」
 デビルンに飛びかかろうとするコハクを、アルウとイーライが必死に止める。
「デビルン、よくやったわ。目障りな天使の羽を引きちぎるのよ」
 ルシニャンの緑の目が冷たく光った。
「おやすいごようさ」
 デビルンは、ダイアンの二つの羽を両手で広げ、引き裂こうとした。
「クソやろう」
 アルウが、一瞬のスキをつき、デビルンの死角になった左の脇腹に、肩から勢いよく体当たりした。
「わっ」
 デビルンはよろめき、ダイアンを放す。
「いまだ!」
 正気にもどった兵たちが、十人がかりで、デビルンを床に押さえつける。
「放せ!」
 デビルンは抗ったが、一瞬で、ミイラのようにロープでぐるぐる巻きにされた。
「デビルンだけは、どうしてダイアンの愛の光が効かないの?」
「悪魔の契約をしたからよ」
 ルシニャンが、天井から、せせらわらう。
「悪魔の契約は神様に背くおこないにゃ」
 ダイアンが、再び攻撃モードに入る。
「そいつの黒い魂はあたしのものよ」
「黒猫め! お、おれを見捨てる気か」
「ハイマンがいるからね」
 ルシニャンは、冷たく言い放った。
「ハイマンはどこだ!」
 エジポン博士が銃をかまえた。
 デビル銃を天使ビームに変えるコマンドが分かったのだ。
「そんな銃、あたしには効かないわ」
「おじいちゃん、やめて」
 コハクが、博士に抱きつき制止する。
「いいことを教えてあげるわ」
 ルシニャンが、ニタリとした。
「下がるにゃ」
 ダイアンが、みんなを守るように前に立つ。
「もうじき、地球は悪魔の世界に変わるわ」
「どういう意味だ」
 エジポン博士が黒猫をきつく見る。
「ハイマンが、ブラッククォーツを、大天使ベルの像にうめこむからね」
「ああ、な、何てことだ」
 博士は、頭を抱え、床に座り込んだ。
「どういう意味なの?」
 コハクは跪き、おじいちゃんの顔を、不安げに覗き込んだ。
「天使フィルターのローズクォーツは、実は、天使の神殿の、大天使ベルの像から持ち帰ったものなんだよ」
「コーパル湖の伝説は本当だったのね」
 コハクは真剣な眼差しで、おじいちゃんを見る。
「わたしとハイマンは、コーパル湖に次元の扉を見つけ、伝説の天使の神殿と、大天使ベルの像をついに発見した。そして、エンジェルランドの平和が、大天使ベルのローズクォーツによって、保たれていることに気づいた」
「伝説は本当だったんだ」
 アルウとイーライも思わず声を上げる。
「わたしは、天使のエネルギーを使えば、地球を永遠に平和な世界にすることが出来ると思った」
「おじいちゃんは、間違ってないわ」
「いや、わたしは愚かだった。たとえ平和利用でも、ローズクォーツを持ち帰るべきではなかったのだ」
「どうして、どうして平和利用がいけないの」
 コハクは涙目でおじいちゃんの袖を引っ張った。
「大天使のエネルギーはクォーツによって決まるからだよ」
 エジポン博士は両手を床についてうなだれ、堅く目を閉じた。
「つまり、ハイマンが大天使ベルの像にブラッククォーツを埋めこめば、ベルは堕天使になって、世界は闇に包まれるのさ、アハハハハ」
 ルシニャンはエジポン博士を見下ろしながらヒステリックに笑った。
「ハイマンさんはそんなことしないわ!」
 コハクは目を真っ赤にして叫んだ。
「さぁ、どうかしら。ハイマンは、博士をひどく恨んでたからね」
 ルシニャンがあざ笑う。
「そ、そんなバカな」
 エジポン博士は両手を握りしめる。
「あんたばかり有名になって、自分はまったく評価されないとね」
 ルシニャンが、せせら笑う。
「何ということだ」
「今頃、ハイマンは、大天使ベルの像に、ブラッククォーツを埋めこんでいるわ」
「そうはさせん!」
 とっさに、エジポン博士が銃の引き金を引く。
 天使ビームがルシニャンの心臓に当った。
「う、ぎゃあぁ」
 ルシニャンは真っ黒な煙となってエジポン博士を呑みこみ、姿を消した。
「し、しまった、逃げられたにゃ」
「おじいちゃんが消えた」
「ルシニャンが、悪魔の国に連れて行ったにゃ」
「ダイアン、助けて」
「天使は悪魔の国に行けないにゃ」
「そんな」
 コハクは泣きじゃくった。
「きっと助かるわ」
 エレナがコハクを強く抱きしめる。
「助ける作戦を思いついたにゃ」
「どうすればいいの?」
「鍵は、コーパル湖にあるにゃ」
「急ぎましょ」
 エレナが地下道を指さす。
 コハクは涙を拭って立ち上がり、
「マイヤー起きて! 起きなさい!」
 と、マイヤーをたたくが、反応がない。
「マイヤーおきるにゃ」
 ダイアンが、マイヤーの顔に乗る。
 突然、マイヤーの体がブルンと振動し、
「ハ、ハクション!」
 大きなくしゃみをして、目を覚ました。
「マイヤーが動いた!」
 コハクは喜び、マイヤーに飛びつく。
 くしゃみを繰り返すマイヤーを、みんながとりかこみ、不思議そうに見守る。
「ワ、ワタクシ、ネコ、アレルギーナノデス」
 マイヤーの告白に、みんなが大笑いした。
「クルマヲ、ヨビマス」
 マイヤーが、右腕に内蔵されたリモコンを操作する。
 すぐに地下室の壁が、ドカン、とぶち壊れ、エア・カーがあらわれた。
「ゴホ、ゲホ、オエ。さ、さすがマイヤーね」
 コハクたちは、埃で真っ白くなった顔や服を、パタパタとはたいた。
「イソギマショウ」
 マイヤーが運転席に座る。
 エレナはコハクたちを先に車に乗せ、一番後ろの席にダイアンを乗せた。
「おいら、前の席がいいにゃ」
「あんたが、マイヤーの近くに座ると、またマイヤーの咳が止まらなくなるわ」
 コハクの言葉に、ダイアンはふてくされ、後ろの席で丸くなった。
 エア・カーは急発進した。目指すは、コーパル湖の天使の神殿だ。
「町や村が燃えてるわ」
「悪魔の魂になった人たちが、暴れてるんだ」
 イーライとアルウの家族は、天使フィルターをくぐらなかったので、胸をなでおろした。
「世界中が同じようになってしまうのかしら」
 都市に住む父や母、兄が、天使フィルターをくぐっていたエレナは、家族のことが心配でならない。
「マイヤー、急いで!」
 コハクは胸が痛んだ。平和のためだけど、おじいちゃんにも、責任の一端があるのだ。
 数分後、コハクたちのエア・カーの前に、太陽を反射して、鏡のように輝く、コーパル湖があらわれた。
「きれいね」
 イーライが思わずため息をもらす。
「地上から見るのと全く違うや」
 アルウも息をのむ。
「何度もエア・カーでここに来たわ……」
 コハクは、空間の異変を感じていた。
「次元の扉が開いてるにゃ。大天使ベルがぼくらを導いてるにゃ」
 ダイアンがまっすぐ前をみる。
「あの光の筋が入口にゃ」
「急いで!」
 コハクが運転席に顔をのりだした。
「カシコマリマシタ」
 マイヤーが、アクセルを思いっきり踏んだ。
 その瞬間、ピンクゴールドに輝く、光の世界がひろがった。
「わあぁぁ」
 あまりの美しさに車内が歓声であふれる。
「あそこよ!」
 いつも冷静なイーライが興奮しながら遠くを指さす。
 エア・カーの前に、大きな大きな光の雲が広がっていた。その雲の最も高いところに、金色に光りかがやく、巨大な神殿があった。
「あそこに直進するにゃ」
「ハイ!」
 マイヤーがアクセルをギュウと踏む。
 エア・カーがグンと加速した。いく本もの光の粒子が、流れ星のようにむかってくる。
「わぁ、きれい」
 コハクの胸は高鳴り、頬がほてる。
「天使の王国って、こんなに美しいのね」
 大人しいイーライも、珍しく頬を赤らめ、うわずった声を上げる。
「エジポン博士は、地球をこんな世界にしたかったのよ」
 エレナの言葉にみんなは何度もうなずく。
 やがてエア・カーは、バターのように、光りに溶け、天使の神殿に吸い込まれていった。

 エアカーが着陸したのは、巨大な神殿の正門だった。
「黄金の扉だわ」
「すごく大きい。巨人が住んでるのかしら」
 エレナが門の最も高い所を見上げ、目を見はる。
「どうやったら、開くんだろう」
 アルウが用心深く扉を触る。
「おいらにまかせるにゃ」
 ダイアンは、扉の前に立ち、
「開け、ごにゃ」
 と、思いっきり叫んだ。
 だが、扉はぴくりともしない。
「開け、ごみゃ」
 もう一度繰り返したが、だめだった。
「もう、ダイアン、本当に開くの」
 あせるコハクは、きつくダイアンを見る。
「コハクちゃん、ダイアンは一生懸命なのよ」
 イーライが、ダイアンを抱きかかえ、労るように頭をなでる。
「もしかして、発音が悪いのかしら」
 アルウはエレナの言葉にピンときたのか、
「開け、ゴマ!」
 と、ゴマにメリハリつけた。
 すると、巨大な金の扉が、音もなくすっと開いたのだ。
「やったぁ!」
 コハクは飛び上がり、はしゃぎながら神殿にかけ込んだ。
「コハクちゃん、危ないわ用心して!」
「心配ないわ、だって、天使の神殿なのよ」
 コハクは、イーライの心配をよそに、神殿の光の通路を、奥へ奥へとかけていった。
 何もかもが巨大だった。通路は、馬が百頭並んでも、楽に走れる幅広く、通路の両脇に立つ、無数の巨大な金の列柱は、まるで天まで届きそうなほど、高かった。しかも、最も高いとこは、目を開けていられないほど金色に輝いているのだ。
「あ、また大きな扉だわ」
 コハクの足が止まった。
「開け、ゴマ!」
 メリハリつけて、アルウは声を上げたが、今度は反応がない。
「どうしたら開くのかしら」
 イーライが腕をまっすぐ伸ばし、巨大な扉を両手で押す。
「開くわけないよ」
 アルウは扉もたれ、鼻でわらう。
「あたしも押すわ」
 コハクとエリナも、イーライの横に並んで、ググッと押した。
 すると、どうだろう。扉がふわっと音もなく開いたのだった。
「痛ててて」
 アルウは、扉に寄りかかっていたので、いきおいよく、尻もちをついた。
「天使さまの扉に寄りかかるなんて、ばち当たり、するからよ」
 コハクがクスッと笑い、アルウの手を引く。
「神殿の中庭に着いたにゃ」
 庭には、赤や紫、黄色、ピンク、ブルー、色とりどりの花が咲き乱れ、見上げると、天井はなく、青い空と、ふわふわの雲が、のんびり漂っていた。
「あの建物が天使さまのお家なのかしら」
 コハクの見つめる方に、太いヒノキの鳥居があり、その先に、まるで神社のような造りの、木で出来た大きな建物があった。
「さ、入るにゃ」
 ダイアンが小さく頭を下げ、鳥居をくぐりぬける。コハク立ちも同じように、挨拶してダイアンに続く。
「ここで手を洗うのね」
 エレナが、水盤にあふれる、よく冷えた水で手を洗い口をすすぐ。
 みんなもエレナと並び、作法をまねる。
「先にいくにゃ」
 ダイアンが、スタスタと、中に入っていく。
「ダイアン、手を洗わないの?」
 コハクが呼び止める。
「おいらは天使猫だから、フリーパスにゃ」
 水が苦手なダイアンは、ニタッと笑い、先を急いだ。
「行きましょう」
 コハクたちもすぐにダイアンをおう。
 建物の中は、全てが、鏡のように磨かれた、幅広のヒノキ材で出来ていた。天井は高く、明るく、音もなく、外の見かけから、想像できないほど広く静かだった。
「何だか、とってもいい匂い」
 コハクは木の香りを胸一杯にすう。
 どこからくるのか、春の日だまりに吹く風のような、少しひんやりして、柔らかな風が、頬を優しくなでてくれる。
「ほんとね」
 エレナも背をのばし、大きく深呼吸する。
 イーライもアルウも、両手を広げて胸いっぱい息をした。
「お清めの風にゃ。大天使ベルは、みんなを歓迎してるにゃ」
「あそこが天使様の部屋ね」
 エレナが部屋の奥にある、五枚の白い暖簾で仕切られた入り口を見る。
「やった! 大天使ベルに会える」
 コハクは、声を上げ、奥へと走る。
「コハクちゃん、走っちゃだめよ」
 心配性のイーライが早足でコハクをおう。
「ここから先は、はいれないにゃ」
「どうして?」
 おじいちゃんを早く助けたいコハクは、とたんに、肩を落とす。
「大天使ベルが現れるのを待つしかないにゃ」
「でも、ハイマンが中にいるかもしれないわ」
 エレナの気が焦る。
「大天使ベルの部屋に、ハイマンは入れないにゃ」
「じゃ、どうして、おじいちゃんとハイマンさんは、大天使ベルの像から、ローズクォーツを持ち帰ることが出来たの?」
「きっとその時は、ハイマンさんも、地球を天使の国にするという純粋な心と、けがれない魂を持っていたからよ」
 エレナの言葉が、胸にすとんと落ちる。コハクは何度もうなずいた。
 その時だった。
 突然、金色の光の玉が現れ、拝殿の全てを、目がくらむほどの金の光で満たした。
「よくきてくれましたね」
 光の中から優しい声がした。
 コハクたちは、うっすらと目を開ける。
 大天使ベルは、純白の羽を広げ、みんなに優しく微笑んだ。
「おじいちゃんとハイマンさんが、悪いことをして、ごめんなさい」
 コハクは思わず声を上げ、ベルの前にひざまずく。
「コハクちゃん、立つのです。あなたが謝ることはありません。おじいちゃんもハイマンも誰も悪くありません」
 ベルは優しくコハクの頭をさすった。
「でもエンジェルランドは、悪魔の国になってしまいました」
「わかってます。でも心配はいりません。もうじきハイマンが、わたしのローズクォーツを返しに来るでしょう。それで全てが元通りになります」
 大天使ベルが話し終えると、
「やっとお姿をあらわしましたね」
 ハイマンの冷たい声がした。
「ハイマンさん、大天使さまに、ローズクォーツを返して!」
 コハクは、あの優しかったハイマンが、どうしておじいちゃんを裏切ったのか、信じることが出来ない。
「もちろん返すさ。ただし、このブラッククォーツをね」
 ハイマンは背広のポケットから、黒い玉を取り出した。
「どうしておじいちゃんを裏切ったの」
 コハクがきつい目でハイマンを見上げる。
「天使フィルターは、おれとエジポンが発明した。おれがいたから、この発明は世に出たんだ! だが、世界はエジポンだけを天才だと褒め称えてやがる!」
 コハクの目頭に涙が浮かんだ。
「エジポン博士は、あなたを共同研究者だと、みんなに紹介したわ」
 エレナの頭に、世界が喜びにわいた、あの記者会見の瞬間が、リアルに蘇る。
「うるせえぇえ!」
 ハイマンはヒステリックに叫び、デビル銃をかまえた。
「ハイマンさん、やめて」
 コハクが両腕を大きく広げ、大天使ベルを守るように立つ。
 ダイアンが、コハクの肩に乗り、羽を目一杯広げる。
 エレナとイーライ、アルウが、コハクの両脇に立ち、横に並んで手をつないだ。
「おまえら、一人ずつ地獄に落としてやる。まずは、コハク、おまえからだ」
 ハイマンの氷のような冷たい目が緑に光った。
「ハイマンさん、やめて」
 コハクは、恐怖に震えながらも、ハイマンから目を逸らさなかった。
「黙れ、ガキ」
 ハイマンは大きく目を見開き、銃のトリガーを引いた。
「あっ」
 コハクの目の前が真っ白になった。時間が止まったように感じる。
 次の瞬間、体がふわっと浮いた。しかもどこからともなく、心がはずむ、ポップなメロディが聞こえてくる。
 コハクは、怖々と目をあけた。
 拝殿の全てが、ピンクゴールドの光で満たされていた。
「天使さま」
 コハクの大きな目に、純白の羽を広げた、大天使ベルの姿が、飛び込んできた。しかもベルは、拝殿をステージに、楽しく軽快に踊っている。さらにダイアンまでもが、ベルの周りをぐるぐる飛びながら愉快に踊っているのだ。
「ハイマンさんが……」
 イーライが指さす方にコハクが目をむけると、何と、ハイマンまでもが、ベルの周りを、楽しそうに踊っていた。
「いったい何が起こったの」
 エレナも呆気にとられ、口をぽかぁんと開けたままだ。
「ダイアンもハイマンさんも、楽しそう」
 イーライの口が左右に広がり、笑い声がはじける。
「どうなっちまったんだ」
 アルウも楽しくなって、踊るベルの周りをぐるぐると走りだした。
「さ、あなたたちも、一緒に踊りましょう」
 ベルが大きな瞳でウインクした。
「わーい」
 コハクが両手を挙げて、踊りの輪に飛び込む。
 つられてエレナもイーライも、さらにマイヤーまでもが、みんなの踊りの輪に入った。
 軽快な音楽が耳に心地よく、心が弾み、手も足も体全部が、リズムに合わせて勝手に動く。幸せの笑いが、おなかの底から、こみあげてくる。
「楽しい」
 コハクは、ベルの顔を見た。
 ベルはまるで我が子を見つめる母のように目を細め微笑む。
 いつのまにか、ハイマンもみんなと手をつなぎ、白い歯を見せ笑っている。
 天使の舞は、舞えば舞うほど、光の輪が広がり、太く厚くなった。光の輪は拝殿からあふれ、天使の神殿も越えて広がった。そして、エンジェルランドを島ごと全部おおい尽くしたのだった。
 コハクはベルに手を引かれ、空高く舞いがった。コハクが怖がっていると、ベルが優しく微笑んだ。コハクはまるで母の腕の中にいるように安らぎ、意識が遠のいた。
 
 ……むかしむかし、今から一万年ほど前の、ある日のこと、天国にいたある天使が、地上を見たくなって、雲の上からダイブした。
 天使は純白の翼をひろげ、青く広がる空を自由気ままに飛んだ。
 翼が風を切り、耳もとで、ビュンビュンうなる。
 天使は、風の音に魔法をかけ、ノリノリの音楽に変えた。すぐに、メリハリの利いたリズムが耳にはじけ、心は踊った。
 天使は、リズムに乗って、どこまでも高く、どこまでも遠くへ飛んだ。
 やがて、エメラルドのような海と、ミルクパンみたいな、もりもりの雲があらわれた。
 南の海だった。
 天使は翼をかたむけ、大きく弧をえがくように飛んだ。すると、海のほくろみたいな、小さな島が見えてきた。
 天使はその島でひと休みすることにした。
 その島は、みわたすかぎり、岩と砂ばかりで、木や草も、コケすらない殺風景な島だった。
 天使は、人間がいないのを確かめると、翼をたたみ、足を伸ばして砂浜に横たわった。
 潮騒の音、海風、磯の匂い。くりかえす波と泡が、足に心地よく。うっかり、ひとねむりした。
 気がつくと、太陽が傾きはじめ、空と海が金色にそまっていた。天国に帰る時間が迫っていたのだ。
 天使は、慌てて立ち、白い翼を広げて、今にも飛び立とうとした。
 そのときだった。
 岩かげから、何かがとびだし、天使の足をキバのようなもので噛みついたのだ。
 天使は驚き、慌てて空に飛んだ。
 空高くまで来て、天使は足の方を見た。すると、何と十一歳くらいの少女が、必死で足にしがみついていた。しかもキバと思ったものは、少女の骨のように痩せた五本の指だったのだ。
 少女はベルと目が合うと、真っ直ぐみつめ、
「わたしたちの島には、わずかな水と食べもしかありません。それでも、みんなで分かち合ってきました。けれど、水も食べ物も、あとわずかです。このままだと、みんな死んでしまいます。
 天使さま、どうか、わたしたちを助けてください! 助けてください!」
 涙を浮かべながらうったえた。
 天使は、少女の命がけの勇気と、やさしさに、心を強くうたれ、
「あなたの望みをかなえてあげましょう」
 そういって、やさしく微笑んだ。
 少女は安心したのか、気をうしない、そのまま落ちていった。
 天使は急いで、少女をおいかけ、手をとり、ふたたび空に舞いあがった。
 天使は、少女の意識がもどると、もっと空高く飛び、海のほくろのような、小さな島を見せた。少女の島だった。
「島の人間たちに、天使の心があるかぎり、神のめぐみあれ!」
 天使が、やわらかく、しかし、よく通る声で、祝いの言葉を口にした。
 すると、島がどんどん大きくなって、天使が翼を大きく広げたような姿になった。しかも、島の全てが緑でおおわれ、山々から水があふれ、何本もの川ができた。人々は救われたのでした。
 島の人たちは、大喜びし、天使に感謝した。そして、天使を祭る大きな神殿を小高い山の湖に建てると、島はエンジェルランドと呼ばれるようになったのです。
 それからのち、島の人たちは、おたがいを思いやり、温かな言葉をかけあって、助けあいながら、魂を磨き続けたのでした……。

 意識が戻ると、コハクは、拝殿の中で眠っていた。
(あの少女はあたし……あたしが、天使にお願いして、この島を救ってもらった……)
 ベルが夢の中で、コハクの前世の記憶を蘇らせてくれたのだった。
「ダイアン、起きて」
 コハクの右腕を枕に、ダイアンが、涎を流しながら心地よく眠っている。
「エレンさん、イーライ、アルウ、起きて」
 コハクはみんなに声をかけた。
 ダイアンの頬が、ずるっと腕からすべり落ち、目を覚ます。
「もっとお昼寝したいにゃ」
 ダイアンは、手をなめて、目元を拭った。
 エレナもマイヤーも、コハクのところにやってきた。
「大天使さまはお部屋にもどられたのね」
 コハクが拝殿の最も奥の部屋に目をやると、白い暖簾が風にゆらめいていた。
「ハイマンさんだ」
 コハクが小さくつぶやく。
 大天使ベルの部屋の入り口で、ハイマンは、蛙のように床にはいつくばって、頭を幾度も下げていた。
「正気にもどったのね」
「大天使ベルの愛の光が、魂を清め、闇を浄化してくれたにゃ」
 ダイアンが、ぺろっと下をだす。
「しょせん、愛の光に、悪魔は勝てないということね」
 エレナの言葉に、コハクをはじめ、みんなが大きくうなずく。
「大天使さまは、赦してくれましたか?」
 コハクはハイマンにならんで正座した。
「コハクちゃん、ぼくは間違ってた。でも天使さまは、過ちを正し、罪を赦して下さった」
 ハイマンはポケットから、ブラッククォーツを取り出した。
「あっ」
 コハクは、驚き、体がこわばる。
 ハイマンがブラッククォーツを手のひらに乗せると、表面がメキメキとひび割れ、ローズクォーツの玉が出てきた。
「天使フィルターの玉だわ」
 コハクの目が大きく見開く。
「大天使ベルの像から持ち帰った玉だ。この玉をルシニャンの呪いが、ブラッククォーツにした。でもその呪いに悪のエネルギーを与えたのは、わたしの汚れた心だった」
 ハイマンは、暖簾の隙間から、ときおり見え隠れする、大天使ベルの像を見上げると、ローズクォーツの玉を両手に乗せ、高々と持ち上げた。
 すると、玉は、ふわっと浮いて、暖簾をすり抜け、ベルの像に吸い込まれるように消えていった。
「ハイマン君、きみの気持ちに気づけなかった。わたしが悪いのだ」
「おじいちゃん!」
 コハクは飛びつき、右のほっぺをつねった。
「夢じゃないにゃ」
 ダイアンが、右足で、耳の後ろを掻く。
「嫉妬と欲に目がくらんだわたしが、悪いのです」
 ハイマンが、深々と頭を下げる。
「人間の魂は、一日一日を、懸命に生きることで、自然と磨かれる。夢と希望失わず、生きてこそ、魂は光り輝く。われわれは、また再出発だ。宜しく頼むよ」
 エジポン博士は、ハイマンの手をとり、強く握った。
 するとハイマンも涙を浮かべ、
「ありがとうございます」
 と、博士の手を両手で強く握り返した。
「コハク、心配かけてすまなかったな」
 エジポン博士は、コハクを強く抱きしめた。
「平和がもどったにゃ」
 ダイアンは、尻尾をふりふり小躍りした。
「そういえば、ルシニャンはどうなったの?」
 イーライとアルウが声をそろえる。
「ルシニャンだった猫なら、ここよ」
 みんなが振り返ると、エレナが、キュートなメスの黒猫を抱いていた。
「えっえっ!」
 アルウは、魔法にかかったように、可愛いらしくなった黒猫の目をのぞき込んだ。
「エメラルドのような、美しい緑の目でしょ」
 エレナが、自分の愛猫のように自慢する。
「その猫は、飼い猫だったにゃ。でも人間に捨てられて死にかけてたにゃ」
「じゃ、恨みが悪魔を呼んだってこと?」
 コハクの目に涙がこみ上げてくる。
「猫は人間を恨まないにゃ。人間の行いが悲しかったにゃ」
 イーライは目に涙を滲ませ、唇をかんだ。
「悲しみながらさ迷う黒猫に、たまたま、天国をおい出されたルシニャンが、ひょう依したにゃ」
 みんな、エレナの抱いた黒猫を見る。
 黒猫は、眠いのか、エレナの腕の中で心地よさそうに丸くなっている。
「ルシニャンの魂はどうなったの?」
 アルウが恐る恐るきく。
「大天使ベルの、愛の光で清められたにゃ」
「ルシニャンも天使猫に戻ったのね」
 コハクは目を閉じ、ホッと胸をなでおろす。
 突然、マイヤーのボディーカラーが、赤色に変化した。
「ケイコク! ケイコク! ジゲンノ、サケメガ、フサガリマス」
「急ごう」
 エジポン博士がみんなを、神殿の出口に導く。
「エレナさん、運転をたのみます。みんな早くエア・カーに乗るんだ」
 博士が、コハクたちを車に押し込む。
「おじいちゃんも早く乗って!」
 コハクは心配で車から降りようとする。
「オフタリハ、ワタクシガ」
 マイヤーが素早く乗り物に姿を変えた。
「わぁ、円盤だ!」
 声がいっせいに上がる。
「緊急用に、改造してたんだ」
 エジポン博士は、いたずらっぽく笑い、ハイマンと一緒に、マイヤー円盤に乗り込んだ。
「さ、行きましょう」
 エレナがアクセルを思いっきり踏む。
 エア・カーが円盤のようにビュンと飛ぶ。その後をマイヤーの円盤がおう。
 二機は猛スピードで、閉じかけた次元の裂け目に、次々と飛び込んだ。

 その後、王様もお妃様も救出され、エンジェルランドに平和が戻った。
 心をいれかえたデビルンも、今では、介護施設でお年寄りの世話をしているという。
 コハクにとって、短すぎる夏休みが終わり、二学期が始まった。
 あいかわらず朝寝坊するコハクを、イーライとアルウが迎えに来て、一日が始まる。
 ただ、今までと違うのは、エレナが、エメラルドと名付けた、あのメスの黒猫を連れて、コハクの家に遊びにやって来る時だ。
 なぜか、その日に限って、ダイアンがそわそわと、落ち着きがない。どうやらダイアンは、黒猫エメラルドに恋したようだ。
 
 今日は、いつもよりお月様が大きい、二十年に一度のスーパームーンの日だ。
 ダイアンは、屋根の上にのぼり、空を見上げた。すると、雲を枕に、大きな満月が、心地よさそうにくつろいでいる。
「エメラルドちゃん、可愛いにゃ」
 ダイアンは、ふうっ、とため息をついた。
 するといつきたのか、エメラルドが屋根にいる。
 ダイアンとエメラルドは、寄り添うように座り、夜空を見上げた。すると、まん丸いお月様が二匹のねこに微笑んだ。

                                    
                                     おわり
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