26 / 91
シーズン1 魔法使いの塔
第三章 10)旅立ち前夜
しおりを挟む
「前の襲撃のときは、やってきた蛮族を一人残らず殺してやった。僕の力なら、それくらい容易いことだ。ポケットの中の櫛を、取り出す程の労力もいらない。しかし今回はあえていくらか逃がしてやった。この塔に住む魔法使いの恐ろしさを、仲間たちに伝えさせるためだ」
プラーヌスが興奮した面持ちで帰ってきた。
さすがの彼も、これだけ人を殺した後は、普通の精神状態ではいられないようだった。
強力な魔法を使って疲れているせいもあるのだろうけど、いつものプラーヌスと様子が違う。
沸き上がってくる興奮を抑えられないと言った感じで妙に早口だし、どっちかというと常に無愛想で、突き放すような態度でしか話さないのに、今のプラーヌスはやけに人懐っこい笑顔を浮かべている。
それにさっきまで真っ白だった顔にも、血の気が戻ってきたようだった。
今も頭痛に顔をしかめていたが、まるで見違えたようでもある。存分に八つ当たり出来て、すっきりしたかのようだ。
「もう今日は起こさなくていい。食事も必要ない。何か問題が起きてもシャグラン、君が解決してくれ」
しかしそう言って歩き去っていく後ろ姿は、やはり疲労困憊していた。プラーヌスはふらふらと自室に戻っていく。
「僕なんかで大丈夫かな?」
私は少しあとを追って尋ねた。
「問題ないさ。奴らもこれで懲りて、しばらくは近寄ってこないだろう」
確かにその日はプラーヌスの言う通り、何事もなく日は暮れていった。久しぶりに平穏なまま一日は終わった。
その次も蛮族は襲撃してこなかった。プラーヌスの力に恐れをなして、奴らはもうこの塔に近づいてくることは二度とないではないかと思った。
しかし蛮族は再びやってきた。その次の日、以前と同じぐらいの兵力で、彼らはこの塔に攻め寄せてきたのだ。
そのときのプラーヌスの落胆と言うべきか、怒りと言うべきか、何と表現すればいいのかわからないけれど、とにかく蛮族たちが彼の警告にまるで耳を貸さない事実に、彼は本当に絶望していた。
プラーヌスは再び、自ら蛮族たちを撃退した。
もちろん以前と同じように、プラーヌスの圧倒的な勝利で終わった。
前回散々に負けたのに、こうやって懲りずに攻め寄せて来るくらいなのだから、蛮族側は何か新しい策でも携えてきたのかと思ったが、そういうわけでもないようだった。
ただ前と同じように、正面から突撃して来るだけ。どう見積もっても、蛮族たちは魔法使いプラーヌスの敵ではないよう。
しかし連日、こうやって蛮族を相手にしなければいけないことに、プラーヌスは心の底からうんざりしていた。
そういうわけでプラーヌスは少し予定を早めて、騎士に会いに行くことを決意したようだった。
再び襲来してきた蛮族を撃退したその日の夜の夕食の席、プラーヌスはその計画を私に語ってきた。
「騎士バルザをこの塔の門番に勧誘するため、僕はパルに行ってくる」
プラーヌスの目当ての騎士は、パルの国に住んでいるらしい。
パルがどこにあるのか私は詳しく知らないけど、その国がどこにあろうが、そこまで行くのにプラーヌスの魔法なら一飛びであろう。
しかしその騎士との折衝やら何やらに、最低三日か四日は塔を留守にしなくてはならないらしい。
そういうわけで、それまでの留守番役をどうするかプラーヌスは頭を悩ましていたようだった。
てっきり留守番役を任されるのかと思ったが、プラーヌスは私などがそのような大役を果たせるなどと考えてもいなかった。
「君では役不足に決まっているだろう、蛮族を追い払うことも出来ないではないか。むしろ君には街で手伝ってもらいたいことがある。一緒に来るんだ」
「僕も街に?」
「ああ、塔の留守は僕の複製に務めてもらうことにした」
「複製だって?」
プラーヌスは驚くべきことをさらりと言ってきた。
「そう、複製さ。それなら四日、五日ぐらい誤魔化しはきく。蛮族とも戦えるし、他の侵入者も撃退出来る。何なら僕よりも残酷な複製だよ。魔族にその中身を務めさせるからね」
「魔法ならそんなのも出来るのか」
百人の蛮族を一瞬で殺し尽くすことが出来るくらいなのだから、今更驚くべきことではないかもしれないけど、私は改めて感動するように言った。
「まあ、複製と言ってもそれほど正確なものじゃない。四、五日しか継続しないし、ただ蛮族を殺すことだけしか出来ない代物だ。しかし今はそれで十分」
塔を留守にするのに、一番の心配事は蛮族のことじゃない。
プラーヌスは言った。
「他の魔法使いが僕の留守中にやってきて、この塔を占領されることのほうが怖い。魔法使いが相手では僕の複製など稚技に過ぎないからね」
だけどそれもどうにか計算はたったらしい。
「まだ完全に、この塔を魔界から支配している魔族との契約を取り付けたわけじゃないが、もうあと一歩だ。他の魔法使いが勝手に交渉しに来ても、簡単に移譲されないぐらいの信用は取り付けたのさ。まあ、魔族相手に信用と言うのもおかしいが」
魔族との契約のことは私もよくわからないが、プラーヌスが以前から言っていることを自分なりに整理して説明すると、こういうことだ。
ただ塔に住んだからといって、この塔の完全な主になれるわけではない。
塔を魔界から支配している魔族との契約を取り付けなければ、ただこの塔に間借りしているような状態に過ぎない。
すなわちそれでは、他からフラリとやってきた魔法使いと立場は同じということ。
自分の塔にするためには、魔界からこの塔を支配している魔族たちとしっかり契約を結ばなければいけない。それでようやく、塔の主としての様々なアドヴァンテージを魔族から得ることが出来る。
そうなると、この塔を簡単に失うこともない。
これまでプラーヌスが自分の書斎に籠り、夜中まで忙しく働いていたのはそれをやっていたようなのだ。
「まあ、だけど下級の魔族との契約は取り付けた。バルザ殿に会いに行く時間くらいは何とかなるだろう。シャグラン、パルに行くついでに街で買い物も済ませよう」
プラーヌスがワインで口を潤した後、そう言った。
「久しぶりに街に行けるのは嬉しいけど、でも買い物って何を買うんだよ?」
私もメインディッシュの羊の肉のカツレツを食べながらプラーヌスに尋ねた。ゲオルゲ族の料理係になってから本当に料理が美味しくなったものだ。
「まず花が欲しいね。あのグロテスクな怪物たちの残した腐臭がまだ塔中に漂っている。塔中に花を飾って、花の香りでこの悪臭を追い出すのさ」
「ああ、それはいいかもね。暗い塔が少しは華やかになるかもしれない」
この塔をありったけの花で飾ろうというプラーヌスの趣味はどうかと思うが、まあ、少しでもこの塔が明るくなればそれでいい。
「単純に塔を華やかにするだけなら、もっと良い方法がある。小汚い召使いたちを追い出せばいいのだ。もっと若い、見目麗しい召使いたちに入れ替えるのさ。しかしまだ新しい召使いを探すだけの時間はない。だけど街で家具や調度品を買う時間ぐらいはあるだろう」
「いいな、街か。何だか心が浮き浮きするよ」
久しぶりにこの塔から出られるとあって、私の表情もほころんだ。
来る日も来る日も、この暗鬱な塔をぐるぐる回っているだけの生活には飽き飽きしていたのだ。
「しかし君と二人で買い物をして歩くなんて、まるでデートみたいだな」
プラーヌスが微笑みながら言ってきた。
「男同士でデートなんて、馬鹿なことを言ってるんじゃないよ」
私はプラーヌスの冗談に苦笑いしておいた。
「まあ、その街に娼館もあるだろう。久しぶりに女を抱けばいい」
しかしデートなんて言ったかと思うと、プラーヌスはこんなことを言ってきた。
「娼館だって? いいよ、そんなの」
私は首を振って断った。いざ街に着くとまた気分は変わるかもしれないが、今はそんな気はないし、それに何よりプラーヌスの勧めに従って女性を抱くのなんて嫌なものだ。
「ああ、そうか、シャグラン。君はあの召使いに既に手を出しているわけか?」
「はあ? あの召使いって?」
「君の後をチョロチョロついて回っている女の子がいるじゃないか」
「へ?」
チョロチョロついて回っている女の子?
「も、もしかしてアビュのことを言ってるのか? あんな子供をそんなふうに見てないよ」
私は慌ててプラーヌスの言葉を否定した。いくらなんでもその勘違いは酷過ぎる。
「まあ、いいさ、どうでも君の好きにすれば」
「だから違うと言ってるじゃないか!」
焦る私を尻目に、プラーヌスはもうその話題に厭きたといった感じで、さっさと話しを変えてきた。
「そういえば名簿作りのほうは?」
「え? ああ、少しずつ進んでいるかな」
私は話題が変わったことに内心ホッとしながら言った。「明らかにこの塔の住人は多過ぎる。仕事も無く、時間を持て余している者は多いね」
「いずれ首にする。だけどまだ混乱は避けたい」
「そういえば召使いで思い出したんだけど、牢獄に閉じ込められていた人たちの新しい服を、召使いたちから借りたんだ。そのとき、引き換えに新しい服を買ってやる約束をしたんだけど」
「それも街で買おう。あんな召使いたちでも、まだしばらくここで働いてもらわなければならないからね」
「あと、監禁されていた人たちの記憶を奪うって話だけど。それさえ済めば、いつでも街に帰れる準備は完了しているんだけど」
前の主が行っていた人体実験のために、この塔に囚われていた人の生き残りが十数人いた。
この塔に監禁されていたという記憶を消されてもかまわないのであれば、解放しても良いという条件を、プラーヌスは出していたのであるが、しかし蛮族の襲来やらで、その作業がまるで進んでいない。
「残念ながらそんなことに費やしている時間は無いな。魔法で街を行き来しなくてはいけないから、余分なエネルギーを彼らに避けない。やめだ」
「え?」
「このまま解放しよう。記憶を奪う魔法というのはけっこう面倒でね。こっちにもリスクが伴う。あれは彼らの覚悟を試しただけだよ」
「本当かい? それを聞いたら、彼らも喜ぶだろうね」
いくら、この塔から出られると言っても、記憶を奪われるなんて恐ろしいことだ。私はプラーヌスの優しさに少し感動した。
「それははどうかな。この塔での忌まわしい記憶は、彼らを苦しめ続けるに違いない。記憶を奪ったほうが彼のためかもしれないが。それ以外に報告は?」
「僕からはそれくらいかな」
「よし、それでは明日も、いつもの時間に会おう」
明日は旅立ちの日だというのに、プラーヌスは明日も昼過ぎまで眠るようだ。私は少し呆れてしまったが、大人しく頷く。
「そうだ、忘れるところだった、シャグラン、倉庫から女性ものの指輪を用意しておいてくれ。安物で構わない」
部屋を去り際、プラーヌスが私を呼び止めてそう言ってきた。
「ああ、わかった、用意しておくよ。誰かのプレゼントかい?」
「そう、騎士バルザ殿にね。この指輪一つで彼は僕たちの仲間になるはずだよ」
プラーヌスはそう言ってどことなく不気味に微笑んで、部屋を出ていった。
プラーヌスが興奮した面持ちで帰ってきた。
さすがの彼も、これだけ人を殺した後は、普通の精神状態ではいられないようだった。
強力な魔法を使って疲れているせいもあるのだろうけど、いつものプラーヌスと様子が違う。
沸き上がってくる興奮を抑えられないと言った感じで妙に早口だし、どっちかというと常に無愛想で、突き放すような態度でしか話さないのに、今のプラーヌスはやけに人懐っこい笑顔を浮かべている。
それにさっきまで真っ白だった顔にも、血の気が戻ってきたようだった。
今も頭痛に顔をしかめていたが、まるで見違えたようでもある。存分に八つ当たり出来て、すっきりしたかのようだ。
「もう今日は起こさなくていい。食事も必要ない。何か問題が起きてもシャグラン、君が解決してくれ」
しかしそう言って歩き去っていく後ろ姿は、やはり疲労困憊していた。プラーヌスはふらふらと自室に戻っていく。
「僕なんかで大丈夫かな?」
私は少しあとを追って尋ねた。
「問題ないさ。奴らもこれで懲りて、しばらくは近寄ってこないだろう」
確かにその日はプラーヌスの言う通り、何事もなく日は暮れていった。久しぶりに平穏なまま一日は終わった。
その次も蛮族は襲撃してこなかった。プラーヌスの力に恐れをなして、奴らはもうこの塔に近づいてくることは二度とないではないかと思った。
しかし蛮族は再びやってきた。その次の日、以前と同じぐらいの兵力で、彼らはこの塔に攻め寄せてきたのだ。
そのときのプラーヌスの落胆と言うべきか、怒りと言うべきか、何と表現すればいいのかわからないけれど、とにかく蛮族たちが彼の警告にまるで耳を貸さない事実に、彼は本当に絶望していた。
プラーヌスは再び、自ら蛮族たちを撃退した。
もちろん以前と同じように、プラーヌスの圧倒的な勝利で終わった。
前回散々に負けたのに、こうやって懲りずに攻め寄せて来るくらいなのだから、蛮族側は何か新しい策でも携えてきたのかと思ったが、そういうわけでもないようだった。
ただ前と同じように、正面から突撃して来るだけ。どう見積もっても、蛮族たちは魔法使いプラーヌスの敵ではないよう。
しかし連日、こうやって蛮族を相手にしなければいけないことに、プラーヌスは心の底からうんざりしていた。
そういうわけでプラーヌスは少し予定を早めて、騎士に会いに行くことを決意したようだった。
再び襲来してきた蛮族を撃退したその日の夜の夕食の席、プラーヌスはその計画を私に語ってきた。
「騎士バルザをこの塔の門番に勧誘するため、僕はパルに行ってくる」
プラーヌスの目当ての騎士は、パルの国に住んでいるらしい。
パルがどこにあるのか私は詳しく知らないけど、その国がどこにあろうが、そこまで行くのにプラーヌスの魔法なら一飛びであろう。
しかしその騎士との折衝やら何やらに、最低三日か四日は塔を留守にしなくてはならないらしい。
そういうわけで、それまでの留守番役をどうするかプラーヌスは頭を悩ましていたようだった。
てっきり留守番役を任されるのかと思ったが、プラーヌスは私などがそのような大役を果たせるなどと考えてもいなかった。
「君では役不足に決まっているだろう、蛮族を追い払うことも出来ないではないか。むしろ君には街で手伝ってもらいたいことがある。一緒に来るんだ」
「僕も街に?」
「ああ、塔の留守は僕の複製に務めてもらうことにした」
「複製だって?」
プラーヌスは驚くべきことをさらりと言ってきた。
「そう、複製さ。それなら四日、五日ぐらい誤魔化しはきく。蛮族とも戦えるし、他の侵入者も撃退出来る。何なら僕よりも残酷な複製だよ。魔族にその中身を務めさせるからね」
「魔法ならそんなのも出来るのか」
百人の蛮族を一瞬で殺し尽くすことが出来るくらいなのだから、今更驚くべきことではないかもしれないけど、私は改めて感動するように言った。
「まあ、複製と言ってもそれほど正確なものじゃない。四、五日しか継続しないし、ただ蛮族を殺すことだけしか出来ない代物だ。しかし今はそれで十分」
塔を留守にするのに、一番の心配事は蛮族のことじゃない。
プラーヌスは言った。
「他の魔法使いが僕の留守中にやってきて、この塔を占領されることのほうが怖い。魔法使いが相手では僕の複製など稚技に過ぎないからね」
だけどそれもどうにか計算はたったらしい。
「まだ完全に、この塔を魔界から支配している魔族との契約を取り付けたわけじゃないが、もうあと一歩だ。他の魔法使いが勝手に交渉しに来ても、簡単に移譲されないぐらいの信用は取り付けたのさ。まあ、魔族相手に信用と言うのもおかしいが」
魔族との契約のことは私もよくわからないが、プラーヌスが以前から言っていることを自分なりに整理して説明すると、こういうことだ。
ただ塔に住んだからといって、この塔の完全な主になれるわけではない。
塔を魔界から支配している魔族との契約を取り付けなければ、ただこの塔に間借りしているような状態に過ぎない。
すなわちそれでは、他からフラリとやってきた魔法使いと立場は同じということ。
自分の塔にするためには、魔界からこの塔を支配している魔族たちとしっかり契約を結ばなければいけない。それでようやく、塔の主としての様々なアドヴァンテージを魔族から得ることが出来る。
そうなると、この塔を簡単に失うこともない。
これまでプラーヌスが自分の書斎に籠り、夜中まで忙しく働いていたのはそれをやっていたようなのだ。
「まあ、だけど下級の魔族との契約は取り付けた。バルザ殿に会いに行く時間くらいは何とかなるだろう。シャグラン、パルに行くついでに街で買い物も済ませよう」
プラーヌスがワインで口を潤した後、そう言った。
「久しぶりに街に行けるのは嬉しいけど、でも買い物って何を買うんだよ?」
私もメインディッシュの羊の肉のカツレツを食べながらプラーヌスに尋ねた。ゲオルゲ族の料理係になってから本当に料理が美味しくなったものだ。
「まず花が欲しいね。あのグロテスクな怪物たちの残した腐臭がまだ塔中に漂っている。塔中に花を飾って、花の香りでこの悪臭を追い出すのさ」
「ああ、それはいいかもね。暗い塔が少しは華やかになるかもしれない」
この塔をありったけの花で飾ろうというプラーヌスの趣味はどうかと思うが、まあ、少しでもこの塔が明るくなればそれでいい。
「単純に塔を華やかにするだけなら、もっと良い方法がある。小汚い召使いたちを追い出せばいいのだ。もっと若い、見目麗しい召使いたちに入れ替えるのさ。しかしまだ新しい召使いを探すだけの時間はない。だけど街で家具や調度品を買う時間ぐらいはあるだろう」
「いいな、街か。何だか心が浮き浮きするよ」
久しぶりにこの塔から出られるとあって、私の表情もほころんだ。
来る日も来る日も、この暗鬱な塔をぐるぐる回っているだけの生活には飽き飽きしていたのだ。
「しかし君と二人で買い物をして歩くなんて、まるでデートみたいだな」
プラーヌスが微笑みながら言ってきた。
「男同士でデートなんて、馬鹿なことを言ってるんじゃないよ」
私はプラーヌスの冗談に苦笑いしておいた。
「まあ、その街に娼館もあるだろう。久しぶりに女を抱けばいい」
しかしデートなんて言ったかと思うと、プラーヌスはこんなことを言ってきた。
「娼館だって? いいよ、そんなの」
私は首を振って断った。いざ街に着くとまた気分は変わるかもしれないが、今はそんな気はないし、それに何よりプラーヌスの勧めに従って女性を抱くのなんて嫌なものだ。
「ああ、そうか、シャグラン。君はあの召使いに既に手を出しているわけか?」
「はあ? あの召使いって?」
「君の後をチョロチョロついて回っている女の子がいるじゃないか」
「へ?」
チョロチョロついて回っている女の子?
「も、もしかしてアビュのことを言ってるのか? あんな子供をそんなふうに見てないよ」
私は慌ててプラーヌスの言葉を否定した。いくらなんでもその勘違いは酷過ぎる。
「まあ、いいさ、どうでも君の好きにすれば」
「だから違うと言ってるじゃないか!」
焦る私を尻目に、プラーヌスはもうその話題に厭きたといった感じで、さっさと話しを変えてきた。
「そういえば名簿作りのほうは?」
「え? ああ、少しずつ進んでいるかな」
私は話題が変わったことに内心ホッとしながら言った。「明らかにこの塔の住人は多過ぎる。仕事も無く、時間を持て余している者は多いね」
「いずれ首にする。だけどまだ混乱は避けたい」
「そういえば召使いで思い出したんだけど、牢獄に閉じ込められていた人たちの新しい服を、召使いたちから借りたんだ。そのとき、引き換えに新しい服を買ってやる約束をしたんだけど」
「それも街で買おう。あんな召使いたちでも、まだしばらくここで働いてもらわなければならないからね」
「あと、監禁されていた人たちの記憶を奪うって話だけど。それさえ済めば、いつでも街に帰れる準備は完了しているんだけど」
前の主が行っていた人体実験のために、この塔に囚われていた人の生き残りが十数人いた。
この塔に監禁されていたという記憶を消されてもかまわないのであれば、解放しても良いという条件を、プラーヌスは出していたのであるが、しかし蛮族の襲来やらで、その作業がまるで進んでいない。
「残念ながらそんなことに費やしている時間は無いな。魔法で街を行き来しなくてはいけないから、余分なエネルギーを彼らに避けない。やめだ」
「え?」
「このまま解放しよう。記憶を奪う魔法というのはけっこう面倒でね。こっちにもリスクが伴う。あれは彼らの覚悟を試しただけだよ」
「本当かい? それを聞いたら、彼らも喜ぶだろうね」
いくら、この塔から出られると言っても、記憶を奪われるなんて恐ろしいことだ。私はプラーヌスの優しさに少し感動した。
「それははどうかな。この塔での忌まわしい記憶は、彼らを苦しめ続けるに違いない。記憶を奪ったほうが彼のためかもしれないが。それ以外に報告は?」
「僕からはそれくらいかな」
「よし、それでは明日も、いつもの時間に会おう」
明日は旅立ちの日だというのに、プラーヌスは明日も昼過ぎまで眠るようだ。私は少し呆れてしまったが、大人しく頷く。
「そうだ、忘れるところだった、シャグラン、倉庫から女性ものの指輪を用意しておいてくれ。安物で構わない」
部屋を去り際、プラーヌスが私を呼び止めてそう言ってきた。
「ああ、わかった、用意しておくよ。誰かのプレゼントかい?」
「そう、騎士バルザ殿にね。この指輪一つで彼は僕たちの仲間になるはずだよ」
プラーヌスはそう言ってどことなく不気味に微笑んで、部屋を出ていった。
0
あなたにおすすめの小説
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~
二階堂吉乃
恋愛
同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。
1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。
一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。
愛する夫が目の前で別の女性と恋に落ちました。
ましゅぺちーの
恋愛
伯爵令嬢のアンジェは公爵家の嫡男であるアランに嫁いだ。
子はなかなかできなかったが、それでも仲の良い夫婦だった。
――彼女が現れるまでは。
二人が結婚して五年を迎えた記念パーティーでアランは若く美しい令嬢と恋に落ちてしまう。
それからアランは変わり、何かと彼女のことを優先するようになり……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる