おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~

天岸 あおい

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六章 おっさんにミューズはないだろ!

ホタルを見て思うこと

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「カツミさん、これは?」

「ホタルだ。ここら辺は自然しかないからな。もう少し行くと……ほら、見てみろ」

 俺が森の入り口近くを指させば、ライナスがそれを目にして大きな感嘆の息をつく。
 薄い黄緑色に光るホタルたちが、至る所で飛び交い、この寂れた限界集落を賑やかに彩っていた。

 物心ついた頃から見てきた光景。子どもの頃は無邪気にこの不思議で美しい景色を楽しんでいた。いつからだろうか。この光景を心から喜べなくなってしまったのは。

 去年までの俺は、ああ、またホタルの季節が来た、としか思っていなかった。闇夜の幻想的な光を、あるだけ目障りだとすら感じていた気がする。

 ただの虫の求愛行動。まるで闇が怖くて、手を取り合う相手を必死に求めているように見えて腹立たしかった。漆黒に沈みたい俺には不要だと思い込んで――。

「カツミさん……きれいですね」

 ライナスの囁きに俺は我を取り戻す。ふと顔を向ければ、ホタルの乱舞にライナスが表情を輝かせている。

 こんな暗い中でも輝いて見えるなんて、どれだけコイツは明るい世界で生きているんだろうと思ってしまう。

 さしずめ俺は光に惹かれて群がる羽虫か。自分から行きたいと望まなくても、どうしようもなく惹かれて体が勝手に向かってしまう。こんなおっさんにたかられて喜ぶのだから、おかしなものだ。

「もう少し奥のほうへ行くか? ホタルまみれになってみろ」

 ふと悪戯心が出て、俺はライナスの手を引いて、ホタルの群れへと向かっていく。
 俺たちが来た途端、フワァ、と無数の光が仄暗い中を乱舞する。ホタルたちには迷惑だろうが、眺めるだけだ。今日だけ許してもらいたいものだ。

 しばらく動かずにホタルを眺めていると、次第にホタルたちは落ち着きを取り戻し、動きを緩めるものや、草木に停まるものが出てくる。中には落ち着きなく飛ぶものもいるが、光の群れは落ち着きを取り戻していく。

 そして――フワ。俺の肩やライナスの腕に停まるものも現れた。

「懐かしいもんだ。昔はこうやって毎晩外に出て、ホタルと戯れていたんだ。ライナスは初めてか? イギリスにホタルはいるのか?」

 何気なくライナスに尋ねてみるが、答えが返ってこない。

「ライナス?」

 首を傾げながら振り向くと、ライナスはその場に立ち尽くし、俺だけを見つめていた。

「……カツミさん。作りたいものが、見えてきました」

 俺を見て思いついた?
 嫌な予感がして思わず俺はギョッとなる。

「また俺の顔を蒔絵にする気か? やめてくれ。手元に置くならまだしも、売るために作るなら需要を考えろ。おっさんの蒔絵を欲しがる変わり者はお前だけだからな」

「そんなことはないと思いますけど……考えているのは、もっと抽象的な感じです」

 言いながらライナスは虚空に何度も円を描き、近くを飛ぶホタルを舞わせるように促す。

 俺のほうへ逃げてくるホタルを見て、ライナスがブツブツと独り言を始める。そして次第に声を消していく。深く集中すると、俺の声すら届かなくなる。煮詰まっていたものが消えたようで良かったと思いながら、俺はライナスを見つめる。

 宵は夜へと闇を深め、俺たちを呑み込もうとしてくる。そんな中でも暗さに慣れた俺の目は、ライナスの顔をちゃんと認識し、創作に向き合う姿に囚われていく。

 俺が一番好きなライナスの姿だ。彼の周りをホタルが舞っているせいか、やけに神々しく見えてくる。

 きっと今、ライナスは目まぐるしく頭を働かせ、自分のと漆芸の世界をより深く繋げているのだろう。また一段と成長する手応えを覚え、俺は小さな微笑みを浮かべる。

 いったいどんな作品を作るのか、予想はつかない。だが俺は妙な確信を持っていた。ライナスがローレンさんを説得できるだけの作品を作り上げることを。

 世界に通用する作品を手がけることができたなら、もう立派な一人前だと言うことができる。俺の力を借りずとも、一人で羽ばたける。あと少しだ。

 胸の奥がやけに高揚して、ライナスを抱き締めたい衝動に駆られてしまう。
 それと同時に激しい痛みが胸の芯を突き刺し、ツンと鼻の奥が痛む。思わず苦しくて、俺は胸を押さえる。

 ああ、夜の帳が完全に降りて良かった。今の俺の顔を見たら、ライナスが無駄に心配するだろうから。

 しばらく無言で身動きも取らず、ライナスに好きなだけ思案させる。
 ――ゆらり。ライナスが動いたかと思えば、こちらに駆け出し、俺の体を抱き締めた。

「カツミさんっ、ありがとうございます! 良い案ができました!」

「そうか。じゃあ後は作るだけだな」

「はいっ。必ずローレンを説得します」

 久しぶりに元気のいい返事が聞けて嬉しく思っていると、おもむろにライナスは俺の手を取り、チュッと指先にキスをした。

「家に戻りましょう。案をスケッチしたいです」

「わ、分かった。アイデアは鮮度が命だからな。早く残しておかないとな」

「すぐ終わるので、その後、いっぱい抱きたいです」

「元気になり過ぎだな!? まったく……先に風呂を浴びておく」

 俺の答えにライナスがフフ、と嬉しげに笑う。
 これはなかなか終わってくれないやつだ。本当に飽きない奴だと思いながら、俺は心の中でそっと覚悟した。
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