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シーズン1 魔法使いの塔
第七章 6)バルザの章6
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悲しきハイネの物語。それがどんな内容の物語であったのかよく覚えていない。バルザは物語に集中するどころではなかったのだ。
劇が始まってすぐに、その物語の中のハイネがこう描写されていたことで、彼の心は驚きと混乱に満たされた。
「珍しい蒼色の髪、瞳も薄い青、濡れたような赤い唇、桃色の乳房、砂糖のように白い脚と、そして特徴的な口の下の二つの黒子」
それはまさにバルザの愛するハイネと瓜二つではないか・・・。
しかしなぜ物語の中のハイネと、バルザの愛するハイネの特徴がこうも似通っているのであろうか?
そうやって呆然としているうちに劇は終わった。
その時間はあっという間に思われたが、劇が終わったとき、バルザ以外の観客たちは涙に咽び泣き、あれほどだらしなく浮かれていた者たちが、まるで弔いの儀式にでも参列しているかのように、引き締まった表情をしていたから、それは悲しいと同時に、凛と背筋を伸ばさせるような物語であったのだろう。
劇は終わり、夜も更け、だが狂騒はますます高まっていった。
どうやら劇団の踊り子は娼婦も兼ねているようで、次々と客を取り、暗い場所にしけ込んでいくのである。
塔の召使い同士で気の合った者も、腕を組んで次々と広間から消えていった。
ホールに残ったのは、完全に酔い潰れ寝ている者か、劇の後片付けをしている旅芸人か、そしてバルザだけであった。
しばらく思い悩むように呆然としていたバルザは、旅芸人たちが忙しく動き回っている中に入っていった。
バルザは最初に目についた大男に声をかけた。
「さっきの劇を作った方にお会いしたい」
「はあ? みんな忙しいんだよ、消えな!」
確かにその大男はいそいそと楽器の手入れをしているようだ。舌打ちしながらバルザにそう言ってきた。
「さっきの劇を作った方にお会いしたい。聞きたいことがある」
「だから忙しいって言ってるだろ! 怪我したくなかったら、さっさと言う通りにしやがれ」
大男は凄むようにして声を荒げ、拳を振り上げて威嚇してきた。
バルザはその威嚇を歯牙にもかけず、また言う。
「作業中、申し訳のないのは承知だが、大切な話しがあるのだ。お目通り願いたい」
「おい、しつこいな、てめえ! 何度言わせれば気がすむんだ」
そう叫びながら大男は、バルザの襟首を掴もうとしてきた。
バルザはうんざりしたような表情を浮かべながら瞬時に身構える。
その大男はバルザよりも背は高く、体重は二倍以上かもしれない。
しかしこのような男を打ちのめすのはバルザにとって訳ないこと。
「やめろ!」
そのとき大男の背後で声がした。
この声を聞いた途端、大男は半分程に縮こまったかのように身体を丸め、慌ててバルザから離れていった。
バルザは声のしたほうを見た。
そこにはさっき舞台の上で挨拶をしていた小男、劇団の座長が立っていた。
「大切なお客様に何という口を聞いているのだ、貴様は!」
そう言いながら座長は大男に近づいていって、すれ違いざま、持っていたステッキで大男の向う脛を思い切り打ち据えた。
大男は痛そうにうずくまっていたが、少しも反抗の様子を見せることなく引き下がっていった。
「我が劇団員のご無礼、お許し願いたい。危険な旅に生きる日々と、ときに世間の蔑むような眼差し、旅芸人は少々荒っぽい人間に育ってしまうのです。ところで何かご用でしょうか?」
座長は鋭い眼差しをバルザに向けてきた。
「はい、少しばかり尋ねたいことがございます。時間を煩わすことをお許し願いたい」
「伺いましょう」
「先程の劇をお書きになられたのはあなたでしょうか?」
バルザは礼儀正しく一礼してからそう尋ねた。
「先程の劇というのは『悲しきハイネの物語』のことでしょうか?」
「左様です」
「あのような美しい作品、私が書きましたと言いたいところですが、ご存じないのですか? あの物語は何世代も前から語り継がれてきた有名な物語ですぞ。私の父も、私の祖父も、そのまた祖父も知っていた。もちろん私の母も、その母の祖母も。まあ、多少は手を加えたりしましたが、基本的には伝承通り。そもそも私の仕事はこの劇団をまとめ上げることです。それは物語をゼロから書きあげることより困難なこと」
「ならばそのハイネの麗しき姿の描写、それも語り継がれている通りなのでしょうか?」
バルザは息急くように尋ねた。
「珍しい蒼色の髪、瞳も薄い青、濡れたように赤い唇、桃色の乳房、砂糖のように白い脚と、そして特徴的な口の下の二つの黒子。その部分でしょうか?」
「そ、そうです」
「そこも語り継がれた部分です。どこか気にくわないところでもあったのでしょうか?」
座長の視線がいぶかしげにバルザを見つめた。
「いいや、そういうわけではないのだが・・・」
そう言ったきり、バルザは口籠ってしまった。
いったいこの男に、何を尋ねればいいのだろうか?
彼がこの劇を書いたわけではないのなら、なぜハイネのことを知っているのだと聞いても無駄であろうし、バルザの知っているハイネの特徴と、劇の中のハイネの特徴がどうして同じなのかと責めても意味のないことだ。
「御用がなければお暇させてもらいますが」
バルザが黙っていると、座長がバルザの前から去ろうとした。
「ちょっと待ってくれ」
バルザは慌てて引き止め、更に彼に尋ねた。
「あなたにこの質問をするのは筋違いかもしれませんが、しかしもう一つ尋ねたいことがあります。魔法使いは偽の記憶を他人の頭の中に植えつけたりする能力など、あるものでしょうか?」
「どうしてそんなことを私にお尋ねられるのです? この塔は魔法使いの塔ではございませんか。誰よりも詳しい方がおられるのに」
座長はバルザを馬鹿にするように笑った。
「はっきりとした答えじゃなくて構いません。少しでも知っていることがあればお聞かせ頂ければと思い・・・」
バルザは座長の嘲笑に恥じ入りながらそう言った。
するとバルザの真剣な表情を前に考えを改めたのか、その嘲笑を引っ込めて座長は言ってきた。
「まあ、確かそんな魔法を題材にした物語があるのは知っていますが、実際はどうでしょうか・・・」
「あ、あるのですか?」
座長の言葉を聞いて、バルザは思わず子供ほどの大きさの座長に詰め寄ってしまった。
「い、いえ、はっきりそう言えるわけではないのですが、聞いたことはございます」
「それが本当ならば」
やはり私は奴に騙されていたのではないか?
この胸の中に居るハイネは、この劇の登場人物をモデルにして適当にでっち上げた、あの邪悪な魔法使いが植えつけた偽の記憶?
もし本当にそんな魔法があるとしたら、その可能性が断然高まる!
バルザは興奮した面持ちでそう叫びかけたが、寸前のところでその言葉を飲み込んだ。
だってあのハイネが存在しないなんて、そんなこと俄かに信じられるわけがない。
ハイネがいないなどということがあれば、その瞬間、バルザの世界は崩壊するであろう。
この世界は花も潤いもない、茫漠とした荒野になる。
それに注意しなければならないかもしれない。
この男は、この塔にやってきた劇団の座長だ。あの邪悪な魔法使いと通じているかもしれないではないか。彼の言葉を信じるのも禁物。
「ひどく興奮なされているようだが、どうなされたんですか?」
先程までバルザの前から一刻も早く離れたがっていた座長は、今はバルザに興味深々といった様子を見せ始めていた。
バルザはそんな座長を危ぶんで、丁寧に礼を言って彼の前から去ろうと思ったが、やはり考え直した。
ハイネが本当に実在するのか、それとも邪悪な魔法使いの魔法に拠る偽の記憶なのか、はっきり確かめておかなければならない。
しかしバルザの一人の力では無理だ。
協力者が必要なのだ。この旅芸人はその仕事に打ってつけなのではないだろうか。
「あなたがこの塔を訪れたのは何度目ですか?」
だが彼が邪悪な魔法使いと通じている可能性がある。それをまず探らなければならない。
そう思いバルザは尋ねた。
「さて似たような塔を廻っておりますからね」
ということは、あの邪悪な魔法使いと何かつながりがあって、この塔にやってきたわけではないのか。
「では次はどこに行かれるのでしょうか?」
「さあ、それは風が教えてくれるでしょう。北風が強くなり始めました。南にでも向かいましょうかな。それともどこか住んでおられる貴方のお知り合いが、我々のような旅芸人を求めているのでしょうか?」
「残念ながらそういうわけではないのですが、しかしまだ行き先が決まっていないというのならば、是非とも行って欲しいところがあります」
「ほう、どこですか?」
「パルです」
ああ、我が故郷、パル。
バルザはパルと言ったとき、切ないくらいの懐かしさと愛おしさが、自分の胸に溢れて来るのを感じた。
「パル、いいですね」
「そしてそこでハイネという名の女性が実在するかどうか探って欲しいのです」
バルザは「ハイネ」という名前を口にするとき自然と声をひそめた。
どこであの邪悪な魔法使いが立ち聞きしているかもしれないから。
「ハイネ、ですか? しかしハイネなどという名前はありふれていますが」
座長は先程までと同じ声のトーンで言ったのかもしれないが、バルザにはそれがひどく大きな声に聞こえた。
バルザが声をひそめているのを知りながら、わざと嫌がらせしてきたような感じ。
バルザは思わず辺りを見渡す。
そして眉をひそめながら続けた。
「バルザという騎士団団長にして、軍の最高司令官がパルにおられるらしい。いや、おられたらしいと言い変えましょう。その腹心の妻に、その名の女性がいたかどうか探って欲しいのです。しかしその腹心はもう亡くなっているとも聞く」
「バルザ殿といえば有名な御仁。そのお方の腹心とはいえ、奥様の名前を探るなどとは、なかなか骨の折れる仕事」
「いや、そんなこと子供でも」
そう言いかけてバルザはその座長が何を望んでいるのか気がついた。
「謝礼は弾みましょう」
「おいくらで?」
「先払いで金貨、二十」
バルザが今、手元に持っている全財産がそれだけだった。
あの邪悪な魔法使いはバルザをあくまで雇っているという形にしたいようで、それなりの給金は払われているのだ。
「二十枚でございますか?」
かなりの大金だ。しかしその程度では不満だというような表情を、座長はあからさまに見せた。
しかしバルザは彼のその表情を見てむしろ安心した。
この男は金次第でどうにかなる男のようだ。
バルザの言っていることを不審に思い、あの邪悪な魔法使いに注進に及ぶなどということはないであろう。
「その報告を持ってきてくれたら、同じだけの金貨を後に渡そう。全部で四十」
「五十で」
「わかった」
バルザが渋々答えると、座長は満足そうに頷いた。
「実は私はあなたを一廉の人物だと思っておりました。その言葉遣い、堂々たる体躯、隠しても隠しきれない気品と威厳。こんな片田舎で働くのは相応しからぬお人と」
「私の正体を探るのがそなたの役目ではありませぬ」
バルザは冷たい一瞥をくれた。
「おっと、そうでしたね。ハイネという女性の存在の有無を確かめるんでしたね」
今度は、座長は声をひそめて「ハイネ」と言った。
「わかりました。約束は守ります。この職業も商売と同じ、信義によって成り立っているのです。どうぞ安心してお待ちください」
劇が始まってすぐに、その物語の中のハイネがこう描写されていたことで、彼の心は驚きと混乱に満たされた。
「珍しい蒼色の髪、瞳も薄い青、濡れたような赤い唇、桃色の乳房、砂糖のように白い脚と、そして特徴的な口の下の二つの黒子」
それはまさにバルザの愛するハイネと瓜二つではないか・・・。
しかしなぜ物語の中のハイネと、バルザの愛するハイネの特徴がこうも似通っているのであろうか?
そうやって呆然としているうちに劇は終わった。
その時間はあっという間に思われたが、劇が終わったとき、バルザ以外の観客たちは涙に咽び泣き、あれほどだらしなく浮かれていた者たちが、まるで弔いの儀式にでも参列しているかのように、引き締まった表情をしていたから、それは悲しいと同時に、凛と背筋を伸ばさせるような物語であったのだろう。
劇は終わり、夜も更け、だが狂騒はますます高まっていった。
どうやら劇団の踊り子は娼婦も兼ねているようで、次々と客を取り、暗い場所にしけ込んでいくのである。
塔の召使い同士で気の合った者も、腕を組んで次々と広間から消えていった。
ホールに残ったのは、完全に酔い潰れ寝ている者か、劇の後片付けをしている旅芸人か、そしてバルザだけであった。
しばらく思い悩むように呆然としていたバルザは、旅芸人たちが忙しく動き回っている中に入っていった。
バルザは最初に目についた大男に声をかけた。
「さっきの劇を作った方にお会いしたい」
「はあ? みんな忙しいんだよ、消えな!」
確かにその大男はいそいそと楽器の手入れをしているようだ。舌打ちしながらバルザにそう言ってきた。
「さっきの劇を作った方にお会いしたい。聞きたいことがある」
「だから忙しいって言ってるだろ! 怪我したくなかったら、さっさと言う通りにしやがれ」
大男は凄むようにして声を荒げ、拳を振り上げて威嚇してきた。
バルザはその威嚇を歯牙にもかけず、また言う。
「作業中、申し訳のないのは承知だが、大切な話しがあるのだ。お目通り願いたい」
「おい、しつこいな、てめえ! 何度言わせれば気がすむんだ」
そう叫びながら大男は、バルザの襟首を掴もうとしてきた。
バルザはうんざりしたような表情を浮かべながら瞬時に身構える。
その大男はバルザよりも背は高く、体重は二倍以上かもしれない。
しかしこのような男を打ちのめすのはバルザにとって訳ないこと。
「やめろ!」
そのとき大男の背後で声がした。
この声を聞いた途端、大男は半分程に縮こまったかのように身体を丸め、慌ててバルザから離れていった。
バルザは声のしたほうを見た。
そこにはさっき舞台の上で挨拶をしていた小男、劇団の座長が立っていた。
「大切なお客様に何という口を聞いているのだ、貴様は!」
そう言いながら座長は大男に近づいていって、すれ違いざま、持っていたステッキで大男の向う脛を思い切り打ち据えた。
大男は痛そうにうずくまっていたが、少しも反抗の様子を見せることなく引き下がっていった。
「我が劇団員のご無礼、お許し願いたい。危険な旅に生きる日々と、ときに世間の蔑むような眼差し、旅芸人は少々荒っぽい人間に育ってしまうのです。ところで何かご用でしょうか?」
座長は鋭い眼差しをバルザに向けてきた。
「はい、少しばかり尋ねたいことがございます。時間を煩わすことをお許し願いたい」
「伺いましょう」
「先程の劇をお書きになられたのはあなたでしょうか?」
バルザは礼儀正しく一礼してからそう尋ねた。
「先程の劇というのは『悲しきハイネの物語』のことでしょうか?」
「左様です」
「あのような美しい作品、私が書きましたと言いたいところですが、ご存じないのですか? あの物語は何世代も前から語り継がれてきた有名な物語ですぞ。私の父も、私の祖父も、そのまた祖父も知っていた。もちろん私の母も、その母の祖母も。まあ、多少は手を加えたりしましたが、基本的には伝承通り。そもそも私の仕事はこの劇団をまとめ上げることです。それは物語をゼロから書きあげることより困難なこと」
「ならばそのハイネの麗しき姿の描写、それも語り継がれている通りなのでしょうか?」
バルザは息急くように尋ねた。
「珍しい蒼色の髪、瞳も薄い青、濡れたように赤い唇、桃色の乳房、砂糖のように白い脚と、そして特徴的な口の下の二つの黒子。その部分でしょうか?」
「そ、そうです」
「そこも語り継がれた部分です。どこか気にくわないところでもあったのでしょうか?」
座長の視線がいぶかしげにバルザを見つめた。
「いいや、そういうわけではないのだが・・・」
そう言ったきり、バルザは口籠ってしまった。
いったいこの男に、何を尋ねればいいのだろうか?
彼がこの劇を書いたわけではないのなら、なぜハイネのことを知っているのだと聞いても無駄であろうし、バルザの知っているハイネの特徴と、劇の中のハイネの特徴がどうして同じなのかと責めても意味のないことだ。
「御用がなければお暇させてもらいますが」
バルザが黙っていると、座長がバルザの前から去ろうとした。
「ちょっと待ってくれ」
バルザは慌てて引き止め、更に彼に尋ねた。
「あなたにこの質問をするのは筋違いかもしれませんが、しかしもう一つ尋ねたいことがあります。魔法使いは偽の記憶を他人の頭の中に植えつけたりする能力など、あるものでしょうか?」
「どうしてそんなことを私にお尋ねられるのです? この塔は魔法使いの塔ではございませんか。誰よりも詳しい方がおられるのに」
座長はバルザを馬鹿にするように笑った。
「はっきりとした答えじゃなくて構いません。少しでも知っていることがあればお聞かせ頂ければと思い・・・」
バルザは座長の嘲笑に恥じ入りながらそう言った。
するとバルザの真剣な表情を前に考えを改めたのか、その嘲笑を引っ込めて座長は言ってきた。
「まあ、確かそんな魔法を題材にした物語があるのは知っていますが、実際はどうでしょうか・・・」
「あ、あるのですか?」
座長の言葉を聞いて、バルザは思わず子供ほどの大きさの座長に詰め寄ってしまった。
「い、いえ、はっきりそう言えるわけではないのですが、聞いたことはございます」
「それが本当ならば」
やはり私は奴に騙されていたのではないか?
この胸の中に居るハイネは、この劇の登場人物をモデルにして適当にでっち上げた、あの邪悪な魔法使いが植えつけた偽の記憶?
もし本当にそんな魔法があるとしたら、その可能性が断然高まる!
バルザは興奮した面持ちでそう叫びかけたが、寸前のところでその言葉を飲み込んだ。
だってあのハイネが存在しないなんて、そんなこと俄かに信じられるわけがない。
ハイネがいないなどということがあれば、その瞬間、バルザの世界は崩壊するであろう。
この世界は花も潤いもない、茫漠とした荒野になる。
それに注意しなければならないかもしれない。
この男は、この塔にやってきた劇団の座長だ。あの邪悪な魔法使いと通じているかもしれないではないか。彼の言葉を信じるのも禁物。
「ひどく興奮なされているようだが、どうなされたんですか?」
先程までバルザの前から一刻も早く離れたがっていた座長は、今はバルザに興味深々といった様子を見せ始めていた。
バルザはそんな座長を危ぶんで、丁寧に礼を言って彼の前から去ろうと思ったが、やはり考え直した。
ハイネが本当に実在するのか、それとも邪悪な魔法使いの魔法に拠る偽の記憶なのか、はっきり確かめておかなければならない。
しかしバルザの一人の力では無理だ。
協力者が必要なのだ。この旅芸人はその仕事に打ってつけなのではないだろうか。
「あなたがこの塔を訪れたのは何度目ですか?」
だが彼が邪悪な魔法使いと通じている可能性がある。それをまず探らなければならない。
そう思いバルザは尋ねた。
「さて似たような塔を廻っておりますからね」
ということは、あの邪悪な魔法使いと何かつながりがあって、この塔にやってきたわけではないのか。
「では次はどこに行かれるのでしょうか?」
「さあ、それは風が教えてくれるでしょう。北風が強くなり始めました。南にでも向かいましょうかな。それともどこか住んでおられる貴方のお知り合いが、我々のような旅芸人を求めているのでしょうか?」
「残念ながらそういうわけではないのですが、しかしまだ行き先が決まっていないというのならば、是非とも行って欲しいところがあります」
「ほう、どこですか?」
「パルです」
ああ、我が故郷、パル。
バルザはパルと言ったとき、切ないくらいの懐かしさと愛おしさが、自分の胸に溢れて来るのを感じた。
「パル、いいですね」
「そしてそこでハイネという名の女性が実在するかどうか探って欲しいのです」
バルザは「ハイネ」という名前を口にするとき自然と声をひそめた。
どこであの邪悪な魔法使いが立ち聞きしているかもしれないから。
「ハイネ、ですか? しかしハイネなどという名前はありふれていますが」
座長は先程までと同じ声のトーンで言ったのかもしれないが、バルザにはそれがひどく大きな声に聞こえた。
バルザが声をひそめているのを知りながら、わざと嫌がらせしてきたような感じ。
バルザは思わず辺りを見渡す。
そして眉をひそめながら続けた。
「バルザという騎士団団長にして、軍の最高司令官がパルにおられるらしい。いや、おられたらしいと言い変えましょう。その腹心の妻に、その名の女性がいたかどうか探って欲しいのです。しかしその腹心はもう亡くなっているとも聞く」
「バルザ殿といえば有名な御仁。そのお方の腹心とはいえ、奥様の名前を探るなどとは、なかなか骨の折れる仕事」
「いや、そんなこと子供でも」
そう言いかけてバルザはその座長が何を望んでいるのか気がついた。
「謝礼は弾みましょう」
「おいくらで?」
「先払いで金貨、二十」
バルザが今、手元に持っている全財産がそれだけだった。
あの邪悪な魔法使いはバルザをあくまで雇っているという形にしたいようで、それなりの給金は払われているのだ。
「二十枚でございますか?」
かなりの大金だ。しかしその程度では不満だというような表情を、座長はあからさまに見せた。
しかしバルザは彼のその表情を見てむしろ安心した。
この男は金次第でどうにかなる男のようだ。
バルザの言っていることを不審に思い、あの邪悪な魔法使いに注進に及ぶなどということはないであろう。
「その報告を持ってきてくれたら、同じだけの金貨を後に渡そう。全部で四十」
「五十で」
「わかった」
バルザが渋々答えると、座長は満足そうに頷いた。
「実は私はあなたを一廉の人物だと思っておりました。その言葉遣い、堂々たる体躯、隠しても隠しきれない気品と威厳。こんな片田舎で働くのは相応しからぬお人と」
「私の正体を探るのがそなたの役目ではありませぬ」
バルザは冷たい一瞥をくれた。
「おっと、そうでしたね。ハイネという女性の存在の有無を確かめるんでしたね」
今度は、座長は声をひそめて「ハイネ」と言った。
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