邪悪な魔法使いを殺すため、戦いに参加した九人の魔法使い

ロキ

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53)シユエト <部屋4>

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 デボシュに向かってグラスが飛んでいく。エクリパンが放り投げたグラスだ。
 デボシュは払いのけようと、咄嗟に差し出しかけた手を引っ込め、慌てて身体を沈めて、それを避けようとする。
 本当ならば、さっきの魔法で、そのグラスを吹き飛ばすべきなのであろうが、おそらく彼はシングル・コアの魔法使い。短時間の間に魔法を連続的に放つことが出来ない。
 だからそのグラスを避けるには、自らの敏捷性に頼るしかないのだ。
 幸いにも、デボシュは魔法使いであると同時に、優秀な戦士である。
 その身体能力は、普通の魔法使いとはレベルが違う。彼はそのグラスを上手く避けたかのように見えた。

 しかしそのグラスはまるで命でも宿っているかのように、急激に角度を変えて、デボシュの身体に向かって飛んでいった。
 それもエクリパンの魔法だろう。それ自体はとても簡単な魔法だ。遠くの物体を操る思うままに移動させる魔法。
 急激に角度を変えたグラスが、デボシュの肩の辺りにわずかに触れたのが見えた。

 それを最後に、シユエトの視界が圧倒的な白に包まれた。
 その白は、いったいどこからやってきたのか。窓の外から、北の国の全ての雪が吹き込んで来たくらいの白。色という色がかき消えて、無が現出したような白。
 いや、白ではない。それは光なのかもしれないとシユエトは思った。圧倒的な強度の光が、白以外の色を奪ったのだ。

 そのあとに凄まじい爆音が鳴り響いた。間近で雷が直撃したような音だった。シユエトの聴覚はその力を失った。
 それから何もかもが空白になった。
 耳も聞こえないし、目も見えない。しばらくその状態が続いた。
 シユエトはなす術もなく、その状況の中で無様に戸惑うことしか出来なかった。

 その空白の時間、彼は恐怖に怯えた。
 いったい世界はどうなってしまったんだ? 
 そして俺もどうにかなってしまうのか? デボシュと同じように、エクリパンの怒りに触れて。

 目も見えない。耳も聞こえない。その何もない世界の中で不安だけに取り囲まれている。
 しかし時間の経過と共に、ようやく喧騒が訪れる。それと共に、目を強烈に射ていた光も、煙のように晴れていく。

 光が晴れたあと、さっきまでと寸分変わらない部屋の光景が、目の前に現れた。
 木製の机、大きな数脚の椅子、赤い絨毯、壁際の本棚。
 あれだけ凄まじい爆発があったのに、何も壊れた物はなかった様子。白い光も爆音も、全て幻だったかのように思える。

 しかし一つだけ、異常な変貌を遂げているものをシユエトは発見した。
 デボシュの肉体だ。
 肩が抉れている。頭部と腹部だけを残し、肩から胸にかけての部位が完全に消滅しているのだ。
 しかし血は流れていない。その傷口もきれいで、血管や内臓や骨などがはみ出しているわけでもなかった。
 とはいえ、死んでいるのは間違いない。

 エクリパンがその死体を見ながら何か言っている。

 「何だって?」

 凄まじい爆音の余波で、まだ声がよく聞き取れなかった。しかしエクリパンの表情が興奮で紅潮しているのはわかる。
 この魔法の威力に、彼自身も驚いていると同時に、凄まじい力を手に入れた自分に酔っているようである。

 「・・・深く、狭く、だよ」

 「深く、狭く?」

 ようやく聞こえてきた。彼の唇の動きと声が重なった。

 「ああ、その通り。これがアンボメの魔法の威力なんだ、凄いだろ? 広く浅くで爆発させてくれって頼むと、威力は落ちるが、広範囲にまで影響を及ぼすことが出来る。深く狭くだと、この通りだ。肩の辺りに当たったよな? デボシュのシールドを破壊して、更に奴の身体を抉るように破壊している。こんなに容易く、魔法使いを殺せるなんてな」

 なあ、シユエト、お前に向かって、この魔法を使わせないでくれよ。
 エクリパンが、言外にそのような意味を込めているのは明らかだ。反逆の意志を示しかけたシユエトを牽制しているのだ。

 (わざわざ脅されるまでもない。誰がこいつと戦いたいなんて思うものか)

 シユエトはエクリパンに返事する代わりに、アンボメのほうを見た。
 あの恐ろしい破壊行為の源のはずなのに、当の彼女は口を開け、唇の端から涎を垂らしながら、ふらふらと突っ立っているだけ。
 魔法というのは恐ろしいものだ。彼女には知性も意志もないのに、これだけの威力をもたらすことが出来る。気まぐれな魔族の賜物。

 「アンボメ、また魔法の用意を頼むぜ」

 エクリパンは手元にあったグラスや瓶を手に取り、アンボメに近づいていく。「見ろよ、シユエト、現時点では彼女の腕は両方とも動いているだろ?」

 エクリパンの言っている意味がわからなかった。アンボメの手は当然のように動いて、自分の頬を掻いたり、スカートを撫でたりしている。

 「しかし魔法を発動させれば、それを爆発させるまで、彼女の腕は動かなくなるんだ。ほらな」

 心なしか、アンボメの両腕が力を失い、だらりと垂れ下がったように見えた。

 「腕は二つだから、一度に用意出来るのは二発までということさ」

 「な、ならば、腕が四本あれば、あの恐ろしい魔法を同時に四発使うことが出来るわけか?」

 激しい動揺のせいか、シユエトは自分でも間の抜けたことを喋っているのを自覚はしている。

 「うん? まあ、魔族との交渉次第で、それも可能になるかもしれないな。しかし別に腕を四本に増やすのではなくて、両足も魔族に提供すればいい。しかしこれだけの威力だ。二つでも充分だろ? デボシュはあっさりと息絶えた」

 その通りだ。デボシュはあっさりと息絶えた。さっきまで仲間だった男を、エクリパンはあっさりと殺したのだ。
 その事実に、シユエトは怒りも悲しも感じない。
 ただ恐怖。そして自分だけは何とかここから生還したいという生への希望。

 (俺はもしかしたら、とてつもない瞬間に立ち会っているのかもしれない。この世界を治めることになる魔法使いの誕生。その瞬間に)

 エクリパンとダンテスクの関係がどのようなものなのか知らないが、もしも二人が力を合わせれば、この世界を思い通りにすることだって出来るかもしれない。
 二人はそれくらいの力を手に入れたのではないのか? 
 シユエトはそう思った。

 (それなのに俺は指を咥えて見ているだけ。それでいいのか?)

 いや、今更、何も出来はしない。
 このような恐ろしい魔法使いと、関係を深めておくことは得策なのか、あるいはむしろ、寿命を縮めるだけか、そちらのほうが気に掛かる。

 (まあ、彼らに多少の貸しを作ったことは事実なのだ。もし彼らが世界中の人間を殺し尽くそうとしても、俺のことだけは見逃してくれるかもしれない。奴らが今日の恩を思い出してくれれば・・・)

 シユエトはそんな弱い自分を皮肉に笑う。

 (だけどブランジュ、君だってそう思っているだろ?)

 彼は彼女の姿を探して視線を彷徨わせた。きっと彼女はデボシュの死に衝撃を感じているであろう。とはいえ、シユエトと同様、エクリパンに敵対などすることなく、ここから生還することを第一義に思っているはず。
 しかしブランジュの姿が見えなかった。さっきまで立っていたはずの場所に彼女はいない。
 そういえば、あの爆発以来、ブランジュの声も聞いていなければ、彼女の姿も見ていない。

 「ねえ、ちょっと・・・」

 そのとき、ブランジュの声がした。
 シユエトの素振りに気づいた彼女が声を上げたのであろう、彼は声のほうに視線をやった。
 しかしその瞬間、彼は驚きのあまり、表情を凍りつかせた。
 エクリパンもブランジュの声を聞いて、そっちを見たようだ。彼も息を飲んだのがわかった。

 シユエトもエクリパンも、まるで死が蘇ったのを見たかのように驚愕している。あの敵の魔法使いが、ブランジュの傍に立っていたからだ。

 「人質を取ったよ」

 そんなことを言いながら、敵の魔法使いは黒いローブをひるがえらせ、ブランジュを抱きかかえるように立っていた。
 奴は楽しそうに微笑みながら、こちらを嬲るように見つめていた。
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