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シーズン2 私の邪悪な魔法使いの友人の弟子
第二章 4)アリューシアの章
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その夜、父が屋敷に帰ってきた。数週間ぶりの帰宅である。
久しぶりに帰ってきた父はやつれ果てていた。
怪我をしている様子はないが、全身が傷だらけのように見えてしまう。表情だって浮かない。
しかし父が帰ってきてくれたのだから、全ての問題は片付いたのかと思って、アリューシアは喜びはしゃいだ。
実際のところはサンダン砦までも陥落して、最後に守るものがこの居城だけになってしまったので、逃げるようにしてここに帰ってきたのであるが、アリューシアはその事実を知らない。
「馬鹿ね、アリューシア。私たちが敵に捕まったら、奴隷として売られるかもしれないのよ」
何一つ状況は改善されていないというのに、父の顔を見ただけで安心し始めたアリューシアの愚かさ加減に腹が立ったのか、姉のマリアが憎々しい口調で言ってきた。
「どれい?」
「そうよ。奴隷になったら、もうこの人形で遊ぶことも出来ない。自由もなくなるのよ。それどころか、知らない人の家で働かなくちゃならないかもしれない」
「どうして私がそんなことしないといけないのよ!」
「あいつらは私たちに恨みがある。ボーアホーブ家の娘を奴隷にして売りつけるのが俺の夢だって、ギャラック家の当主が言ってるんだって」
そんなことになれば、自分自身にとっても最悪なことであるはずなのに、姉のマリアはアリューシアを怖がらせることに夢中になっているようだった。「綺麗なドレスも着れなくなるわ。それだけじゃない。腕を鎖で縛られて、汚い人たちと一緒に寝なくちゃならない」
マリアは真に迫った表情で、次々と最悪の光景を列挙していく。
「べ、別に怖くないわ。私、悪い人に捕まらないから。だってパパがいるもん」
(ねえ、パパ!)
しかしアリューシアの父は、子供たちの前であっても、その絶望を隠すことはなかった。
「サミヤ、マリア、アリューシア、逃げる用意をしなさい。私たちは負けた。全てを失おうとしているんだ」
(え?)
「我が代でボーアホーブ家が滅ぶのかと思うと、先達たちに申し訳がない。しかしギャラック家はあまりに卑怯だった。そして諸侯たちはとてつもなく無情。普段の恩義も忘れ、援軍を一兵たり寄こさない連中ばかりだったとは・・・」
アリューシアの父が、母や部下たちに愚痴っている。
いつもの父と別人のようだった。何だか一回りも二回りも、背中が小さく縮んで見える。その影も果敢なく、声も弱々しかった。
「パパ!」
アリューシアの呼び掛けにも応えてくれない。父は、思い通りにならない現実を前に、自分の殻に閉じ篭ってしまったかのよう。
それはアリューシアの中で、父に対する期待や信頼が、音を立てて崩れていく瞬間であった。
父が守ってきたこの屋敷の天井が崩れてきて、壁も崩壊する。見上げると暗い夜空が見える。
冷たい風が四方から吹き込んでくる。まるで自分が丸裸になってしまったかのようだ。その風が、全身の毛穴に刺し込んでくる。
アリューシアはこのとき、生まれて初めて恐怖を覚えた。
もう自分が、自分でなくなってしまうかもしれない恐怖だ。
死の恐怖と似ているようで違う。生きながら、別人として生きるしかない人生。
頭上から、血塗れの腕まで落ちてきた。それはあんなに逞しかった父の腕だろう。しかしその腕の筋肉は削げ落ち、まるで木の枝のよう。
そして剣や盾も落ちてくる。父の愛用の武器と防具。折れて、割れて、錆びた、剣と盾。
(パパが諦めたら、私たちはどうすればいいの?)
アリューシアはそう叫びたかったが、声にならない。
「あなた、まだアランがいます。あの子が魔法使いを連れて帰ってくるんでしょ?」
母が父にそんな言葉を掛ける。
「アラン? ああ、そうだった、アランはまだ帰ってこないか」
敗戦続きで、アランの存在をすっかり失念していたのかもしれない。
あるいは父は、自分の息子に、最初から何の期待もしていなかったのかもしれない。だから当然、彼が連れて帰ってくるかもしれない魔法使いなど少しも気に懸けていない。
もはや彼の心を占めているのは諦めだけで、ここからどうにかしてギャラック家に反撃しようなどという気概は消えていた。
軍を指揮することに、それなりに自信のあったアリューシアの父は、戦に負け続けることで、これまでの明晰さをも失っていた。
一方、アランから何の連絡がないことも事実だった。側近たちは首を振って、アランが今どこで何をしているのかわからないことを告げる。
「やはりだ。もはや運命は、私たちを見放したのだ」
父はそう嘆息する。「さあ、逃げる準備をしよう」
それからは本当に陰鬱な時間が始まった。アリューシアも、今度ばかりは言われた通り、自分の荷物をトランクの中に入れる。
もはや、この住み慣れた屋敷を出ることは、嫌なことでもなんでもなくなった。大切なものを置き去りにしていくことだって、どうということでもない。
もう自分を守ってくれる者はいなくなってしまったのだ。その心細さに比べれば、全てのことがもはや問題ではない。
このとき、彼女の幼年時代は終わってしまったのかもしれない。
少し早めに。突然、身を引き裂かれるようにして。
(自分の身は自分で守らなければいけない。私は強くならなきゃ)
アリューシアは思った。
(でもどうすれば強くなれるのだろうか?)
久しぶりに帰ってきた父はやつれ果てていた。
怪我をしている様子はないが、全身が傷だらけのように見えてしまう。表情だって浮かない。
しかし父が帰ってきてくれたのだから、全ての問題は片付いたのかと思って、アリューシアは喜びはしゃいだ。
実際のところはサンダン砦までも陥落して、最後に守るものがこの居城だけになってしまったので、逃げるようにしてここに帰ってきたのであるが、アリューシアはその事実を知らない。
「馬鹿ね、アリューシア。私たちが敵に捕まったら、奴隷として売られるかもしれないのよ」
何一つ状況は改善されていないというのに、父の顔を見ただけで安心し始めたアリューシアの愚かさ加減に腹が立ったのか、姉のマリアが憎々しい口調で言ってきた。
「どれい?」
「そうよ。奴隷になったら、もうこの人形で遊ぶことも出来ない。自由もなくなるのよ。それどころか、知らない人の家で働かなくちゃならないかもしれない」
「どうして私がそんなことしないといけないのよ!」
「あいつらは私たちに恨みがある。ボーアホーブ家の娘を奴隷にして売りつけるのが俺の夢だって、ギャラック家の当主が言ってるんだって」
そんなことになれば、自分自身にとっても最悪なことであるはずなのに、姉のマリアはアリューシアを怖がらせることに夢中になっているようだった。「綺麗なドレスも着れなくなるわ。それだけじゃない。腕を鎖で縛られて、汚い人たちと一緒に寝なくちゃならない」
マリアは真に迫った表情で、次々と最悪の光景を列挙していく。
「べ、別に怖くないわ。私、悪い人に捕まらないから。だってパパがいるもん」
(ねえ、パパ!)
しかしアリューシアの父は、子供たちの前であっても、その絶望を隠すことはなかった。
「サミヤ、マリア、アリューシア、逃げる用意をしなさい。私たちは負けた。全てを失おうとしているんだ」
(え?)
「我が代でボーアホーブ家が滅ぶのかと思うと、先達たちに申し訳がない。しかしギャラック家はあまりに卑怯だった。そして諸侯たちはとてつもなく無情。普段の恩義も忘れ、援軍を一兵たり寄こさない連中ばかりだったとは・・・」
アリューシアの父が、母や部下たちに愚痴っている。
いつもの父と別人のようだった。何だか一回りも二回りも、背中が小さく縮んで見える。その影も果敢なく、声も弱々しかった。
「パパ!」
アリューシアの呼び掛けにも応えてくれない。父は、思い通りにならない現実を前に、自分の殻に閉じ篭ってしまったかのよう。
それはアリューシアの中で、父に対する期待や信頼が、音を立てて崩れていく瞬間であった。
父が守ってきたこの屋敷の天井が崩れてきて、壁も崩壊する。見上げると暗い夜空が見える。
冷たい風が四方から吹き込んでくる。まるで自分が丸裸になってしまったかのようだ。その風が、全身の毛穴に刺し込んでくる。
アリューシアはこのとき、生まれて初めて恐怖を覚えた。
もう自分が、自分でなくなってしまうかもしれない恐怖だ。
死の恐怖と似ているようで違う。生きながら、別人として生きるしかない人生。
頭上から、血塗れの腕まで落ちてきた。それはあんなに逞しかった父の腕だろう。しかしその腕の筋肉は削げ落ち、まるで木の枝のよう。
そして剣や盾も落ちてくる。父の愛用の武器と防具。折れて、割れて、錆びた、剣と盾。
(パパが諦めたら、私たちはどうすればいいの?)
アリューシアはそう叫びたかったが、声にならない。
「あなた、まだアランがいます。あの子が魔法使いを連れて帰ってくるんでしょ?」
母が父にそんな言葉を掛ける。
「アラン? ああ、そうだった、アランはまだ帰ってこないか」
敗戦続きで、アランの存在をすっかり失念していたのかもしれない。
あるいは父は、自分の息子に、最初から何の期待もしていなかったのかもしれない。だから当然、彼が連れて帰ってくるかもしれない魔法使いなど少しも気に懸けていない。
もはや彼の心を占めているのは諦めだけで、ここからどうにかしてギャラック家に反撃しようなどという気概は消えていた。
軍を指揮することに、それなりに自信のあったアリューシアの父は、戦に負け続けることで、これまでの明晰さをも失っていた。
一方、アランから何の連絡がないことも事実だった。側近たちは首を振って、アランが今どこで何をしているのかわからないことを告げる。
「やはりだ。もはや運命は、私たちを見放したのだ」
父はそう嘆息する。「さあ、逃げる準備をしよう」
それからは本当に陰鬱な時間が始まった。アリューシアも、今度ばかりは言われた通り、自分の荷物をトランクの中に入れる。
もはや、この住み慣れた屋敷を出ることは、嫌なことでもなんでもなくなった。大切なものを置き去りにしていくことだって、どうということでもない。
もう自分を守ってくれる者はいなくなってしまったのだ。その心細さに比べれば、全てのことがもはや問題ではない。
このとき、彼女の幼年時代は終わってしまったのかもしれない。
少し早めに。突然、身を引き裂かれるようにして。
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