男装の薬師は枯れぬ花のつぼみを宿す

天岸 あおい

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七章 決着

黒鞘の短剣

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 みなもの足音が遠ざかっていく音を確かめた後、レオニードはさらにナウムへ集中する。

 この男の顔を見るだけでも、胸からとめどもなく湧き出る怒りが全身を埋め尽くしていく。
 しかし頭に血が上ってしまえば隙ができてしまう。確実に勝つために、努めて冷静になろうとする。

 そんな自制心をあざ笑うかのように、ナウムがこちらの瞳を覗き込んできた。

「淡白そうなツラして、随分と独占欲が強いんだな。そんなにみなもを寝取ったオレが憎いか?」

 挑発するために言っているのだと分かっていても、頭が熱くなってくる。
 レオニードはきつく目を細め、歯ぎしりした。

「当然だ……卑怯な手を使われながら辱められて、どれだけ彼女が傷ついたと思っているんだ」

 フンッ、とナウムが鼻で笑う。

「意思がなかったのは最初だけ……演技ができるほど経験もないだろうに、その後のほうが表情は良かったぞ?」

「黙れ!」

 レオニードの腕に力が更に入り、二つの刃がナウムの鼻先まで近づく。
 それでもナウムは苦しげな顔は見せず、むしろこの状況を楽しんでいるように口端を上げた。

「お前の怒りはよーく分かるぞ。オレからすれば、前々から狙っていた獲物をお前に奪われたんだからな」

 不意にナウムが真顔になる。
 道化の空気を無くした彼は、今までの言動からは想像がつかないほど真摯で、ひどく疲れ切った印象を受けた。

「お前がいなくても、最初は憎まれただろうな。だが、昔のオレたちを思い出せば、みなもからオレを求めていたハズ。アイツにとってオレは初恋の相手だったからなあ」

 ナウムの正体は浪司やみなもから聞いている。
 水月という名の、隠れ里に出入りしていた商人の息子。

 また適当なことを言っている、と思いたいのに思えない。
 自分の知らない過去を共有している――その見えない部分が戸惑いを作っていた。

 突然ナウムの剣が重くなり、レオニードの剣を弾いた。

「ずっとオレは我慢し続けたんだ。欲しくて、欲しくて、気が狂いそうでも、オレには手を出す資格はねぇって言い聞かせながら……でも、そろそろ報われても良いと思わねぇか?」

 刹那、ナウムはレオニードへ更に近づき、懐へ入ってくる。

「だから、お前はもう消えろよ」

 ナウムが頭部を貫こうと、下から剣を突き上げてきた。
 咄嗟にレオニードは身を捻り、避けながら剣を振るって反撃に出る。

 激しく刃をぶつける度に互いの熱気が混ざり合い、辺りにこもっていくように感じる。
 息苦しさを覚えながら、レオニードは攻撃の手を休めずにナウムの様子を伺う。

 剣から伝わってくる力に翳りはない。が、顔色は見るからに悪い。
 耐毒の薬を飲んでいるとはいえ、ゆっくりながらでも毒は進行しているはず。

 それでもここまで動けるのは、この男にも譲れないものがあるのだろう。手負いの獣だと思ってはいけない。
 レオニードはそう自分に言い聞かせながら、緊張感を保ち続けた。

 剣を弾き返し、こちらの攻撃も弾かれ続けていくと――。
 ――ナウムが一瞬、顔をしかめ、足元をふらつかせた。

(今だ!)

 レオニードはこの隙を見逃しはしなかった。
 大きな一歩を踏み込み、ナウムの腹部に狙いを定める。

 鋭く剣を突き出そうとした時。

 ナウムの目が不敵に笑った。

 こちらの動きを見透かしたように、ナウムは下から上へ剣を振り上げる。

 ギィィンッ!
 予想外に強い力が剣を伝い、すさまじい衝撃がレオニードの手を襲う。
 思わず指が緩んでしまい、剣が大きな弧を描いて弾き飛んだ。
 
 レオニードは驚いて目を見張り、息を止める。
 その顔をしっかり目に留めると、ナウムは口元を大きく歪ませた。

 ヒュッ!
 間髪入れずに、ナウムがこちらの首をめがけて勢いよく剣で突いてきた。

 ここで殺される訳にはいかない。

 レオニードは膝を曲げて素早く頭を下げる。
 髪に刃はかすったが、かろうじて避けることができた。

 とにかく距離を取らなければ。
 レオニードは強く床を蹴り、ナウムの胸部へ体当たりを食らわす。

 鈍い音と「グッ……」という詰まった声が同時に聞こえる。
 ナウムの体が大きく後退した。

 咄嗟に剣を拾おうと、レオニードは横へ跳ぼうとする。が、

「諦めが悪いな。しつこいヤツは女に嫌われるぞ」

 軽口をたたきながら、ナウムがこちらへ斬り込んでくる。

 後退することしかできない自分が不甲斐なくて、レオニードは下唇を噛む。

(素手で勝てる相手じゃない。今使える武器は――)

 考えている最中に体が勝手に動き、気がつけば懐から黒鞘に入った細身の短剣――みなもから渡された、猛毒の短剣を手にしていた。

 少しでも体をかすれば、致命傷を与えられる。
 しかし得物の長さも強度も、ナウムの剣のほうが上。
 まともに刃を交えても、弾き飛ばされるのは目に見えていた。

 迫り来る剣を睨みつけ、レオニードは短剣と黒鞘を握りしめる。

 どうすれば意表をつける?
 剣を正面から交えず、ナウムに毒を与えるにはどうすれば――。

 ――脳裏に閃きの光が走る。
 レオニードは黒鞘の端を持ち、ナウムに投げつけた。

「おっと、危ねぇな」

 僅かにナウムが身を引き、シュッ! と剣を振るって黒鞘を弾こうとする。

 短剣よりも脆い鞘は、真っ二つに割れた。

 その中から薄茶色の滴が溢れ、ナウムの手に落ちた。

「…………っ!」

 一瞬にしてナウムの顔が蒼白になり、全身を震わせ、低く唸りながら滴のついた手を押さえる。

 かすれば人を確実に殺せる毒。
 それが皮膚に付着するだけでも激痛が走るとみなもは言っていた。
 だから鞘に入っている毒も利用できると思ったのだ。

 この好機を逃す訳にはいかない。
 レオニードは短剣を逆手に持ち、ナウムに向けて鮮やかな一閃を放つ。こちらの攻撃に気づいたナウムが、避けようとして体を傾ける。

 切っ先がナウムの腕をかすった。

 刹那、ナウムの体が床に崩れ落ちる。
 そして白目を向き、体をピクピクと痙攣させた。

「よ、くも……やって、くれ……た……」

 声にならない声が言い終わらぬ内に、ナウムの呼吸が止まる。

 レオニードは物言わなくなった彼を見下ろし、眉根を寄せた。

(……こんな代物を、みなもは持ち続けていたのか)

 確実に殺せる毒とは聞いていたが、こんなに即効性があるとは思わなかった。
 ずっと生き抜くための、最後の手段だったのだろう。

 今回は助けられたが、二度とみなもには手にして欲しくなかった。

 もうみなもは目的を果たしたのだろうか?
 レオニードは自分の剣を拾い上げて鞘に収める。そして短剣を手にしたまま、みなもの後を追った。
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